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黒髪のアビス  作者: めい
2.エストニア侯爵の章
10/33

10:「リリー=エストニア嬢」の巻

 部屋に入ると、我が主は立ったまま、腕を組み、トントンと忙しなく人差し指で肘を叩いていた。

視線は机の上に広げられた一枚のメモ紙に固定されている。


 こんな様子の主は、思考の海に沈みこみ、しばらくは現実に帰ってこない。


 視線の先にあるメモ紙をひょいと覗いてみる。

 幾つかの単語が書きなぐられている。



“神殿”

“生け贄”

“エストニア侯爵”

“娘が病気”



 二重線で消された単語もある。



“コージドカレン”

“宿屋”

“不審な死”

“馬? 馬車?”

“黒髪”



ふいにその視線が上がり、声をかけられる。


「ロベルト。地図を出してくれ。エストニア領土内のものだ。出来るだけ詳しく描かれているものを頼む」

「はい」


 ロベルトは棚から、それに見合うものを取り出すと、アルに渡した。

 バサバサと音を立てて地図が広げられる。アルは、ある一点を見つめ、地図上で指をすべらせた。


「・・・すぐ・だ。道は・・らへ・・てる、か。標・差・・・く・いだ・・・。」


ぶつぶつ呟きながら、別の地図を広げる。


「三、か」


 そう言うと、アルはフロックに駆け寄り、浅手のコートを取った。


「少し出てくる」

「はい? もうすぐ日が暮れますよ?」

「すぐ戻る。一応、念のためだ」


 思いのほか強い口調で返され、ロベルトは目をしばたかせた。

 その瞬間に、彼はコートを翻し、執務室を出てしまっていた。



 何か違和感がする。はっとして、その壁を見る。長剣が1本消えていた。



◆ ◆ ◆



 サツキは「遠耳」のスキルを解除しようとした正にその時、その声を拾った。


「――けて・・・た、すけ、て・・・・・・」


 声は神殿の奥の方から聞こえる。どうやらまた内部へ入らなければならないらしい。

 すでに、日は暮れかけ、右手に見える湖畔が闇に沈んでいく。

 サツキは娘たちの中で、一番しっかり者の風貌の娘――アンナに、宿屋にいる二人への連絡を頼む。

 他の娘さんたちには、もうしばらく神殿裏手にそびえる崖付近に隠れているよう指示すると、神殿内部へと舞い戻った。


 声のする方向に、「遠目」を使う。サツキは軽く顎を上げ、その居場所を掴むと、盗賊と忍者の技を駆使し、潜入を開始した。


 階段を上へ下へと迷路のように進み、目的の場所へと辿り着いた。その部屋は、神殿内部ということを忘れるくらい、まるで、貴族の部屋と見間違うくらいに、豪華な部屋だった。助けを求めている彼女は、浴室にいる。サツキは浴室へと続くその扉を開いた。人の侵入に気づいた彼女は、瞬間、声を上げた。その少女に向かって、サツキはしっと人差し指を自分の唇にあてる。


「助けにきたの、もう大丈夫だから、ね」


 少女は何も纏っていない状態で、体を後ろ手に縛られて、浴槽内部のシャワーヘッドに繋がれていた。体中が血に塗れ真っ赤だ。痛々しい。顔が若干青いのは、血を失って貧血状態になっているのだろう。サツキは3分の2程、閉められているシャワーカーテンを半分まで開き、彼女に近づいた。まずは、回復魔法をかけ、彼女の傷を治していく。それから、縛られた腕の鎖を解き、そして―――ふと、視線を感じた。

 未だシャワーカーテンで隠れた場所に目をやり、固まる。

 ごくりとつばを飲んだ。そこには、半分腐りかけた少女の死体が座っていた。髪の毛は、ほとんどが無くなり、辛うじて残ったその髪は、亜麻色をしていた。くぼんだ二つの穴が、まるでサツキを見ているような錯覚を覚える。


 その死体に気をとられていたその時、背後からため息をつく音が聞こえた。振り向くと、とても高価な服を身に纏った男がそこにいた。すこしやつれたその壮年の男は、迷うことなく手にした液体の入ったビンを床に投げつけた。バタンと扉が閉められる。慌ててサツキはその扉に手を伸ばした。



 しかし、その手自身がノブを掴むことはなかった。



◆ ◆ ◆



 アンナの案内で、フライたちは、娘たちを無事保護した。しかし、その娘たちの中にサツキはいなかった。

 多少混乱した娘たちの話を聞くにあたって、サツキは、残った1人を助けるために、神殿に戻ったらしい。

 フライたちは、迷うことなく神殿内部へ突入を図った。「赤の砂塵」の隊員たちも我さきにと、突入を開始する。

 その圧倒的な強さに、内部を守っていた神殿兵はなすすべもなく、ある者はその力に最期まで歯向かい、またある者は投降した。



◆ ◆ ◆



 とうに日の落ちた中、部屋の窓からは、微かな月明かりが差し込んでいた。


 その部屋の扉を開いた男は、部屋の中央で、椅子に縛りつけられている黒髪の少女を目にした。うな垂れた少女のその表情は、窺うことが出来ない。

 男はゆっくりと、中央へと近づき、少女のその細い首に手を伸ばした。脈が打たれていることを確認すると、男は少女を縛り付ける鎖を外した。眠っているだけのようだ。外傷はない。男は少女を横抱きにすると、立ち上がった。


 途端、男が入ってきた扉とは別の扉が開いた。ランプの明かりが二人の男を照らす。ランプを持った男は囁くように言った。


「あぁ、まさか、キミが来るなんて・・・残念だ、本当に残念だよ」


少女を抱く男は言った。


「私も残念です。エストニア侯爵」



エストニア侯爵は微笑んだ。


「私としては、フライ君あたりが来てくれることを望んでいたのだがね」


男は首をゆっくりと横に振った。


「この場にいるのが、私以外の者であったのなら、私は私を許さないでしょう」


その言葉を噛み締めると、エストニア侯爵は深く頷いた。


「なるほど、その娘がそうか・・・髪と目を見て気付くべきだったな」

「何故、と聞いても?」

「つまらない男の意地、いや、願いだよ――」


エストニア侯爵は悲しい笑顔を見せた。


「――あれが望むのなら、私はなんだってする。例えこの身が堕ちようとも。彼女が存在するために。だが、潮時みたいだね―――。」


遠くに聞こえ始めた喧騒の声に、侯爵は言った。


「後悔は、ないと?」


 頷く侯爵に、男は初めてその表情を動かし、眉を顰めた。そして、ゆっくりと少女を床に横たわらせると、背中に背負った長剣を抜いた。


「ならばその罪ごと、第三十二代シスル国皇帝アルフレッドの名に於いて、あなたの命を頂戴する」


 とうの昔に覚悟を決めた侯爵のその瞳を見つめ、アルは剣を構えた。侯爵は武器を携帯してはいないが、アルに迷いはなかった。侯爵は、ランプを左脇にあるローテーブルに置くと目を瞑り、祈りを捧げた。



◆ ◆ ◆



 フライが扉を開けた先には、大きな肖像画が4枚掛けられていた。

 一番左の肖像画には若かりし頃のエストニア侯爵が描かれている。二番目の肖像画には侯爵と綺麗な女性が描かれている。三番目の肖像画には二人の間に小さな亜麻色の髪の子供が笑っている。四番目の肖像画には、可憐な姿の娘が描かれていた。

 一人の娘が、椅子に座ってそれらを眺めている。フライは尋ねた。


「あなたは、リリー=エストニア嬢ですか?」


娘はにっこり笑って無邪気に答えた。


「ええ、そうよ。あなたもお茶をいかがかしら?」


 娘は自分の持っていた紅茶のカップをソーサーに置き、テーブルの上にあるティーポットに手を伸ばしながら言った。

 血塗れた槍を持つフライに向かって。



◆ ◆ ◆



 絶命した侯爵にアルは、そっとテーブルにかけられていたクロスを掛けた。得の高い人として伝えられていたエストニア侯爵だった。そんな彼でも悪魔の声に耳を傾けてしまった。そして、その報いがこの結末である。

 アルは小さくため息をつき、そして背後に殺気を感じた。咄嗟に横に転がる。

 それは、今しがた掛けられたクロスを突き破り、骸をも傷つけた。




「―――な、ぜ?」


 アルは掠れた声を絞り出した。そこに居立った黒髪の少女に向かって。

 少女は侯爵に突き立てられたその大剣を抜いた。骸から新たな血が噴き出し飛散し、彼女の身体を赤く染める。そして、ゆっくりと振り向くと、アルの驚きに見開かれた蒼い瞳を捕らえた。


 燃えるような狂気を孕んだ、漆黒のその瞳で。


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