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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第86話 萌黄3-蒼の願いと紅の後悔-

 蒼は両目を乱暴に拭った後、紅の胸を軽く押した。最初こそ抵抗はあったものの、蒼がぐっと服を握ると紅の体はゆっくりと離れていった。

 蒼の両目はまだ湿っているが、視線は凛としている。

 少しばかり高い位置にある紅の顔には、逆に戸惑いの色が浮かぶ。


「じゃあ、せっかくだし、今度は紅の番だね」


 戸惑いの原因は十中八九、蒼がついさっきまでの雰囲気に不似合いの様子で笑ったからだろう。

 おかまいなしにと、蒼は笑みを深める。有無を言わせない時の表情だ。


「いや、そんなこと話している場合じゃないだろ」


 紅の頭はそれを瞬時に理解したが、口からは反論が飛び出た。

 蒼はおかまいなしにと続ける。


「私、麒淵きえんがあえてここで私たちの傷をえぐってきたのには、絶対意味があると思うの。紺君と一緒で」


 あまりにもきっぱりとした蒼の口調に、紅はたじろいてしまった。ただ、少し『紺君と一緒で』という部分には、律儀に眉を跳ねたが。


(えっえぐるという表現が蒼の口から出ると、なっなんとも……)


 一方、麒淵は『えぐる』という表現に、今度は若干自分の心が『えぐられた』気がして口元が引きつってしまった。

 と同時に、聡い十六歳の少女に肩を竦めるしかない。その成長を嬉しく思うのと同時、やるせない感情が渦巻く。


(本当なら、こんなにも急いで成長することなどないのに。我が儘と知りながら、わしは蒼にも紅にも、もっと子どもでいて欲しい。我の手から離れないで欲しかった。けれど、我にとって一番大事なのは、我の感情よりも心葉堂こどもたちじゃから仕方が無いのう)


 麒淵は岩の天井を見上げる。灯代わりと言った球体のうち、一番大きなものは透明になっているのを改めて確認する。

 証拠収集・・・のためとはいえ、麒淵には絶対に譲れない信条がある。いや最初から守るのが当然であり、他人を立ち入らせる義理などない。


(いくら魔道府に協力しておるからと言って、愛し子たちの傷まで聞かせる義理はない)


 いつもなら麒淵のちょっとした素振りに反応する紅と蒼だが、今はお互いしか見えていないようだ。

 麒淵は安堵しながら、再び足下の見えない陣に意識を集中させた。


「オレだって、麒淵が無駄にオレたちを傷つけたり、時を選ばないなんて思ったりしていない。でも、今はオレのことなんて話している時じゃない。早く萌黄さんを連れて、ここを出るのが先決だ。ここのアゥマは異常だ。いつなにが起きても不思議じゃない」


 紅は正論を述べている。けれど、いつもの紅らしくない。蒼はそう思った。

 いつもの紅なら、自分に向き合った蒼の想いを流すことなどしない。どんな状況でも、不器用な返事はしても、問題を置き換えたりしない。

 紅が抱える問題は自分より重いモノだと蒼は自覚する。でも、だからこそ自分が抱えていた傷と同じく、紅もそれを受け止めないと前に進めないのだとも思う。


「紅は魔道府との繋がりがあるし、未熟な私の代わりにお役目を背負ってるのも知っている。だから、全部を話してくれなくてもいい。私にとって、紅はどうあっても大切なお兄ちゃんだもん」


 紅の体が強ばる。他の人にはわからない程度だが、蒼には目に見えて明らかな程だ。

 あぁ、と蒼は紅が恐れている事のひとつに見当がついてしまった。もうひとつの自分の罪を悔いる。もっと早く打ち明けていればよかったと。


 紅は嘘が上手い。


 クコ皇国弐の溜まりの長男として育ってきたからには当然でもある。ただ、紺樹のそれとは違い、仮面を上手くつけられるのは『クコ皇国弐の溜まりの長男』である時だけなのだ。身内以外に限定されるのを、蒼はよく知っている。


 だから、ある意味でいうなら蒼の方が、嘘が上手い。


 例え、蒼は紅が隠したい事実を全く気にしていないがゆえの態度でも、伝えなかったのなら当人の傲慢であり嘘をついているのと同じなのだ。こんなにも相手を不安にしているのだから。

 蒼は紅に聞いて欲しい。後悔の念より先にくる、伝えたい言葉。


「だから、その代わり一緒に背負わせては欲しいよっ! 今の私じゃ背負えきれなくても、紅の背中から落ちそうなものを掬えるように、ばたつくことくらいはなにがなんでもする!」


 蒼の両手が紅の両腕を掴む。服ではなく、皮膚ごと掴みあげるようにありったけの力で近づこうとした。

 腕を掴まれたはずの紅は、全く違う箇所に痛みを抱いた。頭横を思いっきり殴られたように眩暈を覚えた。心をえぐられた気がして。


「だから、置いてはいかないで。私のわがままだって自覚はあるけど、知らないところで傷ついて、いつの間にかいなくなったりしないで。お願いだから、できることはさせて。ううん、できないことだって、やってみる位の無茶はさせて欲しいよ」


 えぐられたのは、紅の傲慢ごうまんな部分だ。蒼が己の傷に向き合ったせいか、余計に紅自身は己の心が脆くなった気がした。

 紅の喉がひゅっと鳴る。


*************


 どれぐらい沈黙していただろう。時にしたら、ほんの数秒だったかもしれないが、紅には自分の心臓の音がやたら鳴っているせいか随分と長く感じられた。

 涙目の、しかし強い視線の蒼を前にして、紅は掠れた声を絞り出すのがやっとだ。


「オレは、心葉堂を守りたかった。守れるって思っていたんだ」


 ぽつりと落ちた己の声に、紅はぎゅっと両拳を握る。

 そこにそっと触れてきたひんやりとした温度に、紅は音を立てて振り返る。

 自分の手に触れているのは、萌黄だった。


 だからかもしれない。心のタガが外れる音がした。得たいが知れないのに、人みたいに寄り添う存在に。


 異様なアゥマを纏う存在でありながら、ただ純粋に見える萌黄の感情に感化されたのかも知れないと、紅は言い訳する。


(まるでオレみたいだ。確かに人間に見えるのに、普通じゃない。いや、普通じゃないことを受け入れず、逃げている)


 紅が怯えるのは、自分の小ささにだ。

 祖父はくろんなら平然と笑ってやりすごす。はたまた蒼は飄々《ひょうひょう》と交わすだろう。もしくは、蒼ならば悩みきった後、今のように己と向き合うに違いない。


(オレは違う、オレだけが違うっ)


 紅は違う。異質な自分をどこまでも嫌い、見ない振りをし続けている。いや、受け入れた振りをしているのを、十分自覚している。

 そのくせ、都合よく異能は使うのに、普通でないのにどこまでも普通であろうとする。普通でありたいのに、だからこそ違う印象を抱かれてしまう。


(特異な能力を持ち、なおかつ常人であろうとする紅には辛い現実じゃろうて)


 実際、この異常な状況が人の心にかかった鍵をこじあけてくるのは致し方ないと、麒淵は思う。

 アゥマは今でこそ浄化物質の性質が強い。だが、元を辿れば聖樹の愛する者を救いたいという純真な願いが生んだ物質だ。つまりは、純度が高く、また異質であるほど人の意識に多大な影響を及ぼす。


「オレは、自分の手で家族を守れるように成長してるって自惚れていたんだ」


 紅は言うつもりなどなかった叫びを発していた。紅の意識にいるのは、蒼だけだ。

 蒼は口の両端をぐっと引いて、小さく頷く。


「魔道府に入って、大変だけど充実した生活を送っていた。なのに、いざって言う時になにも知らずに――オレは、ずっと此処そばにいたのに、父さんと母さんの死の予兆なんてわからなかった」


 紅の吐露に、蒼は当たり前だとは返さない。いつもの蒼なら鼻息を荒くして否定するのに。

 だって、自分に傷があると認識出来た蒼には、不思議なことに紅の痛んでじくじくしている所は自然と見当がついた。紅が一生懸命に傷を隠しているのがわかる。

 蒼の手が無意識で紅に近づくと、紅の体が大きく跳ねた。

 だから、蒼はじっと待った。自分の胸に指を弾ませる。ゆっくり『とん、と、ととん』と繰り返し。


(私が大泣きしたり慌てたりする時に、お父さんが背中を撫でてくれた律動リズム。でもね、私はそれを見てまねてくれるお兄ちゃんのね、辿々しさがあるこっちの律動も大好きだったんだよ。こっちの律動の方が、私はすぐ落ち着いてね、ついでに寝落ちしてたのって修行に出る前の日にお母さんが教えてくれた)


 蒼の仕草を、息を止めて眺めていた紅。その喉がひゅっとなり、盛大にむせる音が岩肌に反響する。

 紅は、まるで直接胃が抓りあげられているようだと思った。ぎりぎりと音を立ててひっくり返っているのではないかと思うほど痛んでいる錯覚に陥る。

 みぞおちを押さえると、余計に苦痛がました。冷や汗が溢れ出て、思わず片膝をついていた。痛みのせいだと錯覚するくらい、どうしてか心の奥の鍵が外れる音がした。


「遺体を前にして、ただ目の前の現実を受け入れるしかなかった。すんなりと諦めたんだ。蒼は父さんと母さんに会ったのは何ヶ月も前な上、最後『体』に会えもしなかったのに!」


 紅の悲痛な叫びが木霊する。『オレが』と口にできなかったのは、最後の抵抗なのだろう。


(紅の特異能力はなんと無慈悲なことか)


 ただ一人、理論的な意味で紅の状態を把握しているのは麒淵だ。

 彼は、心優しく家族思いの紅が、両親の前にして無意識に生存や存在を諦めてしまった理由を把握している。


(藍と橙の体――いや、あの時期に亡くなった多くのアゥマ使いの血には、一粒もアゥマが残っていなかったからのう。紅は今でこそアゥマ可視の能力を制御できるようになったが、衝撃ショックを受けている中、無意識に能力が発動され目の前の体をからっぽと思ってもしかたあるまい)


 麒淵もいずれは紅に話してやるつもりだった。

 あの時にそれを伝えたところで、優しい紅が余計に自己嫌悪に陥るのは想像に難くない。両親の命をただのアゥマの塊として認識していたのかと、的外れな方向に捉えただろう。


(アゥマは血、血はアゥマというほど生命の要。じゃが、要であって生命ひとそのものではないのだよ? 心の臓、脳、血、その他さまざまに生き物を構築する組織があっても、最後に感情こころがなければ藍でなく、また、橙でないのだから)


 麒淵が、己が知る真実を告げられないことに懺悔する中、蒼は紅の叫びに「あぁ」と腑に落ちた様子だった。それは悲しみであり安堵の色が混じり合っている。


「その上、自分の不注意で軟禁されて、蒼に溜まり渡りをさせるなんて! 未熟も度が過ぎる!」


 昔から紅は責任感が人一倍強い。家族という形を大事にしている。蒼は家族が大好きで甘えていたのに対して、紅は自分がしっかりして大切な家族を守りたいと願ってきた。

 なんでもない家族なら、しっかり者の兄に甘えたの妹の構図。


(普段なら、紅だって私の行動を心配しても呆れの方が勝る。私もそれが嫌じゃない)


 蒼は未だに変わらない兄の性格を改めて確認し、無責任にも鼻をすすってしまった。


(私は、ずっと紅の自己犠牲的な所が嫌だった。反面、そんなお兄ちゃんが大切で支えたいと思ってた。でもね、わかったよ。私、紅がいなくなって不安だったのは、なにも大人になって色んなことが見えるようになったからだけじゃないんだね)


 蒼はぐいっと掌で鼻を弾く。兄に頼りきりだった自分に嫌気がさし涙が込み上げるが、泣いて良いのは自分じゃないとは理解できている。


 紅はずっと理不尽な贖罪しょくざいを一人で背負っていたのだ。


 あの時期に亡くなった者は、両親を含めて国葬された。溜まりの主級を集めた集会中の事故・・・として。遺体の損傷がひどいという理由で早急に火葬された。だから修行先から戻ってきた蒼は、両親の遺体を見送ることはできなかった。


「わがままついでに、もうひとつ言わせて。私は、紅がそんな意味不明な責任を一人で負うのは嫌だ」


 蒼は涙混じりの声で、しかし、きっぱりと告げた。


「私、今回の件でわかったの。後悔なんていくらでも出てくるって。紅が動かないお父さんとお母さんを前にして、絶望したように。私が会えなかったことを背負ってくれたように」


 それでも紅は蒼と目を合わせてはくれない。

 蒼はお構いなしに続けるため、大きく息を吸った。

 だって、蒼は見たから。蛍雪堂で黒いアゥマに襲われた際に、過去を見たから。あの時は黒い手を恐ろしいと思うばかりだった。けれど思い出せば、両親たちの口は確かに動いていたのだ。


 ――紅と蒼なら、きっと大丈夫――と。


「慰めの安っぽい言葉なんて人は言うかも知れない。それでも、言うよ。だって、私はお父さんとお母さんが大好きで、そんなお父さんとお母さんは紅を大好きだって知ってるから!」


 ただ紅だけを見つめて、勢いよく右腕で空を切った。紅との間にある見えない壁を崩すように。


「死んだ後もどこかに心があるなら、お父さんとお母さんが悲しいのは紅が『諦めた事』じゃないよ! 『受け入れた』ように見えることじゃない!」

「ほぅ。人は安っぽい慰めと言うじゃろうな」


 ここにきて初めて、麒淵が口を出した。通常なら嫌みを含んでもだれかの言葉足らずを補足してくれる麒淵が、白龍はくろんのような皮肉を。


「しかし、関係ない」


 蒼の言葉の波を断ち切るのではなく、まるで鼓舞する麒淵の律動の声。にんまりと笑みを浮かべている麒淵は、腕を組み挑戦的にかつ朗々と続ける。紅の根本にある恐怖がそこではないと知っているから。両親のことはあくまで遡る過程だ。

 紅はこう見えて現実主義者だ。多少の心傷トラウマは抱えていても、心に影響を及ぼしているのは過去ではなく現在いまにあると麒淵と蒼は考えている。

 残酷だと思いながらも、麒淵は続ける。


「のぅ、蒼よ。我も思うわ。藍も橙も、おぬしの言葉通りじゃて」

「ほら、心葉のみんながわかってる! 悲しいとしたら、そんでもって、私たちが悲しいのは、紅がなにもかも一人で背負って引きずってることだよ!」


 ありったけの声と想いを込めて、蒼は叫んだ。肺の全部をしぼり出すほどの声量だ。萌黄と麒淵の肌がぴりりと痺れを感じる。

 それでも、紅は眉間に皺を寄せて、ただ地面を睨んでいる。

 蒼はそれに苛立ちはしない。肩の力をぬいて、紅と同じ場所を見つめる。それだけでも、不思議と紅が抱えているものに寄り添える気がした。嘘の前向きさがないから。


「悼むのと偲ぶのは違うもん。心葉堂の蒼月としては頼りないし紅は嫌がるの承知で、無茶ならいくらでもする! それに――妹の蒼だっているんだから!」


 それが嫌なのだと、紅は拳を握る。足下を睨み、歯が削れる勢いで奥歯を噛みしめる。


(蒼がオレを兄として慕ってくれているなんて、自覚している。それは絶対的と思えるほどに。なら蒼が実際は父違いと知ったらどうなんだろう。根底から崩れる。それが怖くて堪らないんだ)


 だから、蒼は究極のわが儘をねだることにした。


「こんな時、本当は心葉堂の蒼月でいないといけないんだろうけれど」


 しゃんと背を伸ばし、蒼は紅の両頬を掴む。


「全部ひっくるめて、紅と家族なことを後悔なんてさせないでよ!! それが、紅が一番したくないことでしょ? 私も嫌だよ」


 紅は牡丹色の瞳をありありと広げていく。

 蒼は紅をからかうことはあっても、脅しなどしないから。



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