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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 それぞれの想い―
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第59話 魔道府からの訪問者1―白の旅立ちと来訪者―

「うっ、ん」


 やけに体が痛む。まるで背中に鉛が乗っているようだと、紅は思った。いや、鉛なんてものじゃない。頭先から足先まで、何かに地面に引き寄せられているみたいだ。

 紅はまどろむ意識の中、持ち上がらない体に深く息を吐いた。夢と現実の間にいるような気持ち悪い感覚だ。意識は割とはっきりとしているのに神経が言うことを聞かない。


(前にもあったな。このアゥマを視る能力の制御訓練を始めたころ。魔道府に勤め始めて弐の溜まりの人間である重圧感を改めて受け止めた時、店長見習いとして働き始めた時。どの時も蒼が――)


 体が重い中、口元と頬だけがふっくらと持ち上がった。

 目を閉じていてもわかる。いつも自分が追い詰められた時に、ぎゅっと手を握ってただ側にいてくれた存在が今の側にあると。とくんとくんと染みこんでくる体温を認識する度、紅は自分の心臓が確かに動いていることを感じた。


(ここは……蒼の部屋か)


 何度か瞬きを繰り返すと、ようやく視界が鮮明になっていった。と同時に耳に激しい雨音が届いてきた。

 渡り廊下を打つ雨が、扉を隔てても聞こえてくる。雨が弾かれ、吸収される音を耳にする度、紅は自分の手にあるぬくもりを自覚していった。

 そうだと、深く息を吐く。


(おじいが旅に出て、早四日か。蒼が修行に行った先生でもある黒龍こくりゅうさんに、途中で転移魔道をお願いするって言っていたから、もう滅んだっていう萌黄さんたちの故郷に着いてはいるよな)


 寝ぼけ眼で、紅は自分に言い聞かせるように――確認するように頭の中で呟いた。


****


 あの日。蒼が心葉堂の溜まりの水を萌黄にかけた日の出来事。

 見た目には火傷などないものの、萌黄は全身をかかえてひどく恐ろしい叫び声を上げ続けた。あっけにとられる紅と蒼をよそに、華憐堂の店主は動揺することもなく萌黄を店奥に連れて行った。店守の湯庵など、目を見開いて歓喜をあらわしてさえいた。

 そうして、呆然とする蒼を支える紅の二人に向かって、深く頭を下げた。


「心葉堂の……弐の溜まりのこの純度と精度。壱の溜まり以上のアゥマとは」


 わずかに見えた湯庵の口元は確かにそう動いていた。能力を解放したままでいた紅には、アゥマが音を届けてくれた。

 蒼を立たせる振りをして、湯庵から顔を逸らした。が、あの狡猾こうかつそうな老人のことだ。紅の動揺に気がついていたかもしれない。演技くさいとは思いながら、紅は視線を見せ奥へ続く扉に投げた。まるで、萌黄に動揺していると言わんばかりに。

 正直に言えば、萌黄の様子はさほど意外でもない。偽りの溜まりに生かされている命ならば、純度の高い心葉堂の溜まりの水は毒となると考えれば頷ける。


(偽物と本物。本物が及ぼす影響はあまりに強いか、はたまた本物が偽物を拒否しているか)


 それに、これは萌黄の正体と華憐堂の化けの皮をはぐことに繋がるだろう。

 諸刃の剣。

 それは間違いない。現代では意味合いが薄れているとはいえ、浄練はそもそも汚染された世界のあらゆるものを浄化するための能力。特に食物においては重い意味を持っていた。若い人は娯楽の意味を持つが、中高年には未だに恐怖は根強くあると聞く。


(多少なりとも、心葉堂が非難の的になることは確実だろう)


 紅は呆然と鞄を抱えている蒼の腕からそれを取り自分の肩にかけると、きつく蒼の手を握った。


「お兄ちゃん、わたし」

「大丈夫だ。蒼も心葉堂の溜まりも悪くない。それだけは自信を持っていろ。オレが絶対保証する」


 少なからず紅にも動揺があったせいか、言い聞かせるような口調になってしまっていた。すぐに紅は気がつき蒼を振り返るが……蒼はぐっと唇を結び、こくりと頷いた。絶対的な信頼のまなざしで。

 だからこそ――かつて自分を肯定してくれたこの子の信ずることならば、なんだって本当にしてみせよう。紅はその思いがあるだけで、なんだって頑張れる気がした。

 

 白が旅立つと言い出したのは、華憐堂での一件があった次の日だった。

 紅はもちろん事情を察していたので、表面上でこんな時期にと怒ることはしても本気では言えなかった。街がいよいよ本格的に危なくなっている今、フーシオとして魔道府の密命を受けているのは想像に難くない。

 そして白は紅が魔道府に呼ばれた事情も知っているのだろう。だから、「すまん、すまん」としか笑わなかった。


「ただ、蒼が……」

「おぅ」


 二人の問題は、蒼だった。


「おじい、どっかにいくの?」


 乱れた髪と服装で起きたままの姿の蒼は、静かに尋ねた。

 その姿に胸が痛んだのは紅だけではないだろう。尋ねたはずの蒼の方が、答えを聞いた途端、どこかに消えてしまうのではないかと思ったのだ。

 思わず紅は蒼の肩を掴んでいた。妹が消えてしまう気がして。どこかに連れて行かれてしまう気がして。そんな紅に蒼はすとんと寄り添ってきた。腕に自分のそれを絡め、潤った目を伏せた。紅は堪らなくなった。蒼を抱きしめたくなった。


「行くがどこかではないよ」


 それでも白は口を開いた。ぎゅっと靴のひもを結い立ち上がった。老人だというのに、紅より背筋が伸び、その立ち姿は凜々しかった。


「しばらく留守にするが、ちゃんと一月以内には戻ってくる。約束じゃ。わしは蒼と紅のおじいじゃからのう。ここにしか帰らぬ」


 白はいつもより真剣な声で蒼を抱きしめた。ぎゅっと、その身に引き寄せるくらいの強い抱擁。同時に何度も頭を撫でる。その仕草に紅は泣きそうになった。それくらい、仕草に白の気持ちが籠もっていたから。

 低く落ち着いた声に白の心内を感じたのか。蒼は、目頭にぷっくりと滴を溜めたものの、


「うん、じゃあ、わかった」


と小さく笑った。

 その笑顔に紅は一抹の不安を覚えた。いつも感情のまま、屈託笑ったり泣いたりする妹が、どこか嘘くさい笑顔を浮かべている気がしたのだ。それはある人に抱いている違和感とひどく似ていて――。


「蒼、やめろ。そんな顔、やめろよ」


 肩を乱暴に掴んだ紅に、蒼は泣きそうな顔で笑いかけた。

 いや、実際に蒼は泣いていた。ぼろぼろと零れる涙。平然と涙を流す蒼に、逆に紅は慌てた。袖口で必死に拭うが、当の蒼は嬉しそうに瞳をつぶすばかりだ。ついには、紅の腕を掴み俯いてしまった。


「蒼?」


 名前を呼んでも、蒼はただ静かに涙を床に落とすばかりだ。

 たまりかねて白を見上げるが、白もひどく疲れた顔をしていた。この中で両者の事情を知っているはずの紅が一番、取り残されている気がした。


「おじい、絶対ね」


 蒼が小さく呟いた。それが合図となり白は足を動かした。すれ違いざまに蒼と紅の頭を撫でて。


****

 

「おとうさん、おかあさん」


 蒼の寝言で紅は我に返った。

 ぎゅっと握りしめたはずの指の爪が刺さることはなかった。代わりに熱いくらいの体温を感じた。ひどく熱いが、決して嫌ではない。むしろ、すっぽりと自分の手に収まっている存在が、可愛いと想える位だ。


(そうか。夢の中のちっさな蒼の手があったかいと感じたのは、この握っている手のせいか)


 寝台に突っ伏したまま、紅はほんの少し手に力を込めた。すると、すぐにと握り返された。


(本当はあの時、冷たくて、つめたくて、消えちゃうんじゃないかと思ったもんな)


 本当にこの妹は困る。普段は紅をからかったりするくせに、ふいに全力で甘えてくるから。

 なんとか頭を動かし、寝台に横たわる妹を見る。目の前の蒼は真っ赤な頬で荒い息をしていた。目に見てわかるほどに肩が上下しており、吐く息も白い。


「って。浸っている場合じゃないか。明日――いや、もう今日は水婆が看病に来てくれるって言っていたっけ」


 紅の体が音を立てて持ち上がった。

 枕元の可愛らしい時計に目をやると、昼時を示していた。胡蝶を模し、藤があしらわれた大皿ほどの時計は蒼のお気に入りの品物だ。蒼が修行に出る半月ほどまえに両親が送った物。

 時を刻む道具を、自室ここから離れる娘に送った意味。それは、蒼と離れている時も蒼を想っている証しであり、離れていても確かに蒼の時は刻まれ成長していくもの。そういう思いを込めて送ったのだと、紅は茶を啜る両親から聞いた。


「ほんとさ、蒼は苦しい時ほど、言葉にしない」


 手は握ったまま、紅は寝台に腰掛け直す。

 白を見送った後、蒼は熱を出し寝込んでいる。見舞いに来てくれた真赭まそほ浅葱あさぎもどこか違和感を覚える様子だった。

 真赭などは真っ青な顔をして、蒼におかしなアゥマの気配はないかなどと尋ねてきた。


(そんな気配はないと否定しても、ちゃんとオレの能力を使って調べてくれなんて言い出すし、華憐堂の一件って訳でもなさそうだったな)


 結局、不安の原因を聞きだせなかった。浅葱がそそくさと真赭の手を引いて帰ってしまったのだ。


「今度はきちんと聞いてみよう」


 そう呟いたところで、魔道の呼び鈴が部屋に鳴った。音色からして、店ではなく住居側の門の方のようだ。心当たりのない訪問者に首を傾げつつ、紅は蒼の手からそっと自分のものを抜く。一瞬だけ蒼の指が引き留めたが、頭を撫でてやると抵抗はなくなった。

 自由になった代わりに、寒さに身がぶるりと震える。腕をこすりながら、紅は雨が吹き込む廊下を進んだ。


「すみません、お待たせしました」


 門を開けると、意外な人物が立っていた。雨よけのマントから垣間見える顔は、紅もよく知った人物だった。痩せすぎかと思うくらい頬がこけた男性と、反対にふっくらと盛り上がった頬の男性が二人、これまた対照的な表情を浮かべている。


白磁はくじ副長に旭宇ぎょくうさん。ご無沙汰しております」

「うむ。師傅しはくがご不在の中すまぬ。紅暁こうきょう、少々邪魔をする」


 白磁が低く掠れのある声で短く答えた。

 白磁は魔道府の二人いる副長の一人だ。不健康そうな痩せ具合もあって、実際の年齢である四十前後よりも老けて見える。長い灰色の髪もそれを助長しているのかもしれない。

 次席副長である紺樹が首都で長官を補佐し魔道士たちを教育する立場ならば、白磁は皇国内の町や村を回り技術的な指導や溜まりの管理をする実働部隊の指揮官だ。適正は反対な気がするともっぱらの噂だが、無駄な愛想がなく淡々と業務をこなす白磁の方が癒着や不正を防ぐことができて良いのだと長官が笑っていた覚えがある。


「よぉ、紅! 俺の方は半年ぶりだな。っていうかさぁ、もっと飲みに行こうよ」

「旭宇」

「はーい、白磁副長失礼したっす。今日は仕事でしたっけ」


 随分と緩く恰幅の良い旭宇は、紅の魔道府勤務時代の先輩だ。弐の溜まりの長男であり長官の覚えもめでたい紅に対して嫉妬を隠しもしない人も少なくない中、裏表なく何かと世話を焼いてくれた人物だ。


「でも、可愛がっていた後輩に久しぶりに会えて浮かれる気持ちもわかってくださいよ。っていうか、わかってくださってるくせに」


 謝りながらも、旭宇は満面の笑みを浮かべている。

 白磁は特に諫めることはなく、小さなため息だけを落とした。この二人は昔からこんな感じなのだ。社交性が高く愛嬌のある旭宇は、口数が少ない白磁の通訳でもある。


「ひとまず中にどうぞ」


 紅は自分が差していた雨傘を白磁に傾ける。

 この時期タイミングに仕事として来訪している意味。それはあまりにも明白すぎる。わずかに紅の手が震えた。白がいない今、そして、自分が知る事実をうまく隠しながら対応できるだろうかと。


「こんな時に悪い。妹が寝込んでいるという話も聞いている」

「蒼ちゃん、寝込んでるって聞いたけど、大丈夫か? いやぁ、残念だよ。折角心葉堂にきているのに蒼ちゃんが淹れてくれるお茶が飲めないなんてねぇ」


 敷居を越え、二人は石畳を踏む。この時点で心葉堂を守護する魔道が発動し、敷地内での魔道の発動は制限される。どの溜まりでも仕掛けられている結界だが、監査の際は解除の命をもって門をくぐることがほとんどだ。

 白磁はそれを命じなかった。というか、命じる時の決まり仕草はとったが言葉にはしなかったのだ。口を動かしたのは蒼に対する心配だった。その後、繰り返すように旭宇が蒼の状態を口にしたのも気になる。


「えっと」

「旭宇。この後に旨い酒をおごってやるから、黙って着いてこい」


 豪雨に消されそうな音量で囁く白磁。嬉しそうな旭宇は、大きく踏み出した。足がとんととんと楽しげに石を鳴らした。直後、紅の視界がぶぉんと音を立てて揺れた。


「紅暁、案内を」


 白磁は切れ長の目を溜まりの方向に向けている。吐き出される白い息さえ、蔵の方に流れているように見えた。

 紅は大きく返事をして、先頭を歩き始める。旭宇の隣を通り過ぎる際、茶目っ気たっぷりに片目を瞑られた。


(さっき旭宇さんが踏み出した時、幻影魔道が発動された。一見すると浮かれているだけに見えたけれど、足底に仕込まれた魔道を詠唱ではなく足の動きで発動させたのか。すごい)


 紅は内心で冷や汗をかく。

 旭宇の能力に対してもだが、繕わなければいけない事情があることにだ。今回の訪問は華憐堂の件でないわけない。

 となれば、恐らく華憐堂の後見人となっている皇族側の見張りがついている。その目を誤魔化すために、結界内にいる者しかわからないように術を発動させたのだろう。結界内ということを利用して。

 そう考えると納得はできるが、落ち着くことはできない。


「俺、酒より典明堂の満漢全席の方がいいっすよー。あ、もちろん酒も飲みたいけど」

「二人なのに宴会料理を頼む奴がいるか」

「俺っす。俺がいるっすよ。っていうか、たまには他の奴も誘ってやってくださいよ。あっ紅、お前もこいよ。いつも二人だと、いい加減ネタが尽きるんだよ。っていうかっていうか、紺樹副長も連れてこいっての」


 後ろから聞こえてくる会話に微笑みそうになり、紅はそっと自分の腿をつねった。


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