表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第二章 クコ皇国の変化 ―
52/149

第42話 魔道府7―古書の一部―

 長官室から出ていく陰翡と陽翠の背中を、頭巾の中から上目で見つめていた長官は、重厚な扉が完全に閉まったのを確認すると溜息をついた。小さな指が報告書に落ちて、微動だにしない。

 長官から吐き出された息。紅には安堵からのモノとは思えなかった。どちらかというと、緊張が混じっている気がした。


「それで、オレの仕事ですが」

「えっ、はい。って紅、陽翠の話聞いていたのですか?」


 つんっと、長官の唇が尖った。右手で頬杖を付き、恨めしそうな目で紅を見つめてくる。左手は、先程から動いていない。

 紅の人差し指が、報告書の角を叩いた。


「今から心弾む話をしようとしている人間は、そんな重々しい溜息つきませんよ。長官のことです。陽翠に言われた通りおしゃべりするにしても、報告書を視界に入らない所に置きますよね? なのに、ずっと、触れてます。それに、何より――」


 紅は射抜くように長官を見やる。

 身を引いた長官は、胸の前で腕を交差させた。身を守っているつもりだろうか。怯えられるほど、距離を詰めたつもりはなかったのだが。

 紅は後頭部を掻いた。大きめの裾がずり落ちた。


「それに、わざわざ陰翡と陽翠を部屋から出してまで、おしゃべりに興じる長官じゃないこと位、わかってますよ。一人のんびりしたいなんて思わないっていうのも、重々承知ですから」

「あぅ。わざとらしかったですかね、やっぱり」

「いえ、あまり普段と変わりなかったですよ」


 紅はとぼけた顔を作る。長官の耳がわずかに染まった。そして、居心地が悪そうに「それはそれで、嫌なのですよ」と、そそくさ長官席に逃げていってしまった。

 長官は背伸びをして、机上の通信球に小さな指を触れさせた。小さく唇を動かすと、通信球は眩しい光を放ち、ぶぉんと音を立てたかと思うと、ただの水晶玉になってしまった。

 受信の調節も出来る通信を遮断するほど、警戒すべき内容が記されているのか。紅は手元の報告書を見つめる。飲み込んだ唾液が、喉の奥で引っ掛かった。今日だけで、何度目だろう。


「こういう時は、まず深呼吸するといいのです」


 いつの間に戻ってきたのか。はっとして顔を上げた紅の隣には、渋面の長官が腰掛けていた。自分は、よほどひどい顔をしていたのか。紅は恥ずかしさと緊張で、大きく息を吐いた。そのまま背を伸ばしながら、呼吸を整えた。 

 紅は重々しい装丁の報告書を、両手で持ち上げる。


「この報告書、厳重な封印を施されている割に、随分と薄いですね?」


 先程、陽翠からも魔道府で集められた資料が微少なことは聞いている。しかし、手にしている報告書の厚みは、片手で容易に掴めてる程だ。衝撃的な内容が量少なく記されているのだろうか。それにしても、厳重な封印に守られていた。

 長官が扉へと目を移す。紅に戻ってきた瞳には、底知れない光が宿っていた。


「紅に見て欲しいのは、裏表紙の中にある資料の方なのです」

「裏表紙の中?」


 言葉を繰り返した紅に、長官は「なのです」と掌を打ち合わせた。報告書を裏返し、立派な装丁を叩いたり開こうとするが、びくりともしない。

 長官がおもむろに服の中から首飾りを取り出した。水晶の中にアゥマが入っているが、紅は見たことのない色だ。長官の手が報告書の裏側へ伸びると、七色の光が溢れた。咄嗟に、紅の身は引いていた。封印が施されていることに、全く気が付かなかった。

 裏表紙を捲ると、ややくたびれた紙が出てきた。これが、封印を悟らせない必要がある程、重要な機密。高鳴る胸を押さえ、文字に目を滑らせる。が、古語で綴られていて、全く解読出来なかった。


「それは、とある貴重な古書の一部なのです。特殊技能職人を意味する『クネパ』という言葉が消え、『ティエンチ-天職-』という言葉が使われるようになった年代のモノなのですよ」

「『クネパ』ですか」


 紅にとっては、全く触れたことのない単語でもなかった。修行途中に里帰りしてきた蒼に、知っているかと尋ねられたことがある。しかし、残念ながら、紅には妹の疑問に答えてやれる知識はなかった。蒼もどうしても知りたいという程ではなかったらしく、すぐ別の話題に移ってしまった。

 気になった紅は、その後も文献を色々あたってみたが、めぼしい情報は得られず仕舞いだった。が、余計なことは言うまい。

 長官の小さな人差し指が、ぴんと元気よく立った。


「誰が所有しているかさえも不明なのですが、世界中で完全な状態で保有されているのは、ほぼないと思って間違いないほど、希少な――というよりも、古代行われた焚書対象ふんしょたいしょうになった禁断書なのですよ。また、古書自体に施されている封印を解除可能な人間も限られているモノなのです」

「焚書、ですか。古代行われた、特定の思想や学問それに宗教など排斥したっていう、言論統制ですね。アゥマや溜まりを悪用したり権利を独占したりしようとした集団が横行した時代に行われたと、読んだことがあります」


 今までの話だけでも、相当貴重な古書だとは充分わかった。極秘情報とされる古書の一部にどんな記述があるのか、紅に具体的な内容の想像は出来ない。けれど、存在自体が異端なことは、理解出来た。また、紅が口にした思想や学問、もしかしたら禁術が記されているのかと、ある程度分類の予想くらいはついた。

 てっきり歴史講義を始めてくれると思った長官は、さっさと手を下ろしてしまっていた。

 一瞬、紅は、長官に焚書を語りたくない思い出でもあるのだろうかと考える。が、幾ら長官が姿を変えながら数百年生きているとはいえ、ほとんど記録の残っていない言葉が、広く使われていた時代まで遡ることはないだろうと考え直す。

 焚書の行為自体を論争するわけでもなしと、紅は大して気に留めず、報告書に目を落とした。


「難解な古語で書かれていますね。しかも、古書自体にも厳重な封印が施されている気配があります。一体、どういった本なんですか?」


 前半に綴られている数枚の紙とは異なり、古書の一部という紙はやや黄ばんでいる。それでも、古書の年代を考えると、申し分ないくらい保管状態は良い方だろう。下手をすると、つい最近空気に触れた色にも見える。

 もしかしたら、どこか厳重に保管されていた場所から、今回の情報として、近日出されてきたのかも知れない。


「簡単に言ってしまえば、古書全体としては、古代からの歴史や溜まりについて書かれた本なのです。わたしが読み上げてもいいのですが、出来れば紅に直接読んで欲しいのですよ」


 長官は魔道に深く通じている。もちろん、ありとあらゆる古代語に精通もしている。であるのに、手間を掛けてまで、直接紅の目で読んで欲しいというのか。

 長官は硬く瞼を閉じた。右の指先に意識を集中させる。爪先にほのかな灯が宿り、紙へと吸い込まれていった。額に滲み出てきた汗が、首筋を流れていく。そうして、じっと古書と向き合って長官は、ややあって古語に指を滑らせた。指を追って光の帯が現われ、文字が姿を変えていく。


「さすがですね。あっという間に、全て現代語に訳されています」


 紅は両腕を伸ばし、古書の紙を眺める。長官の静かな様子から簡単な術に見えるが、かなりの技術を要する解読術だ。

 長官は長く息を吐くと、取り出した手絹で汗を拭いた。疲労は見られない。むしろ、心地よい汗をかいた風だ。硝子杯を煽り、一気に茶を流し込んだ。


「紅も知ってのとおり、古代語の解読には、二通り方法があるのです。古語を覚え訳す、それと魔道の解読術を駆使して現代の言葉に置き換える。後者は、術者のアゥマ制御の能力に大きく左右されるので、時々、とんでもない訳になることもありますです」

「そうですね。でも、長官のように、変える古語自体の知識があれば、正確に訳せますよね」


 字面だけを流し見るが、奇妙な文字は見当たらない。きっと内容も、原語と寸分違わないのだろう。

 紅の視線を受けて、長官は胸を張った。右の人差し指が楽しそうに左右に振られる。


「です。でも、訳を書き写すよりは、断然楽なのです」


 しれっと口にしたが、長官級の術と知識者だからこその台詞だ。

 紅はこっそり肩を竦めた。それと同時に、この人と立ち並んで会話が出来る白は一体何者だと、孫ながら思わずにはいられない。


「長官ならではの、お言葉ですね。本当に、凄い」

「そうですかぁ? 白だったら、憎らしいくらい、表情も変えずに、ぺぺっとやりそうなのです」


 紅が考えていたように、長官は白を引き合いに出してきた。

 報告書を見れば、普段読む本のように、自然と内容が流れ込んでくる。途端、紅は恐ろしくなり、目を逸らしてしまった。

 焚書を逃れた、古代の禁書の一部を、自分が読もうとしている。識ろうとしている。

 好奇心に胸が踊るのと同時、識ってしまう重責に全身が痺れた。心臓から気持ち悪いほど、どろついた血液が巡っている。自分の手ではないくらい、感覚がなくなっていく。ぶつかり合って色を無くしている指先を情けなく思っても、どうにも出来ない。


「紅が珍しく動揺している姿を見られるのは楽しいなのですけど、肩の力を抜いてくださいなのです」


 長官が、くすりと笑った。

 決して馬鹿にされているのではないのは、わかる。けれど、いつか母親に向けられた表情と重なって、ほっとしつつ、紅は気恥ずかしさで頬を打った。

 これが心葉堂の書庫や、古書店で手にしていたなら、好奇心とわずかな恐れだけで済んだのだろう。しかし、今、紅は魔道府長官の眼前で、任務のため識ろうとしている。


「やはり……少し怖いです。識ってしまったことは、消せない」

「紅の言うとおりなのです。向上心や探究心があれば、今の時代、程度はあれど、知るという行為自体はさして難しいことではないのです。知った後、どう行動するか、考え受け止めるか。何よりも、それが大切なのですよ。『知る』を『識る』に変える行為こそ、大事なのですよ? そして、紅はわかっているはずなのです。だからこそ、今の紅があるのです。優しくて、家族思いで、信念を持つ、紅がいるのです」


 不覚にも、紅の目がじんわりと熱くなった。

 幼いあの頃、知ってしまった自分の生い立ち。ただ紅は、全てが長官の評価通りではないと思っている。紅が苦しんだ挙句、考え受け止められたのは、蒼のおかげだ。家族のおかげだ。


「オレが今のオレでいられるのは、蒼に助けられたからです。自暴自棄になっていた時、蒼がオレにくれた想いと言葉がなければ、きっとあのまま、荒んだ人間のままでした」

「それでも、蒼の想いを受け入れたのは、紅自身なのですよ。蒼や家族の想いを心底理解し、寄り添ってくれる想いを受け止めて、素直に感謝する。それって、人が考えているよりもずっと、とってもとても難しいのです。特に甘いだけの言葉でない時は」


 伏せられた珊瑚色の瞳に、潤みが漂った。何故だろう。長官の温かい言葉は、紅だけに向けられたモノではない気がした。どこか、自分に言い聞かせているようにも、思えた。

 けれど、嬉しいことには代わりない。そうだ、と紅は歯を食いしばる。今の自分には守るべきものがある。知った事実をどう生かしていくのかが、問題だ。


「声に出して読んでも?」


 黙って読み進めるのが良いのかと考えたが、元々長官室には音声遮断の魔道術が施されている。しかも、通信球を遮断しているので、内容が外部へ漏れるのは、まずないだろう。

 ならば、所々で質問出来る状況の方が、効率が良いのではと、紅は考えた。

 長官からは、快諾の声が返される。


「もちろんなのです。紅がどこを読んでいるかわかった方が、わたしも補足説明しやすいのです」


 紅は咳払いをする。古書を握り締め、文字を追った。わずかに、低い声が出る。


「最後に。これは古代の話ではなく、私が生きる時代、しかも近年の出来事である。私が放浪を続けていた日のこと、体験し、ある男性から聞いた話である。裏付けも確証もなく、一見すると、酒のつまみのような話だ。けれど、人生最後に残す本に、どうしても書き留めておきたいのだ。日記のようなものだと思ってもらっても構わない。しかし、私は、先に語った悪夢のような溜まりの話に繋がっていると、確信を持ってしまったのだ」


 冒頭部分を読み上げただけで、紅は面食らってしまった。想像していた内容とかけ離れすぎていたからだ。

 紅が今まで読んできた古書というのは、得てして堅苦しく確たる裏付けの元、書かれているモノが大多数だ。冒険譚に分類される古書は別だが、先程長官は歴史書と言っていたので、それは否定出来る。


「なっ、なんだか大分予想と違う書き出しですね。古書自体に厳重に封印されているのも考慮すると、基本的に人に読まれたくないという意図が見えます。読まれてなんぼの冒険譚とは、毛色が違うようですし」


 紅は指を開閉しながら、文頭を読み直す。長官の忍び笑いが返ってきた。


「紅の反応は、まっとうなのですよ。貴重な古書に記されている話なうえ、著者自ら『酒のつまみ』なんて言ってしまっているのですからーでも、それより前には、ちゃんと真面目で……今の世には受け入れがたい事実も、書かれているのです」


 紅としては、どちらかと言うと、真面目な部分の方を読んでみたい気がした。額面通り言葉を受け取るならば、今から語られるよりも、役立つ知識が書かれていそうだ。

 けれど、紅が手にしている部分を読めと長官が指示している以上、その部分は今回の件に深く関わりがないのだろう。


「機会があれば、いつか紅にも教えてあげちゃうのですよ。ただし、条件はしっかり付けさせてもらっちゃうのですけどね!」


 唇の前で立てられた指の後ろには、長官のにんまりとした笑顔が浮かんでいる。よからぬ企みをしているのが、ありありと伝わってくる。


「……遠慮しておきます」


 紅は、早々に辞退した。余計な好奇心は身を滅ぼす。紅の性格を熟知している長官は、不満そうに頬を膨らませはしたが、こだわりはしなかった。


「つれないのですよ。まぁ、許してあげるのです。今は、先を読んでくださいなのですよ」

「はい――私が、当書の資料を収集し放浪を続けていたある日、山中で遭難してしまった。遭難自体は、良くあることだ。しかし、そこは人影どころか生物の気配などある筈もない、世界の辺境だった。谷に囲まれ、生い茂るではなく樹々そのものであるような山だ。私は山の中腹にあるという遺跡を目指していたのだが、磁気は乱れ、方位磁石も使えなくなってしまった。やがて、激しい雷雨に見舞われた。ついには運にも見放された。伝説とされる魔獣に襲われ、瀕死の怪我を負ってしまった。挙句の果て、同行者にも逃げられ、このまま死んでしまうのだと諦めかけていた時、年若い男性に救われた。二十代半ばに見える男性の肌は、女性と見まごうばかりに透き通り美しかった。長く伸びた髪は艷めき、物腰は上品。辺境の山に人がいること自体、驚愕なのだが」


 紅は一度言葉を切った。様々な思考が絡み合う。喉が乾いて、仕方がなかった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ