17:「マ・リアン・ヌ」の巻
まるで彼女が二人いるみたいだ。アルは『翳』たちの報告を聞きながら思った。
『翳』たちは、丸い真珠玉くらいの玉を身体のどこかに埋め込むことによって、通信を行うことが出来る。
アルが手にしているのは、『翳』たちが、使用しているものより大きく、直径5センチ程の玉である。『翳』から連絡がある場合は、普段は透き通っただけの水晶体の玉が熱を持ち、光を放つ。アルがそれに触れた瞬間、そこに彼らの姿が映し出される。
『翳』族の代々の秘術がこの玉を生み出したことは、知っているが、どういった構造なのか、アルにはまったく分からない。魔法的な要素は一切感じられない。
その玉がここ数時間、頻繁に光るのだが、その報告を聞くたびに、アルの頭は混乱する。
彼女が発見されるのは、海側だったり、山側だったり、城のすぐ側だったりするのだ。時間的にみても、彼女が転移移動でもしない限り、ありえない。
そして、先ほどの報告を聞くと、彼女は同時刻にまったく違う場所で発見されていた。まるで彼女が二人いるのでなければ、おかしい。
五番隊には悪いが、今回のような事態には『翳』は一番適している。奮闘しているだろう騎士たちに、少しだけ心で詫びた。
さて、どちらに向かうのが、正解なのか。
アルは二つの選択に迫られていた。
頭を押さえた。「魔力当て」が完全には、直っていないにも関わらず、少し力を使いすぎたようだ。固く目を瞑った。
◆ ◆ ◆
目が覚めると、そこは小さな部屋だった。
サツキは粗末な鉄製のベッドの上に横たわっていた。身を起こし、周囲をみる。窓がない。まるで地下牢のような作りだ。
部屋の中にあるものは、寝具と厠と小さな机と椅子。それだけである。すべて、鉄製だ。ひとつだけ付いているその扉もまた鉄で出来ており、扉には丁度、頭の高さの場所に、小窓が付いている。
その小窓には、ご丁寧に8本、短い鉄格子が嵌まっていた。明かりはその小窓から差し込む光以外、何もなかった。
眠る前は馬車の中にいたことを思い出す。眠っている間に、サツキをここに運んだのだろう。でも、なぜ? 藍色の髪のあの男は―――と、彼の名前を知らないことに気付く。サツキはため息をついた。
うん、小さい頃に言われました。知らない人にはついて行っちゃだめだよ、と。
(うふ、ついてきちゃった、きゃは)
サツキは思った。心の中でぶりっ子をしても、寒くなるのだな、と。
ぶるぶると身体を震わせていると、部屋の中が暗くなった。
扉の前に気配を感じた。扉に目をやる。見なきゃ良かったな、とサツキは思った。
小窓から、誰かが覗いていた。
怖っ!
思わず目を見開く。顔は、後ろから差し込む明かりに、シルエットのみが分かる。なのに、血走った目が見えた気がした。その目がにやりと笑った気がした。
「エリザ。気分はどうだい?」
サツキは答えた。
「わたしは、エリザでないんだけど」
「うん、知ってる」
その言葉に、サツキは首を傾げた。
「でも、君はエリザなんだ」
まるで禅問答のような言い方に、さらに眉を顰める。
「でも、わたしはサツキなんだよ」
サツキは、彼と同じように返した。
「そうか、君はサツキっていうんだ」
彼は笑った。
「でも、君はエリザなんだ」
まるで、メビウスの輪に入り込んだ感覚に、サツキは身体を震わせる。
◆ ◆ ◆
「で、こいつが、無敵のお嬢さん、かい?」
男が、震える娘の顎をつかまえて、言う。もう一人の気を失った女が、両頬が腫れているのを見て、男は舌打ちした。
「おいおい、誰だ、お嬢さんに手を出したのは」
そういって、男は椅子に座り、足を机の上に投げ出した。
「あ、いやぁ、そのぅ・・・・・・」
全員の目が一人の船員に集中する。その男が慌てて言った。
「いや、違うんですよ、ザッシュ船長。その女があまりにも生意気なことを言いやがって・・・」
ザッシュと呼ばれたその男は、その様子をだるそうに、斜めから眺めると、ひとつ息をついた。
「ああ、もう、いいわ。お前、一週間、船底の掃除!」
それから、まだ震えている娘を見ると、言った。
「とりあえず、このお嬢さん方は、牢に入れときな。身代金くらいは取れるだろう」
へい、という船員たちの声を聞きながら、ザッシュは一人考えていた。
情報屋が言うことには、めっぽう強い女、それが黒髪のアビスだと言っていた。さらに、その女は今、茶髪茶目の姿をしているとも。
ザッシュは、机の上に広げられた紙を手に取る。ラフィーユで有名な絵師が描いたものだ。闘技場で活躍している少女の様子が描かれている。
(よく似てんだけどなぁ・・・・・・)
おびえながら連れていかれる娘を見ながら、ザッシュは胸元をがりがり掻いた。
◆ ◆ ◆
「で、俺にこいつと組めって?」
かなり渋い顔をしてフライが言った。そんな反応が返ってくることは予想済みだったが、アルは苦笑をもらした。
「ああ、頼む」
フライの隣にいるのは六番隊のいわゆる『翳』といわれる隊長のヴァルタンだ。フライは彼らに対して軽い拒否反応を見せるのだが、今日もそれは健在のようだ。
フライのそんな態度にも、ヴァルタンは我関せずで鎮座している。
「それは、俺じゃなきゃダメなのか?」
「体格が似ているからな、楽なんだ」
アルの言葉にフライは眉を寄せる。
「・・・楽って・・・そんなんが理由かよ」
「ああ、それじゃあ、頼むぞ」
フライはまだ、納得していない様子だったが、事は急ぐ。アルは着々と準備を進める。
「・・・もっと、ほら、あるだろ? 頼れるから、とかなんとか」
まだ、頭を掻きながら何か言っているフライだったが、アルの最後のセリフに背筋を伸ばした。
アルはただ、真面目に、
「フライ」
と、一言いっただけだったのだが、そのたった一言で空気が変わる、そんな言い方であった。
「・・・ん、あぁ、じゃあ、さくっと頼むわ」
そういうと、フライは覚悟を決めた表情で、目を瞑った。
◆ ◆ ◆
リオンは目が覚めた。塩の匂いがきつく感じられる。なんだか揺りかごに乗せられたような感覚がする。瞼を上げると目の前に、サツキの顔があった。そして、彼女は言った。
「あ、起きましたか?」
リオンはがばっと上体を起こした。くるりと振り向く。娘が、突然起き上がったリオンに驚き、まん丸な目をした。
リオンは軽く混乱していた。ここは一体どこなのか、何故、あなたはあの時何もしなかったのか、そして、何故わたくしが、あなたに膝枕をされていたのか。
声を出そうとしたリオンは、頬に痛みを感じた。
「~~~~~~~!!」
声にならない声を出すと、娘が心配したように言う。
「だいぶ腫れてますから、あまり話されない方が、いいと思います」
周りを見渡すと、ここは木造の部屋だった。小さな丸い窓が3つある。扉はあるのだが、リオンたちがいる場所からはその扉に辿り着くことは出来ない。
なぜならば、間に格子が嵌っているからだ。
少し困った顔をしながら、娘が言った。
「あの、マリアンヌ様。わたくしをどなたかと、ずっと勘違いされていらっしゃるように見受けられました」
それに対して、リアンは驚いた。
「な、~~~~~~!!」
再び、痛みに呻く。それから、口をあまり動かさないように注意を払いながら、リオンは言った。
「あなた、わたくしを知っていらっしゃるの?」
「はい。先ほどまでは分からなかったのですが、マリアンヌ様のお顔を拝見しているうちに、どこかで見たお顔だと・・・。なぜ今日はそのような格好を?」
リアン、いや、マリアンヌ=ブライムは、彼女のその話し方に、やっと合点がいった。
「あなた、本当にサツキさんじゃ、ありませんのね?」
「はい、わたくしの名前はエリザベス=ジャスティーノと申します」
本当によく似ている。エリザにそう言われても、頭のどこかで、やはりサツキなのではと、疑ってしまう。
エリザは言った。
「わたくし、このたびある方に交際を申し込まれているのですが。少し考えることがございまして、その、少し頭を落ちつけたいと・・・」
その言葉にマリアは驚いた。
「そうなんですの? 悩むのならば、断っておしまいなさい。でもまあ、わたくしとは反対の理由ですわね」
「反対、ですか?」
「わたくしは、結婚がダメになったので、家出してきたのよ」
「まあ、もしかして、あの」
「そう、アルフレッド様とね。黒髪のアビス様が現れたから、お前は別の人を探しなさい。お父様ったら、突然そんなことをおっしゃられたのよ!」
なんだか、天井の上から音がするが、二人は気にせず話し始めた。
「まあ、黒髪のアビス様が、本当に現れたのですか?」
「そうみたいですわね、彼らからの話を察するに。・・・小さい頃から、ずっとお慕いしていたのですわ。それを、突然、他の方にしろだなんて、横暴もいいことだと思いません?」
「そうですね。それは勝手すぎますね。黒髪のアビス様が現れたからって、アルフレッド様がその方を選ぶとは決まっていらっしゃらないのに」
また、遠くの方で音がする。
「でしょう? わたくしもそれを言いましたのよ。そしたら、お父様ったら・・・なにかしら、随分騒がしいわね。まったく気が散ってしまいますわ」
マリアは部屋の扉の向こうを見た。何もない。そしてまた振り返り、エリザに話を続ける。
「えーと、どこまで話したかしら。そうそう、お父様ったら、「サミエル殿はどうだ。顔はいいだろう、彼も」なんておっしゃられるのよ! わたくし憤慨してしまいましたわ!」
「まあ、サミエル様ですか。確かにあの方は、天使のような顔立ちですものねぇ。わたしも2度程、拝見しましたけど、まるで天子様が舞い降りてこられたように、感じましたわ。―――あら?」
「そうですわね、確かにサミエル様は、立ち振る舞いも優雅で、それだけで周りを・・・ではないですわ! お父様ったら、わたくしが顔だけでアルフレッド様を選んだかのように、おっしゃいましたのよ! それがどれだけわたくしを侮辱した言葉なのかを―――エリザ様、聞いてらっしゃいますの?」
エリザが、マリアから視線を動かし、口を開けている。その様子にマリアもやっと後ろを振り返った。そこにいた人物にマリアは固まった。輝くような金色の髪、蒼色の瞳がいまは、おかしそうに笑っている。長い髪が短くなっているが、彼はどうみても――。
「・・・あ、あああ、アルフレッド様!?」
「これは、これは、お嬢様方。まさかこのような場所で、優雅に語らっていたとは、少し驚かされました」
彼はそういうと、なんなく牢の鍵を開けた。それに対し、マリアとエリザは優雅に礼を取った。
「いえ。・・・それよりも、なぜこちらへ?」
「なぜって、もちろん、お二人を救出に来たのですよ」
というと、彼はエリザの前に立った。
「あなたのお名前を、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
エリザはカチンコチンに固まりながら、答えた。
「エ、エリザベス=ジャスティーノと申します」
すると、彼は目を軽く見開いた。
「それでは、その髪は地毛?」
不思議な質問に、彼女は首を傾げながらも頷く。
「・・・さすが、運がいいな。どうやら、無駄骨・・・でもなかったが」
エリザとマリアはその言葉に首を傾げる。すると彼はにっこりと笑顔を作った。
「もちろん、麗しきお嬢様方お二人を、悪の手からお救いできたことですよ」
その笑顔に淑女ふたりは顔を赤くしたが、次の言葉に眉を顰めた。
「そう思ってねぇと、やってられねぇし・・・くそっ、アルの奴、あいつ遊んでるだろ絶対」
と、彼は後ろに佇む男に言った。
「はい、こっちはハズレ。アルに連絡よろしく! お前らは、海賊共を全員ひっとらえたら、撤収開始だ!」
と、アルに幻影をかけられ、彼自身の姿に変えられたフライは、前半をヴァルタンに、後半を彼の部下たち隊員に言った。
「はっ!」
と声をあげる男たちを前に、マリアとエリザはただ目を丸くしていた。