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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第二章 クコ皇国の変化 ―
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第37話 魔道府2―兄の同期―

「すまんかったな、わざわざ魔道府まで足運んでもろて」


 陰翡いんひが長身を曲げて、頭を押さえている。紅のやや上から聞こえた声は、珍しく暗かった。

 紅は苦笑を浮かべ、軽く右手を振った。


「いや。今日は、忌み日で店も休みだしな。問題ないから、そんなに気にするなよ。蒼も真赭の所だし、おじいも出掛けるって言ってたから。それに、配達って名目なんだから、そんなに気にしてると、周りに変に思われるぞ?」

「本当に助かります」


 陽翠ようすいが、律儀に頭を深々と下げた。その拍子に、波がかった翡翠色の髪が褐色の頬を掠めた。すっぽりと体を包んだ外套がいとうが、波を打った。

 そっくりな双子は、普段なら名に反した表情をしていることが多い。姉である陽翠はどこか影のある落ち着いた雰囲気を纏っているし、弟の陰翡は陽気で人懐っこい。しかし、今は二人で紅を挟み、同じように顔を曇らせていた。


「良いって」


 紅は、ずり下がった鞄を肩に掛け直す。名目とはいえ、長官から頼まれた茶葉と茶菓子が入った布鞄は、結構な重さだ。

 学院時代からの親友二人に、こうも丁寧に謝罪されると、逆に申し訳なくなってしまう。別に、遠慮のある仲でもあるまいし。それを別としても、紅も祖父の白龍≪はくろん≫が就いているフーシオの身内だ。魔道府からの依頼となれば、断れない。

 紅と陰翡、それに陽翠の三人は、魔道府の長い廊下を歩いていた。壁のない廊下には、心地よい微風と暖かい日差しが注がれている。廊下と庭園とを隔てている朱色の手摺りは、紅の腿あたりまである。その手摺りでは、蝶が羽を休めていた。廊下を囲むように植えられている樹の葉が揺れ、床に作り出される模様がとても美しい。

 紅も半年程前までは、往来していた廊下だ。


「懐かしいな」


 紅も、隣を歩く翡翠姉弟と同じく、真っ白な生地に青い糸で刺繍が施された外套を纏っていた。毎日忙しなく動き回っては、くたくたになるまで働いていた。


「せやろ、せやろ。入府してから、ワイら研修場もほとんど同じやったしな。研修期間やゆうても、あんな幅広く動いとったのは、ワイらだけちゃうか?」

「各部署への伝達から書類の不備確認、それに街の結界付近での異形のモノの退治。配属が正式に決まるまでの七ヶ月、長官に呼び出されては色んな仕事をさせられてたよな」


 当時の自分を思い出し、紅の頬が緩んだ。魔道府に勤めた期間は三年ほどと、長くはなかった。けれど、こうして廊下を歩いていると、多くの出来事が蘇ってくる。紅は、涼やかな風に混じって、小鳥のさえずりに耳を澄ませた。

 風情のある空間を壊したのは、陰翡の弾んだ声だった。


「そろそろ魔道学院の同窓生飲みがあるんちゃう?」

「まだ二ヶ月くらい先のような気がしますが」


 陽翠が呆れ顔で指を折る。確かに気が早い。だが、こうして三人で並んで魔道府を歩いていると、懐かしくて昔話に花を咲かせたくなる陰翡の気持ちもわかる。

 紅は、口元を押さえた。陽翠が、わずかに体を折る。軽い咳払いが、紅の口から落ちる。


「いやさ。学院時代と言えば、最初、陰翡の訛りは不思議だったんだよな。クコ皇国の首都育ちの陰翡が訛ってて、地方で育った陽翠の方が首都暮らしみたいだったよな」


 改めて考えてみても、可笑しな話だ。当時を思い出しのだろう。

 陰翡が、大袈裟に項垂れた。


「せやせや! ちっさな頃は、陽翠と離れて暮らしてたからな。学院入学時にはクコ皇国に帰ってくるっちゅうのを知っとったから、戻ってきた時に陽翠が寂しくないように、一生懸命地方の言葉練習してたんやで。せやのに陽翠の奴、ちっともなまってないんやもん」


 初めて理由を聞いた時、紅は柄にもなく大きな声を上げて笑い続けたものだ。腹がよじれて、痛かったのを覚えている。

 幼い頃の陰翡も、紅の隣を歩くのと変わらない様子で、口を尖らせていた。当時は、方言集なる本を抱えて落ち込んでいたから、余計に可笑しかった。人の努力を笑ってはいけないとわかってはいたのだが、どうにもならなかった。最後には、三人で大笑いしていたのも、良い思い出だ。

 陽翠も溜息をつきつつ、笑みを浮かべている。


「陰翡、普段から使うようにしていたから、結局今に至るまで訛りが抜けていないんですよね。まったく。過ごした場所とちぐはぐなものですから、説明するのもひと手間でしたよ。……そのおかげで、人と話すきっかけにもなったのですけれど」


 陽翠の顔を照らす日差しは、暖かい。幼い自分の姿を思い出したのか。陰翡は頭を抱えて、大きな体を揺らした。


「ええねん! もう個性やし! ワイ、えぇ仕事した!」


 陰翡は歩幅を広げる。耳が、褐色の肌でも赤らんでいるのがわかった。

 紅と陽翠が、顔を見合わせる。お互い、口の端が上がっていた。陰翡は、足を止めてしまった二人を振り返り見た。瞼が半分落ちている。


「めっちゃ強引に話変えるけどな。学院時代と言えば、あれや、陽翠はちょっと前に燕鴇えんほうに会うたんやろ? 宮に手助けに入った時に」


 紅は、燕鴇の顔を記憶の中から探す。紅から絡んだことはないが、魔道学院に入りたての頃、事あるごとに話しかけたりちょっかいを出してきたりしていた人物だ。フーシオである白龍の孫としてしか、紅を見ていなかった覚えがある。

 紅が魔道府を辞めた後にあった集まりでは、店を継いだ件について少々絡まれたが、何を話したかはあまり覚えていない。

 顎を引いて陽翠の顔を見ると、思い切り眉間に皺が寄っていた。良い再会ではなかったらしい。


「あまり、思い出したくないのですが」


 陽翠が、強く床を鳴らした。彼女の体重からは予想しがたいほど、重い音だ。声も硬い。

 陰翡の大きな体をびくりと跳ねる。


「そっそない恐ろしい顔しぃーなぁ。なんや、嫌味でも言われたんか? あいつ、取り巻き引き連れて、昔から陽翠に突っ掛ってきてたしな。まぁ、陽翠だけじゃなくて、色んな奴にやけど」

「そうなのか?」


 今度は、紅の表情が険しくなった。

 生真面目で寡黙な陽翠は、あっけらかんと人懐こい陰翡に比べて、性格を誤解されやすい。陽翠の冷静さを気取っていると取って、燕鴇のように目の敵にする人間が、昔からいる。

 紅が顔をしかめているのに気がついたのか。陽翠が小さく笑った。


「紅、違いますよ。仕事について、とやかく言われたのは、私ではなく副長です」


 わずかに、陽翠の声が物静かな調子に戻った。紅の眉間の皺が、すっと伸びていく。


「なんだ、副長か。それなら仕方が無い」

「ええんかいっ!」


 外套をばさりと跳ね除けた陰翡の手の甲が、紅の肩を叩いた。微妙な痺れが走る。相変わらず、自分が指摘する側に立った時の反応に容赦が無い。

 陽翠が咎めるように口にしたのは、陰翡の名だった。陽翠は、紺樹を非常に尊敬している。紺樹へ敵意を向けるものには、容赦無い言葉を突きつける。しかし、紅に限っては、該当しない。

 紅は、自分の肩をさする。


「冗談だよ。でも、珍しいな。あの人があからさまな非難を受けるなんて。普段の態度はともかく、仕事は完璧にこなしている筈なのに」

「おっ、紅が副長に客観的評価しとる」


 陰翡が驚いた顔で足を止めた。紅が口元を歪めると、陰翡はわざとらしく口笛を吹いた。

 紅としては、別に紺樹自体を嫌っているわけではない。そう言われると、複雑な心境になってしまう。

 陽翠の翡翠色の目が、紅を覗き込んでくる。


「紅は、副長の能力や立場については冷静ですよ。反発しているのは、蒼絡みだけですよね?」


 陽翠の顔には微笑みが浮かんでいる。一瞬、紅は言葉に詰まってしまった。無言でいると、首に腕が回された。見上げれば、歯を見せて笑っている陰翡と、視線がぶつかる。


「ほんま、紅は妹馬鹿やな。蒼馬鹿の値は、副長と、どんぐりの背比べや」

「悪いか。っていうか、ちゃらちゃらなあいつと一緒にするなよ」


 紅とて、妹に甘い自覚はある。しかし、昔の紺樹ならともかく、『今』の紺樹の態度と同一にされては敵わない。

 紅は苛立つ気持ちを抑えるために、庭園の緑に視線を向けた。葉の合間をぬって降り注いでいる木漏れ日に、少し心が平静を取り戻す。

 紅の態度を、そっぽを向いたと勘違いしたのか。陰翡の、口の端が上がった。


「蒼馬鹿の否定はせーへんのか。さっきは一瞬黙ったくせに。副長と比較された途端、素直になったわ。まぁ、気持ちはわかるけどなぁ。自分らも姉弟やしな!」


 紅の首に腕を回したまま、陰翡は横に踏み込む。突然の負荷に、紅はたたらを踏んでしまった。自然と、隣を歩く陽翠にも被害が及んだ。

 紅は体をひねって、なんとか陽翠の肩を掴んだ。わずかに抱き寄せる形になったが、陽翠の腕を掴もうにも、外套にすっぽりと収まって見えない。

 紅は、肩を掴んでいる手に力を込めた。


「陽翠、大丈夫か?」


 陽翠は瞬きを繰り返している。


「えっ、えぇ、すみません」

「それなら良かった。陰翡、大切にしてるっていうなら、まず、自分の身体の大きさを考えて、そういう危ない行動を自重しろよ」


 紅は、陰翡の腹を軽く叩く。紅から腕を解いた陰翡は、叱られた犬のような眼で、陽翠に謝った。大の大人が、子どもに頭を下げているような光景だ。陽翠は困った顔で、再び歩き始めた。

 三人は、すぐ突き当たりに行き着いた。右へ曲がり見えたのは、幅が大きめの緩やかな階段。朱色の手摺りの向こう側には、樹が生い茂っている。鼻腔をくすぐってくるのは、甘い花の香り。紅が魔道府にいた頃と、変わらない。長官にダメ出しをされては落ち込んだ紅を癒してくれた香りだ。緊張感に身が引き締まる室内と違い、庭園は疲れた心身を柔らかく包んでくれた。

 紅が思い出に浸っていると、陰翡から「あっ」と声が上がった。


「話戻すけどな。燕鴇の奴、どんないちゃもんつけてきたん?」


 陰翡の中で、燕鴇の言い分が『いちゃもん』と決定されている辺り、部下から紺樹に対する評価は、相変わらず高いのだとわかる。陽翠が『言いがかり』と口にした時点で、それは疑いようがないのだろうけれど。それにしても、そう思わせるのは、燕鴇の人柄なのか、紺樹への信頼なのか。紅としては、両方なのだと思う。 

 陽翠は、気だるそうに溜息を落とした。


「取るに足らない、言いがかりです。世渡り上手だの、アゥマの調査が進展を見せていないのには裏があるのでは、というような意味を含んだ言葉を吐いたんですよ」

「天候悪化やアゥマの乱れが起こり始めて、時間が立つからな。街の職人が気づき始めてからもだから、副長が表立って動いていないのを怪しんでるわけか」


 紅の言葉に、陽翠が強く頷いた。翡翠色の瞳には、不満の色が濃く浮かんでいる。

 確かに、紺樹は主に表立って動く立場の副長に就いている。普段から、行動が目立つのもあるのだろう。しかし、何事も機を見計らう必要はある。それが上手く、颯爽と解決しているように見えているだけだ。すべては、裏での詰めが完璧にされていてこその結果だ。

 今回は、徐々にだが国民にも処々の乱れが見え始めている。さらに、規模の大きさと原因が全く見えない案件だ。そう容易に解決は出来ないだろう。

 紅は腕を組んで、口を歪めた。


「気持ちはわかるけどな。ただ、天候悪化にまで繋がるほど、滅多にない溜まりと龍脈の乱れだ。調査自体に時間がかかるのも、外交的にも魔道府が表立って動けないのは当たり前だろ。ちょっと考えれば、事の重要さはわかりそうなものだけど」

「そやろ、せやろー! もっと言うてー!」


 陰翡の声が、廊下に響き渡った。それに収まらず、陰翡は大袈裟な仕草で両腕を交互に上げる。紅と陽翠は、揃って耳を塞いだ。正直、煩い。

 しかし、ここに蒼がいれば、陰翡と一緒になって怒っていただろう。蒼の姿が容易く想像出来て、紅から笑いが溢れた。陰翡は未だに声を上げているし、陽翠は目をつぶって耳を塞いでいるため、気づいてはいないようだ。紅は、ほっと胸をなでおろした。考えていた内容を聞き出されたら、また何を言われるかわかったものではない。

 陽翠の瞼は半分しか開いていない。


「その関連で、貿易府と魔道府で組んで、外部から国に入ってきている様々な製品のアゥマも調べているのです。燕鴇は、まつりごとの場で、しかも実質雑務係りとはいえ、お偉い方に付いて会議などにも出ています。情報だけは多く入ってくる立場みたいですから、その辺りを邪推しているのかも知れませんね。入ってくる情報も捌ききれているかは、大いに怪しいところですが」


 吐き捨てるような口調だ。余程、燕鴇の態度が腹に据えかねたのか。面倒くさいと、顔に書いてある。

 陰翡が指を立てて、左右に振る。


「あぁ。貿易府の長官さん、賄賂や派閥に左右されず公平に動きはる人やしな。見る奴によっては、ふらふらしとるとか思うんやろ。それが燕鴇の邪推に繋がったんか。どうせ、蘇芳皇子と仲えぇ副長を右派とみて、貿易府の長官さんを左派として、副長がそれぞれと裏で繋がり、人脈やら賄賂やら得ようとか企んではるとか思うてるんやろ。短絡的やな」

「有り得る話ではあるけど、まぁ、全部オレ達の推測だ。でも、陽翠個人に変な言いがかりつけるようなら、すぐオレたちに言ってくれよ?」


 紅にとって、燕鴇が何を企んでいるかは、大きな問題ではない。紅は魔道府を辞めた身だ。むろん、政にも縁はない。何より、紺樹を貶められる程の力や悪知恵が、燕鴇にあるとは到底思えない。無いに等しい危惧よりも、大切な親友が誹謗中傷される方が、大事おおごとだ。

 紅の心中を察してか。風に吹かれた髪をよけた陽翠の顔には、苦笑が浮かんでいる。


「ありがとうございます。でも、しばらくは近寄っても来ないでしょうね」

「陽翠の言い負かしに反論出来たとも、思えんしな」


 陰翡が頭の後ろで腕を組む。心配はしているのだろうが、軽い調子だ。陽翠の頭の回転の速さを誰よりも理解しているので、そこまで深くは危惧していないのだろう。

 陽翠は、心外と言わんばかりに目を見開いた。


「言い負かしとは、人聞きが悪いですね。事実を、口にしたまでです。燕鴇のことを含めてね」


 その場面を思い出したのか。陽翠は鼻を鳴らし、足早に階段を上がっていく。外套を靡かせた。そんな様子を、紅と陰翡は、顔を見合わせて笑いあった。


「こりゃ、燕鴇の奴、相当まいっとるやろな」

「それだけ陽翠が腹立たしくなる暴言を吐いたんやろ」


 陰翡は細めた目で、遠くを見つめた。しかし、頬がぴくぴくと引きつっている辺り、笑いを堪えているのが明らかだった。

 二人足を止めていると、頭上から少し尖った声が降ってくる。


「紅に陰翡。きっと、長官が待ちくたびれて、机に倒れ込まれてますよ」


 呼ばれて顔を上げると、わずかに耳元を赤くした陽翠が仁王立ちになっていた。拗ねた口で立っている姿は、背後の重厚な扉と釣り合いが取れていなくて、可笑しい。しかし、それを態度に表せば、陽翠の不機嫌を深めるだろう。

 紅は陰翡の背を叩き、階段を鳴らした。






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