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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 それぞれの想い―
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第64話 失踪2―蒼と紺樹―

「ごめん、蒼ちゃん。紅は見かけてないのよ。そもそも、この悪天候とアゥマの乱れで、外を歩くのをみんな避けてるからね」


 行きつけの飯店である幸好楼こうこうろうの女将が、震える腕を摩りながら眉を下げた。息を吐き出すごとに、蒼と女将、二人の間に真っ白な綿が生まれる。一瞬、互いの顔がはっきりと見えなくなるほどに。


「そっか。ありがとうございました!」


 蒼は出来るだけ平静を保ちながら、頭を下げる。両側の長い髪が地面につきそうなくらい。


「紅、どうかしたのかい?」


 女将はいつもどおり、優しい声で尋ねてきた。柔らかく肩に添えられた掌。とても熱く感じられる。それが、真っ赤になっている鼻先を余計に冷たく感じさせた。

 それでも、今の蒼は警戒してしまう。華憐堂の一件を訝しがられているのではと、邪推してしまうのだ。


「いえ。約束がある時間が近くなっても戻らないので、用事ついでに聞いてみたんです。大事なお客さんだからお待たせしちゃいけないかなって、早めに。兄が時間を守らないって珍しいから、どこかで誰かにつかまってるのかなって」


 へへっと頭を撫でながら笑う蒼。本人としては出来るだけ明るく振る舞ったつもりだった。

 が、よほど痛々しかったのだろう。女将は頬を押さえて、息を吐いた。


「蒼ちゃん……」

「ごめんね、女将さん! 開店時間短縮してるから、もう閉める頃合いだったのにお邪魔しました!」


 蒼はちらりと店先の張り紙を見る。水よけの魔道が施された紙には達筆で『悪天候により開店時間を以下の通りとさせて頂きます』と書いてある。その閉店時間がちょうど昼過ぎの今だ。


「それはいいんだよ。でもさ、蒼ちゃん」


 けれど、蒼が焦った声を上げたのは別の理由からだ。女将さんが、気にかけるような哀れむような声を出したから。


「じゃあ、また!」


 蒼は雨よけの外套の襟元を握りしめ踵を返した。散々歩き回っていたせいか、雨用の革靴ブーツはすっかり泥に汚れている。


「あっ! 蒼ちゃん! 気をつけておかえりよ! 先日の騒動で、変な動きをする若い者もいるみたいだから!」

「――っ。ありがとう」


 蒼の胸を刺した『先日の騒動』を流し、やっとの思いで礼を口にした。

 女将に悪気がないのは知っている。どこか天然なところがある彼女は言葉選びが下手なところがある。けれど、けっして悪意はないのだ。

 少しばかり石畳みを走り、蒼の足が徐々に歩幅を小さくなっていく。


(紅の馬鹿。どこ行っちゃったのさ)


 蒼は目尻に溢れてくる涙を力一杯拭った。

 

◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 事の発端は、魔道府からの呼び出しだった。

 白磁はくじ旭宇きょくうが心葉堂を訪れてから数日たったある日、紅あてに手紙が届いた。雨は降りやんだものの、今度は粉雪がちらついている昼下がりだった。

 蒼が屋敷の掃除をしているところで門の呼び鈴が鳴った。その際、たまたま近くにいた蒼が恐る恐る顔を覗かせると――そこに立っていたのは、紅の元同僚の陽翠ようすいだった。魔道学院時代からの付き合いで、蒼もよく知る人物だ。


「陽翠お姉ちゃん! 魔道府の制服着ているから、仕事だよね? 一人でどうしたの?」


 魔道府は見回りを含め、外出の際は最低二人組であることがほとんどだ。

 蒼の顔を見た瞬間、陽翠はなぜかひどく目を見開いた。蒼が名を呼んで首を傾げると、すぐに穏やかな笑みを浮かべたが。


「思ったよりも元気があるようで、安心しました。紅はいますか?」

「ありがと。今ね、屋敷の掃除をしていて。紅がどこにいるかわからないの。探してくるから、陽翠お姉ちゃんは客室で待っててくれる?」


 蒼は二歩下がり陽翠を屋敷に入るよう促す。けれど、彼女は少しのあいだ魔道府の外套に顔を半分埋めた後、ほほ笑んだ。


「私はこの後すぐに陰翡いんひと紺樹副長と合流しなければなりません」


 『紺樹』の名に、蒼の胸がきゅうっと音を立てて痛んだ。

 華憐堂の一件があってすぐ、紺樹は蒼宛の手紙をくれた。魔道が織り込まれた手紙は封を開けた途端、蒼が好きな花のひとつである藤の花びらを舞わせた。そして、紙に短く記されていた言葉。


――今すぐにでも蒼の茶が飲みたい。君の顔を見ながら、君の声を聞きながら――


 蒼は声もなく泣いた。ただ静かに涙が頬を流れたのだ。

 飾りっ気もなく多くを語ってもいない文だったけれど、蒼はそれだけで救われた気がした。最初に浄錬じょうれんした茶を淹れてあげると約束して、実際飲んでくれた紺樹からの言葉。なにより、丁寧語ではない文が嬉しかった。

 「まるで、むかしの紺君みたい」と呟いていた。

 紺樹は蒼が修行に出る前と、戻ってきた後では言葉使いも態度も随分と変わってしまった。最初こそ大人扱いしてくれていると嬉しくなったものだが、どうにも胡散臭さが強いのだ。一度正面切って訪ねてみたが、「年不相応で副長になったので、日頃から意識していないと駄目なんです」と誤魔化されてしまった。


 それはさておき。

 ただ、あの件の後に紺樹が心葉堂を訪れることはない。

 蒼も理解している。紅が魔道府に呼ばれた後、白龍が国外に出た。しかも、クコ皇国の首都でアゥマが不安定ときた。

 国が動いている。

 未熟で蚊帳の外にいる蒼だって、この首都にあるアゥマがどこか不均等アンバランスなのは感じている。だから、蛍雪堂けいせつどうで知ってしまった周辺諸国が滅んだ時期に異常気象が続いたという部分がどうしても引っかかって、悪い想像ばかりが膨らんでいく。


(ただ忙しいだけならいいけれど。紺君や紅が危ない目にあうのは……。なにより、自分がなにもできずにいるなら嫌だ)


 だから、蒼はできるだけの笑顔を陽翠に返した。


「そっか。陽翠お姉ちゃんも陰翡お兄ちゃんも、あと副長も無理しないでね? って言っても、それが無理だろうから、時間が出来たら心葉堂にくるか、出張依頼してね? 大特価サービスしちゃうからさ!」

「はい。近いうちに必ず。二人はさておき、私は蒼に浄連して欲しい茶があるんです」


 答えて、陽翠は自分の硬さに頭を抱えた。陽翠はひどく真面目な性格だ。だから、自分の意志以外を答えない。日頃はそれで良いと考えているし、当たり前だとも思う。が、幼いころから知る親友の大事な妹を前にしてもそうなのかと、落ち込む。

 陽翠は、少なくとも紺樹については肯定するべきだったと思った。目の前の少女にとって、いや、上司である紺樹にとって蒼は特別すぎるほどに大切な存在なのは知っているはずなのに、と。


「わっ! それは楽しみ! 陽翠お姉ちゃんの浄錬ってアゥマが真っ直ぐで凛としていて、触れると背が伸びるの!」


 焦った陽翠を置き去りにして、蒼は両手をぐっと握った。牡丹色の瞳を輝かせ、あれやこれやと計画を練りだす。

 陽翠はうつむき加減で蒼の手に手紙を握らせた。


「紅あてです。確かに預けました」


 何かを飲み込んだような声に、蒼は「はい」と頷くことしかできなかった。

 それから蒼は、蔵にいた紅と合流し休憩することにした。


「紅、お茶の準備できたよ。それと、陽翠お姉ちゃんから手紙預かったの」

「陽翠が? あて名は――魔道府長官。しかも封蝋が押されているな」


 それは、魔道府長官から茶の出張依頼だった。紅宛だったので、蒼は手紙の内容を見てはいない。けれど、茶の出張依頼にわざわざ手紙が出されることは珍しいのは、わかる。皇族関係では書面が通例だが、それ以外は逆に記録に残さないことも多い。そんな場合、蒼は白龍や紅と一緒に赴くことがほとんどだ。


「これは、いや、今の時期に?」


 紅は手紙に目を通して顎を摩ったり宙を見たりと何度か戸惑っているような仕草を繰り返した。店の掃除の休憩用に用意した蒸したての桃包タオバオにも、黒茶の菊普小沱茶きくぷーしょうだちゃにも手を付けず。

 蒼は紅の正面に座り、桃の形をしたまんじゅうを半分に割る。火がたかれてるとはいえ寒い客間にもあんと湯気が立った。その奥にある白あんに蒼がかぶりついても、紅は机に肩ひじをついて微動だにしない。


「ほら、紅。食べなよ」


 蒼が紅の桃包を割り、片手に乗せる。


「うん」


 紅は気のない返事をしつつも、ふわふわの皮にかぶりついた。歯にしみた熱に、紅の唇が躍った。数度頬張り、飲み込む。そして、また黙りこくるので蒼がちぎった包子や茶杯を手に持たせる。そうすると、味わう。それの繰り返しだ。

 そうして一刻ほど考えている様子だったが、突然「出かける」言って勢いよく立ち上がった紅。


「じゃあ、外套と傘を持ってくるね」

「いや、外套だけでいいよ」


 この雪が降る寒い中、外套だけでいいのだろうか。蒼は疑問を持ちつつも、紅の言葉に従う。紅が理由もなく蒼の気遣いを断ることはない。それを承知している蒼は、眉を顰めつつも一番上等な雨除けの外套を手にとった。この雪は、すぐに雨に変わるだろうから。

 紅の肩に外套をかけ……蒼は背中を強く握っていた。


「気を付けて、ね。あと、早く帰ってきてね。今日の夜はとっておきの牛肉料理にするからさ!」


 蒼には嫌な予感しかない。けれど、紅が一度決めたことを覆すことができないのも重々承知している。だから、両手で背中を押した。兄がためらうことがないように。


◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 蒼は自分の行為を悔やんだのは、それから一夜明けたのことだった。

 夜通し、蒼は起きて紅の帰宅を待っていた。日付を超えた頃には溜まりに行き、ぼんやりとした麒淵と過ごした。溜まりにいると時間を忘れることができる。


「でも、紅は、戻ってこない」


 居てもたってもいられず、蒼は中央通りに走っていた。紅が魔道府に行くなら、必ず人目が多いところを歩いているはずだ。

 そうして、何刻も走り回り体が芯から冷え切ったころ、店先にいる幸好楼の女将を見つけ声をかけたのだ。

 

(これ以上そとを歩いていたら、本当に危ないかも。さっき街角であった男に人たちが、私に気がついて怖い目で近づいてこようとしていたし。自分はいいけど、怪我でもしたら紅が落ち込む)


 蒼はようやく心葉堂へ戻ろうと踵を返した。もう手足の先の感覚はほとんどない。


「戻ったら、どこ行ってたんだって怒る紅がいるなんて期待してない。でも……」


 蒼は零れかけた涙をぐっと飲みこんだ。唇をかんで堪える。代わりに、寒さに身を震えさせた。

 長い朱色の橋の上、蒼は両腕をかけて灰色の空を見上げた。頬や額に落ちてくる雪に戻った空気のかけらが、蒼に降り注ぐ。

 ひゅっと、蒼の喉が鳴る。そのままひゅーひゅーと音を立てて、むせかえってしまった。


「この世界に、たった一人みたい」


 蒼は一人佇み長い大橋でしんしんと降り注ぐ雪の中、そう思った。ただ静かな世界。花の香りもまんじゅうや茶の匂いもしない。

 あるのは雪だけの香り。

 下がっていく体温だけが、確かに蒼がここにいるとわからせてくれた。


「蒼!!」


 瞼を閉じかけて、呼びかけられた声に顔があがった。

 橋の向こう側から駆け寄ってくるのは三人。雪よりも真っ青な色をした真赭まそほと慌てて真赭の後を追う浅葱、それに――蒼は最後の一人を見て、長い袖で顔を覆った。

 駄目だ。今彼と顔を合わせたら絶対泣いてしまう。

 だから、蒼は思い切り頬を叩いた。


「蒼! どこいってたのよ! 心葉堂にいっても、だれも出ないし!」

「来るのが遅くなってごめんよぉ。うちの一角に外出の自粛令が出されていたからさぁ」

「ううん! 心配かけてごめん、ありがと!」


 三人して抱き合う。幼馴染の真赭と浅葱の体温にひどく安心した。二人の言葉と気持ちは絶対に疑うことはない。

 そして、絶対今会いたくない人が一緒にいる。


「いやはや。少女たちの触れ合いと友情は見ていてとても癒されますね」


 できれば、その軽口のまま去ってほしいと思う。二人に抱き着いたまま、蒼はできるだけ睨みをきかせて紺樹を見た。

 案の定、紺樹は「おや?」と首を傾げてくれた。

 

「白龍様が外に出られたと聞いたの。心葉堂は、蒼は大丈夫?」


 真赭の問いかけに、蒼は横髪をいじる。抱き合っていた空間に空気が流れてくると、すっと冷たい風が肌を撫でてくる。鼻先が冷たくて、肌が凍てついて、息が氷る。


「うん、平気。平気だよ!」


 髪を撫でて、一歩下がる。そうしないと、幼馴染みであり親友でもある真赭と浅葱にみっともない

ところを見せてしまうと思った。

 とはいえ、だからこそ二人には蒼の強がりなどお見通しだったのだろう。声を揃えて「ばかっ!」と頬を引っ張られてしまった。それも笑って誤魔化す蒼。


「蒼、おいで。ほらほら、寂しいのなら抱き着いてきてもいいんですよ?」


 なのに、紺樹が両手を広げて蒼を迎えようとする。

 何度か手を握って、息を吐いて。

 蒼は紺樹の腕に飛び込んでいた。広い胸に頬を摺り寄せ、背中を掴んでいた。久しぶりにすり寄った胸は、思ったりよも大きくてかたい。そうして、このまま寄りかかってしまいたいとさえ思った。


「あっ蒼?」


 蒼の予想外の行動に一番戸惑っているのは紺樹のようだ。いつもは余裕の表情を浮かべている顔と耳元を染め上げ、両手を所在なさげに浮かせている。

 蒼に紺樹を見上げる余裕はない。たがが外れた蒼は、必死に紺樹にしがみつく。


「紺君。こんくん。こんくん」


 甘えるような蒼の声色。

 抱き着けば抱き着いただけ、安心できるきがした。蒼は子どものころのように甘える。

 昔は辛いことがある度、こうして紺樹に甘えたものだ。頬を摺り寄せれば、紺樹は背を撫でて肩を抱き、頭に大きな手を寄せてくれた。ただ、修行から帰ってきてからは一切なかったけれど。


「いや、あの、蒼? どうした? えっと、その」


 真っ赤になって、右往左往する紺樹。

 真赭と浅葱もあんぐりと口をあけ、顔を見合わせている。蒼と紺樹、両方の様子に。


「蒼?」

「うん、紺君」


 紺樹の呼びかけにしっかり返す蒼。それでも、状況は変わらない。蒼はひたすらに紺樹にしがみつく。

 やがて、蒼を曖昧な瞳で見ていた紺樹が、抱き上げるように蒼を抱きしめた。その腕の力強さに蒼はまた泣いた。昔の紺樹に会えた気がしたから。


「蒼……とりあえず、心葉堂に帰ろう。風邪どころか、肺炎になってしまうかもしれない」


 蒼を力の限り抱きしめていた紺樹が、ぽつりと呟いた。丁寧語ではない、素の調子で。

 それに賛同するように、浅葱も手を打つ。


「あぁ、うん。紺兄の念願かなったりだし、ボクたちは帰ろうか」

「じゃなくて、浅葱。蒼が紺さんの行為に素直に従って甘えるのは可笑しいでしょう。紅さんが行方不明だからって、蒼は混乱しているのよ」

「いや。それ、紺兄を目の前に結構ひどい言いようだよ」


 真赭の言い分はまっとうなのだが、浅葱の言うように刺さる者がある。ただし、当の本人たちには全く聞いていないから問題はないのだが。


「蒼。俺も一緒にいるから。家に帰って、あったかい茶を飲もう。それからちゃんと話を聞く」


 紺樹は精いっぱいの理性をもって語りかける。できるだけ柔らかい声を耳に流し込み、掌の熱を送るように背や頭を撫でる。


「うん」


 肩を押した蒼は、涙をためた瞳で紺樹を見上げてきた。


「紺君も一緒? 一緒にいてくれるんだよね?」


 紺樹が保てた精いっぱいの理性といえば、真赭と浅葱を魔道府長官の元に走らせることだった。

 はたして。

 それが紺樹--魔道府の計算のうちだったとはいえ、実際の蒼を前にした紺樹は己の未熟さにへこむしかなかった。愛しい年の離れた幼馴染みに、己の仕事を忘れかけたことを。


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