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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第二章 クコ皇国の変化 ―
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第47話 魔道府12―禁忌草―

 くれないの手にある茶杯には、黄金が揺らめいている。一刻も早く口に含めと、喉に唾液が絡む。潤せと強請っているようだ。

 しかしながら茶を欲する本能とは別、理性は目の前の香り高い茶が危険だと忠告してくるのだ。競合店の茶だからなどという理由ではない。茶自体を大切にしている紅は、相手の商法はともかく茶葉を蔑むような真似はしない。そんな紅が口にしたくないと思えるほど――紅の瞳は誤魔化せないほど、異常なアゥマが視えるのだ。

 華憐堂の茶を前に、紅の目が細くなっていく。茶を前にして、頬が緩むどころか額に汗を浮かべる紅。


「紅? どうかしましたか?」


 隣に腰掛けた陽翠ようすいが、波かかった翡翠色の髪を耳にかけながら覗き込んでくる。髪と同じ色の瞳には心配が見て取れた。


「水っ腹とちゃう?」


 無視された陰翡いんひも日ごろのようには拗ねず、紅を見つめてくる。


「視えているのでしょう」


 曖昧に微笑み返そうとした紅がくっと口を結んだのは、紺樹こじゅのせい。全く毎度、人の心を見透かしたような間合いだ。紅の表情は苦々しいものへと変化していってしまう。

 押し黙る紅に、再び念を押すように繰り返してくる。

 ややあって。紅は静かに、だがしっかりと頷いた。凛とした表情を紺樹に向ける。


「普通に視る分には、特殊性はわかりますが、それだけです。香りに至っては、むしろ引き寄せられる部類だし……けれど」


 そう、引き寄せられるのだ。眩暈がする程に。

 

「けれど異常なほどに、と表現出来る類だと?」


 反応を返してきたのは紺樹だった。

 すっと紅の目じりがあがる。


「……はい。茶葉は、浄錬で効能を付加するのが可能です。それがアゥマ使いの能力でもありますし、アゥマとの共鳴力が高いほど効能の種類や味、ひいては香りにも違いが出ます。だけどこのお茶は、どこか不自然なまでに――惑いの香りがわざとつけられている気がします」


 長官室にいる面子には言うまでもないが。それでも、皆が紅の発言に耳を傾けている。

 ぐっと。紅は勢いよく茶杯を煽った。


「あっ!」


 一瞬、意識が遠のく。あがった声はだれのものだろうか。

 紅は歪む視界の中、蒼の茶へ手を伸ばした。がたんと練り菓子の箱が腕に当たったが、気にかけている余裕はない。

 双子が切羽詰まった調子で、崩れかけた紅の身体を支えた。紅は硝子製の茶壷ちゃふうから直接茶を流し込む。一緒に千日紅と茉莉ジャスミンが口に飛び込んできてしまった。本来なら、いくら浄練してあるとはいえ直に花ごと口に含むのは好ましくない。

 が、かまってなどいられない。喉を波打たせ、ただひたすらに流し込む。早く、少しでも多くの蒼の茶を体内に!

 低く唸った紅。さすがに花自体は嚥下することは出来ないが、喉から落ちていく花びらも手伝ってか、荒かった呼吸はおさまっていった。


「けほっ。副長、貴方、オレを、殺す気、ですか……!」

「滅相もない。だれが好んで大事な幼馴染を苦しめて殺すものですか」

「どの口が。なんですか、この濃さ!!」


 掠れた叫びをあげ、余計に痛んだ喉をさする紅。あまりに綺麗に目を細めた副長に、両側から支えてくれる陽翠と陰翡も顔をしかめた。

 長官は何事もなかったかのように、大理石の床に散らばっている茶杯の破片を拾っている。紅は己が茶壷を掴んだ際に払い落としてしまったのに、気がつかなかった。

 さすがに長官のする作業ではないと我に返ったのは、陽翠だった。大き目の白い外套に欠片を乗せていく。


「いかがでした?」

「だから――!」


 再度出かかった非難の言葉は、あっさりと引っ込んでいった。

 紅の脳裏に浮かんだ考えに、紺樹も気がついたのだろう。紺樹は紅に向けた指先もそのままに、人の良さそうな笑みを深めた。

 紺樹のことだ。額面どおりの質問であるはずがない。紅は深呼吸を繰り返す。陰翡に礼を述べ、姿勢を正した。


「強く、なっていますね。開店当初に口にした時よりも、格段に」

「強くって、香りや甘みがかいな」

「茶の性質ではなく、アゥマに関する負の意味でだよ」


 紅の言葉に、陰翡はむぅっと腕を組んだ。陰翡が納得いかないのは目に見て明らかだ。

 紺樹にちらりと視線を送っても、穏やかな表情は静かな笑みは崩れない。常に周囲の動きを気にしている紺樹が、紅の視線に気がついていない訳がない。

 紅は肩を落とした。


「薬であれアゥマであれ、強すぎるものは逆に悪いだろ? 現にアゥマの原液ともいえる溜まりに、一般の人は立ち入れない。いくら浄化の効果があるといっても、商品を溜まりにつけて、はいどうぞって渡してはいない」


 紅の最後の一言で、陰翡が掌を打った。

 アゥマの原液は、耐性のない人間には強すぎる。だからこそ、アゥマ使い――職人が量を調整し、食料や道具を浄化するのだ。

 陰翡は会得がいったと大きく頭を振った。


「毒に近いアゥマってことやな」

「目の前にいる腹黒副長が淹れた濃度は異常だった」


 嫌みったらしく放っても、当の本人は素知らぬ顔だ。

 二人の空気を全く読まずに陰翡が口を開く。


「けどなーそもそも毒混じっとったらさすがに他店の、それこそ白様が気付くんと違うか? ぽっと出の外国からきた華憐堂と……ましてや後見人は皇族やで? 繁盛は約束されてるようなもんやし、皇族が自国を害するなんて、そないなことする必要があるんか? 毒をクコ皇国の民に摂取させるなんて、こりゃもう国の存亡に関わる問題になってまうやろ」


 陰翡が長身を傾け低く唸る。陰翡の視線はせわしなく紅と紺樹、交互に向けられている。

 息を吐いたのは陽翠だった。彼女の視線は、長官と紺樹に向けられている。何度か開閉した唇が、陽翠の発言が躊躇いを誘うような重い内容であることを告げている。

 紅は長官と紺樹を横目で盗み見るが、幹部二人はただ淡い笑みを浮かべているだけだった。


「このようなこと、口にするべきではないのかも知れませんけれど」

「陽翠、いつも言ってるのですよー疑問は言葉に出す。これが魔道府のお約束なのです」


 あっけらかんとした口調で背中を押した長官。

 その約束に当然暗黙の了解が含まれるのは承知だろう。が、今の陽翠の背中を押すには十分だったようだ。彼女の瞳がしっかりと開かれた。


「そもそも、いくらこの国が寛容だからといって、外国からの移民の後継人に皇族がなるなど異例。それに目をつぶらされている事態が異様かと。表向きは……第一皇子が若い頃、外遊中に世話になった恩人であると、一部には知らされてはいますが。あの国の情勢を少しでも耳にすれば、矛盾を感じざるを得ないかと。上層部は納得されているのでしょうか」


 陽翠の疑問はもっともだ。

 街でも一時期噂にはなっていたし、実際現在でも多少なりとも抱かれている考えだ。紅も同感だ。

 紺樹が軽く肩を竦めた。


「クコ皇国は今でこそ同民族間の婚姻が重んじられています。けれど、あまり公にはされていませんでしたが、何十と遡らない代までは外部の優秀なアゥマ使いの子孫や外部の血を迎えていました。ゆえに、ここまで発展を遂げた国でもあります」

「つまり、華憐堂の一族は、皇子の恩人であるだけではなく、皇族に嫁いだ人間の子孫であると上層部にのみ公示があった……?」

「さすが紅ですね。おおよそ、正解です」


 おおよそとは随分と曖昧な表現だ。

 ぎろりと睨み付けても、紺樹は静かな微笑みを湛えているだけだ。

 あくまで紅の出方を見ているのだろう副長に、紅は内心で悪態をついておいた。


「うーん。したら、まぁ華憐堂の信用云々は置いておいてやな。最初のやつ、毒混じっとったら白様が気付くってのは、どない?」


 大きな体を左右に振った陰翡。彼が物怖じしないとはいえ、皇族の家系かこを深く足を踏み入れるのには戸惑いがあったのかもしれない。

 さっと空気を変えるような口調に、紅も乗りかかることにした。


「この国のアゥマ事情については知っているだろう?」


 陽翠が軽く頷いた。


「この街の方々に走っている川は大小関わらず、本来は溜まりに匹敵するほど高濃度のアゥマが含まれていますね。本流の大元は壱の溜まり――つまり王宮から流されている」

「せやな。弐の溜まりである心葉堂もかなりの濃さやけど、クコ皇国がアゥマ大国と呼ばれとるのは、本流のアゥマの濃度と溢れ続ける水量や」


 陰翡もその点では合点がいったようだ。自慢げに頷いている。

 学院入学前の幼児でも知っていることだけれどとは、だれも口にしない。陰翡の誇らしげな表情は、母国に対してだと願って。

 こほんと、小さな咳払いをしたのは紅。


「そんな高濃度のアゥマで満ちているクコ皇国でだって、もちろんアゥマを使役できない人はいるし、アゥマ使いだってあまりにも高濃度なアゥマには害を受けないわけじゃない」

「なのですねー。だからこそ、溜まりを代々同じ家系が伝承している理由が、源泉という高濃度のアゥマへの強い耐性が、引き継がれているのもあるのですよ」


 長官の言う通り。溜まりの一族が存在するのは、何も世襲制という意味合いだけではない。生命維持のための理屈が存在する。であるからこそ、華憐堂の主がいくら他国の溜まりを管理していたといっても、疑問が消えないのだ。アゥマの性質からだけではない。萌黄の話から、故郷のアゥマはかなり乏しかったと聞いているから。

 いや。今は目の前にある話にのみ集中しなければ。


「普通なら、高濃度のアゥマを摂取すると、精神を蝕まれる前に、身体自体に大きな異常が起きる。それを防ぐために川にアゥマを緩和する水晶板が浅い部分に張られている」

「えぇ。クコ皇国は四方八方を走っている川に濃いアゥマが含まれていても、人々にまったく影響はない」


 陽翠の言葉にだれもが頷いて見せた。

 紅は待ってましたと言わんばかりに掌を軽く打つ。


「そう。けれど、このお茶の濃度は異常だった」


 紅の声量がわずかに落とされた。

 そう、おかしいのだ。どう考えても。


「つまりこう言いたいんか? 華憐堂の茶はアゥマが濃いのに、誰にも異常起きたなんて聞いた事あらへん、って」

 

 陰翡の声色も、似合わないくらい感情が抑えられていた。感の良い陰翡のことだ。理屈ではなく、紅が発する緊張を察してのことだろう。

 紅は華憐堂の茶葉が入った瓶を持ち上げてみせる。その奥に、茶葉とは似ても似つかない毒々しい草がひそんでいる気がした。


「不自然なまでに惑いのする香り。開店当初よりも濃いアゥマ。異常の起きない人々」


 陽翠がはっとした様子で口元に手をやった。

 その仕草に誘われるように、紅の瞳が細められていく。


「何か思いついたか?」

「アゥマとは関係ありませんが、それらの症状をきたすものが、ひとつだけあります」


 陽翠の口調はとても慎重なものだ。であって、同時に紅の後押しを待っているかのようでもある。

 紅の予想は確信に変わる。陽翠の視線は明らかに紅を伺っているから。


「それは?」

「禁忌草です」


 陽翠はひどく重い口ぶりだ。口にしてしまったことへの困惑が浮かんでいる。

 それでも、紅は沈黙を守る。ただ、先を促すため瞳はまっすぐに陽翠に向けて。

 少し引き腰だった陽翠も、紅の無言の語りかけに喉を開く。


「私は高濃度のアゥマと合わせて、禁忌草が浮かびました」


 紅は心内こころうちで深く頷いた。

 満足げに顎を引いた紅を、紺樹と長官は、それぞれ「らしい」目つきで捉えている。これも紅にとっては想定内といえる。


「オレも同じだよ」


 高濃度のアゥマの話は、話を理解しやすくするため。

 ここからが本題だと、紅は大きく息を吸った。


「禁忌草はその名の通り、心身ともに悪影響が出ることから、クコ皇国では医術師と薬師などの限られた職のものが、熱冷ましや解毒等に使用する以外、禁止されていますよね。容量を誤ると、常用性が高まり幻覚に病む。何より問題なのは、依存性をもたらすという点です。この点では高濃度のアゥマと共通しています」

「うーん。したら、華憐堂は常用性つけて常連客を確保したいんか? そないなことせんでも、あそこの茶はうまいからなぁ。ワイも今回の事件がなければ、時々なら買うてもいい思うしな」


 陰翡が紅の手から、すっと瓶を摘み上げた。

 一瞬、紅の瞳が細くなる。けれど、陰翡が纏うアゥマに変化は視られなかった。

 蒼の目撃情報や噂、それに数刻前に聞いた彼の仕事から。陰翡は華憐堂に出入りしている。漂うアゥマの影響を受けている可能性は低くない。

 思考回路への侵食があれば、長官や副長が察していないはずはない。

 そうは思っても、紅は顎を引いたまま問う。


「陰翡は――、いやなんでもないよ」


 紅はすぐに思いなおした。陰翡はもちろん、陽翠も自分が同期だった頃とは能力的にも違うのだろうし、耐性も違うのだろう。

 ましてや現在は副長付。紺樹の性格を鑑みても、紅が危惧する事項を考慮していないはずがないのだ。

 紅の様子は特に気にかからなかったのか。陰翡はあっけらかんとした表情で瓶を振った。


「わいらとて、学院や魔道府でかなりの訓練受けてから、毒類の判別はつくようなってん」

「華憐堂のこれは、少しずつ依存性を高めていくアゥマが含まれている。禁忌草なら、気がつく人もいたかも知れない。けれど、アゥマなら難しいだろう。依存性のあるアゥマなんて、どんな文献を探しても存在自体出てこないからな」


 蒼が白と共に街へ調査に出ている間、紅は麒淵きえんとアゥマに関する歴史や文献を漁った。が、文献はもちろんのこと、溜まりの守霊である麒淵でさえ思い当たる記憶がなかった。

 しかし、紅は実際目にしている。し続けている。高濃度のアゥマと禁忌草の特性を持ち合わせた、どちらとも異なる謎のアゥマを。


「視えて舌で感じられるオレにはわかる。旅行者や初めて購入する人たちが気付かないのもそこだよ。数回飲むぐらいなら、ただの茶だ。おじいだって、常飲しているわけじゃないからな。数回飲んだところで判断は……」


 いや、本当にそうだろうか。判断はつかない、その言葉を即座に否定する自分がいた。

 心葉堂の先々代という立場だけではない。白龍はクコ皇国のアゥマ使いの最高峰フーシオでもある。それほど優れたアゥマ使いであり、実力も伴っている祖父が、数回も体内に異常を取り込み、判断がつかないわけがない。数回飲んで察したけれど、敢えて口にしていない、といった方があり得るのではないか。

 さっと。紅は全身から血の気が引いていくのがわかった。



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