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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 それぞれの想い―
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第57話 紅1―生い立ち―

「オレは父さんの子どもじゃ・・・・・・ない? しかも・・・・・・しかも、本当は父さんの兄さんの子で・・・・・・オレは」


 震える幼い紅の小さな手から、手紙が落ちていく。それがゆっくり見える。大人になった紅から。固まる少年の体と矛盾するように、やけに穏やかに見えているのだ。その矛盾に心がわずかに波を立てた。

 床に落ちるぱさりという紙音がやけに鮮明に耳に届く。大人になった紅は、自分の胸にあてた手から視線をあげる。


(これは夢だ。オレ、例の一件以来、熱にふせっている蒼を看病してたんだっけか。最近、あの頃のことは夢に見ることがなかったのに)


 大人になった紅は、少し離れたところから幼い自分を眺めている。

 久しぶりの胸の痛みは、余計に苦みを連れてくるモノだと思った。前に見たのは、両親が亡くなった時だったはずだ。


(今は堪えるな。しっかりしないといけない時ほど、この悪夢が心を襲う)


 幼い紅の膝から力が抜けていき、気がつけば冷たい木の床に座り込んでいた。

 これは紅が自分の生い立ちを知ってしまった時の記憶だ。何度も思う。この時、自分が余計なものを見なければ、両親も祖父もそして誰より自分は悲しまずに生きられたのではないかと。誰も辛いことを思い出さずに、笑って生きられたのではないかと。まつげがそっと肌に触れる。


「うそ、だよな。だれか、うそだって言って」


 幼い紅から嗚咽が漏れる。顔を覆って、流れ続ける涙を必死に拭っている。

 止まる事なんてないし自業自得なのにと、大人の紅は思った。大人が必死になって隠そうとしていたものを、子どもの自分が無邪気を理由として勝手に見つけてしまった。一番傷ついたのは自分じゃない。そう否定する自分の頬にも、肌を焼くような熱いものが流れているのは見ない振りをして。


 きっかけはただの好奇心だった。

 様々な書類や文献が収められている蔵の一角に、絶対立ち入らない区画があった。禁止されていたわけでも、祖父に冗談混じりにお化けが出ると言い聞かされていたわけでもない。

 だから、ある日突然、余計に気になったのだろう。紅はそういった不自然な部分に目ざとい子どもだった。人の気がつかない部分に目がとまり、人がさらりと流すことに疑問を抱くような子だった。

 アゥマを確かに可視できる能力が開花してからは、余計に視ることが楽しかった。両親や祖父にはむやみに能力を使うことは咎められていたが、とにかくアゥマが視えるのが楽しかった。じゃれてくるようなアゥマを視るのが嬉しかった。どこか特別な自分に酔っていたのかもしれないと、大人になって思うようにはなった。だが、あの頃は本当に純粋にアゥマが視えることが嬉しかったのだ。

 そんな中、蔵の一角に人よけの魔道がかけられていることを知った。周囲にしっかりしていると言われる紅も、年相応の少年だ。やっかいだったのは、その好奇心に堪えうる知識を得る環境と能力が備わっていたことだ。疑問を抱いた術、その解術を覚えるのは自然なことだった。

 一番紅の興味をそそったのは、木箱の底にある漆の箱だった。それは最上級の封印がなされていたから、殊更だったのだろう。

 アゥマが視えるようになった紅には、アゥマが手を引いてくれるように思えるほど術の解除が容易だった。かちりと箱の蓋が音を立てて上がった際は、これ以上ないほどに頬が紅潮したのを覚えている。


「やった! 父さんやおじいに言ったら誉められるかな。母さんにはどやされそうだ。蒼にはこっそり教えてあげようかな」


 幼い紅はそんなことを言いながら、満面の笑みで蓋をあけた。

 そこにあったのは、何枚もの紙だった。一目で上質なそれだとわかるものだ。おまけに燃やしたり破いたりすることができない術までかけてある。

 幼い紅は、どこかざわつく心を押し殺し何枚かのうちから一枚を抜く。まるで誘われるように手が動いていた。その一枚を読むように。


「えぇ!? これ、すごい! 弐の溜まりっていうのがすごいっていうのは知っているけど、隣国の王族とも繋がりがあるの?」

 

 印や文章から、隣国の王族からのものだとわかった。紅の好奇心はさらに刺激された。

 だが、読み進めていく中、徐々に汗がわき出てきた。難しい言い回しは理解出来ないが、大筋は読み解くことができるその内容に。

そうして、ある下りで紅の思考は停止した。


――橙などという名に変えたフラーウムにとっても、クコ皇国弐の溜まりの主や娘にとっても望まぬ子だとは理解を示そう。だからこそ、あの子を我が国に引き渡せ。紅暁こうきょうは、正当な第一王子の子である。お前の不在中に娘の意に沿わず宿らされたとは言え、今は亡き王子の唯一の御子であり後継者だ。庶民に成り下がった元第二王子フラーウムの元になど置いておく道理はない。せめてもの情けで、お前たち二人の実の娘からは手を引いてやる。宰相でありお前の友人である我が私的に送る手紙とは言え、これは確かに国王の意思でもある。特に紅暁は頃年、例の能力に目覚めたと聞く――


 そんな内容だった覚えがある。ただ、目から流れ込んできた事実が脳と心を支配していたので、今となっては良く覚えていない。そして、紅がそれ以降を読むことはできなかった。

 王子とか後継者とかそんなことよりも、ただただ、自分が大好きな両親や祖父に望まれていない存在だったとことに体が震えた。ちょっとうるさいところもあるけれど可愛い妹の蒼とも、本当の兄妹ではなかったという事実が、無性に紅を苦しめた。


「みんな、オレのこと、ほんとうは、嫌いだった? 邪魔だった? 見るのもうとましかった?」


 そこで幼い紅は口を押さえ、嘔吐した。胃がひっくり返るつらさも、喉を焼く胃液の痛みも覚えている。全部出ても足りないと痙攣けいれんし続ける胃が苦しかった。

 頭の片隅でここを汚したら両親にばれるから駄目だと思いながらも、止まらなかった。しかも胃から出るのは、母が自分の好物だと作ってくれた卵と牛肉も炒め物だったから、罪悪感は余計にだ。


(あの時は吐く苦しさより、母さんが自分のために作ってくれたモノを吐き出すのが辛かった)


 理由が理由だから。大人の紅は腹部を押さえた。ここからは何も感じないはずなのに、体を追って床を叩いている少年の痛みはリアルに思い出せるから不思議だ。

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている幼い顔。

 そうして、大人の紅は別の罪悪感を抱く。以前、同級生から言われた何気ない一言を思い出し。


――お前、妹馬鹿だよな。俺も妹がいるけど生意気ばっかりで、最近じゃあ男臭いって近づきもしないぞ? お前のところ異常に仲が良い――


 今にして思えば、単なる愚痴とからかいだったとわかる。けれど、真実を知った後の紅にとっては、恐怖を煽る言葉でしかなかったのだ。

 自分が蒼に過保護なのは、母を無理矢理ものにした異常者の血を引いているからだとか、無意識の罪悪感からだと。

 怖かった。自分が。とにかく、自分の思考全部が異常なんだと思えた。

今は、ばからしい思考だと笑い飛ばせる。が、当時の紅にとっては全てが負の材料になり得たのだ。


(オレは今でも過去にとらわれているのか? いや、萌黄さんのことがきっかけか)


 そうだ。華憐堂で見た萌黄と店主の異常な雰囲気に、あてられたのだろう。

 紅は深い息を吐いた。いや。あれを異常だと感じたのは一瞬だった。紅が自分の思考と心に不安定になっているのは、数秒後には二人の不自然な空気が、普通だと感じられた点なのだ。直感でしかないが、その直感が――それが普通だと感じられた所に紅の身が震えた。

 そうこうしているうちに場面が変わった。

 雨が降りしきる森の中だ。湿った草木の香りと雨の冷たさが、現実的リアルに肌に伝わってくる。


「ばかばか! あおのおにいちゃんは、こうきょうおにいちゃんだけだもん!」


 五から七歳ほどだろうか。幼い蒼が泣き叫んでいる。わかっているのに手が上がらない。幼い紅は、蒼の頭を撫でようとしない。これが一番堪える。第三者視点ならまだ我慢ができる。でも、大人の思考を持ちながら、幼い行動をするのにままならない。

 けれど、勝手に口が動く。


「うるさいな。そんなに泥だらけになって、その服、お気に入りじゃなかったのか? さっさと帰れよ」

「そうだけど、そうじゃない、いいんだもん! 今は、こうきょうおにいちゃんのが、だいじだもん!」


 蒼は転び、地面に座り込んでいる。お気に入りの桃色の服を泥だらけにして、それでも、自分を見下ろしている紅を睨むように見上げている。

 口をきゅっと結びながら、大きな涙をぼろぼろと零す蒼。

 よろよろと立ち上がる蒼を前に、紅は自分の小さな手をきつく握った。


「だから、オレは蒼の兄ちゃんなんかじゃない。むしろ、父さんの子でもないんだ。生まれなきゃ良かった、人間なんだ」


 紅は口にして、ずしりと心臓が石になったようだった。それと同時に、不思議と心は軽くなった気がした。

 だれにも言えなかった、我慢していた気持ち。

 幼い紅にだって、不安をぶつける相手を間違えているのは十分理解していた。普段から自分についてまわり甘えてくる可愛い妹相手に、しかも、家を飛び出した自分を誰よりも先に見つけてくれた妹に・・・・・・。

 けれど、一度言葉にしてしまえばもう止まらない。溢れてきて止まらない。瞳が熱くなるのと一緒で。


「オレなんかいなきゃよかったんだ。母さんはオレがいたら、ずっと幸せになれない。いらない子を産んだって、ずっと嫌な思いをするんだ」

「お母さんがそーいったの? お父さんがおにいちゃんにそんなこといったの? こうきょうおにいちゃんが、泣くようなひどいことしたの?」


 その言葉は紅の胸にずしりときた。それと同時に、とてつもなく苛立った。

 幼い紅には、まるで自分が責められているように感じられたのだ。蒼が、自分が大好きな両親がそんなことを思わせるはずがない。だから紅が勝手にいじけているだけだと言っているように思えた。


「なんだよ! オレが悪いって言いたいのかよ!」


 頭に血が上った紅は、思い切り蒼の肩を押していた。軽い蒼の体は、いとも簡単に後ろに倒れた。ずちゃと、泥が音を立てた。

 さすがに紅もまずいと思い、手が浮いた。


「あお!」


 手を伸ばしかけて、紅はぐっと小さな拳を握った。眼下には、両側で結んだ髪を泥に汚している蒼がいる。それどころか、顔も泥に埋まり激しくむせている。

 紅の視線が、顔から髪にあがっていく。蒼紫色の綺麗な長い髪が泥まみれになっている。耳の少し上で一束結っている部分も、例外ではない。


「あっ――」


 幼い紅も大人の紅も、蒼の一転に視線が集中した。その時、蒼は宝物のリボンをつけていたのだ。それが見るも無惨な茶色に汚れている。

 リボンは、紅と同じくらい蒼を可愛がっている十歳年上の紺樹が二日前に贈ったばかりのものだ。クコ皇国ではあまりない線帯レースがふんだんに使われている。真っ白だったはずのそれは、もはや見る影もない。


(あんなに嬉しそうな蒼の顔、みたことなかったのに・・・・・・絶対、嫌われた。あの時、オレ、そう思ったんだよ)


 当然予想できたことなのに、紅は己の血の気が引いていく音を聞いた。爪先から急激に冷えていく。自分の出生の秘密を知ってしまった時は全身が熱くなり、心臓が破裂しそうに音を立てた。怒り、悲しみ、恐怖、不安、寂しさ。色んな感情の色が混じり合って黒になった。

 しかし、今はただの白が心を支配している気がした。


(蒼にもうお兄ちゃんと呼んで貰えないかもしれない。何も知らない頃なら、ただの兄妹喧嘩だって、次の日には反省して謝って仲直りできたのに。できると思っていたのに、今は違う)


 紅はどうしていいのか、わからなかった。自分がしたことなのに。自分がしてしまったことに、後悔しかない。でも、現実を受け止めるしかないと、どこか冷静に考えてしまう。

 心葉堂はとてもあたたかい。家族が仲良く、助け合う。蒼が拾ってきたような紺樹も、最初こそ蒼以外を警戒していた節はあったが、今や家族同然の仲だ。紅も兄ができたような気がして、嬉しかった。実際、色んな知識があり周りの子どもとは違う雰囲気をもつ紺樹を慕っていた。


(だから、怖かった。オレは家族じゃないって、言われるのが。オレは、母さんが無理矢理、生まされた子だから)


 紅は自分の出生を知って、ずっと怖かった。あの優しい家族が、ずっと自分が生まれた瞬間から、疎ましい感情を抱いていたのではないかと考えると苦しくて堪らなくなった。

 紅を慈しんでくれてはいるのを実感していた分、怖かったのだ。子どもである自分が理解していないだけで、ずっと母と父、それに祖父を苦しめているのではないかと。

 愛されている自覚があった分、恐ろしい。あの笑顔の裏に、自分を疎ましく思う感情があることが。愛する人たちに、生まれなければ良かったと言われるのが。


「おにい――」


 顔の泥を掌全部で拭いながら、蒼が顔を上げた。表情は見えない。でも、きっと、いつもの色鮮やかなものを見る煌めいた目でないのは、火を見るより明らかだ。


「だから言っただろ! さっさと帰ってリボン洗って貰えよ! 紺兄にもらった大事なモノだろ。オレなんか本物の兄じゃないんだ。紺兄に、兄になってもらえばいい!」


 紅は自分の上着を脱ぎ、蒼に投げつけた。軽蔑の目を見たくなかったのと、蒼が風邪を引かないようにと。顔を拭くモノがないせいで、目を痛めたらいけない。そう思ったのだ。

 と同時に、大人の紅は自分のむちゃくちゃな言い分にうんざりとした。これはただのやきもちだ。自分が紺樹を慕うのはいいが、蒼が紺樹を『こんおにいちゃん』と抱きつくにもやっとする。当時の自分が抱いていた葛藤を思い出し、紅はため息をつくしかない。


「――もん」

「え?」


 踵を返し、逃げだそうとしていた紅の耳に涙声が届いた。

 そうだと大人の紅が思った瞬間、視点が変わった。随分と高くなった目線。その目には、雨が降り出した中で動かない子どもが二人映っている。きょとんとしている幼い自分と、睨むように顔をあげて上着を抱きしめている蒼。駆け寄ろうにも、地面に足を縫い付けられて微動だにできない。


「こうきょうおにいちゃんしか、あおのおにいちゃんじゃないもん!!」


 痛むだろうに。幼い蒼はずりむけた膝に一瞬顔をしかめたが、ぼろぼろと涙を零しながら唇を噛みしめた。小さな紅葉の手を紅にのばし、長い上着の裾を掴む。その拍子に蒼は足を滑らせ、べちゃりと顔面から顔を突っ込んだ。

 それでも、幼い紅は動かない。大人の紅は思わず苦笑を浮かべた。そう、幼い紅は蒼を試していると感じたのだ。いや、思い出したのだ。


「うべぇ。あお、雨の音はすきだけど、どろんこは苦しい。お母さんはどろのなんかを顔にかぶせて、いいのよっていってたけど、あおはやだなぁ」


 蒼は泣くどころか、うんざりとした様子でべぇっと舌を出した。


「ぷっ」


 紅は大きく吹き出していた。




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