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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第83話 覚悟4-萌黄の咆哮-

「なに言ってるんですか」


 蒼は両足をしっかりと広げ、両手の拳を握った。つい先ほどまで感じていた、少しばかりの気だるさなんて吹っ飛んでいる。あまりに強く握ったため、その拍子に内側に握り込んだ親指の関節が鳴った。

 蒼の震える声に、萌黄は高らかな笑い声を返してきた。


「なにを言ってるのかですって? 貴女、人間なのに人の言語が理解できないの? それとも……わたくしの言語回路が壊れてしまったのかしら?」


 萌黄は虚ろな目を乗せた顔を、地面に付きそうなほど傾けている。白い肌にある真っ赤な唇だけが彼女の生命活動を伝えてくる気がするほど、動いているのが気持ち悪いと思えた。

 なにより、口調に嫌みが含まれている様子はなく、心の底から疑問を抱いている様子が奇妙なのだ。


「言語回路って……」

「蒼、しっかりしろ。怯んでいる隙は無い」


 紅の言うように蒼は一瞬怯み、体を引いた。が、紅に名を呼ばれてすぐに我に返り、態勢を戻す。


「確かに、さっき萌黄さんが言っていた『あの人から大切な人を奪う』っていうのはよくわからないから、何も知らないまま否定はしたくないよ。ちゃんと、萌黄さんの言葉の奥にある思いを教えて欲しい」


 これは蒼の本当の気持ちだ。

 蒼の直感としては、一連の出来事は単なる国家転覆を狙う陰謀などではない気がするのだ。どこか複雑に色んな人の想いが絡みあっている、と蒼は思ってしまう。

 そう考える一番の理由は萌黄の様子だけれど、今日まで起きてきたことが全部無関係だとはどうしても思えない節もあるから混乱してしまう。


「でも――」


 たったひとつ、今きっぱりと断言できる確然たる事実がある。

 危険を冒して華憐堂に乗り込んだ理由を告げるため、蒼は大きく口を開く。


「でも、今、私は絶対貴女を許せないってことは確かだ!」


 蒼は腹の底から出した声で、短く言い放った。

 麒淵と紅も聞いたことがない蒼の怒声に、ぶるりと身が震える。蒼自身も初めて出した、怒りそのものを体現したような音。


(蒼の心の底からの怒りなんぞ、初めて見たのう。しかし、それよりも気がかりなのは――萌黄という存在・・・をかろうじて保っておる点か)


 麒淵は萌黄の精神崩壊の時を思って目を伏せた。眼前の萌黄の状態を考えれば、それはもう目前だろう。


「あらあら、あらー」


 一方、萌黄は瞳孔が開いた目を蒼に向けて笑い出した。甲高い声は洞窟のような空間によく響く。


「純粋で正義感が強そうな蒼さんらしいですわね。その怒りは、フーシオであるおじいさまの名誉のためですの? 大好きなクコ皇国の人たちを苦しめる悪天候が憎い? あはっ! まさか、わたくしの存在が不道理なんて理由じゃぁないわよね」

「――っ」


 息を飲んだのは紅だ。感情が言葉にならなかった。

 自分の腕を強く掴む萌黄を前に、なんと呼びかけていいのかわからなかったのだ。ただ、『萌黄』と呼ぶにはふさわしくない気がして喉が枯れる。


 存在が不道理


 事実だけを掻い摘まめば、間違いなく断言できる。紅の隣にいる存在は、本来此処にあってはならない命だ。これまで掴んできた情報から、萌黄が反魂はんこんの術によって蘇っているのは確定している。

 ただ、と紅は流れる汗もそのままに蒼へと視線を向け直した。紅が想像するに、蒼の様子から萌黄の正体に気がついているとは考えにくい。目配せをした麒淵も小さく頭を振った。


「当たり前だよ! 私が怒っているのは、すっごく個人的なことだもの! 心葉堂茶師の蒼でも、フーシオ白龍の孫娘でもなく!」


 蒼は苛立ちを隠さず、どんっと思いっきり地面を踏みならしたではないか。

 裾子スカートでないせいか、いつもより足がはしたない様子で開いている。紅はどこか冷静に、妹を頭の中でたしなめた。そんな自分に、心内でほっとした紅。


「私が怒っているのは、紅を誘拐して監禁したあげく、ひどい怪我を負わせたことだよ! 私、本当に怒ってるんですから! 紅を取り戻す権利があるのかって? そんなのあるに決まってる! 紅は心葉堂《私たち》の大事な家族で、私のたった一人の大切なお兄ちゃんだもの!」


 麒淵は、ぽかんと口を開いて固まった。


(あっ蒼のことじゃから、この事件の裏を知っていなくともアゥマを悪用したとか、茶を弄んだとか開口第一に叫ぶかと思っておったわい)


 珍しい様子で蒼を凝視している麒淵を横に、紅は同じ心境だと目配せをしてしまう。

 蒼はおかまいなしにと、ずんずんと足音を立てて萌黄に近づいていく。


「萌黄さんが抱えている事情よりも、今クコ皇国で起きている悪天候よりも、私にはお兄ちゃんが大事ですから!!」


 終いには、萌黄の腕を掴んで捻りあげた蒼。思いの外あっさりと蒼の力に流された萌黄。

 紅の鬱血しかけていた腕は血を通わせ始める。紅がすぐに上着の長い袖を捲ってみると、ぞっとする位の痣がついていた。指型の真紫色の痕は、とても女性の力がつけたものとは思えない。

 その間も蒼は萌黄の両腕を掴み、真っ正面から睨んでいる。


「紅ってば、家族のためなら自己犠牲も厭わない大胆さもありながら、見た目通り繊細なんですからね! これが心的外傷になって女性恐怖症になったらどうしてくれるんですか!」

「いや、そこじゃないだろっ!」


 裏手突っ込みをしてしまった紅は悪くない。麒淵はそう思った。

 色々なんだかおかしい状況だと紅は頭を抱える。蒼が現れた途端、暗い思考と状況が一変してしまった。最悪な現状は何一つ改善されてはいないのだが、それまでの絶望的な闇が蒼の挙動一つによって散っていく。


「萌黄さん! 私は、紅に一生懸命に恋している貴女のことは応援したいって思ってました! でも、いくら紅が好きでも、やり方が卑怯です! 紅の気持ちを無視してるもの!」

「恋……卑怯……あの人」


 萌黄は何故か呆然として座り込んでしまった。そのまま唇に手を当てて、一人でぶつぶつと呟き始める。

 その隙に紅は萌黄と自分の間に踏ん張って立っている蒼の腕を引き、溜まりの淵へと移動する。麒淵の傍に並んで、紅はようやく安堵の息を吐いた。


「ちょっと紅ってば、私、すごく頑張ってここまできたし、めちゃくちゃ心配していたのに、ここで溜息?」

「いや、まぁ、うん。溜息が間違っているのは違わないのかオレも混乱している」

「えぇ⁉ ねぇ麒淵、紅ってばひどいよね!」


 いつもの冗談ではなく本気で衝撃を受けている蒼の表情に、ついに紅は盛大に笑ってしまった。溜まりに紅の明るい笑い声が響き渡り、蒼はさらに頬を膨らませてしまった。

 笑う度、蹴られた腹も切れた口内どころかどこもかしこも痛むのだが、どうでも良いくらい蒼が可愛く思えた。可愛くてかわいくて仕方がない妹に、紅は堪らない熱を感じた。


「まったく」


 それと同時に、急激に思考が冷静さを取り戻していく。紅の日常に戻ったからこそ。

 そうして改めて、紅は思った。どう考えても蒼と麒淵がここに現れた状況は異常だ、と。


(二人は溜まりから出てきた。溜まりの()から現れた)


 この世界の常識的にあり得ない。

 クコ皇国の首都にある全ての溜まりが龍脈で繋がっているとはいえ、溜まりごとに境界――言うなれば、守霊の縄張りのようなものがある。

 クコ皇国弐の溜まりの守霊である麒淵とて、皇族直下の壱の溜まりは当然のこと、参の溜まりを訪れるなど百年に一度あるかないかだ。


「お前はどうしていつも無茶ばかりするんだよ。いつも、人のことばっかりだ」


 紅は思い切り蒼を抱きしめる。紅にとっては大きな存在である蒼だが、実際は五つも下の妹だ。驚くほど、すっぽりと紅の腕におさまった蒼。それが嬉しくて、それ以上にやるせなくて、紅は蒼の背を撫でていた。

 最初こそ「紅に言われたくない!」と暴れた蒼だったが、紅の手が遠慮がちに何度も背を撫でるうち、徐々に大人しくなっていった。


「――しんぱい、した」


 蒼はついには涙声で一言を絞り出した。それは、本当につぶれた喉から絞り出すような音。

 いつも紅をからかって強がるくせに、実はすごく甘えたな妹。その蒼が、滅多にない兄の強引な触れ方に骨が折れるくらい抱きしめ返さない。愛情には愛情を返す、蒼がだ。

 ただ控えめに腰元を掴んだできた仕草に、紅の胸は悲鳴をあげるほどに痛んだ。


「うん、ごめん」


 紅の謝罪に、蒼はぶんぶんを大きく頭を振る。


「ちがくて。いきててくれて、よかったって、言いたかったのに」


 日ごろは我が道を行くのが、紅の妹の蒼だ。けれど、本当は人一倍、相手の心を大事にするのが蒼であり心葉堂の茶師というのは、もっと知っている。

 その蒼が、自分の気持ちを先に口にした。それほどまでに心配をかけたと腕の力を強めると同時、ほんの少しだけ嬉しくも思ってしまった。紅は。


「オレがだめな時は、いつも蒼が迎えに来てくれるよな。ほんと世界一頼りになる妹だよ」


 そっと頭を撫でると、蒼は音を立てて顔をあげた。

 紅は眼前で涙を堪えて震える蒼に、ぷはっと噴き出してしまう。泣き出す寸前なのに、自分とお揃いの牡丹色の瞳が自慢げに『そう思ってるなら、ここでは許しておいてあげる』と言っているように見えたから。


(まったく、弱いんだか、強いんだか。いや、弱い時でもオレを強くしてくれるのが蒼だな)


 紅はそんな蒼の頬を撫でる。指にぴりっとした電気が走った。明らかにアゥマの気配を感じたが、拒絶のような感覚に驚いてしまう。人を受け入れないアゥマだと直感的に思った。

 蒼はそんな中を進んできた。


 自分が望まれない関係から生まれた存在だと知った時、ずっと傍にいる妹だと思っていた蒼が遠くに修行に行ってしまった時。

 それに……両親が亡くなった後。


 いつだって、紅はこの弱くて強い妹がいたから前に進めて来られた。紅にとって、蒼は守る存在であると同時に、一歩進ませてくれる存在だ。時には手を引き、時には強引に背を押す。


(今になって、ようやくわかったよ。オレは実父のように歪んだ想いで大事な人を手に入れたりするもんか。萌黄さんを理解しても――自分が歪んでいるなんて思わない。このあったかい気持ちがある限り、絶対にオレは道を踏み外さないでいられる)


 紅は蒼の両頬を包み、額を合わせる。思いの外、大きな音を立てた額はひりっと痛んだ。

 しっかりと目を開いた先にいるのは、相変わらず涙目で必死に口を結んでいる蒼だった。大きな牡丹色の瞳。自分とお揃いの色。


「紅よ。再会に喜んでいるところすまぬが、ひとまず戻ってこい」


 どこまでも蒼に浸ってしまいそうな紅を補助したのは、麒淵だった。


「麒淵。来てくれてありがとう。ただ、全部終わった後、蒼に無茶をさせた言い訳は聞かせてもらうからな? あと、その体の大きさのことも」


 紅は蒼の頭を撫でながら麒淵に向き直った。紅は笑みを浮かべたはずなのに、麒淵は怯えて顔を引きつらせてしまった。

 目を擦る蒼も、その蒼を撫でる紅も。どちらも、当然だと思った。生まれてからずっと小人サイズだった麒淵が、成人男性の姿をしているのだから。


「うっうむ。ただ、なんとまぁ」


 麒淵が気まずそうに首筋をかく。

 紅からしたら。てっきり、蒼に無茶をさせたことを反省していると思ったのだが。


「あぁ、なんと。紅まで白のような笑みを浮かべるようになってしまったとは」

「……オレは否定したくないところだけれど、麒淵にはご愁傷様というしかないかも」


 紅は照れくさそうに笑った。紅の尊敬する人に似ていると言われて悪い気はしない。

 紅が肩を竦め、蒼が目尻を拭ったところで洞窟中に奇声が鳴り響いた。三人して風を切る勢いで離れた場所にいる萌黄を振り返る。


「あぁぁっぁぁ!!」


 萌黄は岩肌に両膝をついたまま頭を抱えて仰け反っている。口の端からは泡を吹き、瞳孔を開いているように見える。ストールだけが穏やかな調子でふわりと地面に落ちた。まるで背中から羽が剥がれ落ちるようだと、蒼も紅も思った。


「あぁぁぁ、わたくしは――わたくしは萌黄! そう、萌黄として生まれ変わった! あの人の妻で、あの人の娘で! なのに、どうして、紅さんを恋しく思っているの? 違う、紅さんじゃない、貴方は――」


 一部状況を理解している紅さえも、あまりの様子に唾を飲み込んでいた。

 だが、何も知らないはずの蒼はしっかりと紅の前に立ち塞がった。おそらく『紅』という単語に反応したのだろう。


(とっても、意味不明な状況だけど。萌黄さんの中に紅がいて、それが萌黄さんをおかしくしている一因なら、紅が標的になる可能性は大きい。なら、守らないと)


 大きく腕を広げた蒼をおさえ、紅は前に出ようとする。けれど、蒼は蒼で決して立ち位置を譲ろうとしない。

 地味な攻防を繰り広げる兄妹に優しい苦笑を向け、麒淵は萌黄の前に膝を折った。麒淵は自分を見ようとしない萌黄にそっと掌を翳す。


「大丈夫。我はおぬしの魂をあるべき所にかえしたいのだ」

「麒淵?」


 含まれる色は違っても、紅と蒼は同時に問いかけていた。

 麒淵は反応を返さない萌黄に構わず、彼女に掌を翳した。あたたかい光を伴い、魔道陣が現れた。紅も蒼も見たことがない文字が形作る魔道陣。薄氷河色の魔道陣が萌黄の胸の前で何層も重なっていく。


「もう萌黄の振りはやめような? おぬしとて、もう限界だとわかっているのだろう。完全なる乗り移りならともかく、綻びを見せた姿はもはやだれも喜ばせられぬ」


 麒淵の問いかけに、萌黄の咆哮ほうこうがぴたりと止まった。


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