21:「三度目の出会い」の巻
誰かが、サツキの髪を梳いている。何度も、何度も―――。
その繊細な触り方に、サツキは軽く身じろぎをした。途端、その手がぴたりと止まる。もっと続けてほしくて、サツキは眉を顰めた。瞼を持ち上げようとしたが、重くて持ち上がらない。
右の頬に暖かいものがそっと触れた。それは、とても安心出来るものに感じた。ふっとその感覚が無くなった。むーっと不愉快になった。ふわりと風を感じる。キンと金属音を拾う。
それが、剣の打ち合う音だと気付いたとき、サツキは急速に意識が覚醒した。瞼を持ち上げようとした途端、上体を掴まれる。首に剣が添えられた。
「ほい、形勢逆転。・・・剣、こっちに放りな」
ザッシュの声が頭の上から聞こえる。ということは、サツキに剣を当てているのはザッシュだと、まだぼんやりした頭で考える。完全に瞼を開いた。部屋の隅に男が立っていた。
黒いコートを羽織り、月明かりの下でもきらきら光る金髪をしている。手にした長剣は血がついているのが分かる。
開け放たれた窓から、ふわりと風が吹き込む。そのたび、彼の髪が風に伴って靡く。
彼の視線が軽く下を向いた。
次の瞬間―――サツキは時が止まったように感じられた。
蒼。
その瞳がサツキの目を捉えた。どこかで、感じた感覚。
これは、どこ? 蒼だった? 蒼じゃなかった?
交差した目はどこでだった?
微笑んだ瞳はいつだった?
海の蒼。
蒼に吸い込まれて、動けない。
目が合った彼も、少し驚いた顔をしていた。
そして、ふっと息をはくと、惜しげもなく、手にした剣を放ち言った。
「仕方ない。この部屋では、魔法も使えないしな」
諦めをみせた様子の男にも、ザッシュは警戒を解かずに言った。
「よぅし、もっとこっちだ。こっちに蹴れ」
いわれるまま彼は、長剣を、ザッシュの元へ蹴り飛ばした。
なぜだろう、彼がサツキを見ている。サツキを見て、それから、サツキの下の方へ視線を向けていく。身体の線をなぞって。そして、また、サツキの顔へと戻る。サツキはなんだか恥ずかしくなり、目線を下にさげた。そして、気付く。
「よぉし、ほ~ら、これを付けろ。まずは、足からだ。それから手な」
左手でザッシュは、彼に向かって二つの手錠を投げた。彼の足元に二つの手錠がガチャンと音を立てて落ちる。彼はサツキをちらりと見たあと、ゆっくりとその手錠を拾い上げる。
そして、下を向きながらにやりと笑い、上目遣いに聞いた。
「―――これで勝った、と思うか?」
彼の減らず口にザッシュはへっと海賊らしく笑った。
「いや、まだまだ、俺様のマインド号を返してもら・・・・・・グァ!」
突然、右手首を捻じられ、さらに右腹の激痛に、ザッシュは身体を前のめりにした。捻じられたその余りの痛さに、剣を手にする力が失せ、カランと音を立て、剣が落ちた。そのまま、手首があっという間に、ザッシュの背中に回された。
「いで・・・いでで・・・・・・」
「魔法が使えないってんなら。こんなんでいいのかな?」
そういってにっこり笑ったサツキに男は言った。
「まあ、及第点だな」
「な、なんで、お嬢さん・・・」
と、ザッシュは信じられない目でサツキを振り返ろうとし、長椅子で目が留まる。そこには魔囚具が放り出されている。一直線に切れ目がいれてあった。
「てめぇ、いつの間に・・・・・・」
ザッシュは、男を睨んだ。
「お前が俺の首を刎ねようとした時・・・って答えたら、何かあるのか?」
「はっ、なんも、ねぇよ・・・・・・っと」
「あっ!」
掛け声と共に、ザッシュはサツキから、手を振りほどき、飛びずさった。
目を丸くするサツキを横目にザッシュは言った。
「だめだよ、お嬢さん。油断しちゃあ。関節外すことくらい、何でもないんだからよ」
と言いながら、ザッシュは一度外した肩と手首の関節を、ごぎっと音を鳴らしながら直していく。
「これ、手首の方が異様に痛いんだわ」
と、部屋の中の二人を見回す。
「こりゃ、完全に分が悪いなぁ。仕方ねぇ、今回は・・・・・・って危ねぇ!」
サツキの放った鞭が、ザッシュの足首を掠める。
「去り際の決め台詞ぐれぇ、言わせろって・・・だぁ!」
ザッシュの剣を拾った男が、それを投げてきた。
「ってコラ、お前もか! ・・・ちっ」
ザッシュはひらりと窓を飛び越える。そして、闇の中から声が響いた。
「あ~ばよ~~~!!」
赤いターバンの紐をはためかせ、ザッシュは逃亡に成功した。
◆ ◆ ◆
「・・・・・・というか、逃がす気だったな」
ザッシュの去った部屋の中、自分の長剣を鞘に納めながら、男がぽつりと呟いた。
その台詞に、サツキは慌てた。
「え、そんなこと、ないし?」
ぐりんぐりんと目が泳ぐ。
高級なワインをごちそうしてもらったという訳ではないが、どうにも憎めない奴だったのだ。あのザッシュという男は。正直、捕まってほしくないなぁ、なんて考えてしまったのは本当だ。決して、高級ワインを頂いたからでは・・・・・・ない、と思う。
「あ、そうだ!」
サツキははっと、男に向き直った。
「このたびは、助けていただいてありがとうございました!」
深々とお辞儀をする。黒髪が揺れる。その動きを男はただ見ていた。
「・・・ああ・・・別にいい。気にするな」
変な間を空け、男は答えた。
「・・・お前は、何故、俺を信じた?」
「え?」
「敵だとは思わなかったのか?」
「? ううん?」
「何故? 裏切られるとは思わないのか?」
サツキは首を傾げる。
「ん? どうして? どうして、信じないの?」
「信じなければ、裏切られない。最初から裏切ると思っていれば、裏切られない」
サツキはうーんと唸った。
「裏切られると思っていた相手が裏切らなかったら、それは裏切られたことになるんじゃないの?」
に、とサツキは笑って言った。
「その考えだと、結局裏切られちゃうね。・・・なら、信じちゃった方がよくない?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
うぅ。沈黙が息苦しい。
「と、ところで! あなたは誰ですか?」
そこで男は、驚きをみせた。そして、目線を外すと、眉を顰めた。そして、目を瞑ると長いため息をついた。
「俺は―――」
途端に外が騒がしくなった。
騎兵隊の音だ。多数の足音が響き渡る。
サツキがその音に気を取られた瞬間、男は窓を乗り越えていた。
「あ!」
そして、外に飛び立つと、振り向き一言いった。
「すぐ、会える。・・・・名はその時に」
彼の身体はすぐに闇に溶けていった。
◆ ◆ ◆
(・・・そういえば、名乗った覚えがない)
アルは落ち込んでいた。
最初の出会いの時は、変化をしていた。髪も目も茶色かった。
それから、彼は『翳』を使ってサツキを追尾させていた。それで彼女を知り、会った気になっていた。二度目の出会いは、エストニア侯爵の館の中でだった。その時、彼女は混乱状態で、アルのことを覚えているはずがなかった。
そして、三度目の出会いが、今回、海賊船長の隠れ家だった。
(たった、三度しか実際には会っていないのか・・・)
その答えに、驚愕した。
いつから、俺はこんな気持ちになったのか。やはり、あの伝承のせいなのか?
アルは首を振った。冗談じゃない。
アルは運命だとか、宿命だとかの言葉は大嫌いだった。
未来は決まっている。そんなのは馬鹿馬鹿しい。ならば何故、人は生きているのか。運命にただ沿うためだけに生きているのなら、そんな人生はいらない。
アルの過去がすでに定められたことによって起こり、未来もまた定められたことだなんて、嫌だ。もう、あんな目には会いたくはない。未来は己が選んだ事由によって決められていくべきだ。そうでないと、やっていられない。
あの出来事が、誰かによって作られた物語だなんて。
アルはため息をつき、言った。
「・・・他には?」
アルは今、医療室のベッドに横になっている。
あの後、アルはこっそり、医療室に戻った。医師には堅く口止めをしてある。
ベッドに横になってすぐにロベルトが訪れたので、間一髪だったが。
今まで、ロベルトの報告が続けられていた。
「報告は以上です。・・・きちんと聞いておられましたか?」
ロベルトは、半ば疑いの目でアルを見る。
「お前、目の前でサツキを攫われたんだって? やっちまったな、おい」
椅子を斜めにして、ぶらぶらと揺らしながら、チャカすように、フライが言った。サミエルに向かって。
「・・・それは、そうなのですが。サツキ様は、すぐに無事保護、致しましたし」
なのに腕を組み、先に答えたのはロベルトの方だった。困ったように、眼鏡の位置を直している。
「元はといえば、誰かさんが船長を逃がさなければ、こんな事態は起こらなかったわけですが、ねえ?」
サミエルがにこりと笑いながら、フライに言う。
「逃がしたんじゃなくて、元からいなかったんだよ! あいつは!」
「そうそう、気になることが、ひとつ」
そんなフライには目もくれず、サミエルは指を1本立てて言った。
「誰が、海賊の居場所を知らせてくれたのでしょうか」
フライは言った。
「そりゃ、隊の誰かだろう」
すかさず、指を3本に増やす。
「では、すでに侵入した形跡があったのは? 海賊が逃亡後だったのは?」
矢継ぎ早に、サミエルは質問をする。
「それに、サツキ様のお会いになった人物は誰だったのでしょうね」
と言って、すでに目を閉じているアルを横目で見ながら言う。
「黒いロングコートを着た金髪で蒼い目の男だったと。長剣を背中に帯剣していたと、サツキ様は証言しています」
皆の視線がアルに集中した。
アルは目を閉じたまま、ため息をついた。
「・・・知らん」
「・・・・・・私、担当医師に話を聞いて参ります」
失礼致しますと、部屋を出て行くロベルトの足音に、アルはぐっと眉を顰めた。
「・・・俺に説教を受けさせて、何が面白い?」
目を開くと横目でサミエルを睨んだ。
「いえ、特に何も。ただ、内緒にされるのは、好きではないので。・・・それに、落ち込んでいる理由も気になりますし?」
(・・・本当にこいつは嫌だ)
その後アルは、医師の口を割らせたロベルトに、延々説教をされることとなった。