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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第84話 萌黄1-偽物からの始まり—

「だれも、喜ばないの? あの人は、もう、わたくしを求めてはくれないの?」


 萌黄の真っ白な肌に涙が零れた。ほとりと零れた雫は、ほろほろと肌を滑り落ちていく。

 紅の背に庇われた蒼は、痛みを訴えてくる胸を掴んだ。萌黄の様子は、必要とされていないと悩んでいた自分に似ていると思えたのだ。けれど、単純に丹茶が浄練出来ない茶師としての苦しみとは、少し違う。


(そうだ。昔、紅に妹じゃないって拒否された時や、紺君が華憐堂で丹茶を買っていた時の痛みと一緒なんだ。)


 蒼はかつての痛みに萌黄を重ねてしまっているのだ。

 狂気に乱れる萌黄を理解出来るとも止められるとも思ってはいない。けれど、彼女から零れ落ち始めた思いには触れたいし、近づきたいと思ってはしまう自分がいる。


「萌黄さ――」


 蒼は紅を押しのけて萌黄に駆け寄りかける。それを制したのは麒淵だった。

 音を立てて見上げた蒼と麒淵はしっかりと目をあわせ、小さく頭を振った。


「この暗さで話をするのは、互いがはっきり見えず少々差し支えがあるのう」


 麒淵が片手を掲げて光の玉を複数生み出すと、見渡せる場所あたりまでは見通しがよくなった。暖色系の明かりなので、やはりどこか薄暗さは残る。だがあまりに煌々としていても、華憐堂のだれかに見つかる可能性があるので仕方がないのだろう。

 蒼と紅は、頭上の灯に若干の違和感を抱いた。ただの灯にしては少々魔道が濃い。


「もう、終わりにしような? 悲しみの連鎖を断ち切ろう」


 頭上を訝しげに見上げる兄妹をよそに、麒淵は脱力しきった萌黄の前で膝を折った。大きな手が萌黄の額に向けられる。

 萌黄は顔を上げないまま、びくりと体を震わせた。しかし、麒淵の手が必要以上は近づいてこないことに安堵したのか、すぐに肩から力を抜いていく。


萌黄・・・を想っている術者も、すでに萌黄が蘇ったように見える行為に純粋な喜びは感じてはいないであろう。もしかしたら、・・・はいつ失うのかと恐怖を抱いておるやもしれぬな」

「わっわたくしが――わたくしたちが、あの人を苦しめているの?」


 萌黄は絶望の眼で震える両手を見つめる。いつもの可憐で儚い雰囲気ではない。見開かれた目も大きく開いてひきつっている口も醜ささえある。それでも、先ほどまでの狂気は感じられなくなっていた。

 だだっぴろい岩の空間に沈黙が訪れる。溜まりの水がぴちゃんと跳ねるだけ。


「傍にあるという安堵を抱いておるのは確かじゃろう」


 ややあって、麒淵は頷いた。全てを否定するのではなく、確かにある想いは認めて。

 人間ではない麒淵でも、それは確かだと想像ができる。だからこそ、過ちは繰り返されているのだ。

 溜まりに宿る守霊に人を理解できる心などないと言う者もいる。が、違うのだ。守霊は溜まりの主によっても変わる。人間らしくもなるし、絶対的な神格にもなり得る。今の麒淵は前者だ。


「だがな、我と同じ存在である溜まりの子よ」


 麒淵はまるで幼子を諭すように、優しく柔らかい口調で語りかけた。

 一方、あんぐりと口を開いて固まったのは蒼だ。驚きのあまり声も出せず、大きな牡丹色の目をひんむいた。


(えっ? えー? ええぇぇ⁉)


 なんかと動かした手で紅の服を掴む。目を合わせた紅も驚いているものの、蒼ほど驚愕きょうがくという様子ではない。

 いや、実のところ紅も内心激しく動揺しているのだが、彼は蒼よりも動揺を隠すのが上手い。年齢差もあるが、紅は魔道府という公的機関で働いていたことも有るのだ。


「まさか、自分の予想にこんな形の答えがくるなんて」


 紅は魔道府に呼ばれた際、古書で反魂の術の存在を知った。そこで、紅は古書の中の人物がかけられた反魂の術に引っかかりを覚えた。



――えーと、ですね。まず、本当に生き返ったのであれば、食物を口にしないのは可笑しいかなと、単純に思ったんです。それに、生き返った時点で記憶をなくしているのであれば、まだ納得出来そうですが、若い男性が徐々に、しかも戻ったり忘れたりしながら記憶をなくすなんて聞いたことありません。それどころか、そもそも男性自身が『生き返ったのでもなく、死人として、この世にあるのだ』と言っているわけですし、生き返ったという概念自体が真実からずれているのかも知れないって思って――



 そして、魔道府長官に話した際、長官から言われたのだ。着眼点は悪くない、と。

 ということは、つまり――。


「そうか。『生き返ったのでもなく、死人として、この世にある』っていうのは、そういう意味だったのか!」

「えっ、なになに!? 紅、一人で納得しないでよ!」


 突然納得しだした紅の腕を激しく叩く蒼。

 それが合図になったように、紅は強い調子で蒼の両肩を掴んできた。振り返りざまに汗が飛んだ。自分と同じ牡丹色の瞳は、どこか煌めいているように見えたのは気のせいか。蒼はあまり見たことがない様子で興奮している兄に、ただただ驚いてしまう。


「つまり『人間だった萌黄自身が生き返った』訳じゃなかったんだ。死人の体、ソノ器の中に守霊っていう魂が入り込んだだけだったんだ。守霊は人とは違うから食事はとらない。けど、なら一体何を栄養にしているのか」


 最後の方はすでに独り言に近かった。

 状況が飲み込めない蒼だったけれど、わかっていることが二つあった。兄は自分が知らない事実を把握していることと、萌黄が人ならざる存在であることが本当であるという現実だ。


「人間にはいつか終わりがくる。人間の始まった生は終わるものだ。溜まりがあれば存在し続けられる我ら守霊とは異なる。おぬしの大切な術者は、その迎えるべき終着点を見失っておるのではないか?」


 蒼が萌黄に溜まりの水をかけ、大やけどを負わせた日のこと。支離滅裂な萌黄を前にしても、華憐堂の店主は冷静だった。

 ということは、おそらく萌黄の変貌は今回に限ったことではないのだろう。つまり、店主が手慣れていることを意味する。


魔道府長官ホーラの調べによると、アゥマの枯渇で滅んだ小国は数百年の間でいくつもあった。そのうちいくつかは自然現象であったが、華憐堂の足跡の中でそれ以外の方法で滅びた国の方が圧倒的に多いことがわかった。そう、人工溜まりが消失したのと同じ滅び方をしておったそうじゃ」

「えっ! 麒淵は人工溜まりのこと知っているの!? っていうか、人工溜まりと萌黄さんたちが関係してるってこと⁉ あっ、でもさ、なら此処の不自然さも説明がつくかも。いくら黒曜堂さんの跡地で浄化がすごいとはいえ、浄化されただけで溜まりができるわけじゃないもんね」


 ぽんと手を打った蒼に、今度は紅が驚く番だった。「はぁぁ⁉」と、らしからぬ声が紅から飛び出る。


「人工溜まりってなんだよ!」

「文字のまんまだよ。古代には人の手によって作られた溜まりがあったらしいよ? すぐに滅んじゃったみたいだけど。っていうか、私は紅に説明して欲しいんだけど」

「お前、なんで急にそんなに落ち着いているんだよ……」


 紅は頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。幼い頃からここぞという時になると変な落ち着きを見せる妹だったが、まさかここまでとはと。

 麒淵は、後方でぎゃいぎゃいとやり取りしている兄妹に、こほんと軽く咳払いをした。


(まったく、たちが悪い。蒼と紅の能力が必要だったとはいえ、兄妹の知っていることをあわせて初めて答えが出るような情報の与え方をしよってからに)


 麒淵は震える萌黄を撫でながら、心内で舌打ちをした。魔道府や皇族のやり方はいつの時代も狡猾こうかつだ。今回は白龍が一枚どころか何枚も噛んでいるから、麒淵も黙って従っているが、正直心地良い状況ではない。


「二人とも落ち着け。事の始まりの時点から、魔道府はアゥマの枯渇により滅んだ国を徹底的に調べ続けていたのだよ。その結果を踏まえて、フーシオである白龍と黒龍は始まりと結論づけられた地に赴いている」


 麒淵の言葉に、蒼と紅はぴたりと黙った。

 魔道府とフーシオの名を出されては何も言えない。紺樹や魔道府長官、それに翡翠兄妹の関係もあるが――なにより、国のアゥマ使いの最高位にいるフーシオの白龍の家族だから。

 フーシオがいる家系は恩寵得る代わりに、国の大事に一族全員が粉骨砕身で尽くす義務を背負っている。

 物わかりの良すぎる子ども二人を前に、麒淵はもやっとした想いを飲み込む。


「教えておくれ。おぬしも苦しかったろう」


 麒淵は気を取り直して、萌黄に問いかけた。指先だけ頬に触れさせると、それまで俯いていた顔が跳ね上がった。

 あげられた顔を両手で包み、萌黄はがちがちと歯を鳴らす。


「何度も、何度も……わたくしの中に仲間が入ってきて、想いを共有して、交代して……」

「あぁ。だから、最初に入ったおぬしが持つ『萌黄』の記憶も薄まっていき、制御が聞かなくなると混乱し正気を失った。術者との本来の関係も忘れ、紅暁を慕っている錯覚に陥っていた。違うかのう」

「はい。いえ、いいえ。わたくしが……記憶や正気を失っているですって? 最初に入ったって?」


 一瞬だけ肯定した萌黄だったが、すぐに首を傾げた。本気で理解出来ていないのだろう。数秒前の自分の言葉を忘れているようだ。

 けれど、無表情でもなければ狂気の笑顔も浮かんではいない。眉をひそめて、ただただ純粋に疑問を抱いているように見える。


紅暁こうきょう、こちらへ」

「あっ、あぁ」


 麒淵に本名を呼ばれた紅は、動揺しながらも蒼の手を引いて歩きだす。

 先ほどまでは二人とも気にとめる余裕がなかったのだが、冷静になると非常に歩きにくい地面をしている。岩肌が整えられていないのか、やたらとおうとつが多くて歩きにくい。

 その最中、横に並んだ蒼は紅に顔を寄せてささやく。


「敵陣で真名の一部を呼ぶってことは、守霊きえんとの繋がりを強めておきたいのかもね」

「そうだな。あるいは、萌黄さんにオレを『くれない』だって認識させないためかもな。今の状況で萌黄さんの記憶が混濁したらやっかいだ」

「そっか。また萌黄さんが紅を術者だって混乱しちゃうかもだしね。っていうか、萌黄さんが守霊って、本当かな?」


 ぼそぼそと内緒話を交わしながら近づいてくる兄妹に、麒淵は早く来いと手招きする。据わった目を向けてしまうのは、どこまでも順応力の高い兄妹のせいに他ならない。守霊の麒淵でも思う。二人とも、この状況を受け入れすぎだと。

 麒淵は二人が小走りになったのを見届けると、再び萌黄に向き直った。


「術者は苦しんでおるじゃろう。けれど、己が救われた記憶があるから、やめられぬ。もしかしたら、おぬしを見放す罪悪感もあるやもしれぬ。そして、なにより新たなる犠牲者を作りだそうとしておるのだ。我らはそれを止めたい」


 蒼も紅も同じ気持ちだった。見知らぬ存在ならまだしも、二人は萌黄という人物を知ってしまっている。蒼と紅では程度も優先する順位も異なるが、目的という意味では同じだ。


「我らはおぬしを消したいわけでも、おぬしらの想いを否定したいわけでもない」

「ほんとう、に?」


 萌黄の目から一滴が合図となり、たくさんの涙が溢れては頬を濡らす。わんわんと泣き声をあげる姿はひどく無防備な子どものようだ。

 蒼は迷った挙げ句、小さな手布巾ハンカチを取り出し萌黄の顔を拭ってやる。それでも萌黄は子供のように泣き続ける。


「麒淵……」


 紅の戸惑った声に、麒淵は苦笑を返した。


「禁術を容認するのではないのだよ? ただ、偽物と呼ばれようと一度生まれた溜まりの子たちの命を我は否定できぬ」

「さっき萌黄さんも『何度も』『仲間が入ってきて』って言っていたけどさ、やっぱり紅がいうように、守霊なの?」

「そうだよ、麒淵。何度もっていうことは、反魂の術が何度も繰り返されて来たったことだよな?」


 蒼と紅の疑問には答えず、麒淵は萌黄の頭を撫で続ける。

 手が髪を滑るたび、きらきらと雲母のような欠片が地面に落ちていく。落ちた光は岩肌に吸い込まれていくから、おそらく魔道なのだろう。

 戸惑いの表情を浮かべている紅と蒼を、麒淵は交互に見やった。


「我は守霊じゃからな。禁術によって作られた溜まりの子たちよりも、溜まりを利用しアゥマを悪用し禁術を施行した人間が許せぬ側におるというだけじゃ。禁術をどうするかのかという人側の事情は、おぬしらに任せる」

「役割分担だね! 任せて!」


 蒼は元気よく両手を握った。あまりに大きな声だったからか、慌てて口を押さえたけれど。

 紅は内心で、萌黄がこれだけ大声で泣いているのを止めないのだから蒼の行動には意味がないのではと突っ込むしかない。そして、現金な妹の言葉には、呆れた様子を隠さない。


「蒼、お前は軽いな」

「いいじゃん。萌黄さんのことは麒淵に任せて、私たちはこれから起こることを止めないと」

「……蒼はどこまで知っているんだ?」


 紅の伺うような声は蒼ではなく麒淵に向けられたものだ。感情を押し殺しているようで、牡丹の瞳には思いっきり怒りの色が浮かんでいる。

 紅自身、そもそも自分が監禁されたせいで、結果的に蒼を渦中に巻き込んだという自覚はある。けれど、できれば事の真相には触れさせたくなかった。


「わっ我はなにも吹き込んではおらんぞ」


 麒淵は冷や汗をかき視線を逸らした。なぜか萌黄の頭を撫でる速度をあげて。

 紅は片膝を地面につき、麒淵を逃がさない。今度は見て明らかに目を据わらせている。


「何も知らないで溜まり渡りなんて危険なこと、いくらアゥマ馬鹿の蒼だってするわけないだろ」

「するのが蒼という奴じゃて」

「あのなぁ――ぐっ」


 なおも麒淵を追い詰めようとした紅は、横っ腹を襲った痛みでむせてしまった。

 敵襲かとむせながら横を向くが、そこにいたのはめいいっぱい頬に空気を含んだ妹だった。紅以上に目を据わらせていた。


人工溜まり:第34話 水晶の間5―人工溜まり―

反魂の術:第44話 魔道府9―理から外れし者―/第45話 魔道府10―反魂の術―

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