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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第80話 覚悟1-麒淵の本来の姿-

 言うまでも無く、心葉堂の溜まりは蒼にとってこの上なく居心地の良い場所だ。

 ただし、いつもならと付け加えられるだろう。

 蒼の全身の筋肉は硬くなり、しっかりと開いた足は小刻みに震えている。目の前には凪の溜まりがある。透明度を増した妖しい青を纏った水が、時折囁くように鳴っている。


(私、今からあの奥に沈むんだ)


 そう。蒼の緊張の理由を正確に表現するならば、心葉堂の溜まりではない。さらに深い部分。かつて幼い頃に引き込まれた以来の場所だ。そして、常人ならば一生縁がない上に、どんな優れたアゥマ使いでも溜まりに飛び込むなど命に関わる行為だ。

 強すぎる浄化の力は人の精神を侵しかねない。


「なんじゃ蒼。ここに来て怯んだんかいな」


 蒼が血の気の内顔をあげると、麒淵がにんまりと笑っていた。どうやら溜まりの上に浮いて行っていた調整とやらが終わったらしい。

 からかうような麒淵の口調に、蒼の頬がぷくりと膨れる。が、血色の良さの欠片もない両頬は、すぐにしぼんでしまった。


「違うもん。気合を入れようと思って、拳に力を入れたところだもん」


 幼い頃から自分を知っている相手には全く無意味な虚勢とは承知している。それでも、蒼は麒淵に強がって見せたくて右腕を振り上げた。

 それでも止まってくれない震えは腕を振り回すことで誤魔化す。当然、麒淵を誤魔化せるはずはない行動だ。


「ほぅ。子鹿のように足が震えておるので、てっきり紺樹のやつが帰って心細うのかと思うたぞ? ついさっきまで、子どものように紺樹に甘えておったでのう。紺樹が帰るとなったら袖なんぞ掴んで。あぁ、あれは無意識じゃったか」


 わざとらしく顎に手をあてた麒淵がふよふよと近づいてくる。距離にあわせて蒼の頬がじわじわと赤みを灯していった。


「紺樹もまんざらではなく、額の魔道陣に唇なんど寄せ――」

「麒淵のすけべ!!」


 鼻先が触れた瞬間、蒼は真っ赤な薔薇ばらが咲いていると見間違う程に色づいた。

 麒淵はその様子に内心ほぅっと安堵の息を吐く。ただ、当の本人は溜まり中に響き渡る叫びをあげたではないか。


「もっと違う! 麒淵の意地悪! 今から無茶しようっていう相棒に優しくない!」


 それでも……仁王立ちになって目を据わらせている蒼に、麒淵はくつくつと喉を震わせるだけ。鼓舞して欲しいとは思っても、気遣って欲しいなんて微塵にも考えていない癖にと。

 麒淵の笑いの奥を読んだのかは不明だが、蒼は「もうっ!」とそっぽを向いて腕を組む。見慣れない長い袖と裾の上着が勢いよく舞った。勇ましく地面を踏んだ足は、武術訓練用の短裤たんぱんを身につけている。


「優しいわしが衣服にも保護魔術をかけ、なおかつ極力肌を覆う服装をすすめてやったのにのう。寂しいことじゃ」


 短裤とは言っても、肌が晒されているわけではない。ふっくらと、しかし程よく引き締まった形の良い足は分厚い緊身衣たいつに守られており、くるぶしまでの靴子ぶーつを履いている。

 その片足を一歩引き、蒼は唇を尖らせる。


「泣く振りしたって騙されないんだからねっ」


 焦りつつ、蒼は腰に手を当てて厳しい顔を作ってみせる。

 いつもはウサギの耳のようなお団子から長い束を流しているが、今日は頭頂部から少し低いところでひとつに纏められている。そのせいで多少大人っぽくなっているはずなのだが……。

 麒淵は、外見が少しばかり変わっても蒼は蒼なのだと苦笑を浮かべた。


「さて、冗談はここまでにするとしよう」


 背を伸ばした麒淵に、蒼も渋々と頷き返した。蒼も、日常ならとことん麒淵を問い詰めるところが、状況が状況だ。すぅっと深呼吸をして瞼を閉じる。


(麒淵てば、私の落ち着かせようとしてくれたんだよね。情けないけど、これが私の等身大の現実だ)


 前なら情けなさと自尊心からただ落ち込むだけだった。

 でも、蒼は不思議と今は現実を受け止めている。それはきっと、この後に待ち受けているもっと重い事実を本能的に感じているからかもしれない。


(進まなきゃ)


 どちらともなく深呼吸をして、溜まりの中央に足を向ける。岩肌を靴が鳴らす音と溜まりが跳ねる音、それに二人の息が空間を揺らしている。

 落ち着きを取り戻したせいか、蒼は急速に焦りを感じ始めていた。冷たさしか無かった手には、汗が滲んでくる。


(こうしている間も、紅がどんな目にあっているかわからない)


 自分が優しさに励まされている間も、紅は華憐堂でどんな不本意な目に遭わされているのか。想像するだけで蒼は胃がひっくり返りそうになる。

 とはいえ、安否がわからず泣いていたことを思えば、幾分か冷静に状況を案じる理性は取り戻したのだとも思える傾向だ。改めて蒼は人知れず頬を染めた。情けなかったと羞恥の色で。


「しかし……蒼、本当によいのか? 紺樹のやつからもらった課題に答えはでたのか?」


 溜まりの中央に伸びた道が半ばに差し掛かった頃、蒼の前を行く麒淵が振り返らずに語り掛けてきた。ささやくような音量だが、岩肌ではよく響く。

 蒼はしばらく考えた後、満面の笑みを浮かべた。


「たぶんね!」


 あまりにも清々しい声と曖昧な返事に、麒淵は地面に落ちていた。

 よろよろと起き上がったかと思うと、高速で蒼の肩に裏手を決めた。


「たぶんかい!」

「あっ、たぶんていうのは後者ね。前者の、溜まりを経由して華憐堂に乗り込むっていうのは覚悟ばっちりだから。紺君に言われた、自分の気持ちを優先しているとかっていうのは道々考えてみるよ」


 人差し指と親指をくっつけて丸を作った蒼。

 蒼の回答は、どちらにしても麒淵を渋い顔にさせるには十分だったらしい。麒淵は小さな体を何度かあぐらを掻いたまま回転させた。両手で数えるくらい回った後、麒淵は肺を絞るような長い溜息を落とした。

 蒼は申し訳ないと思いながらも、もじもじとするしかない。


「こればっかりはさ、すぐには納得できる答えは出せないと思うんだ。でもね、たぶんだけど、直感だけでしかないけどね。この道を行けば、ちょっとだけ答えのかけらを掴める気はしたの」

「そうか」


 麒淵はそれ以上、この話題には触れはしなかった。その代わり、ぽんと蒼の頭をひと撫でして溜まりの中央へと飛んでいった。

 蒼は撫でられたところに自分の手を乗せてみる。幼い頃から数え切れない程もらった重さに、自然と笑みが広がっていく。何度も何度も、言葉ではなく勇気をくれた弾み。


「さて。蒼はそこで止まっておれ」


 溜まりの中央にのびた道の終着点。小さな島のような場所にはひときわ立派な玉簪たまかんざしがささっている。初代が身に着けていたという簪だ。彼女は蒼と同じ年の頃に初代心葉堂の茶師となったという。かなりのアゥマ使いであり立派な茶師だったと聞き及ぶ。

 麒淵の最初の相棒らしい彼女は、とにかく浄化の力が優れていたらしい。そんな彼女が常日頃から身に着けていた簪は魔道具級となり、ずっと心葉堂の溜まりを守っている。


「まさか、また封印を解いた姿になるとは思わなんだ」


 麒淵は珍しく地に足をつけ、簪に問いかけた。幼子の掌ほどもある玉が、美しい光を放つ。

 麒淵は玉に顔を寄せ、静かに口づける。そうして、蒼には理解できない言葉を紡ぎだした。一度大きな風がおきて高い高い天井にすべてを舞いあげた。

 蒼はなんとか踏ん張って両腕で顔をかばう。その向こうに見えたのは光の帯に包まれていく麒淵だった。


「麒淵っ!」


 蒼が名を呼んでも、麒淵は古語を謡い続ける。初めて聞いた麒淵の祈りのような声に自然と蒼の頬を温かいものが伝った。

 苦しいような、優しいような、それでいてどこか懐かしい歌だと蒼は思った。昔、聞いたことがあるような……。


(もしかしたら、小さい時寝ぼけ眼にきいたのかな)


 穏やかなになりつつある風に、蒼は両腕を下す。そっと瞼を閉じると、瞼の裏に遠い記憶、いや音が流れてきた。


(そうだ。一度だけ、麒淵が口ずさんでいるのを聞いたことがある。私が修行に出る前、溜まりで一晩過ごした時に)


 一度だけ、しかも寝ぼけながら聞いただけにも関わらず、蒼の唇は歌を紡いでいた。なぜか知っている気がした。最初は麒淵からワンテンポ遅れて、次第に重なるように。


*******************


 最後の旋律が途絶えるころ、蒼は放心状態になっていた。


「蒼、しっかりせい。今から危険な場所に赴くとは思えぬ顔つきじゃな」


 ぼうっとしていた蒼は目をこすりながら、はたと手を止める。


(うん? 今の麒淵だよね。っていうか、ここには麒淵と私しかいないはずだし。でも、声が低い上に、なっなんか前に立っている気配が――)


 変な汗が額から落ちる。頭上から降ってくる声は白龍よりも低く、紅よりは高い。おまけに地面についている足は、成人男性のものらしい大きさだ。

 蒼が首を垂れたままでいると、後頭部を軽くたたかれた。その調子りずむに蒼は余計に混乱してしまう。それは幼いころからずっとされてきている、麒淵独特の感触だから。


「おい、蒼。聞こえとるのか」

「声の高さが違うとか、そもそも大きさが違くない? っていうところの説明をしてもらえたら、私の耳はもっとちゃんと麒淵? の声を聞くのに真面目になると思うんだよね」

「その疑問符はなんじゃ」


 ははっと豪快な笑い声が溜まり中に響き渡った。快活な音に、魔道の光も踊る。先ほどまでは張り付けていた空気も柔らかいものに変わっていく。

 そこで蒼はようやく顔をあげることができた。恐る恐るといった調子で、しかもゆっくりとあげた瞼の奥にはきな臭いものを見るような目があるが。


「大きな目がさらに開かれて零れ落ちそうじゃな」


 蒼の目の前にいたのは、高身長の男性だった。三十半ばから四十手前に見える男性は、いつもの麒淵と同じ、青緑よりもくすんだ色の瞳を向けてくる。

 瞳と同じ色の髪は束ねられていない。腰下の長さのソレをふわりと踊らせている。


「そうか。蒼はこの姿のわしを見るのは初めてじゃったかのう」

「初めてっていうか、大きくなれるなんて初耳だよ! もしかして知らなかったの私だけ!?」

「まぁ、そういうことになるんじゃろうな」


 麒淵が頬を掻いた直後、勢いよく蒼の両手がぶつかってきた。

 たいして痛くはなかったし、梅干を食べたような顔で両腕を何度も降る蒼は可愛い。が、あまりの迫力に、麒淵は一歩後ろに下がってしまった。なんというか、遠慮なしに責めている。


「現相棒の私だけ知らないってどういうこと!!」


 逃げた麒淵を蒼は逃さない。下がった歩幅の分だけずいっと体を寄せる。ついでに見事なまでに膨れ上がった顔も近づけられた。

 しばらくむくれる蒼とにらめっこが続いたが、やがて蒼は肩を落として小さく口を動かす。


「麒淵、私のこと全然認めてくれてないんじゃないの? だから、そういう姿、見せてくれなかったんじゃないの?」


 それに動揺したのは麒淵の方だった。人間の等身でいると感情も近くなる。大きな力を封じる意味以上に麒淵が小人ひとならずの姿でいる理由はここだ。

 吹き上げてくる汗に麒淵は大きくなった体を持てあます。


(なっなんじゃ! 久しぶりに人と同じ大きさになったせいか、逆にどう蒼を慰めてよいかわからなくなっておる)


 眼下にいるのは、長い上着を握りしめて唇を噛む蒼。今にも泣きだしそうなのに、そっぽを向いてソレを堪えている。

 麒淵は大きくなった体を持てあまし、結局自分の首筋を撫でることしかできなかった。


「いや、紅には酔って話はしたが実際にこの姿を見せたことはない。強いて言えば、蒼の父である橙にもだ。それにな、この姿になると力が自然と大きくなるのだよ。小さな姿でいるのは、力を蓄えている意味もあって」


 気が付けば麒淵は蒼を抱きしめていた。

 腕に閉じ込めて、はっとする。抱いた娘の大きさと温度が、あまりにも似ていたから。遠い遠い、遥か昔の記憶のかけらと。無我夢中で抱きしめたあの子と。

 感傷に浸りかけた時、ぐいっと蒼の顔を大きくのけ反った。


「麒淵、いつもと口調が違う」


 蒼は時々突拍子もない発言をする。今だって麒淵は蒼を慰めるために必死なのに。

 けれど、彼女の発言はいつだって麒淵の真ん中をついてくる。じっと射抜いてくる牡丹色の視線にからかいの色はない。


「うっうっさいわい! 蒼が泣きそうになるのが悪いんじゃ!」


 麒淵の苦しすぎる言い訳に、蒼はぷっと噴き出した。そのまま、両手で口を押えて笑い続ける。終いには腹を抱えて苦しそうに息を吐く。

 麒淵はなんだか自分が情けなくなって、ため息を落とすしかなかった。


(この姿サイズになると、どうにも調子が狂う)


 ゆるく蒼の体に回していた腕をほどこうとした瞬間、ぎゅっと胸元に沈んできたぬくもり。驚いて後ろに引こうとしても、背中を掴まれ麒淵は完全に固まってしまった。

 ぐりぐりと額を押し当てられた胸はなんともいえない感情を呼び起こす。


「そうだよね、ごめん」


 ありもしない心臓が跳ねたような気持になった。体が内側から跳ねるような気持ち悪い感覚。麒淵は知っている。感情これがなんなのか。

 蒼はやはり似ていると思う。初代に。ただ違うのは――。


「よしっ! へたれ蒼でごめん! 麒淵が今、その滅多に見せない姿になってくれたのは、必要に迫られてだよね。なのに拗ねてるなんて、それこそ相棒のなおれだ!」


 がばりと音を立てて離れた蒼は、思いっきり自分の両頬を叩いたのだ。その音は溜まり中に鳴き渡ったくらいだから、相当なものだったのだろう。実際、蒼の両頬は真っ赤に染まっている。ひりひりなどという音が漂いそうなほどだ。

 蒼の周りの魔道はわたわたと四方八方に跳ねて動揺しているのが、麒淵にはわかった。


「でも、全部終わったらちゃんと拗ねさせてもらうから、覚悟はしておいてよね!」

「うむ。楽しみにしておるよ。蒼がわしのために心を揺らすのを」


 麒淵は自分らしくないとは思いながら、くすぐったそうに笑っていた。


(なんと優しくてくすぐったくて、腹立たしい感情なのだろう)


 案の定、蒼は苦いお茶を飲んだ時のように口を歪ませた。

 麒淵はこの目をよく知っている。修行から帰った蒼がよく紺樹に向けているものだ。


「麒淵、紺君みたいにすけこまし。麒淵だけは信じていたのに」

「……心外だのう」


 肩を落として呟いた麒淵を、蒼は大きく笑った。



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