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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 それぞれの想い―
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第69話 亡国5-おいてけぼりの想いたち-

「一滴でも残っておって良かったわい」


 白龍は空間の中央で足を止めた。足を止めたつま先には、親指の先ほどもない水が波打っている。薄い水色とも紫とも見える色を映す。明らかにアゥマを宿らせている色だ。

 膝をついた白龍は水を覗き込み、指を浸す。その拍子に香ったのは、例えるなら出涸らしの茶葉のようなものだった。


「どうだ?」


 黒龍の問いかけに、白龍は無言で頭を振った。

 特に目立った反応を示さない黒龍を気にとめるのでもなく、白龍は膝を伸ばした。


「確かにアゥマ――溜まりの水ではあるが、魂がもぬけの殻といったところだ。守霊の気配は全くない」

「むしろ、儀式の後……しかも、枯れてから百年以上も経ってよく滴だけでも残っていたというところか」


 黒龍は周囲を見渡しながら、しみじみと呟いた。改めて気配を探ってみても、生き物の気配は皆無だ。

 今の世ならまだしも、一昔も二昔も前であれば殊更、浄化物質アゥマを生み出す溜まりがない場所で生き物が生存し続けるのは難しい。大地に張り巡らされているはずの脈(細いアゥマの通り道のようなもの)も、此処を円の中心としているように枯れている。

 

「もしかしたら、何百年も前の遺跡じゃ。ここがきっと彼らにとって始まり、あるいはソレに近い土地だったに違いない。魔道府が秘密裏にいくら探っても、華憐堂の一族がたどってきた国は証拠すら残さず、滅んでおった。最初の土地だからこそ、わずかな証拠が残って織ったのだろうな」


 白龍の言葉に、黒龍も腕を組み直し小さく頷いた。


「完璧すぎるほどに過去ごと消してきた一族か。この国跡も周囲を猛毒の植物が囲まれ、その手前には異形の者がはびこっていた。それさえもきっと奴らの処理の一環だろうな」

「あぁ、完璧すぎるほどに自分たちの過去を葬ってきたのじゃろう。この国の存在を特定できたのも魔道府長官ホーラの昔の記憶と、わしの若い頃の冒険で見聞きした欠片、それに蛍雪堂の主が所持していた禁書という好条件がたまたま揃っていたからに過ぎぬ」

 

 考えれば考えるほど、萌黄に施されている術は恐ろしい代償を伴うのだと思い知らされる。それでもきっと、華憐堂の店主は望んだのだろう。萌黄という女性に禁術を施し、生命活動を維持し続けることを。


「のう、黒龍よ」


 白龍は、ふと思う。これから自分がすることで、ひくに引けなくなっているのではないかと。


「確認しておく。いや、させておくれ」


 白龍は老人らしからぬしゃんと伸びた背中を黒龍に向けたまま、天井を見上げた。どこまでも高い天井はまるで夜空のようだ。魔道の光が届かぬのに、岩肌に張り付いた水晶の欠片が星のごとく煌めいている。

 そう、嘘ごとなのだ。ここにあるのは、全て。けれど――たった一つ、いや、二つだけ本物があると白龍は思う。


「言ってみろ。馬鹿げたことをのたまえば、即座に背を蹴ってやる」

「いや、そこは膝かっくん程度で済ませておけ」


 小気味よく交わされる会話。やたら生真面目に答えた黒龍に、白龍は大きく笑ってしまった。


「なんだ、それは」


 緊張故の軽口だと、黒龍には伝わっているのだろう。黒龍は白龍の背を蹴ることも頭を叩くこともなく、ただ深いため息を吐いた。

 ふわりふわりと立ちこめる白い息。白龍と黒龍、互いの表情が見えないまま、向き合う。心なしが、ぐんと気温が下がってきたようだ。


「ひとつ。幻想を蘇らせるには、多くの犠牲を払う。国が形を保ち続けられなくなるなどという段階レベルではない。失うのは、人々の生活、声、感情、そして存在いのちそのものだ」

「おぅ」


 満ち始めた水蒸気に阻まれても、黒龍の声はしっかりと白龍の耳に届く。

 わざとだろう。古めかしい口調であることが多い黒龍が、わざわざ出会った頃の若者の口調で答えたのは。


「ふたつ。わしは今でも桃香や藍、橙を取り戻したいと思っている」


 白龍は己の皺だらけの両掌を眺める。かつては何でも掴めると思っていた手。愛しい人たちの手を握っていた力強かった手。そして……己が無力だと痛感した、たくさんのモノをとりこぼし続けている手を。


「ばかもんが。俺が知っている白は、昔から命に強欲だ」

 

 相変わらず平坦な声に、白龍はより顔を俯かせた。握った両手の拳が、ひどく痛む。肌を刺す寒さよりも、内から込み上げる冷たいもののほうがよほど体を痛めつけてくる。

 

「みっつ。幻想は幻想だ」


 はっきりと告げる白龍。それは自分に言い聞かせる意味もあったが、白龍は己が思う以上に断言していた。

 白龍の肺が思いっきり膨らむ。息を吸った拍子に鼻先に残った珈琲の香りが、鼻腔に広がっていった。現実の香りだ。


「死人は絶対に生き返ることはない。幻想が存在しうるとしても、それはぬくもりのある偽物でしか無い」

「そうだ」


 また、即座に肯定の声がまっすぐ届く。

 それでも、きっと、白龍は諦めきれずにいる。彼が見送ったのは友人や恩師だけではない。両親を、妻を、娘を、娘婿より未来に歩み続けている。

 自分よりずっと長生きをして、自分の死を見送るだろうと当たり前に思ってきた人たちの死も見届けてきた。何度も、何度も。


「わしは、わかるのだよ。きっと、わかってしまう。華憐堂の主が萌黄を蘇らせた思いを理解する。時欠けの溜まりの力を発動したとしても、きっと根底にある気持ちは変わらぬ」


 幻想を否定する自分と、願ってしまう自分。白龍は矛盾した心のもやを抱いたまま、時欠けの魔道を発動するのが怖かったのかもしれない。だから、矛盾したことを口にしては、黒龍に確認してしまう。

 白龍自身、ずるいとは思う。言うなれば、黒龍だって、いや黒龍や魔道府長官ホーラのような長寿の一族こそ、感じることは多い悲しさだろうから。理解しているからこそ、吐き出さずにはいられなかった。


「なら、お前が一番恐れることを言ってやろう」


 黒龍がとんと白龍の胸を小突いた。ぐっと近くなった顔は至極真面目だ。そのせいだろうか。たいした力も込められていなかったのに、白龍の体は半歩後ろに押された。

 一方、黒龍は面白いものを見たと言わんばかりに、滅多に無い様子でにやりと笑った。


「白よ。まず桃香なんぞはお前を散々のした後、『白なんて大っ嫌い』と極寒の視線を投げ、一生口も聞かず、触れもさせん。藍に至っては『お父さんって……』と皆まで言わずに、静かに門からわずかな荷と共にお前を出すだろう。いや、むしろ自分が家族を連れて華麗に姿をくらますか。あぁ、良心である橙でさえ戸惑い気味に笑いながら『義父さん、庇いようがありませんよ』と見放すだろうな」


 正直、黒龍の口調真似はひどく下手だった。というか、彼が他人のまねごとをするなど一生に一度あるかないかだろう。

 でも、白龍は思ったのだ。どうしてかひどく似ていると。残酷なまでに彼らに言われている気がした。


「下手すぎる。なのに、似ているなど、卑怯じゃろ。黒よ、絶対に紅と蒼の前でするなよ?」


 白龍は思わず俯いてしまった。涙目なんて見られたくないと強がったのと、笑いを堪えるのとで。どうしてか、今だけは声をあげて笑いたくないと思った。


「ばかをいえ」


 黒龍はわかっている。白龍という人物の心を変えようとしても無駄なことを。

 彼は自分をわかりすぎて知りすぎている。だから、卑怯だと承知しながらも彼の思い出を利用して、諫めるしか無いのだ。


「さっさと術を発動して、華憐堂一族の事情を暴いてこい。その上でお前がまだ思うところがあるなら、とことん聞いてやる。自分で自分の声にうんざりする程にはな」


 腕を組んだ黒龍はふんと鼻先を鳴らした。その音さえも良く響く空間は、心なしか魔道の光が強くなっているようだ。


「おぅ。それでこそだ」


 白龍は静かに瞼を閉じる。

 次いで、ばさりと両袖が音を立てた。両横に広げられた先にある人差し指に中指が絡むと、ゆっくりと薄水色の光が灯っていった。光が大きくなるにつれて、長いゆったりとした袖が揺れる。白地に刺繍されたヒヤシンスの柄が、その度優しく波打つ。


「黒龍を連れてきた甲斐があるというものだ。わしが呑まれそうになったら、しっかり引き戻せよ」


 頼んでいる割には随分と偉そうな口調で告げると、白龍は流麗に呪文を唱え始めた。

 呪文と言うよりはむしろ歌のようだ。問いかけるように、唱う。張りのある声が空間に木霊する。

 黒龍は二・三歩下がり、腕を組む。随分と久しぶりに見る親友の姿を眺める。


「白こそ、時欠け弐の溜まりの力に恥じぬよう、きちんと戻ってこい。心葉の一族はアゥマと共鳴し、時間さえ越え視る能力をもつが故に『時欠け』の称号を持つのだからな」


 心葉堂は『時欠け』を掲げる一族だ。

 今となっては、己の溜まりの称号の意味さえ引き継がれている家は少ない。もはや看板と同等の意味しか持たないことが多い。

 けれど、心葉堂は違う。しかと意味ごと能力を引き継いでいる。ただ、もちろん能力施行の条件はある。私的な理由では発動されないのが基本だ。


(共鳴力の高い蒼はアゥマの記憶を体験し、視る事に長けた紅はきっと鮮明にアゥマを目として知る。どちらも、この平穏な世の中にはきっと不要な力だ)


 それはアゥマへの共鳴力の高さ故に、アゥマの記憶をたどることができる能力だ。蒼はこの力を強く継いでいる。だからこそ、原始のアゥマに触れた際、その能力の開花の片鱗を見たのだ。


(それ故に。あの方――始祖は、始まりの一族の血を引き強すぎる力を回収しようと、紺樹を遣わせたのだろうか)


 黒龍は、目の前で詠唱を続け深い意識の世界に沈んでいく親友を見やる。

 白龍は自身を企み深い狡猾な人間だと評するが、黒龍はそうは思わない。実際、蒼が紺樹を拾ったすぐ後、黒龍は苦言を呈した時が最たるものだ。


――仔細は言えぬが、あやつはただの記憶喪失の小僧では無い。我が主、始祖の意を持つモノだ――

――ほぅほぅ。まぁ、いいではないか。蒼は紺樹に懐き、紺樹は蒼を愛しいと想っておる。紅も紺樹を慕っておる。これだけで、わしがアノ子らを引き離す理由がないのに十分じゃ――


 在りし日。無邪気に紺樹の手をひき笑う蒼と、戸惑い気味に着いていきながら、やはり嬉しそうに頬を緩ませる紺樹がいた。そこに紅が駆け寄る姿を見て、交わした会話だ。

 黒龍は頭を抱えたが、内心では同じ思いだった。愛しい姪っ子がしっかりと握って離さない手。その手の持ち主を信じようと思った。


(俺としては紺樹が遣わされたのは、力の使い方を誤らぬよう『守り役』としてだと願うが……今の紺樹の様子を聞く限り、あの子は記憶を取り戻したのだろうな。だからこそ、あの兄妹、主に蒼との距離を測りかねているわけだろう)


 黒龍にとって、弟子であり姪っ子である蒼からくる手紙は、数少ない楽しみのひとつだ。

 黒龍は淡々と聞く割に内容を真摯に考えるからだろう。蒼は幼いころも修行時代も、そして今も色んな話をする。店を継いだ頃、手紙に短く綴られていた内容に黒龍は違和感を覚えたものだ。

 その時すでに紺樹の素性を把握していた黒龍は、なんと反応していいかわからなかった。


(今は考えるのをやめよう。それより、集まってきたな)


 白龍や黒龍の足下にはすでにはっきりと魔道陣が描かれている。陣の中心にある水は術を拒否しているようで、激しく振動している。気のせいでは無いだろう。白龍の魔道が触れる度、激しい電気を走らせている。


(術者と術は本当に似る。まるで怯えるなと問いかけるように、柔らかく明るい光が水の近くで踊っておる。電撃を避けるのさえ、楽しんでいるように見える)


 苦笑を浮かべたところで、黒龍が両手を合わせて何事か口の中で唱えた。瞼を閉じて。

 数秒後に閉じていた瞼をあけると――漆黒の瞳は、薄い水色に変わっていた。が、この状態になると視力はほとんどなくなる。その代わりに聴覚が研ぎ澄まされるのだ。対アゥマに。 


――ねぇねぇ。ほしいでしょ?――


 早速耳に届いた声に、黒龍は応えず共鳴の意識だけを深めていく。


――ねぇねぇ。教えてよ。君がさ、君たちがほしい人の命の名前を。ぼくは欠片だけど、教えてよ。どうしても、教えて欲しいんだよ。だって、ぼくもあの子になった子の一部になるはずだったんだもの――


 両腕を駆け抜ける寒気! 立つ鳥肌!

 弾かれるように、黒龍はしっかりと足を広げ立つ。砂埃が立つが、すぐに風にさらわれていく。名と同じ黒い服の裾が煩くはためいている。脱いでいた外套が上空で旋回しているのが横目に映った。


「黙れ、邪術の残りよ!!」


 怒り、目の色を変えた黒龍が牙をむく。掲げた両手にこの場に足りないアゥマが集まる。

 びくりと怯えたアゥマの塊が舞う。


――どうして怒るの?――


「お前たちは生きる者を惑わせ、たぶらかす存在だ。宿主を得て、偽りを演じて現世にある器を欲する、始祖から生まれた浄化物質アゥマにあるまじき者め!」


 黒龍が声を荒げている間も、白龍の術は確実に展開されていく。うっすらと開いている白龍の瞳の色がどんどん薄くなっているのと、周囲に薄く張られていく膜がその証拠だ。この刻から切り離されていく。

 無防備になっている白龍を庇うように、黒龍はざっと足下に砂埃を舞わせ両足を踏ん張る。いつでも術を発動できるよう。


――わからない。なんで嬉しいのに泣いて、泣いているのに喜ぶの? あの人たちもそうだった。あの子になった体を抱きしめて、すぐどっかにいっちゃった。此処ぼくたちを捨てて――


 力んだ腕を下ろすには十分な音だった。真っ直ぐな音は心臓をえぐるように鳴る。


――ぼくたちを可愛がってくれていた人は欲しがっていたの。だからあげたの。愛しい人の形を魂と体をまねた子を。愛しい人の偽りは虚しいと知っているよ。ぼくたちは、あの始祖から生まれた存在だから――


 黒龍は始まりの一族の末裔だ。

 アゥマを生み出した聖樹ヴェレ・ウェレル・ラウルスが生命の樹となった経緯も、生み出した浄化物質の意味も知る。


――でもね、あの人はぼくたちを集めて、あつめて、いつも泣いていた。始祖と同じように。ただ、大好きな人に会いたいって――


 そもそも始祖が生命の樹となったのは、汚染された世界からたったひとつの命を救いたいと願ったからゆえと知っている。もっと言えば、伝説の存在さえ想ったのは唯一無二の存在を生かしたいがゆえだった。

 伝説の存在などと言われようとも、元を辿れば勇者も英雄もただ小さな願いから始まっている。


――あの子は身をていして、ソレになる道を選んだ偉い子なの。ぼくだってできるよ。だから……もう、おいていかないで。もう一人はいやだ―


 柄にもなく黒龍は思った。アゥマがまるで泣き出しそうなこえを出していると。


***************


「かはぁ!」

「戻ったか、白よ」


 背を支える黒龍に構わず、白龍は壁に手を這わせ始めた。耳を壁にあて、ゆっくりと移動する。一見すると異様な光景だが、黒龍はおとなしく白龍の後をついていく。

 とある一角で、白龍はぴたりと動きをとめた。止めたかと思うと、思いっきり拳をふりきった。


「せいっ!」


 白龍の掛け声と同時に打ち付けられた拳。瞬時に真っ赤になるが……それよりも衝撃だったのは、一斉に空間が揺れ始めたからだ。地震に建っていられず、二人は膝をついた。ごごごと音を立てて動く空間。

 やがて、岩肌に現れたのは無数の穴だった。


「これは――脈か。いや、純粋な脈にしては数がおかしい。ここまで細い道が無数にあるのを見たことがない。これはいささか人工的だ」

「あぁ。アゥマが枯渇したはずのこの国で、微量ながらにもアゥマを感じる」


 何を見てきたのか。白龍は壁にあく数多の道を睨みあげる。黒龍は地面に腰をついた白龍の肩に片手を添え、周囲を見渡した。


「この国、アゥマが少ないということはない。いや、なかったのだ」

「しかし、ホーラの話によると、アゥマが少ないがゆえに身分によって居住区が分けられていたという話であったし、実際にその名残はあった。白よ、何をみてきた」

「遡った刻で視たことは、おいおい説明するが……前者の問いはこの脈たちが全ての答えだ」


 黒龍が支える白龍の体から一気に力が抜けていく。黒龍が慌ててずり落ちる体を支えると、寝息が聞こえてきた。

 黒龍は親友の心の臓、手首、額に掌を当てたあと、ようやく安堵の息を吐いた。特に異常は看られない。ぐーすかと寝る親友に落ちてきた外套をかけてやる。単なる術の消費なら、いくぶんか寝ていれば回復する。


「アゥマが少ないのではなく、微調整されながら最終的には国の中央に集まるように仕組まれていたというわけか。それを目的に作られた国なのであろう。他の国はもっと上手く作られていたが、ここは――」


 工作が拙くあからさま。そして、先ほどの残留思念。


「ここが始まりの土地であるのは、ほぼ間違いがないだろう」


 黒龍は思った。かつての自分と似た境遇にあり、狂気に似た想いで愛した人を生かしたいと願ったクコ皇国の皇太子の行く末を、華憐堂の店主は見たいのではと。

 そう考えると全てがしっくりきた。


「萌黄はすでに、というかクコ皇国に来る前から狂っていたのだろう。何度も魂の塗り替えを繰り返してきたのだから。それを儀式によって取り繕い続けている。一度狂い初めた存在ひとは戻らぬし、改善されてもその精神が消えることはない」


 黒龍は両手で顔を覆った。


(ひどい茶番だ)


 ひどすぎる。愛しい血縁が憎むべき対象さえ、終着点を求めてさまよっているなど。

 だから、黒龍は空間にめがけてめいいっぱいの声量で叫ぶ。国をとるか、人をとるか。どちらも背負ったことがない黒龍には到底理解できない。それでも、問いかけずにはいられなかった。


「華憐堂の主は、かつて民の上に立つ者であったものか!」


 こんな国ごとの仕掛けができるのは相当の権力者だ。


「ならば、どのような心で民をみていたのだろうな。すべてがにえになるのを知りながらも、たった一人を選んだ人の子よ」


 黒龍の声はただ虚しく響く。

 岩肌に腰をつけた黒龍は、小さく頭を振った。


「いや、違うな。たった一人しか見えなかったお主は、どんな生を歩んできたのか」


 問いかけておきながら、黒龍は答えなんて聞きたくなかった。


次回からは紺樹編に入ります。

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