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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第二章 クコ皇国の変化 ―
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第38話 魔道府3―白の茶と、蒼の茶―

  重厚な扉が、軋み音を引き連れて開いていく。反射的に、紅の瞼が閉じられた。

 紅は記憶を辿る。きっと、部屋の最奧に設けられた長官席の背にある、大きな魔道陣を描いた捨印犬裸子ステンドグラスのせいだ。中に込められたアゥマの効果で、曇りでも関係なく煌めいている捨印犬裸子。紅が徐々に瞼を持ち上げていくと、晴天の恵みを受け、殊更、色鮮やかに身を光らせていた。魔道府に勤めていた時は、気が引き締まる合図だった。しかし、魔道府を辞めた今、紅の頭を一番に浮かぶのは、美しいという思いだった。自分の置かれた立場が、昔とは違うのだと実感した。

 視線を下ろしていくと、光を背負った長官が紅を出迎えていた。逆光で表情は見えないが、纏う雰囲気は柔らかい。

 紅は袖を合せ、頭を垂れる。


「弐の溜まり、時欠ときかけ『心葉堂』の紅暁こうきょう、魔道府長官のお召により参上致しました」

「紅、久しぶりなのですよー! 元気にしてたですか? 今日は一人なのです?」


 恭しく張った声を出す紅に、甘ったるい声が返ってきた。

 場にそぐわない声に、紅が肩の荷を落としかける。この感じは変わらない。紅の頬が、自然と緩んでいった。よくよく見れば、長官は椅子の上に立っていた。何百年生きているという年齢に見合わない、幼女のような小さな手を、一生懸命に振っている。あまりの勢いに、椅子が倒れないか心配になってしまう。

 ぷっくりとした頬を緩ませている長官の姿に、紅の気持ちも和らいだ。とはいえ、久しぶりの勢いに、若干たじろいでしまう。周りを見渡すが、いつも傍にいる紺樹の姿はない。


「お久しぶりです、長官。すみません、今日は私一人なんです」


 紅は、複雑な表情で頭をかく。もしかして、配達は呼び出しの名目ではなく、本当に蒼と会いたかったのだろうか。

 長官は、両手を広げ椅子から飛び降りた。小さな体を包んでいる外套の裾が、ふわりと膨らんだ。


「いやですよー蒼にお茶を淹れて貰いたかったのはありますが、紅に会えただけでも嬉しいのですよ? それに、普通にしゃべってくださいよぉ。あんまり他人行儀だと悲しいのです」

「はぁ」


 普通に、というのは恐らく人称のことだろう。紅が言いあぐねていると、背中に激しい衝撃が走った。呼吸がとまりかける。じんじんと痛んでくる背部。地面と視線が近づく。

 しゃがみこんだ紅の上から、大きな声が降ってくる。


「ワイもやし! それに、紅は、長官とちっさな頃からの付き合いなんやろ? 白様と長官は昔馴染やし、昔はよう心葉堂で茶、飲んではったって、聞いとるわ」

「しっ親しき仲にも礼儀有り、だろ」


 けほ、と小さな咳払いが落ちる。眉間に皺を寄せたまま、抱えた荷物を覗き込む。茶菓子は潰れてはいないようだ。紅は、顎を鞄へと埋めた。ほっとして膝を伸ばすと、背中に痛みが走っていった。

 後ろで、陽翠が陰翡を叱責しているのがわかった。けれど、長官は二人を気にかける様子もなく、紅の荷に触れてきた。見上げてくる珊瑚色の瞳には星が浮かび上がっている。


「早く飲みたいのです。お話は、お茶でもしながら進めましょうです」


 背中を押された先には、部屋の片隅。黒い円卓が置かれている。すぐ近くには漆を塗られた壷棚があり、愛らしい白色の花が飾られている。残念ながら、紅には花の名前はわからなかった。

 それぞれが席についていく。紅は布鞄から、茶器を仕舞った竹箱を取り出した。携帯用の小ぶりな硝子杯を五つ並べる。茶壺ちゃふうは、本日持参した花茶にあわせて、茶葉を入れる時よりも、やや背が高いモノを用意した。続いて、煮水器に竹筒から水を注いでいく。

 ほつほつと水が沸いていくのを、陽翠が覗き込んでいる。紅の左に腰を下ろしている陽翠の横顔が、ほんのり輝いていた。


「副長は外出中ですので、ひとまず四人分でお願いします」

「そう言えば見かけないと思ったよ」


 紅は作業の手を止めず、そっけない調子で返した。紺樹が仕事を抜け出して心葉堂に行っていたとしても、蒼はいない。そもそも紅を呼び出す、というよりも外部の協力を仰ぐほどの状況で、道楽をしているようであれば、別の意味で怒りが湧いてくるが。

 湧いた湯を茶杯へと貯めておく。茶器を温めておくためだ。鞄から瓶を出すと、長官から高い声が飛び出てくる。


「今日は一段と綺麗な花茶なのです! 一見鐘情イージィェンヂョンチンなのですねっ!」

「さすが長官。赤い千日紅の両側に茉莉ジャスミンを添えてあるんです」


 紅の右隣に座っている長官が、身を乗り出す。かなり弾ませていたが、上質で厚みのある机は揺るがずに済んだ。顔を硝子性の茶壺に映す。花が咲いていくのにあわせて、長官も笑顔を広げていった。実に、お茶の淹れがいがある反応だ。

 細かい泡が出てくると、茉莉の香りが漂ってきた。硝子性の茶壺に黄金が、ゆらんと広がっていく。花が完全に開ききると、硝子杯へと茶を注ぐ。同じく硝子性の茶杯敷きには、薄い桃色の唐草模様が描かれている。

 体を揺らしていた長官の手が、ぐいっと茶杯に伸びた。ほんわりと漂ってくる香りを思い切り吸い込み、身を震わせた。そして、茶を一口含む。


「はぅー! やっぱり、心葉堂のお茶は最高なのですよ! それに、配達で持ってきて貰える心葉堂の水があわさると幸せすぎて、蕩けちゃうです! 茶器も溜まりの上にある蔵で保管されているモノなので、美味しさ倍増なのです。やっぱり、蒼が浄練した茶と心葉堂の澄み切った水の組み合わせじゃないと、最高の味にはならないのです。あっ、もちろん、紅が淹れてくれるのも大切な条件なのですよ?」


 花茶にも負けない程、笑顔の花が咲いていく。満開になった花に満足せず、さらにと頬が色づいていった。長官は普段から口数の多い方だが、茶を飲むと、とりわけ饒舌になる。


「せやな、ほんま、心があったかくなるわ。疲れがぶっ飛ぶ」


 紅の正面に座っている陰翡が、年寄り顔負けに背を丸めていった。静かに茶を啜った陽翠からも、感嘆の溜息が落ちた。三人三様の反応に、紅の目が細まっていく。


「ありがとうございます。今回の花茶は、蒼の奴が何か吹っ切れたみたいに、より一層張り切って浄練した分です。オレが言うのもあれですが、いつも以上に浄化作用も強いし、香りも良いと思いますよ」


 頬が緩んでいき、内心慌てて茶を煽った。謙遜で返す相手でないのも手伝ってか、どうにも贔屓な発言が出てしまう。

 しかし、実際に茶は美味いようだ。長官など、既に二杯目を飲み干している。


「先々代である白のお茶は、凛としていて洗練されているのです。芳香で格式高い味はクコ皇国、いえ、世界一と言っても過言ではないと思いますです」


 ぴんと、長官の背筋が伸びる。白の茶葉で飲む茶は、一度口にすれば忘れられない完成度の高さだ。異国の王にも「至宝」と称えられた程らしい。言葉にするだけでも、思い出される味だ。

 紅も深く頷く。


「祖父は歴史の長い心葉堂でも、類を見ない腕の茶師であり、稀代のアゥマ使いと称されていたんですよね?」

「そうなのです。のらりくらりは昔から変わらないのですが、クコ皇国のアゥマ使いに与えられる位の最高峰、フーシオであるのは、伊達じゃないのですよ?」


 長官に苦笑が浮かぶ。紅には、懐かしさを抱えた苦笑いのように考えられた。わずかに唇が動いたが、音は聞こえなかった。あまり見ない長官の表情に、紅は思わず不躾な視線を送ってしまう。

 長官の柔らかそうな指が、硝子の茶壺をトンッと叩く。水滴が宙を跳ねた。


「先代は蒼のお茶に近いのです。けど、蒼のお茶は、共鳴力の高さからか、茶葉や浄練時のアゥマの個性によって、味が絶妙に変わるのです。当然、良い意味で。だから、何度でも足を運びたくなるのです。選ぶ時に、さらに心が弾むのですよ!」

「オレも、そう思います。本人は、浄練の不安定さからくる、揺らぎだと思ってたみたいです。今まで祖父や師匠にも、耳を傾けなかったらしいですよ」


 紅は指の腹で、一見鐘情が入った瓶を撫でた。

 紅も、白からおおよその事情は聞いていた。紺樹が公私共に華憐堂を贔屓にする言葉を発した場面を目撃したらしいが、紅にはにわかに信じられなかった。かといって、同行していたという陰翡に聞くのも躊躇われた。芋蔓式いもづるしきに、私的にアゥマの調査を行なっていたのを、話さなくてはいけなくなる可能性があったからだ。親友とはいえ、白の立場を考えれば、慎重過ぎるほどで丁度良いと思っている。


「けど、最近、自分の特性と向き合う機会があったみたいです」


 ともかく。目撃以来、この世の終わりのような状態だった蒼は立ち直った。紺樹がきっかけというのは気に食わないし、蒼に告げたと想像する言い訳も全てが真実ではないだろう。けれど、蒼が元気を取り戻したのは、紅としても嬉しい限りだ。


「あんな、紅――」

「陰翡。お茶のおかわりなら、私が」


 陰翡は開きかけた口へ、陽翠に注がれた茶を流し込んだ。水を差すな、という陽翠の気遣いだろうか。

 代わりにと、お茶を飲みきった長官が、椅子を鳴らして手を挙げた。飲み終わった口が、水面に出た鯉にそっくりで、紅は密かに笑ってしまった。急いで口元を覆うが、長官は熱意溢れる目を向けてきた。


「そうなのですよ! この間、心葉堂に行った時に、ちゃんと特性別に瓶が並べてあって、説明書きも添えてくれていましたのです! 飲みたい味が決まっている時にも便利なのも素敵です。診断の時にも、そこを気にして要望を聴いてもくれたんですよ」


 両手で眼前に掲げられた茶壺には、綺羅びやかな瞳が映っている。硝子を通して見える大きさを増した瞳。揺れる花を追う視線。茶にあわせて、長官の喉が波を打った。


「それだけじゃなくて、薬となる丹茶でなくても、身体の中を綺麗にしてくれる作用がありますです。人が元々纏っているアゥマと喧嘩せず、包み込んでくれるというか。蒼が纏うアゥマの柔軟さと丸さが、そのまま出てるのです」

「浄化の部分は、長官や副長階級のアゥマ使いでないければ、はっきりと認識するのは難しいですが、そうでなくても清涼さや心地よさは感じられます」


 陽翠の微笑みは、とてもあたたかい。陰翡も無言で頭を縦に振っている。

 紅は、心中で「ほらみろ」と呟いた。蒼自身は、客が蒼という人間性を通して茶葉を評価していると思っているようだ。しかし、長官や陽翠が言う通り、客が感じている『蒼の茶葉』にも、ちゃんと理屈が伴っている。個人が纏うアゥマは性格とも近いものがあるから、蒼という人間を通してという表現も間違ってもいないと、紅は思うのだが。


「オレが褒めると、あいつ凄い顔で驚くんで、機会があれば直接言ってやって下さい」

「可愛い照れ隠しなのですよ。蒼はお兄ちゃん子ですし、紅から伝えて貰うのが一番効果的だと思うですが。でも、わかりましたです。今度会ったら、改めて頭撫でくり倒して褒めてあげるのです!」


 長官は椅子の上に立ち上がり、鼻息荒く宣言した。けれど、すぐに


「長官、品性が」


と陽翠にぴしゃりと言われ、しずしずと腰を戻した。叱られた子犬のような目だ。

 紅にとって恥しい言葉が含まれていたのと、長官を元気付けるため、紅は腰を捻る。鞄の中から出てきたのは、小さな箱。振り返った際、捨印犬裸子の色鮮やかな光りが、大理石の床に漂っていた。大分移動している。紅は姿勢を正した。





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