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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 それぞれの想い―
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第50話 違和感の正体1―萌黄―

「この国のアゥマが不安定な時期に魔道府長官に呼ばれた時点で、ある程度の事態は覚悟していたけれど……今日はなんて日だったんだ。紺兄だけじゃなくって、燕鵬(えんほう)にまで会うなんて。本当に疲れた」


 紅は人目もはばからず、大きな溜息を落とした。

 すぐさま我に返り周囲を見渡すが、幸いだれとも視線が絡むことはなかった。むしろ、人とすれ違うどころか、道を歩いている人さえほとんどいない。


(この人気のなさは、異常だよな)


 日が沈み、いくら店が閉まっているとはいえ、ここはクコ皇国首都の中央通りだ。平素なら、代わりに屋台が並び、東屋で楽しむために酒やつまみを求め渡り歩く人で溢れかえっているはず。

 人がごったがえす中、いかに肩をぶつけずに歩くのか考える方が、クコ皇国の首都で生まれ育ってきた紅にとっての日常だ。


(首都は、人の出入りが激しいのと同時、長く住まわっている人間が多い。やはり、異常なアゥマに影響を受け、外出できるほどの体力がなくなっているか、本能的に控えているせいだろうか)


 肌に感じるアゥマがもたらす痺れに、紅は身を震わせた。それでなくともと、空を仰ぐ。どんよりと、重たい雲が空一面を覆っていた。長官と別れるまでは満点の星空が見えていたのに……やはり天候がかなり不安定になっているようだ。

 ほたっと、頬に感じた冷たさで思わず片目を閉じる。


「これは、結構な雨がくるな。水属性のアゥマが騒いでいる」


 顎をあげたまま、紅はそっと瞼を落とす。

 紅は、肌を湿らすこの空気が嫌いではない。天から雫が零れ落ちる――空からほつりと落ちる、初めの一雫を受ける瞬間が好きであるし、どこか得した気分にさえなる。


「紅さん?」


 幸せに浸っていた最中、背中を冷たいものが走り抜けていった。

 かけられた声色は、至って透き通ったもの。むしろ、どこか不思議そうな女性の声は、愛らしいと感じられる部類だ。声をかけられた大概の男性は心が弾むだろう。

 けれど、紅の心臓はけたたましく暴れだす。魔道府で知った禁書の内容が、どっと脳裏に蘇ってきて何度も唾を飲んでしまう。


「あっ、と。もえぎ、さん」


 頬がひきつり、呼吸が乱れる。制御しているはずの能力が勝手に発動し、視界のあちらこちらにアゥマが見え始めてくる。見る見る間に彼女から発せられている黒い影に世界が埋め尽くされそうになっていく。


(落ち着け。いつも通りのオレでいろ。大丈夫。アゥマとの繋がりをほどよく切れ)


 紅は背負う荷の肩紐を、掛け直す振りをして強く握った。


(今の今で、ぼろを出すわけにはいかない)


 紅は魔道府での出来事を、意図的に頭の片隅へ追いやる。人の生死を司る禁術の存在なんて。


「こんにちは。いや、こんばんはですね、この時間帯だと。萌黄さんはこんな時間に一人でお出かけですか?」


 多少は頬がひきつっているかもしれない。正直、紅には自分の状態を誤魔化す余裕はない。

 であるのに、萌黄は花のように微笑みを浮かべた。


「はい!」


 なんの裏もない返事。

 それで、紅は湿気のうっとうしささえなくなった気がした。


(警戒するべき人物なのに)


 どうしてか、紅はやるせなくなってしまう。胸が締め付けられて、泣きそうになる。振ってくる雨粒も気にすることなく、ずり落ちそうになる外套を必死に掴み駆け寄ってくる萌黄の表情に。

 けれど、紅はだれよりも自分を知っていると自負している。その感情が、決して恋慕などではなく、ある種の同情だと自覚しているから、さらにどうしようもなくなるのだ。


(この気持ちを同情と言わなくて、なんと表現できるのか。だって、オレはこれまで萌黄さんのことを疎ましく感じていたのに、禁術の話を聞いた今になって、心を動かされているのだから)


 紅は自分の血の繋がった父を思い出して、心内で苦笑を浮かべた。だって、自分は蒼と白«おじい»が無事なら、それで良いって思う人間だと、拳を握った。

 ずっとずっと。紅は己の出自を知った時から、実父の存在を否定してきた。蒼の父とは違う、自分の父。けれど、互いの父はだれよりも近い血を持つ。


(どうしたんだろう。随分と思い出すことがなかった父を、ここ最近は思い出してしょうがない。ただただ、狂気のあるままに、あの人から母を奪った実父を)


 紅は口と腹を冷たい手で覆う。人前でなければ、あらゆるものを醜く吐き出していただろう。実際、少しよろめいてしまった。青いであろう顔で壁に腕をついた紅を心配したのだろう。駆け寄ってくる萌黄に、なぜかさらにイラついた。


(いやだ、本当にいやだ)


 考えるだけでも嫌になる。その血だけではなく能力が宿っていることに嫌気がさす。

 なにより嫌なのが、この体に流れるその半端な血が――敬愛する育ての父の半身ふたごのものであるということだ。

 ちくりと痛みを感じ、腕を見る。二の腕にたった爪のせいだ。流れる血を見て、「蒼が心配する」と呟いて、ようやく紅の心は落ち着いた。自分は妹想いな兄なのだと思って。


(大丈夫。オレはあんな最低な実父とは違う。ただ、守りたいだけ)


 荒い呼吸を整えて、紅は自分の体を支えようとした萌黄からそっと離れた。

 それに対し、寂しさよりも疑問を浮かべた萌黄。が、数回視線がさまよった後、あっさりとした様子で袖を合わせた。流しているのではなく、ころりと雰囲気が変わったのだ。


「紅さん。心葉堂へお帰りですか? でしたら、雨宿りがてら、拙宅でお茶などいかがですか?」

「いや、オレは――」


 いつものように。断りのため片手をあげかけて、言葉を飲んだ。

 これは絶好の機会なのではないだろうか。紅と萌黄の関係からしたら、自ら策をこしらえて華憐堂に乗り込むよりも、誘われ腕をひかれながら訪れる方が自然だ。

 紅は願ってもいない誘いに食いつきそうなる心を抑え、いつも通り、頭を掻いて見せた。


「そうおっしゃらずに。ふふっ。前にもこうして雨の中、私が腕を引いて茶の席をご一緒したことがありましたね」


 ぎゅっと。女性とは思えない力で腕を引かれたのもあった。けれど、紅の瞳を開かせたのは、強引に腕を掴んで店へと足を進めていることでなどなかった。

 今、萌黄はなんと言って笑ったか。


「雨の中、茶の席を?」

「あら、いやだ。私が落ち込むのが楽しいって、いつもそうやって、からかうよりも意地悪をぶつけてくるのですから」


 長い袖の下で、鳥肌が立ったのがわかった。

 紅は基本的に温厚な性格だ。蒼や紺樹、それに親友の双子にはっぱをかけようとからかうことはともかく、人が落ち込むのを見て楽しむような冗談は口にしない。

 目の前の女性は、一体全体、だれの話をしているのだろうか。


「けほっ。これは――」


 途端、視界のアゥマが強烈な臭いを放っているのに、気が付いて、むせかえってしまった。いつもの、吐き気をもよおす悪臭だ。いや、これまでとは比較にならない位にひどい。まるで内臓に直接沁みこんでくるような、気持ち悪さ。

 

「先日、丘で食べたお弁当だって、私、一生懸命作りましたのに、味が濃いなんておっしゃって。なのに、ちゃんと最後まで食べてくれた上に、私の好物まで取ってしまうんですもの」


 決定的な言葉だった。それは、ずっと疑問に思ってきたことだから、余計に印象に残っている。

 そう、彼女は出会ってから、蒼や紅にいくら茶を勧めることはあっても自らが食することは――。


(オレ、萌黄さんがモノを口にしているところすら、見たことないですよ?)


 紅には、萌黄の背中しか見えない。彼女はどのような表情で語っているのだろう。妄想か、あの禁書の男性と同じように忘れた過去を思い出しているのか。紅にはわからない。

 雨足が強くなっているのも、気にならない。紅の全身は恐怖で支配された。身に覚えがなく、しかしながら、抱いていた可能性が確かになっていく話に眩暈を覚えた。

 なのに。どうしてだろう。紅は萌黄をかわいそうだと思っている。後ろめたさのない、弾んだ声色で話しかけていく、無邪気な女性が。


(彼女は、単なる犠牲者なんだ。そうに、違いない)


 紅は自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返すことしか出来なかった。

 この期におよんで、華憐堂――いや、クコ皇国を揺るがす脅威に、萌黄が関与している可能性を否定したいのか。大事なものを守ると誓い、たった先ほど真相に近づいたのにも関わらず。

 紅は己の甘さにうんざりとしてしまう。今更浮かび上がってきた可能性を排除するほど、目の前の人物に思い入れなどないのに。


「萌黄さんの好物って、なんでしたっけ」

「また、そうやって意地悪を」


 振り返った萌黄の頬は、はっきりと染まっていた。恥ずかしげに紅潮しているのは幾度となく見てきた。が、どの恥じらいとも違う。

 幸せ。

 そう、顔に書いてある。文句を口にしながらも、萌黄はだれかとの思い出を、極上の微笑みで語っている。


「いえ、今度一緒に食べられたらと思って。好物っていう割に、最後に食べたのは――随分と前じゃないかなって」


 華憐堂の店内に入る一歩手前、紅は引かれていた方とは反対の手を、握られている萌黄の手に重ねた。

 冷たかった。握られた際は緊張で感覚が麻痺していたのだろう。ぞくりとするというより、氷に張り付いていると思えるほど冷たい。


「もう! 最後に私の手作りの栗きんとんを一緒に――あら。あ、ら? 私と貴方が、私が、最後に、食べたのは」


 すっと。萌黄から表情が消えた。

 紅の目の前にいるのは、人形のようにうつろな瞳をした女性。壊れた蓄音機のように、「あら」と繰り返すばかりの。


「萌黄、さん!」


 何かを言おうと思ったわけでもない。それでも、自分を通り越した場所に意識を飛ばしている女性の両腕を、力の限り掴んでいた。

 その拍子に、萌黄の足が一歩後ろに引き、扉が後ろにひかれた。


「はっはい! 紅さんてば、店先で大胆ですわ!」


 萌黄の左足が店内の地面を踏んだ瞬間に、ぽっと瞳に色が戻った。

 閉店準備も終えていたのだろう。店内はしんと静まり返って、ほのかな明かりだけがあった。


「あ、えと。すみません。何の話をしていたんですっけ」


 紅は動揺しつつも、萌黄に探りをいれることを忘れない。

 萌黄は咄嗟に口元を隠していた両袖をわずかにおろし、くすくすと笑いを零した。


「紅さんてば、かなりお疲れですのね。お茶を淹れますってお話、してましたでしょ?」

「栗きんとんは?」

「まぁ。紅さん、栗きんとんがお好きでしたの? お父様と同じですのね。すぐ用意させますわ」


 落ち着け、紅。

 紅は自分自身に、再度言い聞かせた。彼女の言動ひとつひとつに戸惑う様子は見せても良い。それは日常だから。だが、怯えては駄目だ、と。

 深呼吸をひとつする。店内に満ちている臭いが、鼻から体に入ってくる。近づいてくる異様な気配にも、逃げ出したくなるのを耐える。

 気持ちが悪いのは何ら変わりない。けれど、今は逆にそれが気を引き締めてくれた。


「萌黄、客人か?」

「お父様!」


 萌黄の顔がぱっと華やいだ。それは、つい今しがた、紅におかしな発言をしていた時の彼女とかぶった。

 店の奥から出てきた人物に、紅は軽く会釈をする。が、肝心の萌黄の父は、紅を視界には入れてはいなかった。駆け寄ってくる娘だけをとらえている。

 背後で光った雷が照らす姿に、目を奪われる。


(なんだ、この違和感)


 萌黄に飛びつかれ、父親が驚いたのは一呼吸だった。すぐさま、病的な色の顔を綻ばせた。

 腰までの長い灰色の髪がかかっている頬はひどくやつれ、わずかな明かりの中で余計に顔色がよくないように見える。闇に溶け込みそうな黒い長袍«チャンパオ»が不気味さを助長している。


「お父様がこの時間に浄錬室から出られているなんて、珍しいですわね! 今日は夕餉を共にできますの?」

「いや……すぐに地下に戻るよ。すまないね。萌黄が寝る前には、お前の部屋に顔を出すよ」

「なーんだ。残念」


 違和感を覚えた紅は、無意識に両足を開き構えていた。

 紅は萌黄の人間関係を把握している訳ではないが、それでも、茶葉店の会合で親子並んだ。その時、萌黄はひどく肩身が狭そうに怯えていたし、父親もそんな萌黄を気遣っている風は全くなかったように覚えている。


「出来るだけ早く終わらせる。それはそれとして・・・・・・」


 萌黄の頬を愛おしそうに撫でていた店主が、ゆっくりと顔をあげ紅を捉える。その視線のあまりの鋭さに、紅の足は一歩後ろに引いてしまう。恐怖からではない。やはり、浮かんだ違和感からだ。

 あれは、娘につく虫を警戒している視線だろうか。蒼が修行に出る前、十四才の頃、父が見せた心配の色とはどこか違う気がしてならない。


「お父様、紅さんにどうしてもうちの自慢のお茶を飲んで欲しくて。ほし、くて」


 意気揚々と父親の服を掴んだ萌黄だが、まるで自分の言葉に疑問を感じたように「あら?」と繰り返し始めた。


「わたくし、だって、ほら、飲んで欲しくて」


 虚ろな瞳になった萌黄が、紅と父親を交互に見る。最初はゆくりと。次第に震えを伴い、目に涙を浮かべていく。混乱があからさまになっても、父親は萌黄をなだめることはない。ただ――ただ、とても悲しそうな色を浮かべて、萌黄を見つめ続けている。


「あの、オレ、今日は帰りま――」

「お嬢様、旦那様。お客人を立たせたまま、なにをしておいでか」


 いつの間に近くまで来ていたのか。影から現れたのは店守である湯庵«ゆあん»だった。腰の後ろに両手を回し背中を丸めてはいるが、全く老人の所作ではない。一歩一歩が重く、彼が近づいてくる度、周囲の空気が重苦しくなっていく気がした。

 そう感じたのは紅だけではなかったようだ。萌黄はすっかり怯えて合わせた両袖で顔の大半を隠してしまっているし、父親は深いため息をついた。


「ささっ、心葉堂の若旦那。あちらの個室へおいでくだせい」

「いや。オレは失礼しようかと」

「一雨来そうですし、そうおっしゃらず」


 はげ頭を撫でながら、湯庵が決定事項と言わんばかりに個室へと向かっていく。相変わらず威圧感は放っているものに、一瞬感じた殺気は消えている。


(今の反応で、あっていたようだな。後は茶によほどの毒でも盛られない限りは、大丈夫か。いや、油断は大敵だ)


 ぐっと両手を握る。背負った鞄がやけに重く思えたが、紅はなんでもないように、いや、若干の申し訳なさを演じながら湯庵の後を追った。


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