16:「ある意味最強」の巻
リアンは食堂の料理を、いちいち不思議そうに、「こちらは何かしら」と食材を聞いてくる。何度かフォークで突いてから、
「サツキさま、こちらを召し上がれ。わたくし、別のものが食べたいですわ」
と、サツキに食べかけの皿を寄こす。
解剖に回された遺体の如く、ぐちゃぐちゃにされたそれを、サツキは無言で―――食べる。
(((・・・食うのかよ!)))
今のは、食堂にいる別の客の心の声である。さま~ずの膝が悪い方ばりのつっこみです。すでに今の光景が4度繰り返されています。
とりあえず、サラダとデザートはお気に召されたご様子で、
「ごちそう様でした」
と食べる。「ナプキンがございませんわ」とか「ここのシェフは挨拶に来られないのかしら」とか、おっしゃられています。
「ところで、食事代って、どうする? とりあえず、このサラダとデザートはリアンが払ってね。それから―――」
そこで、リアンがきょとんとした顔をする。
「あら、お金、必要ですの?」
「え? 必要に決まってるでしょ?」
すると、リアン様はおっしゃいます。
「いやですわ。わたくし、お金がないから、船に乗れなかったのではなくって?」
うん。まあ、そうです。はい。
「こちらの支払いは、サツキ様がお支払いになってくださって、よろしくてよ」
おほほと笑う。サツキも負けじとうふふ、と笑う。うふふ、おほほ、あはは、いひひと笑い合う二人に、食堂内の空気が不穏なものに包まれてゆきます。
その重い空気に、食堂内の人たちがテーブルに突っ伏しています。
白旗を振ったのは、サツキであった。兎にも角にも、このお嬢様は、お金を持っていない。わたしは、持っている。わたしが払う。それしか道はない。サツキは思った。淑女ってある意味最強だと。
「・・・女将さん、勘定お願いします」
「はじめから、そうしてくださればよろしかったのに。とんだ時間の無駄でしたわね」
にこりとリアンが笑う。淑女の微笑みである。
「わたくし、外で待っていますわ」
と、彼女は出ていくと、女将さんが、サツキのことをかわいそうな瞳で見てきた。
「あんたも、もう少しお友達を選んだほうがいいよ」
名も知らぬ女将にそう言われ、サツキは、そうか、リオンはお友達だったのか、と思った。
◆ ◆ ◆
外に出たリオンは、港を眺めながら、
(さて、これからどうしましょうか)
と考えていた。
リオンは家出娘であった。昨日の夜、父親に言われたことに腹を立て、寝て起きても怒りが収まらなかったので、今日、衝動的に家を飛び出した。
服は侍女のものを奪った。泣き崩れる彼女に、リオンの服をあげた。
途端に泣き止んだ侍女に、リオンは少し呆れた。
とにかく遠くへ行きたかった。
そこで、遠くの国に行きましょう、と思い立ち、港へと向かった。
途中で港まで行く「乗合馬車」が通りかかり、リオンはそれに乗ったのだが、少し走ったところで、「お金が必要なの? でも、わたくしお金など持っていませんわよ」というと、その場で降ろされた。
まだ200メートル程しか、走っていなかったので、ちょっとがっかりした。
でも、なぜそんなにお金が必要なのかしら。まさに貴族なリオンは思った。
やっと港に着いたのだが、船に乗るのもお金が必要らしいと分かり、庶民というものは、まったく卑しい人間だと思う。わたくしなら、困っている方がいたら助けるわ。そこにお金が必要だなんて思わないのに。
ならば、こっそり乗ってしまえばよいわと思いつく。いそいそと木箱の隙間に隠れると、大きな船に乗ろうとしたが、すぐに見つかり、追い出されてしまった。わたくしの話も聞かず、一方的な態度はいかがなものかしらと、立腹しましたわ。ええ、それはもう。
そんなわたくしの様子に、ああ、神様は見捨てはしなかったのですわ。
お金はいらないとおっしゃる方がいらしてくれたの。少し、口の悪い方々でしたけど。すごく臭いましたけど。けれど、とてもいい方たちだと思ったのよ。それなのに―――。
「あら?」
右手の方向に、少女が歩いているのを見つけた。青いワンピースを着て、薄茶色の髪をしている。すたすたと歩いていく彼女の姿に、リオンはその姿を追いかけた。
「どちらへ行かれるんですの?」
リオンが声をかけると、彼女は振り返った。
「はい?」
戸惑った様子の彼女にリオンは、左右の腰にそれぞれ手をあてて、心持ちあごを持ち上げる。
「支払いは済みましたの? わたくしずっと待っていましたのよ? 何も言わずに行かれるなんて、ひどいじゃありませんの」
そんなリオンにまたしても、彼女は戸惑って言った。
「あの、人違いでは?」
その言葉にリオンは目を丸くすると、その少女を上から下まで眺める。薄茶色の髪色、胸のあたりまで伸びるその長さ、瞳はこげ茶色をしている。その顔立ち、そして青いワンピース。どこからどう見てもサツキである。
ふと、リオンは思い出した。
(そうでしたわ、サツキさんは、少しかわいそうな子だったではないの)
と。
(そうよ、否定してはいけないのよね、マザー)
そこまで考えると、リオンは微笑を返した。
「そうですわね。人違いかしらね」
「いーや、人違いじゃねぇなぁ」
突然のダミ声に、リオンは振り返る。なんと、先ほどサツキが痛めつけた男がいた。いつの間にか、周りを数人に囲まれてしまっている。
どうやら仲間を連れてきたらしい。男のひとりが言った。
「こんなお嬢さん方に、お前、やられちまったのかぁ」
と笑う声に、やられた男が言い返す。
「気をつけてくだせぇ。あっちの娘が、異常に強いんですぁ」
途端、男たちの視線が、その少女に集中する。
その視線を受けた彼女は、目を丸くし、顔を蒼ざめさせた。
「ま、待ってください。人違いです。わたし、本当に―――」
そのあまりの言葉に、リオンが言った。
「何をさっきからおっしゃっていますの? 早くこの方たちを倒しておしまいなさいな」
その言葉に、男たちの顔が気色ばんだ。
「おい、お嬢ちゃん。あんま、図に乗ったこと、言ってんじゃねぇぞ?」
リオンはその形相に、震えが走ったが、なんとか顎を上げて答える。
「あら、そのお言葉、そっくりそのままお返しいたしますわ」
次の瞬間、突然リオンはよろけた。
あら、どうしたのかしら、と思う間もなく、左の頬が異常に熱い。じんじんする。叩かれた。そう気付いた瞬間、目に涙が溜まる。
いいえ、泣いてはダメ。泣くものですか。
キッと、リオンは左頬を手で押さえ、相手の男を睨んだ。途端、今度は右頬を叩かれた。あまりの強さに、リオンは地面にそのまま倒れる。
リオンはそのまま意識が遠のくのを感じた。ゆがむ視界の先に、いまだ微動だにしない、少女の姿を見つめつつ―――。
◆ ◆ ◆
サツキが会計を済ませ、外に出ると、リオンの姿はすでになかった。周囲を見回してみるが、彼女の姿を目に留めることはなかった。
「あっれ~~? どこ行っちゃったんだろ?」
サツキは思案する。
(リオンって、どうみても貴族だよねぇ。このままほっておく訳には・・・)
「いかないよねぇ、やっぱ」
女勇者の名にかけて! なんちて。
ひとり決めポーズを模索しているサツキに、声がかかる。
「やっと、見つけた。こんなところにいたのですか」
振り返ると、そこには、20歳前後の優しげな男が立っていた。サツキは首を傾げる。
「はぁ、まあ・・・」
「勝手に出ていったから、皆、かんかんですよ。早く帰って謝った方がいいです」
男は眉を下げて言う。サツキは青くなった。
(は! ロブくん帰ってきたの? うが、そういえばモスくんと、はぐれたままだった)
サツキは男に言った。上目使いに聞く。
「ものすご~~~く、怒ってる感じ?」
男は、苦笑いを浮かべた。
「僕も一緒に謝りますから。さぁ、行きましょう」
男はサツキを1頭立ての馬車へと案内した。そして、サツキを車内に乗せると、自分は御者台に登り、手綱を握る。そして、振り返るとサツキに言った。
「少し、飛ばすから。気をつけて」
藍色の髪が揺れた。
「はい!」
とサツキは答えた。そして思った。
(この人誰?)
馬車は、港から続く坂道を駆け上がって行った。
◆ ◆ ◆
宿に帰ってすぐに、嫌な予感がした。部屋をノックし、
「ただいま戻りました」
と中に声をかける。
返事のない扉を開き、中に入る。
ロブは半目になった。
予感は的中した。当たってほしくなかったのだが。
大きくため息をつく。
(外に探しに行きましょうか。それともここで待機した方が・・・?)
ロブは、1時間したら再び戻ることを決め、外に探しに行くことに決めた。部屋の扉に、
『サツキさんとモスリンドさんへ 帰ってきたならば、今度こそ部屋でじっとしていて下さい!』
と書置きを貼った。
そして、宿の外へ出る。
さて、サツキさんならどこへ向かうでしょうか?
ロブは辺りを見回した。左側の坂の下方には飲食店があり、その先には海が見えた。右側の坂の上方には、服や日用品などの商店が広がっている。また、左を見る。どちらも石畳が続いている。
城下町であるこのロックフォードは、なだらかな丘陵になっていて、下方は海が広がり、上方には山がある。上方最高峰に城が聳え立ち、その周りを貴族たちの住居が構えている。
そして中流家庭の家が軒を連ね、それから一般家庭が続く。
住居の構える高低さがそのまま庶民の地位を表わしていた。海側の一角には、スラム街があり、そちらの治安は最悪といえた。
現在、ロブたちの取った宿は一般区画に該当し、城と海との丁度真ん中にある、商業区である。周りは様々な商店が軒を連ねている。
(どこかのお店に入っているのでしょうか。まさか、海を見に行ったりしてないでしょうね)
サツキが馬車の中で「今年は一度も海に行かなかったなぁ」とぼやいていたのを思い出し、はるか遠くに見える海を眺める。
するとロブの目に、下方からすごい速さで走る馬車がやってくるのが目に入った。ロブは道の端に避けながら、
(乱暴な運転ですね。危ないじゃないですか)
と、すぐそこに来ている馬車の御者台を見た。
まだ若い男が鞭をふるっている。藍色の髪が後方へその速さを示すかのように、流れている。
通り過ぎざまに、ロブはその男をぎっと睨んだが、その車内の人物に、目を向けることはなかった。
◆ ◆ ◆
サツキは車内で何だか眠くなった。お昼をあれだけ食べて、血液が全て胃に回ってしまったらしい。まるで5時間目の授業のようである。もしくは、ねむねむオバケに触ってしま―――。
サツキの意識はそこで途絶えた。
馬車は、高級住宅の並ぶ一角で止まった。
「着きましたよ」
御者台から降り、馬車の扉を開けた彼は、サツキが寝ていることに気付いた。その寝ている姿に、彼は悲しそうな顔をみせる。そして、サツキの薄茶色の髪を一房取ると・・・そこで、彼は固まった。
寝ている少女の顔を覗き込む。
「エリザ・・・じゃない・・・?」
彼はそう発すると、しばし何かに考えを巡らすと、サツキを抱き上げた。