★最終章前のダイジェスト★
少し、長い話をしよう。
そんな話に付き合うのだ。あなたはあたたかく薬効のある茶か、はたまた、とびっきり澄んだ水で作られた酒を共にした方がよい。いずれにするかは任せることにしよう。
ただ、貴方が飽きずに飲めるものを選んでほしい。
さて。かつて世界は太古の戦争により穢れに満ちていた。穢れは生命を脅かす存在として、ありとあらゆるものを腐敗させ続けたのだ。それが、この世界。
そんな世界を救ったのは、突如として現れた一本の大樹だった。驚くことに、神樹の花や葉、あふれ出る粒子は触れたものを浄化したのだ。『アゥマ』と呼ばれるようになったそれは、衣食住の生命活動すべてにおいて欠かせなくなる。生き残った人々は『アゥマ』の溜まる場所や流れの上に集落や国を築いていった。
けれど、すべての存在が『アゥマ』を制御できたのではなかった。最初にアゥマを自由に操ったのは、『始まりの一族』という大樹が現れた土地に住んでいた人々だった。
酔狂なことに、彼らはその技術を独占することはなく多くの人々に伝え歩いた。
やがて、アゥマを扱える者は特殊な浄化能力―浄錬―を行える技術者として国に重宝され、また、溜まりの番人としての役割を担うことになる。なにより、アゥマを応用した魔道を繰ることが可能だったため非常時には戦人としても戦争に駆り出された。
歴史は繰り返す、とはよく言ったものだ。よりアゥマが豊かな溜まりを巡って、戦争を起こす。実際、アゥマが少ない溜まりしか持たない国は、今でも階級による生活の差は大きい。
と仰々しく世界を語ってみたが、この物語が紡がれるクコ皇国は太平の世である。浄化の力もすっかり娯楽としての付加価値の意味合いが大きくなった時代と言ってもいい。
舞台は、柔らかい風が淡い色の花びらを舞わせるクコ皇国。東屋では人々が思い思いにうたい、お気に入りのお茶を堪能しながら風情を楽しむ。
そんな平和で豊かな国の老舗茶葉店、心葉堂で働くのは十六歳で店の茶師職を継ぐことになった少女 蒼月だ。この少女だが性格は明るく人懐っこいが、いかんせん、茶葉のことになると人が変わる。研究熱心なのには感心するが、寝食を忘れ浄錬に没頭するのだ。
研究肌の妹を支えるのは、店長見習いの兄である紅暁だ。彼は紅と呼ばれ、温厚で非常に穏やかな性格をしている。齢は二十過ぎ。ただし生来の心配性がたたり、活発な妹のせいで万年胃痛を患っているのが哀れなところ。
そんな若い二人を見守るのは、先々代の茶師である祖父の白龍だ。飄々としたこの男、今は、国一番のアゥマ使いの称号フーシオを賜っている。
さてさて疑問に浮かぶのは、老舗である心葉堂の主力が十六歳の少女と二十を過ぎたころの青年という点だろう。
実はこの家系、能力の高さと繁栄と反比例に不幸が続いている。先々代である白龍のつれが二十年も前に先立っているのは命の定めで仕方がないとして、蒼と紅の両親は数年前の国の大異変時に若くして亡くなった。その時、国の多くの職人が『謎』の死を遂げているのだが……それは、このお話の根幹に触れる部分でもあるので、まだ内緒にしておこう。
うん? ちょっとだけヒントが欲しい? それなら、蒼の親友である古書店、蛍雪堂での出来事を覗くと良い。
それよりは、蒼と紅の母である藍の人生の方が残酷で重いモノになるのかもしれない。あの子も良い子だった。良い子過ぎたのだろう。だから、自分をひどい目にあわせた男性を憎むことも、愛した人のために他を憎むことも出来なかった。
ある意味では、愛という感情に狂っていたのかもしれない。
それに……これはとっておきの秘密だが。仲の良い紅と蒼の兄妹の関係にもかなり歪みがあるようだ。まぁ、蒼は歪みだとは考えていないようだが。
魔道府での紅の発言からも察することはできるが、紅にとって実父と父親は別もののようだ。加えると、紅にとって実父は忌避すべき存在のようだよ? どうやら、このあたりが紅の異常な妹への過保護さに由来しているようだ。
まぁ、紅は蒼がその秘密を知っているとは気が付いていないようだ。
あぁ、異常なというなら紅の紺樹に対しての敵対心もか。あれは少々仕方がない事情があるんだ。
もともと、紺樹と紅蒼兄妹は家族のように育ってきた。出会ったのは、ちょうど紺樹が今の蒼の年齢だったか。詳細は今後の物語の中で知ってもらうとして、とにかく、当時荒れていた紺樹少年は蒼に救われたようだ。それ以来、彼は蒼をとってもとっても可愛がってきた。それこそ、目に入れても痛くないほど。
なのに、そんな紺樹の態度は蒼が修行から帰ってきて一変した。
そもそも、あれだな。蒼の修行について説明しないといけないか。
これは古い習わしだけれど、アゥマ使いは他の職人の元で数年修行してから自分の店を継ぐのだ。これには、狭い視野や価値観に囚われないようにという点が強い。
蒼も風習に従い、祖父白龍の親友である黒龍の元に修行に出ていた。けれど、不幸なことにその間に両親が亡くなった。蒼は元々修行に出る前から職人の技量的には申し分ない実力があったこともあり、急きょ実家に戻ったのだ。あの時は色々な人間模様が見えて面白かったけれど、それはまた別のお話だ。
さてさて、ここからが本題だ。
悲喜こもごもあれど、それなりに平和にまわっていた心葉堂の日常。その平和が乱されたのは、街の中央に新しい溜まりが発見されてからだ。
そもそも、溜まりが古い歴史を持つ国の中央通りで発見されたこと自体異様だった。しかも、その溜まりの管理者に国外から来たものが選ばれた。異様異常がお祭り状態だ。
しかも、アゥマの管理を統べる魔道府がのけ者にされての、皇室独断の決定事項ときたもんだ。その後見人とやらは、皇太子が国外周遊をしていた際の恩人らしい。
実際、異国の店主が率いる華憐堂の繁盛っぷりはすごかった。その店の出す茶葉に、クコ皇国の首都にいる人は魅了されていく。東屋にたまる一部の翁たちには警戒されていたようだが。
心葉堂にとってやっかいだったのは、敵対店が現れたことではない。もともと、心葉堂は客に親身になり『診断』を下したり少ない客との対話を重んじてきた。不特定手数にふりまく華憐堂とは姿勢が違うのだ。
面倒くさいのは、華憐堂の一人娘である萌黄が、紅に惚れたことだ。一見すると一途で儚い萌黄だが――彼女の言動にはいくつも謎な点があった。出会いから始まり、蒼一家が祓いの力をもつ札を購入しに出かけた日の出来事も。すべてが、偶然と呼ぶにはあまりもおかしかった。それは、幼馴染の紺樹の言動も含めてなんだけれど。
それでも、蒼は紺樹とのやり取りから職人として、年が離れた彼と肩を並べられるようになったのだと、やる気を出したようだ。それまでの彼女は、紺樹に対する感情に戸惑い、落ち込んでいたから。
自分から言わせたら、かなりもどかしい関係な二人だ。
紺樹は昔から蒼に特別な感情を抱いているのは確実だ。なのに、蒼が修行から戻って女性としてもかなり魅力的になって帰ってきてから、反対に、子ども扱いするようになった。加えて、一番の変化はよそよそしい口調と態度だ。前までは素で接していたのに、今は常に丁寧語なのだ。それは、誰に対してもだけれど。魔道府の次席副長になったからという意見もあるが……彼の態度に関しては、これから明かされることだろう。
話を、華憐堂の萌黄に戻そうか。
彼女については、紅が密偵を受けに赴いた魔道府でのやりとりが全てだ。実際、彼女の名が具体的に出たのではない。が、話の流れから言って、彼女がクコ皇国にもたらされている異常気象の原因の一因である可能性は高い。
そもそもクコ皇国の異常気象の原因は以下の数点が絡んでいる。
・溜まりの疑似を作り出す禁書の存在。これは紅とは別に、蒼も蛍雪堂の地下で読んでいる。ふたりが同時期に似た文献を読んでいるってのは、いただけない。
・人々の気性の変化
・皇太子と皇女の禁断の関係の噂
・クコ皇国首都の有能なアゥマ使いの集団的な死亡
・首都に出現した溜まりと異国出身の管理人
・紅が感じた、萌黄への違和感
さてはて。これらが、今後、どう絡んでくるかは我にも不明だが……。きな臭い香りだけは満ち満ちている。
我としては、人でいうならば愛するこの溜まりを害する存在を排除したいと想うのだよ。決して、初代に似たあの少女にほだされているのではない。ただ――記憶に重ねてきたあの子たちに、情が移ったのではないと思う自分がいる。
そろそろ、意識が表の世界に引っ張られてきてしまったようだ。今日はここまでにしておこうか。
とはいっても、我も本体の奥底にある残像のようなものだから、次があるかは不明だが。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「随分と寝ていてしまったようだのう」
今はだいぶ小さくなった体の背を伸ばす。静かな空間に自分以外のだれもいない。ただ、アゥマが静かに満ち満ちている。
あぁ、蒼が近づいてくると思って、泣きたくなった。あの子は、昔を思い起こさせるから。あまりに優しくアゥマを使い、アゥマを愛しすぎる。初代のように。
わしの名は麒淵。心葉堂、そして、弐の溜まりの守霊である。
はじまりのふちに生まれ、今この時を見届ける者。アゥマの恩恵を受け、この溜まりが亡くならない限り生を約束されている。
わしは、今はクコ皇国と呼ばれるこの土地に人が集まったあの日、生まれた。
壱の者とは違い、生まれたばかりのわしはとても小さかった。みそっかすだった。けれど、そんなわしを両手に救い上げ微笑みかけてくれた少女がいたから、弐の者としてやってこれたのだ。
「さて、今日はどんな面白い話を聞かせてくれるのやら」
ふわりと浮かせた体は、妙に軽かった。
近いうちに最終章更新開始予定です。