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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 それぞれの想い―
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第74話 紺樹5-蒼の浄練-

「えっ?」


 紺樹は呆けてしまった。

 多くの客を相手にし、学院でも教鞭を振るう白龍だ。いくら紺樹が主席とはいえ、正直白龍が興味を持つような人間ではないという自覚はある。奔放さもなく模範的であろうとしてきた紺樹だ。彼と反する人間なのだから。


「なんじゃ。わしが紺樹を知っておったのが意外か?」


 くしゃりと、押さえつけられるように頭を撫でられる。わしわしと踊る手に翻弄されながらもなんかと視線だけをあげると、そこには悪戯小僧のように笑う白龍がいた。


「えぇ、いえ、まぁ、はい」


 されるがまま、紺樹は意味不明に答えてしまった。義父にさえ、こんな風に撫でられたことはなかった。

 義父はとても静かな人だから、紺樹を誉めるにしても穏やかに、しかし嬉しそうに頬を綻ばせる。逆に母は感情が豊かでいつも大げさなくらいの笑顔で抱きしめてくれた。


(なんだ。なんだよ。きちんと二人が俺を見てくれていたことを自覚したって、今になって思い出しても、もうそれは俺のものじゃなくなったのに)


 すでに自分から興味がそれた存在だ。感謝の言葉さえきっと保身に聞こえるかもしれない。いや、間違いなくそうだろう。義両親が思わなくとも、親戚はやり玉に挙げるだろう。


「おじい、だめ。早くいれなきゃ」


 蒼は紺樹と白龍を交互にみて首を傾げたあと、白龍の額を叩いた。

 紺樹はぎょっと目をむくが、蒼も白龍も気にとめていない。


「ほいほい。気がきかなくてすまんのう。蒼も口調が藍に似てきたのう」


 白龍が苦笑を浮かべ、蒼を地面に下ろした。

 どこから引っ張り出してきたのか。蒼は踏み台に乗って円卓の上に箱をのせた。開けられた蓋の下から現れたのは――茶道具だった。

 まず取り出されたのは硝子がらすに蝶が描かれた湯釜だ。煮沸器の上に乗せられた湯釜の中にはすでに水が入っている。


「心葉堂のお水です。煮沸器の中に、アゥマの魔道石を入れて火をつけます」


 蒼がやたらと説明的な口調で、しかし会話よりも流ちょうな調子で話し始めた。

 紺樹が目をしばたかせると、隣に腰掛けた白龍がくつくつと喉を震わせた。相変わらず背を伸ばしている紺樹に腕をまわし、白龍が囁いた。


「あれは両親やわしの真似なのだよ。料理教室を傍観しているような気持ちで見守っていてくれ。浄化の術を学び始めて間もないゆえ、許してやってくれ」


 白龍は言って、さらに笑いを深めた。

 紺樹は「はぁ」と曖昧に息を吐くことしか出来なかった。

 

「よしっ。次はね、茶盤だ。茶則と茶壺と茶杯も出さなきゃ。おちつけーおちつけー」


 紺樹といえば、取り出されたモノに目をむいていた。愛らしくゆっくりとした仕草にではない。


(心葉堂と言えば、クコ皇国随一の茶葉店、いや弐の溜まりだぞ? 極上の浄練を施された茶葉と同時に、その溜まりの水は随一だと聞く。こんな子どもに扱わせていいものか)


 そうこうしている内に煮沸器が役目を終えて、茶釜が露を纏い湯気をあげた。

 蒼はアゥマを打ち込まれた極上の瓶を取り出した。紺樹にもその瓶がとんでもない浄化能力を持っていると一目でわかった。

 思わずあがりかけた腰。すぐさまやんわりと制された。


「師傅、あの瓶の作成者は一体!!」

「あの子じゃよ」

「はっ?」


 無礼なのを忘れ、紺樹は吐き出していた。

 白龍は至極楽しそうに、にんまりと笑った。


「だから、わしの孫が作ったのだよ。本人曰く試作品らしいが、とっておきの茶葉を入れておいたらしい。わしにも大好きな両親や兄にも飲ませなんだ茶葉じゃ」

「なぜ、そんな茶葉を俺なんかに……?」


 それは何の含みもない紺樹の疑問だった。

 白龍師傅はくろんしはくにも、幼子の兄にも飲ませなかった茶葉を、どうして初対面の己に淹れるのか意味が不明だ。

 白龍は疑問には答えず、腰元の陶器を掲げた。携帯用の酒瓶だ。きゅぽんといい音がして栓が跳ねる。紺樹としても、どちらかというと酒の方が飲みたい気分だ。


「あれを見てもこちらを飲みたいと思うか?」


 目の前には円卓を挟んで少女がいる。その少女の様子に紺樹は息を飲んだ。無数の光に囲まれ、ガラスの茶壺に向き合う蒼。光が風のように蒼の衣服や髪を舞あげる。

 あまりにも神秘的な光景に見とれている紺樹は蒼と目があった。

あった瞬間、全身に電撃が流れた。それは雷のように激しいものではなく、とても静かで、けれど強いもの。

 自覚した直後、全身がじわじわと温かくなっていくのを感じた。


「ほんとはね、茶葉をこじゅおにいちゃん用に浄練じょうか・調整するんだけど。いそがなきゃだから、今日はお茶に直接するね? そんでもって、こじゅおにいちゃんはいいよって思ってくれると嬉しいな」


 紺樹が返事するより前に、蒼の小さな唇が詠唱を口ずさみ始める。許しをこう割に強引だと苦笑が浮かんだ。

 浄練を行う方法は様々だが、初級者は「音」を振るわせてアゥマと共鳴をはかる。蒼もどこか辿々しい調子だが、アゥマに語りかけている。

 特筆することといえば、すぐ茶壺の周りが煌めき出したことだろう。


(へぇ。鳴くのが下手なウグイスみたいだが、さすがは心葉堂のものか)


 感心したのも束の間、すぐに紺樹の中に黒い感情が広がっていく。所詮は生まれなのだと。よりにもよって紺樹が今一番逃げたい現実を突きつけられた気がした。

 強く噛みすぎたのだろう。下唇から血の味がにじみ広がる。


「もういいか――」


 自分の太股を強く掴んで叫びかけたのと同時、紺樹の目の前に金平糖のような光が現れた。それは爪先ほどのつぼみが開花するように、みっつよっつと増えていく。単純に綺麗とは表現できない様々な色が混じり合っている。


(これは浄化よりも高度な浄練……だ)


 浄練には二種類ある。まずは純粋に物質や空間を浄化するもの。元々けがれが世界を覆った際、命を救うために聖樹が浄化物質である『アゥマ』を生み出したのだ。根本的な力といえる。

 もうひとつは、けがれがほとんどなくなった近代に発展した、趣の意味が濃い能力。特に茶や酒の、護符や武器など使用者の性質にそうものに関して広まっている。娯楽の面が強いと思われがちだが、個人のアゥマ――つまりは特定の状態や能力を読む必要があるため、実はかなり高度な技術を要する。


(さっき師傅はおちびが術を覚えて間もないと言っていた。嘘だろ)


 それは紺樹の苛立ちを助長する事実であるにも関わらず、どうしてかもう怒りも苛立ちも沸いてこない。

 むしろ心地よささえ覚え、瞼が落ちてきた。


(……あったかい。冷えた体に染みこんでくるようなアゥマだ)


 金平糖のような光をひとつ、掌にのせる。いや、持ち上げた手に光りの方から乗ってきたのだ。驚くことに、光は紺樹の掌でころころを転がりはじめた。それが合図になったように、周囲で様子をうかがうように浮かんでいた光も一斉に紺樹にはりついてきた。


「なっなんだ!?」

「ははっ! 何度見ても蒼の浄練は面白い。まるでアゥマに感情があるように思えるわい」


 白龍の笑いに答えるように、紺樹の周りの光は一層煌めいた。

 ふらふらと一つの光が白龍の方へと向かっていく。


(あぁ、やはり。そっちにいくのか)


 より強い力の方へ。そう考えて、紺樹は慌てて手で口を覆った。


(何を考えているんだ。ただの光に)


 けれど、紺樹が羞恥に染まる前に愛らしい声が鳴った。


「もう、おじいってば! アゥマをゆうわくしないでよ!」


 それまで神秘的な雰囲気を纏っていた蒼が、まんじゅうさながらに両頬を膨らませた。

 思わず、その頬が美味しそうだと思ったのと、幼子に似合わない言葉に紺樹はぷっと噴き出してしまう。

 すると不思議なことに白龍に近寄りかけていた光が戻ってきた。まるで、あせあせと慌てているように見えた。


「おじいは蒼が誘惑なんて単語を知っていることに動揺してしまったぞ」

「おじいってば、あおがくれないおにいちゃんと特訓しているのじゃまするでしょ。おにいちゃんが言ってたもん。おじいはわざとあおが共鳴のためにだしている魔道をひっぱってるって」

「やれやれ。聡明な孫たちをもって、おじいは嬉しいやら悲しいやらじゃ」


 白龍はちっとも悲しさなどない様子で肩をすぼめた。

 軽快なやり取りをしている祖父と孫をよそに、紺樹はうとりと船をこぎ出していた。


(なんだろう。すごく眠たい。いや、眠れる気がする)


 紺樹に張り付いていた光はじわじわと染みこんでくる感覚に変っていた。

 そうして入り込んできたモノは深層を射貫くようであり、けれど決して無理矢理ではなく紺樹の真ん中に触れる。言葉なく体内のアゥマを介して語りかけられるようなどこまでも不思議な感覚だ。


「よし! 浄練完了!」


 うっとりと瞼を何度か落としかけた紺樹の耳に元気な声が響き渡った。

 寝ぼけ眼のような状態で蒼を見ると、腰に手をあてて仁王立ちしている。


「さぁ、ぐぐいっとどうぞ」


 まるで酒を勧めるような言い方と舌っ足らずの差に、紺樹は声を上げて笑ってしまった。擦った瞼に痛みはなかった。


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