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黒髪のアビス  作者: めい
2.エストニア侯爵の章
13/33

13:「ハンナ、人生の分岐点」の巻

 ロベルトは時計を見た。19時45分。アルが執務室を飛び出してから、丁度1時間が経っていた。


 あと15分でこの部屋を閉める時間だ。

 ロベルトの使用している副執務机は、扉を左手にして、正面やや右に主執務机があり、全体を見渡しやすい場所である。右後ろの扉を開ければ、小食堂がある。8人程度ならば問題の無い広さがある。

 そのまた先にある扉を開けば、給湯室があり、軽食程度ならば、十分その場で作れるようになっている。


 窓や棚等の鍵確認済。備品消耗品在庫確認済。明日分の書類不備も確認した。ランプはこの部屋には4台あるが、既に2台は消してある。

 点いているランプの1台は主執務机にあり、もう1台はこの机の上に置いてある。

 あとは、主執務机の上に置いてあるランプを消したら、最後のランプを持ち、扉の鍵を外から掛ける。それで本日の仕事は終了である。


 ちらり、時計を見る。19時49分。

 するべき事が無い場合、時間の進み方は、永遠に続くのではないかと思う程長く感じる。ぼんやり過ごすやり方の分からないロベルトにとって、このような時間は苦行になる。壁に掛けてある剣は、全部で5本。1本足りないままだ。

 19時51分。

 棚のガラスを拭けば時間はつぶれるが、しかし、10分以内には不可能と判断する。

 19時55分。


 自分の眼鏡を拭いてみる。


 再び眼鏡を掛けた瞬間、右後ろの扉の向こうから、何やら物音がした。ロベルトは立ち上がり、扉をゆっくり開き、ランプを小食堂への中へと掲げた。


 息を短く吸い、慌てて駆け寄る。血だらけの主の下へと。剣が2本刺さっている。



「アル、どうしましたか、大丈夫ですか!」


 廊下から、その声を聞きつけた衛兵が駆け寄る足音がする。

 ロベルトはその衛兵に向かい「魔道医師を呼んでください!」と叫ぶ。「はっ!」と返事があり、足音が遠ざかる。


 アルは意識を失っている。脈はある。少し浅いが呼吸もしている。

 蒼白い顔のアルは、まるで4年前のあの時のようだ。

 背中に背負っている長剣を外し、脇へ置く。ワイシャツのボタンを3つ開け、顔や首元に流れる汗をハンカチで拭う。


 左脇腹と右肩にある剣は、抜いてはいけないと分かっているのに、その痛々しさに早く抜きたくなる。

 体温が冷たくなっているように感じ、思わず震えがきた。呼びかけを続けながら、他の箇所に怪我がないかを調べていると、回廊に面した扉が開いた。



「遅い!」


ロベルトは、駆け寄る医師たちに、半ば叫びながら言った。



◆ ◆ ◆



 医療室のベッドに横たわるアルの隣で、窓の外が明るいことに気付いた。腕の時計を見ると、すでに7時半だった。傍らのランプの火を吹き消す。

 一時はどうなることかと思ったが、途中でサミエルも来てくれ、処置は順調に終わった。流石のアルも剣を引き抜く瞬間は、痛みを堪え、その表情を険しくした。大量の血が噴出した時は、ロベルトの胸に不安が巣くった。


 ロベルトは、端整な顔立ちのアルを見ながら、昨日の夜中の事を思い出す。

 うなされたアルの発した言葉は、


「・・・姉さん、ど・・うして」


 彼もまた、あの4年前に縛られているのだろうか・・・。


 ロベルトもまた、呪縛に囚われた一人だ。彼の姉に一太刀を入れたのは、自身の愛剣だからこそ。

 彼女の所業を止められなかった一人として、その罪は償わなければならない。


 ロベルトはひとつため息を落とした。

 そして、アルの状態が安定していることを確認すると、本日の予定を変更するべく執務室へと向かった。



◆ ◆ ◆



 重い瞼を開けると、見覚えのない天井が見えた。治療を受けた記憶がうっすらと残っている。ここは医療室だろうか。


 ふとサツキのことを思い出した。彼女は無事だろうか。

 左手を動かし、そっと右肩にふれる。さすが王室魔道医師といったところか。触った感触では、刃が刺さっていた場所が分からない程だ。左の脇腹もさすってみる。こちらも右肩と同様の仕上がりだ。力を入れてみる。痛みはない。身体に掛けられていたケットを剥ぐと、起き上がる。小さな病室内には、誰もいなかった。

 少しふらつく。体中がだるい。微熱があるようだ。


 右手にある机の上にある時計は10時5分を指している。身体は下着のみを着けている。床を見ると一足の白い布製靴があった。とりあえずそれを履き、さっき剥いだケットを身体に巻きつけ、左肩で結ぶ。

 その時に、右手の小指に嵌めてある指輪が見えていることに気付く。普段は幻術で見えないように隠してあるものだ。ベッドに浅く腰掛けた。王印でもあるその指輪に左手を添えると、唱える。


「『ベール』」


 途端、頭がふらつき、右手をベッドにつけ、倒れこみそうな身体を支えた。呼吸が荒くなる。静かにゆっくりと深呼吸をする。


 右手を見ると小指には何も見えなかった。少し不安定な状態にみえる。もう少し調子が良くなったら、再び術のかけ直しをしよう。今はこれで充分だ。

 治療で大量の魔力を浴びたらしい。どうも「魔力当て」を引き起こしているようだ。

 足を床に下ろしたまま、上半身をベッドに横たわらせ、目を瞑る。



◆ ◆ ◆



 魔道見習い医師のハンナはわずかに眉をしかめながら、療養棟の廊下を歩いていた。


(聴診器くらい、違うものでもいいじゃない)


 魔道医師のセアラから、机から聴診器を取って来いと命令されたのだ。


(自分で取ってくればいいのに)


 完全に嫌がらせな、その命令にハンナは文句もいえない立場上、彼女の事務室へと向かっている。


 セアラの事務室を開ける。机の上には何もない。開けられる引き出しの中や、棚を覗いたが、聴診器は見当たらなかった。実は、セアラは聴診器を忘れてなどいないのだから、無いのは当然であるのだが、それを知らないハンナは、せっせと探す。

 やがて、諦めたハンナは廊下に出ると、医療棟に向かった。

 見つからなかったというハンナにセアラが浴びせる言葉を思うと、嫌な気分になった。


 ふと、右手の医療室に人の気配を感じ立ち止まる。ノックをしてみるが、中からは反応がない。

 ハンナはゆっくりとその扉を開けると、顔だけ中に覗かせた。

 ベッドに誰かが寝ている。ケットを身体に巻きつけて寝ているその男は、足を床に下ろし、右半身を下にした状態で横たわっていた。その無理な体勢では寝づらいだろう。直してあげようかと、ハンナは声をかけたが、男は起きなかった。


 真横を向いた顔は、赤み掛かった金色の髪が、半分以上被さっていたが、それでも彼の造型が非常に整ったものであることが窺える。適当に巻きつけた様子のケットから出ている部分は、彼の肉体が逞しいものであることが分かる。


(うわ、今まで見た中で一番いい男かも)


と思いながら「靴脱がせますねぇ」と、小さな声で言うと、片方ずつ靴を脱がせた。

そして両腕で、彼の両足をはさみこむように持ち上げると下半身をベッドの上にあげた。


 すると、男は寝返りを打ち、天井を向いた状態になった。長い右足はまっすぐに伸ばし、左膝を立て、右手の甲を額につけ、左手は臍の上あたりに置いている。前髪がすべて右手によって上に押さえられたため、彼の顔全体が晒された。


 その顔を見たハンナは自分の頬が熱くなるのを感じた。


(いい男とかいう次元の話じゃないわ、これ)


 まさに神がかった造形のその男を、冥福とばかりにガン見する。


(でも、目開けたら案外、変だったりして)


 思わず「ふふふ」と笑いを漏らしたハンナの目に、彼の瞼が持ち上げられていくのを捉えた。綺麗な蒼い瞳が薄っすらと開けた瞼の隙間から覗かせた。天井を向いていた瞳がふと右に動き、ハンナを捉えた。

 ハンナは思わず目を逸らす。


(ちょ、直視出来ないんですけど)


 心臓の音がバクバクうるさい。

 男は赤らめた顔のハンナの様子を特に気にすることもなく、視線を右にずらすと男は言った。


「そこの紙取ってくれ」


 ハンナは机の上のメモ紙を取り、男に渡す。そして、その動作を自然と行った自分に驚いた。


 男は手にしたその紙で自分の右手の甲を抑えながら、ちらりとハンナの胸の名札を見た。男は言った。


「ハンナ=スコット。悪いが、執務室に行って、ロベルト執務官をここに呼んでくれ」


と全然悪く思っていない口調で言いながら、メモ紙を小さく折り畳むと、ハンナにそれを渡す。ハンナはその折り畳まれた紙に目をやる。


「それはロベルトか、部屋の前にいる衛兵に渡してくれ。中は見るな」


ハンナは「分かりました」と頷き、廊下に出た。そして、男の名前を聞いていないことに気付き、再度、扉を開け、頭だけ部屋の中に入れる。


「あの、お名前。何でしょうか」

「ステファノだ」


 ハンナは扉を閉めると、中央棟に向かって歩き出した。


(貴族かしら。偉そうな態度だったけど、嫌な感じがしなかったな)


 ハンナは執務室に続く回廊を歩きながら、今更ながらに緊張していた。すれ違う人たちが、なんだか優雅な方たちばっかり。しかも、なんだかすれ違うたびに、不審な目を向けられるのは、何故?

 大体、中央棟の受付にロベルト執務官の執務室の場所を尋ねただけで、何であんな睨まれなきゃいけないの?


 ハンナは執務室の前に頓挫する二人の衛兵に近づきながら、愛想笑いを浮かべた。衛兵も上から下までじっと観察する目でハンナを見ている。まるで不審者のような扱いに、眉を寄せる。それを払拭させるべく、こほんと咳をすると、手前の衛兵の前に立ち、ハンナの中で一番丁寧な言葉で言った。


「魔道見習い医師のハンナ=スコットと申します。ステファノ様から言伝ことづてを預かって参りました。ロベルト様はいらっしゃいますか?」


ハンナの言葉に、衛兵は少し態度を軟化させると、言った。


「何か、証明するものはございますか?」


 ハンナは手にした折り畳まれた紙を衛兵に渡した。衛兵は小さな紙を広げ、中を確認すると、ちらりとハンナを見た。その視線は先程とは打って変わった友好的なものだった。再びそれを元のように折り畳んでハンナに返した。


「失礼致しました。少々お待ちください」


 衛兵は扉をノックした。「はい」と声が聞こえると、「ステファノ様からの使いの者がいらっしゃいました」と、衛兵は言った。すると、中から扉があき、背の高い眼鏡の男が出てきた。


(今日は、美形デーかしら)


いかにも紳士然とした人だ。ハンナは聞いた。


「魔道見習い医師のハンナ=スコットと申します。ロベルト様でしょうか?」


眼鏡の奥の目が少し見開かれると、「はい、そうです」と頷かれた。


「ロベルト様を医療室までお呼びするように、と言伝を頼まれました」


 ハンナは紙を渡す。ロベルトはそれを広げ、中を確認すると、衛兵と同じ反応をみせた。それから、ハンナにお礼を言い、彼女と共に東の宮入り口まで行き、そこで別れた。


 美形デーに浮かれていたハンナは、セアラの厭味も聞き流せ、思いのほか楽しい一日となった。


 実はこの日の出来事が、彼女の人生の大きな分かれ道だった。そのことにハンナが気付くのは、そう遠くない未来である。








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