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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 それぞれの想い―
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第75話 紺樹6-蒼と紺樹-

 それまでは紺樹が始終不機嫌そうにしかめっ面をしていたからだろう。突然、屈託なく笑い出したことに驚いたのか、蒼は大きな目をぱちくりと瞬かせた。

 そんな蒼に紺樹の笑いはさらに深くなる。震える手から茶を零さないように必死になる。妙な部分に頑張っている自分に、また、妙な笑いが込み上げてきた。


「なんだ、おちび。俺が笑っているのが奇妙か?」


 あまりに遠慮無く見上げてくる蒼に、紺樹は意地悪い様子で口の端をあげた。

 怯えると思った蒼は口元をむずむずと波打ちだした。そうして、紺樹の腰元を掴んできた。遠慮無く引っ張られても悪い気はしない。


「ううん。なんかさ、へへっ、うへへ」


 蒼はにっかりと笑った後、落ち着き内様子で手足をばたつかせた。

 小さな手が服から離れたことに、紺樹はえも言われぬ感情を抱く。ただ、その正体を直視はしたくないと思った。


「もぉー、なんかむずむずしてやだなぁー」


 柔らかそうな頬をむにむにと持ち上げていた蒼だが、嫌だと口にしてすぐ、はっとして真顔になってしまった。そうして、大人顔負けに腕を組みながらうなり始めた。


「あの、白龍師傅はくろんしはく。俺はついに愛想を尽かされましたかね」

「ほぅ。おぬし、蒼に愛想尽かされたくないか」


 思わぬ問い返しを数秒ほど頭の中で繰り返した後、紺樹は耳まで染まった。動けなくて、ただ体温が上がって目が潤んでいく。自分がとんでもなく恥ずかしいことを口にした気がして、逃げ出したくなる。


(だって、あり得ないだろ!)


 会ったばかりの幼子に少しばかり優しくされたからといってほだされるほど、紺樹は純粋でも初心でもない。可能性があるとしたら、人の嫌みや闇など知らない純真さにあてられただけだ。

 

「違います。白龍師傅のお孫さんだから無下にはできないと思っただけで」


 なのに、しどろもどろな言い訳しか出てこない。普段の紺樹なら、ヘタをすれば目上の人に悪印象を抱かれるような発言はしない。けれど、今はしまったと舌を打つよりも羞恥が増しただけだった。

 横目に蒼を映すと……蒼はふんわりと、はにかんだ。まるでタンポポのような愛らしさと素朴さ、そうして傍らにあればいいのにと願う笑みだった。


「こじゅおにいちゃんの笑顔はくすぐったいね。あったかいけどつんつんしてて、でもここがうへへってなるの」


 蒼は胸元を押さえる。いつの間にか雨具を脱いでいる藤色の上着に小さな手を添え。

 その純粋な笑顔が――怖いと思った。

 自分とは住む世界が違う愛に包まれて育ってきたような存在が。前ならいっそ物知らずと冷めた目を向けられた。なのに、今はただただ恐怖がわき上がってくる。


「じゃあ、いただくよ」


 紺樹は沸き上がる感情を無視して茶杯に鼻先を近づける。

 甘い香りがした。鼻を離すと色とりどりの花や実が入っているのがわかった。恐らく生薬だろう。食や茶に興味が薄い紺樹にもわかる。ここ数ヶ月、日に日に憔悴していく紺樹を気遣って、屋敷の者が用意してくれていたから。


(けれど、正直俺にはわからない。毒への耐性もつけているせいだろうか。薬と毒の区別などつかない)


 鮮やかな茶を前に紺樹の瞳は曇っていく。目の前の茶に彩りがあるほど紺樹の心は濁る。

 すんと鼻を鳴らすと、やはり甘い香りがした。冷たい空気のせいもあってか、より濃いと思えた。


(クコの実、菊花、ナツメ、リュウガン、クルミ)


 閉じた瞼の裏に五種類の実が映し出された。

 基盤は黒豆茶だろう。いわゆる八宝茶だ。疲労感や眼精疲労に効くと耳にしている。

 はたして自分に効果があるだろうかと紺樹は睫を伏せる。そんな紺樹に白龍が笑いかけてきた。


「瓶が蒼のお手製というたが、これもそうじゃよ。心葉堂に戻り、即座に蒼がおぬしを思って調合した。まぁ、ちょっとばかりじじいが手伝ったが。さて、これを天性と称するか、蒼の性格ゆえにと思うかはお主に任せる」

「……貴方はずるい」

 

 祖父を全面に出された言い方されたら、後者だと思うしかないじゃないか。

 紺樹は茶杯を持つのとは反対の手で、己の膝をきつく握った。

 典型的な調合だと突っぱねられなかった。紺樹はただ目の前の茶を飲みたいと思ったのは間違いない事実だから。


「いただきます」


 口をつける。まず、茶杯が唇にすっと馴染んだ。この雨の中なのに冷たいと感じなかったのだ。状況によって杯の温度を調整するのも茶師の腕だという。趣を重視する場面なら冷えた杯と熱い茶の差を楽しむのも風流だ。

 けれど、そうではなくあくまでも紺樹を気遣うような加減に目元がひくつく。


(嫌だ。あぁ、なんて嫌なんだ。見透かすな)


 乾いた喉に流し込んだ茶は熱くて、でも不思議と舌や口内が焼かれることはなかった。

 一気に飲み干した割に、茶は紺樹の口内に熱を広げた後はすんなりと喉を流れ込んでいった。冷えた歯には少々刺激的だったが。


(味は可もなく不可もなし)


 茶が喉から流れ込み、食道を落ちていくのを感じる。ただ体内の消化器官へ向かっているだけなのに……どうしてか、皮膚の内側までぬくもりが広がっていった。


(なんだよ、これ。気持ち悪い!)


 まるでぬくもりが末端まで走って行っているようだ。熱と呼ぶほど熱くはない。撫でるようで眠気を誘う、まどろみに近い。

 うとりと体が船をこぐ。

 熱い茶を飲み、息をはくのも癒やされるのもわかる。けど、これはなんだ。


「しそ茶の方がよかったかな?」


 紺樹が目を擦る横で、蒼は体が倒れそうなくらい腕を組み考え込んでいた。紺樹とは反対側に。爪先で押せば簡単に椅子から転げ落ちそうだ。

 紺樹の胸には色んな感情が込み上げていた。気持ち悪さと、心地よさと、苦しさ。それと、理性。


「いや、うまいよ」


 紺樹は柔らかく微笑んだ。自分でもびっくりするくらい。

 だって、ここから早く去りたかったのだ。幼子が望む言葉を言えば蒼は照れくさそうに笑うと思って、苦みの強い味の感想を述べた。礼でも述べてさっさとどこかに行きたい。


「えっ? えぇ? えー?」


 だから、今度こそ本当に思考回路が固まった。

 目の前の蒼はひどく驚いている。そうして、再び腕を組んで唸り始めた。加えると、梅干しでも食べたかのようにしょっぱい顔をしている。

 

「おかしいなぁ。おじい、あおってば浄練失敗しちゃったのかも」

「そうか。蒼が相手に魔道で触れられる状態の浄練に『失敗』するなんぞ、おじいは初めてみた」

「あおは、だめだめだぁ。またきえんにぼうそうするなーっておこられちゃうよ! 今日はちゃんと、こじゅおにいちゃんのアゥマと仲良くふにふにできた気がしたのにぃ」


 誰か――恐らく麒淵きえんという人物の口まねなのだろう。蒼は「たはー!」っと両手で額を叩いて東屋を取り囲む柵にもたれこんだ。


(少なからず思っていたが、おちびはとても愛らしい外見と反して、随分と、なんというか親父くさいところがある)


 紺樹はなんと反応していいのか戸惑うしかない。初めて目の当たりにする子供タイプでもあるが、なにより繕いが通じない。

 逆に弐の溜まりの令嬢がこんな性格で大丈夫なのだろうかと心配する程だ。


「そこが蒼の魅力じゃよ」


 幼子をじっと見つめていた紺樹の肩を、白龍が激しく叩いた。

 穏やかな口調とは反して、遠慮のない叩き方に紺樹はむせてしまう。


「――っ、えぇ、はい」


 人の心を読まないで欲しいと肩をすぼめるのと同時に、蒼はきっと普段から紺樹と同じようなことを言われることが多いのだろうとわかった。

 残念な子を見るような視線を孫に向けたにも関わらず、白龍は機嫌を損ねるどころか上機嫌な様子で紺樹を見る。


「蒼よ。あるいは、紺樹に蒼の思いが伝わっていないかじゃが」

「ひぇっ!」


 なんだこれ。

 今度こそ笑いを堪えきれず、紺樹は全身を震わせて口を覆う。震えすぎて右手の茶杯から茶が零れそうだ。

 当の蒼は至極真剣だ。本当に飛び上がって両頬を押さえて絶望の表情で紺樹の手元を見ている。


「おじいどうしよう!」


 が、数秒後には真っ青になった蒼にさすがに紺樹も笑っていられなくなった。

 けれど、紺樹は子どもを慰める術など知らない。

 そんな紺樹の心など知らず、紺樹の膝に倒れ込んで反対側にいる祖父と話し始めた蒼。白龍は紺樹が困っていると諫めながらも悪戯な表情を浮かべている。


(若干冷えているとはいえ、幼子の高い体温が遠慮なしにうつってきて居心地がわる――って、あれ?)


 茶を飲み干して、紺樹はふと疑問に思った。

 自分の空いた手を握ったあと、何を思ったのか、白龍に向けて伸びている蒼の手を握っていた。紅葉みたいな手は当然とても柔らかかった。普段触れることのない感触だ。

 小さいのに、どうしてかひどく安心できた。込み上げてきた感情に紺樹は苦みを覚える。


(小さくて弱い者を守りたいという保護欲は、人間の本能だ。っていうか、俺にもそんな感情があったなんて驚きだ)


 蒼という個に対して情がわいている訳ではない。

 紺樹は言い訳がましく苦笑を浮かべる。紺樹が手を話しかけたその時、指先をきゅっと握られた。

 本当に指先だけだった。なんなら紺樹が少し動けば抜けてしまう位の。なのに……その弱い力と反する強い眼差しに紺樹は動けなくなった。じぃっと見上げてくる蒼に紺樹は舌打ちを返す。


「よかった」


 なのに、蒼はへらりと笑った。泣き出すかべそをかくと思ったのに。

 はっとなり、紺樹は焦って白龍を見る。が、彼もどういうわけか微笑んでいるじゃないか。

 訳がわからない。苛々と無性に腹がたって、紺樹は吐き捨てるように声を絞り出していた。


「なにが、よかったんだよ。気持ち悪く笑うなよ。うまいって言われて満足しただろ? もう帰れよ」

「まだだめ。はい、おかわりです」

「はっ?」


 ぴょんと椅子を飛び降りた蒼は、白龍に手渡された茶壺を傾けてくる。あまりに自然な動きに、紺樹も反射的に杯を伸ばしていた。

 怪訝に眉をひそめる紺樹の横に、蒼は座り直す。


「はい、飲んで」

「おっおう」


 蒼の真剣な眼差しに気圧され、紺樹はぐいっと茶をあおった。

 喉はとても熱かったが、やっぱりじわりと体の中があったくなる。そうして、また嫌だと思った。

 蒼は顎に手をあてて、紺樹を色んな角度から見てくる。


「だから、うまいってば」

「そんなわけないの。だってさ、あおは浄練が好きだけど、まだおいしくは淹れられないもん。こじゅおにいちゃんはお茶が好きだなぁって、飲むところみてわかったから。あおのおちゃがおいしいー! って思うわけ無いのさ」

「はっ?」


 さっきから自分は間抜けな声した出していない。紺樹は一生分の抜けた声を出している気がしてうんざりとした。自分に。

 というか、目の前の幼子は一体なにがしたいのかと内心で頭を抱える。思いっきり息を吐くと、目の前に真っ白な塊が生まれた。


(うん? 白い、息?)


 そう言えばと、紺樹は己の頬に手を当てる。手が熱いせいか、あまり体温を感じない。ということは、つまり――。

 押し黙った紺樹にかわって白龍が大きく笑った。大きな手が蒼ではなく紺樹の頭を撫でてきた。


「蒼、どうやら紺樹はとんでもなく賢いが、驚く位にぶいらしいぞ。率直に聞いてみろ」

「にぶいとかわかんないよ。だって、あおはこじゅおにいちゃんにあったかくなって欲しかっただけだよ? おにいちゃんの心も体もさむいさむいって言ってたから、アゥマにどうしたらこじゅおにいちゃんが一番ふわぁってなれるか聞いただけだもん」


 がつんと頭を殴られた気がした。

 ひとつは、蒼の行動をうがっていたこと。どうせ短絡的に自分が大好きな両親をまねたいとか、茶葉店を自慢に思って紺樹に茶を飲ませるという行為に満足しているのだろうと。だから一言上手いと告げれば満足すると思っていた。


「そうじゃったかのう」

「もう! だから、おじいにもきえんにも聞いたんじゃない。あおじゃまだ体をあっためるお茶と添え物はわかんないもん。浄練は一生懸命おしえてーっていえばアゥマが応えてくれるけど」


 もうひとつは、自分の感覚だ。紺樹は気づいてしまった。散々気持ち悪いと思って拒絶していた感覚が、実は自分が求めていたものだと。

理屈を重んじる紺樹だからこそ、アゥマを読まれて現実を見せられた。だってそうだろう。本能を突きつけられたら反論のしようがない。だからこそ認めたくなかった。


「いやな、蒼。どっちかと言わなくとも、浄練の方が難しいじゃが」

「あおだってしってるよう! でも。うー、いいの! 今日はこじゅおにいちゃんがもうぽかぽかなら!」


 紺樹は込み上げてくる笑いを堪えるのに必死だった。

 だってそうだろう。この六・七歳ほどの幼子は自分をあたためたいがためだけに、橋向こうの心葉堂に戻り、とっておきの茶瓶と道具を腹に抱え、土砂降りの中、その道を往復したのだ。背と腹に荷物を背負い。

 白龍が途中で抱えるのをやめたと言っていたが、間違いなく孫を試してのことだろう。白龍の発言や行動の端々に、彼が孫に対しても癖があるのはわかる。


「いや。あったかくなるだけなら、あそこの豚まんでもよかった。白龍師傅は教えてくれなかったのか?」


 だから、紺樹も意地悪く蒼を困らせたくなった。自分に色んな感情を見せて欲しいと思った。

 変な安心感があったのかもしれない。自分の隣にいる少女が表面上の言葉で紺樹を嫌わないという。

 いや、むしろ願望に近かった。そんな存在がいるなら、紺樹は一歩進める気がした。


「おじいは関係ないよ。あおはこじゅおにいちゃんのアゥマが、お茶がいいって騒いでいたから――うぅ、でも、そうなのかな。えぇ? こじゅおにいちゃんのアゥマがお茶がいいって言ってた気がしたのに。なら、とんちんかんあおだったなぁ。こじゅおにいちゃんがいちばんはやくあったくなれたらよかったのに」


 紺樹の底意地悪い発言にも、蒼は真剣に腕を組んで悩み始めた。

 紺樹は馬鹿みたいにぽかんと口を開ける。けれど、どうしてか納得していた。そうして、ようやく納得している自分を受け入れられた。

 あのぬくもりを拒絶していた理由も少しだけ理解する。まだ全部を受け止められるほど紺樹は大人ではないし、強くはないけれど。


「あったかくなったよ。もう、すごく熱い」


 紺樹は笑っていた。もしかしたら、初めてかもしれなかった。こんなにも穏やかな気持ちで笑ったのは。なのに、幼子は紺樹のわずかな嘘を見抜くように紺樹の頬をつねってきた。

 蒼の据わった目も冷えた指先にも、紺樹は口元が緩むのがわかった。可愛くないのに可愛いと思った。


「まだ、ぽかぽかじゃない。あおのお茶じゃまだだめだめだぁ」

「じゃあ、うちに呼べば良いじゃないか。母さんが今日はおやつ代わりに、昼過ぎなのに宴会するってはりきってる。風呂もわいているよ」


 むくれた蒼をなだめるように、突如現れた少年。

 反射的に紺樹は立ち上がっていた。

 紺樹が全力の警戒心を纏っているにも関わらず、階段下で傘をさしている少年は動じることはなかった。傘を後ろに倒した少年。真紅の長い前髪から覗くのは、蒼と同じ牡丹色の瞳だった。


「おにいちゃん!」


 少年に気がつくと蒼は椅子から飛び降りていた。雨具を纏っていないにも関わらず、軒下に駆けていく。

 少年は苦笑しながらも傘をたたんだ。


「まったく。おじいと蒼の組み合わせは安心できない。客人をうちに呼ぶのにあと一刻はかかるような空気だよ」

「へへっ。でもくれないおにいちゃんがついてきてくれるって、あおわかってたから大丈夫だもん」


 蒼は裾子スカートを翻し、紅という少年に飛びついた。首に腕を回しぶら下がる蒼。祖父に甘えるよりも遠慮が無い。本当にあの少年が大好きなのだろう。表情が見えなくとも声だけで幸せな笑みを浮かべているのがわかる。

 一方、少年もしょうがないという呆れ顔をしているが、蒼を見る目はどこまでも優しい。


「あのね! くれないにいちゃんは、ほんとうはこうきょうっていうの。でもむずかしくて噛んじゃうの。だから、キレイな髪とおなじくれないってよんでるの!」


 蒼と紺樹の真ん中ほどの年齢だろう。蒼は少年に絡みついたまま、一生懸命に紺樹を見上げてきた。踊る手足が可愛い。

 紺樹も見覚えがある真紅の髪をもつ少年は東屋にあがってきた。


(彼は心葉堂の長男の紅暁こうきょうだ。学院でも評判だ。弐の溜まりの跡継ぎであるのに偉ぶらず、年不相応な落ち着きを持っているとか。平等過ぎて冷たいとさえ言われている)


 紺樹は噂など当てにならないと思った。

 確かに目の前の紅も大人びている。

 けれど、蒼に対してどこまでも甘い視線と仕草でいたり、紺樹を前に緊張しているのがわかる。蒼には兄でいるのに、ちょっとでも紺樹と目があうと緊張した面持ちで背を伸ばす。


(弐の溜まりの白龍師傅の孫であるのにな。いや――)


 いい加減、自分でもわかっている。そうではないのだ。

 きっと、自分がこの生い立ちである以上、嫉妬も穿った価値観も消えない。

 だからいいと少しは思えた。沸き上がる気持ち悪さを受け入れられたから。


「おちびは舌っ足らずっぽいからな。俺の名も呼びにくいだろう」


 紺樹からした軽い発言だった。間をつなぐだけの。

 けれど蒼は違ったらしい。階段を上ってきた紅暁に抱きついたまま、うんうんと唸りだしてしまった。


「うぅ、ばれてたか。じゃあ、こじゅおにいちゃんはどんな字をかくの?!」


 紅暁の首からゆっくりと腕を離した蒼。人差し指を弾ませて唇を尖らせた。


(本当におちびの照れどころがわからん)


 身を屈めて紺樹は思った。二つの視線が注がれいるのに気がついて、紺樹は視線をあげた。頭上にあったのは自分を哀れみながらも同意するような目つきだった。

 ついでに、何故か謝られた気がした。こんなに視線で会話をしたのは初めての紺樹はひたすら動揺するしかない。


「俺は色の紺と樹を組み合わせているんだ」


 気を取り直し、紺樹は石床に指を走らせた。


「紺か。あおとおそろいの色だね! じゃあさ、こんおにいちゃんってよんでいい? おそろいってかんじ!」


 正直、昨日までの紺樹なら冗談じゃ無いと怒っていただろう。義理とはいえ両親がつけてくれた名前だ。一文字たりとも歪むなと。

 だが、今は違う。


「どうせなら『こん』とでも呼んでくれ。蒼は俺を兄なんて呼ぶたまじゃないだろう?」


 お兄ちゃんとは呼ばれたくなかった。生まれてくる命が怖いのは変らないから。

 蒼は紺樹の思惑など知らずに快諾した。


「じゃあ、こんくんって呼ぶね!」


 呼ばれて、どうしてかひどく安堵した。今までとは違う環境の異なる呼び名だったからだろうか。紺樹は静かに目を閉じた。

 さすがに紅暁は学院の先輩である彼を君呼びすることはなかった。けれど、紺樹の再三の願い出により「紺兄」と呼ぶことになる。蒼が修行から帰る前までは。

 

 その日から、紺樹は心葉堂に足繁く通うこととなる。



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