18:「マツコでよいのか?」の巻
フライに変化の術を使ったところで、アルは倒れた。そのまま、強制的にベッドに逆戻りだった。彼が、「わたしにお任せください」とくすくす笑っていた。
あまり借りを作りたくなかったのだが・・・。
「いくつ彼らには、借りを作ればいいのだろうか・・・・・・」
そう呟いたアルの言葉を、彼らが聞いたのなら、「どんどん作って結構ですよ」とまたくすくす笑うのだろう。
そう考えたところで、ポケットが仄かに熱くなった。『翳』からの連絡がきたようだ。
ヴァルタンからの連絡を聞いたアルは、眉を顰めた。やはりこちらが本物か、と。
港で、連れの女性が殴られたと聞いたとき、サツキならばそれをさせないだろう、と。その時に、港にいた彼女はサツキではないと思っていたのだが・・・。
すでにアルは、サツキのいる館の所有者を調べていた。
ジャスティーノ伯爵の別宅であった。最近、ジャスティーノの経営する魔道具開発会社に、多額の融資があったと聞く。
その相手がイサールである。
また、その娘エリザベスは今、イサール子爵により、交際を申し込まれているという噂を聞いている。彼はすでに妻帯者だ。
そこから導き出される答えは、ひとつだ。
正直、サツキの行動は分かりやすい。
なので、この後の展開は予測できた。それを考えると非常に、頭が痛くなる。彼女のあまりの能天気ぶりに。
(彼らが間に合うだろうか・・・)
一度、そう考えてしまったアルは、不安が拭えず、上体を起こした。
そして、医師が止めるのも聞かずに、部屋を出て行った。
◆ ◆ ◆
藍色の髪の彼は、名前をカインと名乗った。彼はジャスティーノ伯爵に仕える馬番だという。
食事だと差し出されたトレイを受け取りつつ、彼をふんじばって、はかせた。
先日の舞踏会のおり、文化庁長官を務めるシャムール伯爵の息子、イサール子爵の目に留まり、交際を申し込まれた。
しかし、それをエリザは拒否した。
そこで、イサールは、ジャスティーノ伯爵の抱える、いくつかの負債を帳消しにすると持ちかけた。
「そのときになって始めて家の家計の苦境を知った、エリザお嬢様は悩まれました。そして、自分が犠牲になることを望まれました」
「・・・んー、この国のこと、よく分からないんだけど・・・貴族ってそういうもんじゃないの? 家同士の結婚なんで、選べない、みたいな」
「結婚はそうですよ。しかし、これはそういうことではないんです。交際を申し込むっていうのは、その・・・」
言いよどんだカインに、サツキは閃いた。
「まさか・・・愛人?」
カインはこくりと頷く。
「しかも、嫁入り前の娘ともなると、その後の婚姻は望めません・・・最初は僕だってそれでもいいと思いました。けど・・・お嬢様のつらそうな顔を見ていたら・・・」
「・・・なるほどね、カインはエリザのことが好きなんだ」
「はい」
単なる釜賭けだったサツキは、そこは、「え、そんな、僕は、べ、別に・・・」とか言って欲しかったな、とはっきり認めたカインに恨めしい表情を見せた。
「で、わたしに身代わりになってほしい、と」
「・・・・・・はい、すいません」
最近よくよく身代わりになるな、とサツキは思いながら、
「ところで、家の借金てどのくらいなの?」
「・・・よくは知りませんが、このたびイサール子爵が融資した金額は3千ガリオンだと聞いています」
「千ガリオン・・・3億ベール」
サツキはため息をついた。立て替えられる金額ではない。
なんだこれは。これが貴族感覚ってやつか。愛人ひとりに3億ベール。
ちなみにサツキが身代わりになった際には、50ガリオンの謝礼をくれるそうだ。
「わたしの価値は、5百万ベール・・・」
安いのか、高いのか?
やさぐれた目つきで、サツキは言った。
「で、本物のエリザって子はどこにいるの?」
「それが、まだ帰ってきてなくて・・・」
「ふ~ん、逃げたか?」
「そんな! エリザお嬢様は、そんな方ではありません!」
「うん、力説してくれても、今いないものはいないんだから。そう考えるのが妥当でしょう」
「しかし・・・・・・」
「うん、その脱走にキミが加われなかったのは残念だねぇ」
「・・・・・・」
落ち込んだカインを半目で見る。
やばい、これは完全なる5百万ベールへの八つ当たりだ。サツキは首を数回振った。
「迎えはいつ?」
「8時にこちらに伺うと聞いております」
「今が・・・7時。あと1時間か・・・相手はやる気満々ってとこですか」
サツキは伸びをした。
「う~ん、しょうがないじゃあ、なんだ、要は、嫌われればいい訳だ。そいつ、その、イーサンに」
「イサール子爵です」
「ん、イサールに。ん~、よし、引き受けた!」
「ほ、本当ですか?」
「おう! 男に嫌われることは慣れてる! 普段どおりに行動すればいいんだし」
と自滅しているサツキに、カインは言った。
「ところで、そろそろ、解いてくれると助かるのですが・・・」
カインはサツキに縛られ、床に横たわったままだった。
◆ ◆ ◆
応接室の扉を開け、暖炉を背に座るイサール子爵を見て、サツキは顔を引き攣らせた。
年は40過ぎの少々頭の薄くなったダンディーとは程遠い人物であった。たぷたぷした腹は、上着のボタンが今にも飛び散りそうだ。さらにその顔は、にやにやとうすら笑いをさせている。
サツキは思った。言わせたい。「そちも悪よのう」と。
しかし、相対したイサールもサツキを見て顔を引き攣らせていた。
「い、一体、どうしたのかな、その格好は」
「え、なんのことです。イサール様」
サツキは首を傾げた。茶色のツインテールが共に揺れる。頬の肉も共に揺れる。
サツキは体重120キロのその巨漢を苦しそうにしながら、イサール子爵の対面の、ジャスティーノ伯爵とその夫人の間へと座った。
ソファがぎしりと音を立てる。
押しつぶされそうになったジャスティーノ伯爵と夫人が、慌ててさらに間を開けた。
「い、いや、君のその・・・・・・」
「ああ、この体型のことですの? 少々太ってしまって・・・。お分かりになってしまいました?」
うふふとサツキは笑う。マツコと呼んで。
少々、少々なのか、とイサールは言いたい。サツキを上から下までみる。
「えー、一応、確認しておこう。君、エリザベスかい?」
「うふふ、ご冗談を。わたし以外に誰がいらっしゃると? ねぇ、お父様、お母様」
左右をみるサツキに、エリザの両親は、やはり少し引き攣った顔ですばやく何度も頷いた。
そんなサツキたちをイサールは、放心した様子で見ていたが、はっと我にかえると考えた。
(これは、これで・・・ヨイ)
イサールはデブ子ちゃん好きでもあったのだ。それ専用のクラブに通うほどの。
太った彼女もそれは愛らしいではないか、と思い、イサールは立ち上がった。
「それでは、参りましょう」
その言葉にサツキは唖然とした。思わず
「え? いいの? マツコでよいの?」
「よいも悪いも、痩せた君より、数倍可愛らしいその姿に、なにを言うことがある?」
にたにた笑うその顔に、サツキの背中に変な汗が流れおちた。思わず、
「違う! わたし、マツコじゃないし、エリザでもない!」
と叫ぶも、はっと周りの固まった様子にサツキも固まった。
「うん? 君はエリザじゃないのかな?」
イサールは周りの様子に、なにやらうんうんと頷いた。
「まあよい、君を手に入れられるなら、誰であろうと・・・思わぬ拾い物だ。ジャスティーノ君、それでよろしいかな?」
男の趣向は奥深い。
しかし、デブちん同士はいろいろ大変そうだぞ。あんなこととかこんなこととか。
いろいろ想像しているうちに、サツキはイサールの持つ別宅に到着していた。あらまあどうしましょ。
◆ ◆ ◆
「お、おやめ下さい」
「よいではないか。よいではないか。恥らうそなたも可愛いのぅ」
サツキはイサールの寝室でその身を壁に張り付かせた。仕方がない、とサツキはその体型を元に戻した。
途端に痩せていくその身体にイサールは目を丸くしている。
「・・・申し訳ございません。実はこの身体は魔法で太らせたものでございます」
と、サツキはイサールの目を見て行った。
「・・・・・・」
サツキは、眉を顰めた。
「おお、そうであったか。まあよい。・・・つまり、私は痩せたそなたも、太ったそなたも手に入れたということかな?」
嬉しそうに、イサールは両手を胸の前でわきわきさせた。
(うぎゃーーーー!! 変態さんにはどう対抗すればいいのーーー!?)
「しかも、その格好は、そそられるのぅ」
はっとして自分の姿を目にすると、太った姿で着たその服は、上着はずり落ち、片方の肩をみせており、下穿きは、すとんと床に落ちていた。長めの上着の丈が、太ももまであったのは救いだった。
とりあえず、「湯浴みを~」と言ったが却下され、もう、気絶させよう。そう思ったサツキに、なにやら騒がしい外からの音が聞こえた。
その直後、控えめにノックがされる。
「なんだ、騒がしい。どうした」
「それが、その。お客様がお見えになられました」
ふん、と鼻を鳴らすと、イサールは、「誰だ。こんな夜更けに」と言ったが、その名前を聞くと、顔を蒼白くさせた。サツキもまた同様に。
「アルフレッド皇帝でございます」
◆ ◆ ◆
サツキはおろおろと部屋を移動していた。
(どうしよう、逃げちゃおうか。でも、そうすると、多分、融資が下げられちゃって困るだろうし・・・)
「けど、わたしにはそんなの関係なくない!? てか、そうだよね、そうそう・・・・・・って無理! 勇者がすたるだろ、おい! いざ、魔王討伐だ!」
(ああ、どうしよう、穏便に事を済ますには・・・一番苦手な方法です、はい。・・・ああ、消えたい! 消えてしまいたい! 穴があったらそこで一生暮らしたい!)
ハムレットの如く、悲観していると、部屋に何人か侍女が現れ、サツキに着替えを促した。
(これ、着るの? んでどうするの? え、なんで下行くの? つかここどこ?)
侍女に促されるまま、とある部屋の扉の前まで連れてこられる。侍女は一礼して、立っている。
(ん? 開けていいの?)
ドアノブに手を伸ばしたサツキに、侍女が目を丸くし、止める。
(ん? だめなの? え? 何? 肩たたき?)
侍女が右手を上げこぶしを作ると、サツキに向かって、数度振り下ろしている。サツキは侍女をくるりと回転させると、何度か肩を叩いてあげた。
「ち、違います!」
あ、しゃべれるんじゃん。と思ったサツキの目の前の扉が開いた。
そこには、髪を後ろになでつけ、眼鏡をかけた、いかにも紳士然とした人が立っている。その眼鏡の奥にある鳶色の瞳が細められ、サツキに言った。
「・・・・・・何をなされておられるのです?」
「え? 肩たたき、ですけど?」
「わ、わたくしはただ、ノックを、と!」
真っ赤な顔をして、侍女が叫ぶ。
ああ、ノックか、そうかノックをしろ、という意味だったのか、と合点がいき、ぽんと右手のこぶしで左手の平を叩く。
そんなサツキを見ながら男は言った。
「・・・理解致しました。では、どうぞ」
と、サツキを中へと進める。
もうノックはしなくていいらしい。