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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第88話 萌黄5―名前と旅人の妻―

「あの国は、龍脈の少ないアゥマを中央に吸い上げ、溜まりを作り出したのです。それでも、萌黄の蘇生・・・には資源・・・が足りなかった。なら、何を使えばいいと思いますか? どうして、この国の人々は体調不良を訴え、異常気象が起きているのでしょうか」


 蒼と紅の背を冷たいものが駆け抜けた。全身の毛が逆立つ。寒気を感じて、なのに汗が溢れて頬を伝って岩肌に落ち続ける。沈黙の空間では、汗が地面に染み渡る音さえ聞こえるようだ。

 ただ、どうしてだろう。蒼はそれが心地よいものに感じられたのだ。蒼の中の知的好奇心を満たす答えが目の前にあると興奮に目が見開いていく。


「それは――」


 答えかけた蒼の手を、紅がきつく握ってきた。あまりに強い力に、蒼の頭がこてんと横に倒れる。

 紅は萌黄と蒼の間に立ちふさがり、蒼の視界から萌黄を消す。


「蒼、オレを見るんだ」

「紅? どうしたの? 早く萌黄さんの答えを聞かないと。私の中にある情報と答え合わせをしないと。紅だって知りたいでしょ?」

「いいから。オレの目は何色に見える?」


 紅は蒼の意識を自分の目に集中させ、その隙に指先から蒼の中のアゥマに干渉する。蒼の様子と同じく、蒼の体内のアゥマはいつもと調子が異なっている。ぴりぴりと電気さっきを放っているように拒絶されてしまう。

 だから、紅はあえて能力は発動しないまま蒼への干渉を続ける。能力を使えば蒼の状態をもっと確実に分析することが可能だが、紅の瞳の色は変わってしまう。いつもと違う様子になってしまう。


「いつも通り綺麗な牡丹色」

「そうだな。蒼と同じ牡丹色の瞳だ。そこに映っている蒼はいつも通りか?」


 少しばかりおかしくても、やはり蒼は蒼だ。紅の言葉に素直に従って、大きな丸い目を瞬かせている。

 蒼が首を傾げる中、紅は静まれ、静まれと繰り返し蒼のアゥマに語りかけ続ける。

 すると、変化していた蒼の瞳が、徐々に元の牡丹色を広げていった。それと同時に、蒼の白い顔には戸惑いを浮かんでいく。


(溜まりを渡ったことにより、蒼の中に眠っているオレと同じ能力が開花しかけたのか? 蒼は幼い頃、源流に飲み込まれた後、少しだけ能力が開花している時期もあった。備わっていないわけじゃない)


 麒淵を見やるが、軽く横に振られた頭や眉をひそめている。どうやら、麒淵も把握していない展開らしかった。

 紅は自分の様子に混乱している蒼の肩を抱き寄せ、軽く頭を抱える。かつて、異能に怯える紅に両親や祖父たちがしてくれたように。


「私、なんか、いま。自分が、すごく嫌な感じだった」


 蒼も戸惑いがちに、紅の上着をしっかりと握ってくる。その顔は色をなくしているが、確かに紅を写しているから……紅はほっと息を吐いて、妹の頭を軽く抱えて背中を撫でた。


「みなさんにはもう想像がついていらっしゃるのですね」


 萌黄は幽霊のように立ったまま、両手をぎゅっと握る。細い肩は震えてこそいないが、白さをましている。

 今にも霞になってしまいそうな萌黄を前にしても、紅が感情を揺らすことはない。自分が守るべきは抱えている蒼だから。


「想像というのはどういう意味でしょうか」


 紅の問いかけが意外だったのか。萌黄はほんの少し顔をあげて、瞬いた。

 が、すぐに納得したように曖昧な笑みを浮かべた。紅の返しは予想外で、しかし、想定内だと思い直したように。


「オレや蒼が知っているのは、あくまでも過去に作られた『人工溜まり』の存在の知識があるのと、人が蘇ったように思える『反魂はんこんの術』が施行された可能性を考え得る想像力だけです」


 紅はあくまでも自分からは答えをみせない。


(蒼の異常な状態が、紅の思考に平常の冷静さを取り戻したのようじゃな)


 いや、と麒淵は頭を掻いた。冷静さを取り戻した、というのは正確な表現ではない。

 麒淵からしたら、今の紅はあえて任務に徹しようとしているように見える。一番開いて欲しくなかった傷に蒼が触れてきたことから逃げていると思えた。


「オレは想像で貴女を歪んで捉えたり、責めたりはしたくありません」


 しかしながら、ただ逃げるだけではなく的確な問いかけを返し、異常性を見せた蒼に対応しているあたりが末恐ろしい。


(萌黄への返答が意図的でも無意識でも。どちらにしろ、重要なのは言承けじゃ。我らが担う任務は、あくまでも当事者である華憐堂・・・から言質をとること。魔道府が踏み込むための)


 麒淵は頭上の灯火うち、二つに意識を集中する。多少の障害は発生しているようだが、外部・・・への繋がりは遮断されてはいない。

 灯火の一つは小ぶりで珊瑚色をしている。もう一つは二回り大きく乳白色に時折黒を混ぜている。いずれの色も麒淵以外の魔力が混ざっている証拠だ。


(こちらが答えを口にしては、最終的にこちらが解釈違いをしたと逃げられかねん。我が発動しておる術のことを知らぬとも、さすがは紅だのう。手の内を明かしながらも、こちらからは核心には触れぬ)


 麒淵は顎を撫でて思わず感心してしまった。

 麒淵が心内で歎賞たんしょうする中、紅は一歩大きく踏み出した。距離が詰まったことに、萌黄の肩は小刻みに震える。


「だから、貴女の口から教えてください。一体、何が守霊である貴女が萌黄さんの一部となり、どうして今この時期タイミングでクコ皇国にいるのか。当事者である貴女の口から、本当のことを聞きたいんです」


 紅の真っ直ぐな視線を正面に受けた萌黄は、長い前髪に目を隠す。その目の縁がわずかに赤みを帯びているのを、麒淵は見ない振りをする。

 萌黄は黙ったまま地面を睨み続ける。その睨んだつま先が一線を越えるの怯えるように。


「そういえば、あのね、萌黄さん。っていうか、えっと、貴女の最初の名前はないの?」


 考えあぐねている萌黄に、蒼はそろりと近づいていった。

 紅と麒淵は一瞬、先ほどのように蒼が豹変するのでは警戒しわずかに足を開いた。

 だが、すぐに蒼が纏っているのがいつもの柔らかい雰囲気だとわかると緊張をほどいた。


「蒼、お前この場で今更なにを聞いているんだよ。話の腰を折るなって」

「だってさ。彼女が自分を萌黄さんじゃないって否定するなら、話を続けるうえで大事なことじゃない。ただでさえ辛い状況だろうに、望まない名前で呼ばれ続けるって」

「だから、『貴女』って呼びかけてるんだろう?」


 片眉を下げた紅の返事に、蒼は不満げに「えぇ?」と声をあげた。思ったより響いた声に、蒼は慌てて口を押さえる。

 蒼はそろりそろりと手を離すが、きっぱりとした口調で「なら」と言い、一指し指をぴんと立てた。


「だったら余計に、私は嫌だな。他人行儀にする人に大事な話をしたいって思うかな。腹を割って話したいってなるかな? 私は嫌だね」

「ぐっ。お前はどっちの味方なんだよ。いや、答えなくていい。想像がつく」


 紅は頭を抱えて地面に蹲りたい気持ちを必死に押さえて、なんとか額を押さえるだけに止めた。

 蒼のことだ。絶対に「それとこれとは別だよ」と言うに違いない。


「名前は、ありません。わたくしは『萌黄』になるべくして存在してきました。拒否するなど考えたことはございません。わたくしは萌黄を偽るものですもの」


 長い髪の隙間から見える萌黄の表情に憂いはない。むしろ、蒼の問いの意味が理解できないと言わんばかりの声だった。

 蒼はどう伝えて良い物かと、腕を組んで体を丸める。


「えっとね。つまり、私が言いたいのはね。私は蒼月が本名だけど、大好きな人たちに蒼って呼ばれるのも好きだし、修行先では茶葉の修行に来たからって『フォリア』ていうあだ名つけてもらったのも嬉しかったの」


 名前はとても大切な言葉だ。

 この世に生まれた、最初の呪文。

 名を付けることを『命名』というように、まさに個を個たらしめ、命を吹き込む縛りの言葉。

 ただ、心葉一族は『だれに』『どんな感情』で呼ばれるかの方を重視している。先祖にならって。その人がどんな感情を持って己を呼ぶのかを、何より大切にしている。


「真名は大事だけど、その人を縛る絶対的なものじゃないと思うの。だから、うまく言えないけどさ、貴女が『萌黄』さんであってもなくても、貴女・・・として呼んでもらいたい名を持っているなら教えて欲しいなって思ったの」


 萌黄は緑に近い勿忘草わすれなぐさ色の瞳を揺らしている。

 その瞳をはめこんだ顔は、まるで勿忘草を写したように可憐だ。そう考えた蒼の思考を否定するように、萌黄は潤いを増していく目を押さえてぐっと口元を引いた。


「わたくしは『萌黄』ですもの。偽物でも萌黄以外にはなり得ません」


 溜まりの水面を打つようであり、耳を撫でるようでもある萌黄の声。

 願いにも似ている意志が込められている。蒼にはそう思えて、萌黄の一種の強さにほぅっと感嘆の息を吐いてしまった。


「うん、わかった」


 蒼は短く答えた。そして、力強く頷きもした。

 それに焦ったのは他でもない萌黄だ。真っ青な顔をさらに血の気をひかせて、「わっわたくし!」と声をあげた。


「決して、蒼さんのご厚意を無下にしようとしたわけでは――」


 こういう所は出会った頃の萌黄そのものだと蒼は、心内でにしっと笑ってしまった。


「うん、それもわかる。やっぱり萌黄さんってすごい。頼りなさげに見えて、自分の曲げない部分をちゃんと持ってる。すごいや」

「わっわたくしが?」


 萌黄から実に不似合いな素っ頓狂な声が飛び出た。出した本人も驚いたようで、慌てて口を塞いでいる。

 蒼はわざとらしく腕を組んで、恥ずかしさを誤魔化す。自分の未熟さを羞恥なく話せるほど大人ではないから。でも、相手の強さを認められない位、子どもでもない。


「うん。私はちゃんと守りたいものは決まっているはずなのに、迷走しちゃうから。でも! さっき言ったみたいに、時々独りよがり! 一方的な暴走で紅を監禁したことは許してないからね!」


 正直、紅には理解できない状況だ。

 萌黄――目の前の存在に同情の余地はあるが、あくまでも敵の位置にある。相手を油断させるために寄り添う発言をするのも交渉術のひとつだが……。


(蒼は間違いなく、打算的には動いていない。どんだけ人たらしなんだよ)


 紅としては、蒼が本当に自分のことで怒っているのが伝わり、むず痒くなる程度には嬉しいが……ひとまず、話を進めないといつどうなるか不明な状況だ。

 紅が蒼を諫めようと咳払いをしようと口元に手を当てた。


「じゃあ、話の腰を折ってごめんなさい。人工溜まりの源の話だったよね?」

「そうだよ、大事な話の途中だったのに。蒼、お前って奴は」


 紅は話の腰を折ったくせに、あっさりと謝って軌道修正の空気に持って行った妹が憎らしくて、両頬を思いっきり引っ張ってやる。


「ちょっ! 紅ってば! いくら私の頬に弾力があるからっていっても、それはやばいよ! ほら、溜まりを渡ってどんな影響があるかもわからないのに、ほっぺが伸びたまま形状記憶されたら嫌だよ!」

「あほ蒼! そんな程度の影響ならいくらでも出てみろ! お前は緊張感てものを、母さんの腹ん中に置いてきたんじゃないのか! というか、母さんもなかったけど! このもちみたいな頬みたいに、脳みそも、ほわほわしてるんじゃないのか!? むしろ、とろろか! ふわふわか!」

「やめてよ! とろろでふわふわなら、流れ出ちゃうじゃない! 抓られたぶんだけ、空気にとけてるかも!」

「んなわけあるか! どこまで妄想が膨らむんだよ、蒼は!」


 青筋をたてて蒼を抓る紅。彼が浮かべているのは満面の笑みなのに、かつて無いほどの怒りが放たれている。

 麒淵は二人からそっと距離をとる。萌黄は怒りのせいか華奢な肩が震えている。

 紅と蒼は、滅多にないがこうして時折激しい兄妹喧嘩をする。主に紅の堪忍袋の緒が切れる時だが。


「ふっふふ。うふふっ。あはっ」

「ちょっと、紅! 萌黄さんに笑われたじゃない! 幻滅されてるよ!」

「オレじゃなくってお前を笑っているんだよ!」


 ついに萌黄は堪えきれなくなって、大きな笑いを響かせてしまう。そう。怒りなどではなく、おかしさで。ただお腹が苦しかった。どっちもどっちだと言いたいのに、言葉にならない。


(あの人は、生まれたばかりで無感情の私をどうにか笑わそうとしてくれた。結局、わたくしが最初に笑ったのは、あの人が意図しなかったところで……)


 それが――ひどく懐かしい感覚で、生まれたばかりの頃を思い出していた。

 萌黄は目の前の人たちがちぐはぐだと思った。


(刺すように射貫くのに、優しくて、でも厳しくって。わたくしにだけじゃない。自分たちにもそうなのに、不思議な空気で人を取り込んでしまう)


 だから、いいかなぁと萌黄は思った。喉に刺さる小魚の骨を抜くように、ずっとつっかっかっていたことを告げてもと。

 この人たちなら、自分が抱える重い想いを受け止めつつ、さらっと笑い、そして――馬鹿にしないと思えた。


「蒼さん」

「はっはい!」


 萌黄の呼びかけに、思わず蒼は背筋を伸ばした。紅も蒼の頬から手を離し、ごくりと喉を鳴らした。

 溜まりの淵に立っている萌黄は口元を肩掛けに隠している。わずかに見えている目は笑っているが、脅迫めいた視線を投げかけている。強引な時の彼女そのものだ。


「紅さんがおっしゃるとおり、とても大切なお話ですの。腰を折らないでくださいましね?」

「ごっごめんなさい」


 あからさまに項垂れた蒼。

 そして、萌黄はひとつ溜息をつくと、続けた。


「もし、可能でしたら……わたくしのことは変わらず『萌黄』と呼んでくださいまし」


 萌黄が控えめな音量で呟くと、蒼は顔を輝かせて激しく頭を縦に振った。頭上のお団子が激しく揺れ解けそうになるくらいに。

 萌黄は苦笑を浮かべてしゃがみ込んだ。真っ白で細い指先を溜まりにつける。一瞬、麒淵と紅は警戒したが、ちゃぷんと水が跳ねただけだった。


「わたくしは、萌黄になる前はただの粒子の一部でした。ただ、アゥマの相性がよかったのでしょうか。わたくしは、いつも元の萌黄の傍に漂っていた記憶はありますの。そのわたくしが、個の意識を持てるまでになった頃には、中央に住まう人間は富を得ても体調不良を訴える者が多い国となっていました」


 萌黄は切なげな視線を溜まりに向けている。無造作に泳がされている萌黄の指先は、まるで溜まりを撫でているようだ。


「けれど、もっとひどかったのは外壁に近づくほど貧しい者が増えていくことでしたわ。外壁近くの人間は奴隷として扱われた後、国の栄養・・・になるという悲惨な一生を送るしかありません。自然を歪めたことにより、異常気象も頻繁に起るようになっていったのです。人々は疲弊し疑心暗鬼を抱き、ひとつの標的を作りたたきのめす」


 萌黄の言葉の中に、妙な既視感を覚えた紅。

 吸い上げられて、国の栄養になって、異常気象が起る。人々は疲弊し疑心暗鬼を抱き――。

 反芻して、紅の顔が一気に青ざめていく。先ほどは蒼の変化に気を取られていたが、改めて説明され、今度は事実に驚く。


(既視感どころじゃない! これじゃまるで、今のクコ皇国そのものじゃないか! いや、当たり前だ。だって、華憐堂と手を組んでいる皇族の目的は、反魂の術なんだから。ということは――ここは本当に!)


 紅が音を立てて麒淵に顔を向ける。だが、麒淵は目で紅を制した。

 蒼は紅の腕を掴み、当惑しながらも萌黄に「あのね」と問いかける。


「優しかった長はそれでよかったの? やっぱり、一族の幸せよりも国の繁栄を選んだっていうこと?」


 蒼の問いかけに、萌黄は小さく頭を振った。緩く右側で団子に結われた髪が崩れる。閉じた瞼からほとりと涙が零れ落ちた。萌黄の儚さがきわだつようだ。

 萌黄からひとつ、溜息が零れる。その風を受けたかのように、凪いでいた溜まりがぽちゃんと音を立てる。横目で見た溜まりの表面には、波紋が広がっている。


「長は旅人たちを助け、国の形を作り上げた後すぐに亡くなりました。その後継者として選ばれたのが、偽物の溜まりを生成することを提案した旅人だったのです。それが全ての悲劇の始まり」


 萌黄の言葉に、蒼はごくりと唾を飲み込んだ。ひっかかった唾はむせを誘った。

 つまり、元凶は『旅人』というわけだ。

 であるなら、貧しくも親切な人々をだまし、定住地を欲していたということだろうか。嫌違うと、蒼と紅はどちらともなく頭を振った。だって二人はもう答えを知っている。


「そして、旅人には病弱な妻がいました。貧しい一族の長が旅人を助けたのも、体が弱くけなげに美しい妻を連れた一行を哀れに思ったからでした」

「その病弱な奥さんは……亡くなった。それが、萌黄さんですね」


 紅は確信を持って尋ねた。



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