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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 それぞれの想い―
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第63話 失踪1―華憐堂の人々―

「はやく! お嬢様を探せ!」


 紅が町中で怒号と遭遇したのは、白磁が心葉堂を訪れた三・四日程後のことだった。

 当の紅は裏路地に身を潜めている次第だ。現状が現状だけに、咄嗟に面倒ごとから身を避けるためだったのだが……正直正解だったのかもしれないと、紅は思った。


(あの男性は華憐堂で――湯庵ゆあん店守の側にいた人だ。服の色が原色に近くて一際目立っていたからな。蒼は目立つ服装程度の人だって言っていたっけ。湯庵さんは全体のことだと思っていたけれど)


 小雨が降る中、被っていた雨具の外套をしっかりと頭まで被り息を飲む。

 寒さに加えて降りしきる雨。普通に呼吸をするだけでも、白い空気が生まれてしまう。


「くそっ。主様が宮からお戻りになられる前に、なんとしてでも連れ戻すんだ!」

「側仕えの話じゃ、最後に見かけたのは半刻前だっていうじゃないか。だいぶ離れた場所にいるのかもしれない。体はともかく、言動の方が問題だ」


 すぐ傍の大通りで複数人の足音が止まった。声からして、男性が二人だろう。

 激しく水を弾いていた音が、石畳の水たまりをばしゃりと蹴るものに変わる。声だけではなく、全身の仕草からかなり苛立っているのがわかる。


「湯庵様のおっしゃる通り、地下の溜まりか寝台に縛り付けておけば良かったのにさ!  あんたらが変な同情するもんだから。あぁ、もう、男ってのはどうしてこうも美人に弱いんだか」


 女の金切り声に思わず耳をふさぎたくなった紅だが、なんとか持ちこたえた。できるだけ衣擦れが起きないよう、道に置かれた木材類の影に潜り込む。

 騒ぎの中、紅はわずかにだけ声の方へと体を乗り出した。男性物の革靴が二人分。そして、底の平らなつま先の丸い女性物の靴を履いた足が見えた。


(裾の端に華憐堂の文様が刺繍されている。ということは、お嬢様ってのは間違いなく萌黄さんだろう)


 紅の頬を雨滴以外のものが伝う。最後にあった萌黄の精神状態から考えて、一人で出回るのはとても危険だ。

 そこで、紅にふとした疑問が浮かんだ。


(精神状態もだけど、そもそも萌黄さんはかなりの火傷症状があったはずだ。さっき、あの男性は萌黄さんの体はともかくと言っていた。それって――。)


 萌黄は体内にアゥマを持たない。

 であれば、魔道の回復術によって傷が癒えているとは考えがたい。多少、痛みが緩和する程度の効果は得られているかもしれないが、完治は到底あり得ない。元々、自己回復力を促進するのが回復術の効果なのだから。


「ただでさえ、儀式を控えて忙しい時だってのに」


 紅の喉がひゅっと鳴った。実際鳴った音に、思案を中断させ慌てて口を両手で押さえる。

 雨音と話し声のおかげだろう。幸い、誰も紅の存在に気がつくことはなかった。とはいえ、変に欲を出して情報を得ようとするとろくな事が起きないのは先人からの教えである。


「ったく、本当だよ。あと少しでおれたちだって金をがっぽりもらって、自由の身になれるってのに! これじゃあ、自由どころか命が危ない」


 そんな紅の自戒を打ち砕くように、使用人と思われる男は周りを気にとめない発言をしてくれる。

 天候とアゥマの不安定さに加えて、先日の心葉堂と華憐堂の事件があったばかりだ。しかも――。


燕鴇えんほうが行方不明だって、魔道府や同期どころか街中の噂になっている。時期タイミングが時期だけに、みんな怖がって外出を控えているんだ)


 紅も失踪者がいるとは耳にしていたが、それが燕鴇だと確かに聞いたのは旭宇からだった。例の白磁の訪問の一件の際、慌てて二人を見送った紅に旭宇がこっそりと耳打ちしたのだ。


――どうやら、燕鴇ってやつが、使いに出たっきり戻っていないらしいぞ? 何で知っているかって? ある意味有名人だったし、よく紅に絡んできていたからな。まぁ、届け出が出されたのは、使いに出た数日後みたいだから……自分の意思か誘拐か関係なく、あきらめた方がいいだろうけどねぇ――


 というのも、自分の意思であれば後を追う者はいないし、誘拐であれば身代金目的ならばすでにどこかしらに連絡が入っている。でなければ、猟奇的な悪戯が目的だと踏んでいるのだろう。

 旭宇の真意は不明だ。それに、燕鴇は紅にとっても決して好ましい人間ではなかった。無事に発見されるにこしたことがないとは思えど、今、紅が抱える問題の重さや優先度を鑑みれば燕鴇を案じるよりも、この一件に何かしらの形で巻き込まれた可能性がある方を主として考えてしまう。


「しっ。いくら人通りがないとはいえ、口を慎みなさいよ。陰がどこにいるか」


 女性が深く息を吐き、周囲を見渡す。顔は青白く身を震わせている。肌に張り付いた茶色の髪をよけるでもなく、己の腕を抱いている。それは吐く息の白さよりも、恐怖からのもののようだった。

 男女が足を動かそうとしたところで、紅がいるのとは反対側の路地から少年が飛び出してきた。雨のせいで短い髪が寝ている。年の頃はまだ十を過ぎたばかりだろう。小柄な体がすっぽりと埋まる外套を握りしめ、息を切らしている。


「あっ、あちら、には、いらっしゃら、ないようです。東屋の、かたがたにも、聞きましたが」

「やだねぇ、かわいそうに。こんなに息を切らして、頬を冷たくして。いったん、屋敷に戻りましょうよ」


 三十過ぎの女性が少年の両頬を包み込む。親子にも見えないことはないが、少年が気まずそうに耳を染め視線を逸らしているので違うのだろう。

 ぱしゃりと、一人の男が水を蹴る。


「けっ。なんだよ。おいらたちには男がどうのとかいいながら、おまえだってガキを贔屓してんじゃねぇか」

「当たり前よ。なぁに? やきもちでも妬いてんのかい?」


 女の問いに、男はかぁっと首まで染まった。と同時に、はんと鼻を鳴らし踵を返した。

 やれやれと肩をすくめる女性に反して、少年は音を立てて男の横に並ぶ。


「すっすみません。僕が萌黄お嬢様を見かけた時にちゃんとお引き留めしておけば」


 涙目の少年に、男性の一人は居心地悪そうにがしがしと頭を掻いた。その無骨そうな手を少年の頭を乱暴な調子で叩く。もう一人のやせ形の男性はさっさと先を行っている。


「ばーか。誰もお前に期待しちゃねぇんだよ。あのお嬢さんの後を追っても、主様から逆に諫められるだけだしな」

「でも……あの温厚な主様が激昂なさるんですよね? いっ命がないとか。僕、クコ皇国に来る直前に拾われたけど、主様も萌黄お嬢様もいつも優しかった。萌黄お嬢様は僕のこと弟とか、時には息子みたいだって可愛がってくださった」


 足を止めた少年の声は、まだ紅にも聴いてとれる範囲だった。だから、先ほどの自戒も忘れ、紅は話に聞き入ってしまっていたのだ。

 いつもなら気がつくはずの、わずかな雨音の乱れにも反応できずに。ただ、紅は萌黄の話を聞きたいと思っていた。


「年はそんなに離れていないのに、変ですよね。息子なんて。でも、僕、すごく嬉しくて。主様も、お嬢様の言動を諫めたりなんてしないで、静かに笑ってくださっていた。なのに、そんな主様が、お嬢様がちょっと抜け出したくらいで」

 

 そこまで言って、少年は嗚咽で喉を詰まらせた。雨の中でも少年が泣いているのがわかる。

 紅の背がずるりと壁を滑る。そうして、両手で顔を覆っていた。


(オレはきっと望んでいたんだ)


 紅は、わからないと思った。

 魔道府で話している時は所詮机上の論だった。感情を持ち込む隙がない、いや持ち込まないように配慮された空間で事実と材料を提供されていた。だから、萌黄に感情移入せずにいられた。どうでもいいとさえ思えた。だって、紅にとって最優先は心葉堂であり、もっと言うなれば妹の蒼だ。


(華憐堂は悪で、傀儡ともいえる萌黄さん以外は全部――たたきつぶす対象なら良いって。オレは蒼を、心葉堂を守る。それだけは揺るぎないのに。この期に及んで、一体何に心を揺らしているんだろう)


 けれど、華憐堂というよりも萌黄自身を慕う存在をしってしまった。紅と同じように華憐堂、いや萌黄や主人を家族と想う人がいる。その事実が紅の胸にのし掛かってきた。


「坊や。違うのよ。わたしらが言っていた主様ってのは、湯庵様なのよ」


 膝を抱えかけた紅の腕が、勢いよく上がった。

 いや、待てと紅は自分に言い聞かせる。

 今までの力関係を見ても、店守である湯庵が萌黄を押さえ込んでいるのは見て取れた。萌黄の父である華憐堂の主人がそれを見逃しているということは、つまり、主人も湯庵に頭が上がらないということを意味する。

 他の店と異なり、ほとんど会合にも出てこない主人を考えれば、その力関係はなんら不自然ではない。


「そうなんだよ。坊が憂うことなんざないんだ。ここだけの話だよ? なんせ、湯庵様は萌黄お嬢様の本当のおと――」


 紅は、その音に気をとられていた。そして、続くであろう言葉を予想して息を止めていた。だから、気がつけなかった。背後から忍び寄る存在に。

 ばさりと衣がずれる音がして、紅は乗り出していた身を翻した。見上げた先にいたのは――。


「やだ。あなた、こんなところにいたのね。はやく、かえりましょう?」


 至極幸せそうな笑みを浮かべた萌黄だった。

 咄嗟に紅は防御魔道の詠唱を口にする。しかし、それが最後まで紡がれることはなかった。どさりと重い音を立て、紅の体は冷たい石畳みへと倒れ込んだ。

 ひどく激しい痛みが頭部から下に降りてくる。何事か口を開こうとすると、雨水が口に流れ込んできて咳き込んだ。


「あかくてあかい。いい、いろ。あぁ、いのちのいろ!! 私が欲しい命の色!!」


 紅の頭から流れる赤が、雨に溶けて萌黄の足下を彩った。

 そこで紅の意識は途絶えた。全身が冷たくなるのを感じながら。

 


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