6:「ゲ・ボ・ク!」の巻
出発は夕刻に決定した。とりあえずと、今後の旅に必要になりそうな物の買出しにロブは街へと出掛けていった。サツキには決して宿から出るなと、釘をさすことを忘れずに。
暇になってしまったサツキは「Iネットくん」で、またしても自分のステータス画面を閲覧すると、 「野営」スキルが99にあがっていることを確認し、にやにやとだらしない笑顔を浮かべた。あはは、いひひ、うふふ、えへへ、おほほと、次々と妖しい笑いが響く。
そんな妖しさ爆発さくら屋なサツキの部屋の扉に、ノックが叩かれた。宿の女将さんだ。
「あんたに、客が来てるよ。下で待ってるってさ」
えぇ~~。わたし知り合いなんていませんよ、この世界に。何かの間違いじゃ? と首を傾げながら、サツキは階段を降りる。
宿の待合室に見覚えのある姿、その人物の目がサツキを捉えると、その人物は叫んだ。
「お嬢~~~~!!」
あのね、その呼び名かなり間違っている気がするのね、うん。
わたしの実家、ずどーんとしたお屋敷じゃないですよ。一般中流家庭ですよ。あぁ、兄の家はでかいです。けど、もちろん気質なわけですよ。チャカだドスだなんて飛び交ったりしませんよ。
サツキは叫んだ人物―――モスリンドに引き攣り笑いを見せつつ、言った。
「あの、お金、返しませんよ? 使っちゃいましたもん(全部じゃないけど)」
「そうじゃねぇ、そうじゃねぇ。金はお嬢が勝ち得たもんだ。そのせいで、俺は文無しになっちまったけど、昨日は野宿だったけど。10年かかって貯めた金が一瞬でパァになっちまったけど」
なんだろう、やっぱり金返せって聞こえるのは、わたしだけ? 半分返した方がヨイ? 半分っていうと、2千万ベール・・・・・・。やっぱ、返したくないなぁ。
とつらつら考えているサツキの耳に、ぐぅきゅるるるる~~、と盛大な音が響く。うん、お腹の音ですね。あぁ、文無しですものね。昨日から一食も食べてないアピールですか。最低ですね。でも、いい手だと思います。今度使わせてください。
サツキは、すたすたと無言で待合室に隣接する食堂にモスリンドを連れて入ると、女将にランチセットを注文した。
目の前にはがつがつとトンカツをほおばり食べる大男モスリンド。何回キャベツをおかわりしましたか? 5回目から数えるのやめましたよ、わたし。女将さんの顔を見るのもやめましたよ、ええ。
やっと腹が朽ちたのか、モスリンドは盛大にゲップをして言った。
「いやぁ、さすがお嬢! なんと慈悲深ぇお方だぁ」
軽く涙目でモスリンドは言う。うん、元々あなたのお金だけどね。感謝されるのは好き。もっと言え。つかその呼び名やめれ。キミのこと、モスくんって呼ぶよ。挨拶も「もす!」って大声で言わせるよ。ついでにハンバーガーも作らせちゃうよ。「いらっしゃいもす!」で統一しちゃうよ。
うるうる目の大男は、突然ずささっと地べたにはりつき言った。
「お嬢! お願ぇします! 俺を弟子にしてくだせぇ!」
弟子? 弟子、とな? この流れだと、舎弟っていうんじゃないの?
「自分、自分のこと強ぇって思ってました! 最強って思ってました! けど違ぇやした! お嬢が最強でした! 上には上がいるって気付きぇやした! どうか、どうか俺を弟子にしてくだせぇ!!!」
サツキはそんなモスリンドに、テーブルに片肘をつき、足を組みながらにっこり笑顔で言った。
「弟子はいらない」
その言葉に死にそうな顔になるモスリンド。
「でも、下僕になら、してあげましょう」
瞬間、食堂内の空気がピシリと固まった。女将さん停止中。ほら、そこのお客さん、スパゲッティが食品サンプルみたいになってますよ。
モスリンドは、そんな空気をものともせず、言った。
「へい! ありがとうございやす! 俺、一所懸命がんばりやす!」
そんなモスリンドにサツキは宣言した。
「じゃあ、モスくんの呼び名はモスくん。挨拶は「もす!」と元気よく。そこんとこ、よろしく」
モスリンドは一瞬何かを考えた後、軽く頷き、大声で言った。
「もす!」
その様子を食堂内で見たもの、伝え聞いた者たちは、かつてのあらくれ者、モスリンドはもういないのだと、涙したのだった。アーメン。
◆ ◆ ◆
「まさか、本当にキミだったとはねぇ」
くすくす笑う銀髪の男にアルは顔を顰める。
「悪かったな」
そう言いながらアルは、机の上にある自分の上着を取ると、それを片手で肩に担いだ。
「いえいえ、私を頼ってくださって、光栄ですよ」
アルはあの後、路地裏で正規兵に捕まり、男たちを暴行したとして、ラフィーユの街の留置場に拘留されていた。釈放される為の保証人として名指ししたのは、現ラフィーユ領の領主の息子である、かつての学友サミエルであった。
「しかし―――あなたに傷をつけられる人がいるとは・・・驚きです」
サミエルは、ついと、アルの鼻先に手を伸ばした。刹那、白い光が灯り、アルの鼻頭についていた赤い筋が消え去った。切れていたことに気づいていなかったアルは、驚きの表情を見せ、サミエルの手を軽くはたいた。
はたかれた手を軽くふりつつ、サミエルは再度笑みを見せ言った。
「―――相手は、暴行した彼ら、じゃないですよね」
その質問だか分からない言い回しに、アルはあの少女のことを思い出し、しばし思いに耽る。
(そう、彼女は強かった。ならばどこであの強さを得た―――)
黙り込んだアルに、サミエルは今思い出したかのように言った。
「そうそう、そういえばあなた、こんなところにいても、よろしいのですか?」
「何の話だ?」
「近々、ご結婚されるのでしょう?」
結婚。嫌な話題を思い出させる。
「周りが勝手に騒いでいるだけだ」
「おや、しかし私の耳にも届きましたが、違ったかな?」
思えば昔からこいつは、嫌な所で鼻が利く奴だった。
「――黒髪のアビスが光臨したというのは、誤報でしたか?」
本当に食えない奴だ、とアルはため息をついた。
「どこから聞いた」
アル自身でさえ、昨日伝え聞いたばかりだったというのに。
「お出迎えされなくても?」
質問に答えず、更にくすくす笑うサミエルに、アルは思いっ切り不機嫌な顔を見せると、言い放った。
「世話になった。じゃあな」
扉の外へと向かうアルの背に向けて、サミエルは爽やかな声色で言った。
「ええ、今度お会いする時は、式典で、でしょうか。楽しみにしています」
バタンと盛大な音を立てて閉まった扉に、サミエルは堪らず、ぷっと吹き出した。
サミエルや限られた者にのみ見せる、彼のその子供らしい仕草は、サミエルにとっては誇らしいものである。彼にとって、自分は特別なのだと思うことが出来る。
なので、ついサミエルは、ことある毎にアルをからかっては遊んでしまう。嫌われたくはないのだが。
城内での顔色ひとつ変えない彼の姿は、なんと痛ましいことか。
「―――黒髪のアビス、ですか」
アルを生かすも殺すも、彼女にかかっている。そう思えて仕方ないサミエルであった。
サミエルは深くため息をついた。
願わくは彼の方が、彼に安寧をもたらす存在でありますように―――。
◆ ◆ ◆
外に出たアルは、いまだ腹を立てていた。からかわれているのは分かっている。悪意がないことにも。ただ、そう理解していても、腹が立つのだ。正直自分でも子供っぽいと思う。だからこそ、また腹が立つのを抑えられない。
アルは、苛ただしげに、いまだ慣れぬ己の前髪を掻きあげた。
そして、見つける。
人混みの中、歩き去る黒のローブ姿。思わず走り寄り、肩を掴んだ。驚いたように、黒いローブの人物が振り返る。反動で、その人物の手にしていた布袋が道端に転がった。その人物の瞳を見つつ、アルは言った。
「―――すまない、人違いだ」
ため息をつきつつ、転がった布袋を拾い、黒いローブを纏った彼に手渡す。しかも男。大間違いだ。
「い、いえ。あ、あの、えーと」
なにか言いたそうなその人物の、その態度にアルは、小動物みたいだな、と思いながら首を傾げる。
「・・・何だ?」
「い、いえ。何でも、ありません。失礼します!」
ばたばたと、彼は走り去った。
しばらくその黒いローブの舞う背中を見ていたアルだったが、人気の無い、細い路地へと目を向けた。
(そろそろ帰るか?)
路地脇で寝転ぶ猫は、ひとつ退屈そうにあくびを見せ、「にゃあ」と鳴いた。その様子にアルは小さな笑みを作った。
「そうだな、帰るか」
◆ ◆ ◆
こちらに近づいて来た男に猫は警戒したが、そのまま奥へと歩いていった。
猫はしっぽを揺らし、目を閉じた。その閉じた瞼の裏に眩しい光を感じ、猫は毛を逆立てた。そして、「しゃー」と一声威嚇音を発し、その場から逃げ去った。
猫の去ったその路地には、誰の姿も存在しなくなった。
◆ ◆ ◆
揺れる馬車の中、隣の席に我が物顔で座り、高いびきをかいている人物を、ロブは半目でみやった。その人物の名はモスリンド。かなりの大男である。その巨体に、馬車の内部が狭くなったように錯覚する。若干息苦しい。なんでもサツキのいうことには、「下僕」なのだそうだ。
買出しに行って帰ってきたロブを出迎えたのは、サツキともう一人、大男であった。思わずのけぞり、眼鏡がずれたロブに、サツキは言った。
「あ、ロブくん、ロブくん。こちらモスくん。わたしの下僕」
ロブは眼鏡を元の位置に直しつつ、その言葉に瞑目した。
「――家来ということでしょうか」
「ううん、『下僕』で」
「―――付き人?」
「いや、『下僕』だってば」
「―――用心棒では?」
「ゲ・ボ・ク! ね、モスくん!」
「もす!」
そして、サツキはあろうことか、モスリンドを連れて行くとのたまう。ロブは目を瞑った。そして、彼女の要望に従った。ロブを残していった先輩たち魔術師を恨んだ。この男のことで問題になれば、道連れにしてやると、黒い思いを描いてみた。少し胸がすっとした。
ふと、先程出会った男を思い出す。
とてもよく似ていた。彼の人に。あの刺すような鋭い眼差し。こちらの動きを封じるその動作。威圧感。しかし、違った。髪の色も長さも、瞳の色も。
それに、彼が今日ラフィーユにいる筈などない。彼は己が花嫁を、己の領域で待ち構えているのだから。
―――王宮まで、後10日。