第34話 水晶の間5―人工溜まり―
紙が擦れる音を、幾度耳にしたのだろう。張り詰めた様子で視線を落としていた真赭から、声が飛び出た。
「ここ! 文章が読めるようになっているわ! 溜まりのことについてみたい」
「本当かい?! やったねぇー!」
「やった、やった! 溜まりのこと、知りたい!!」
思わず三人とも、膝立ちになってしまった。両手をあげ、それを打ち合わせ合う。手が汗ばんでくる。
背筋が凍るような、『人狩り』という言葉から、無意識に逃げようとしているのかもしれない。互いに口には出さなかったが、舞い上がった空気の中に混じっている焦燥感が、それを物語っていた。
そんな考えを振り払うかのように、蒼は真赭に先をせがんだ。
「ねっ、ねっ! 溜まりのことって、どんなこと?!」
「ちょっとまってね、えぇっと――」
とはいえ、少し考えれば想像に難くないことである。樹から生まれたアゥマが、地下水を浄化しながら混ざっていく。それが龍脈とさらに混じり、溜まった場所を『溜まり』と呼ぶようになった。それは容易に作られるものではない。溜まりごとに、濃淡の差もある。
しかし、世界は広大であり、人類の数も増えてくる。そうなると、溜まりの数が需要と供給にそぐわなくなってきてしまう。
肥沃な土地をめぐって戦争が起きるのと同様。人々の心にくすぶりが生まれた。そうして、大小の溜まりを奪い合う戦乱の世が、幕を開けた。
数多の戦を繰り返すが、やがて人々は、溜まりの数が絶対数少ないのが間違っているのだと考えるようになっていった。
では、と解決方法を探り始める。そうして、行き着いた答えが、溜まりの人工生成であった。
「溜まりの、人工生成ってぇー! そんなこと出来たのかい? ボク、初耳だよ」
「私も聞いたことないよ! そんな便利な方法があれば、今頃、もっと広まってると思うんだけど!」
ぐっと、蒼は前へ乗り出した。
国の要や老舗の溜まりが人工だとすれば威信にも関わる。そのような理由から隠蔽されている可能性を思いつかないこともない。そもそも、人工とそうでない溜まりの区別が付けば、という話だが。それにしたって、どうとでも言えるだろうし、人工だとしても、国中に溜まりが数多存在するとなれば、もっと生活も便利で豊かになるのではないか。
「もしかして、実用化出来なかった理由が、あるのかな?」
「そのようね……具体的な方法は、読めない部分に書いてあるのか、そもそも書いてないのかはわからないけれど、実用化されなかった理由の記述はあるわ」
口をつぐんでいた真赭は、どうやら先を読んでいたらしい。
蒼は行き着いた可能性を口に出して、自分で納得出来た。そうだ、それが一番無難な答えだ。
真赭は視線を左右に転がしていたが、はっと目を見開いた。「ここよ」と短く舌を動かし、整った声調を出す。
世界中の国が、最先端の技術と古代の知識の粋を集め、研究にしのぎを削った。
やがて、ある国が人工溜まりの生成に成功したらしい。曖昧な表現になってしまうのは、一夜にして成功したと言われる国が滅亡したからだ。奇跡的に一人だけ生き残った男の証言から、成功した又はらしいと推測が出来たに過ぎない。
その男の話はこうだ。人工溜まりの生成を続けていたある日、ついに守霊が生まれた。溜まりとして力を持つ場所には必ず守霊が存在する。守霊とは、母なる樹が溜まりに出来たアゥマの濃い結晶から生み出し、守護を任せる人ならざるものと言われている。守霊がいなければ、溜まりといっても、野放し状態のアゥマは毒に近いモノとなるらしい。
国は守霊を生み出すことに成功した。樹の洗礼なくして生まれた溜まりに、樹の守護を冠した守霊が生まれたのだ。当時の人々が、これを奇跡と歓喜したことは、容易に想像出来る。一方で、不可侵領域に踏み込んでしまったことに怯え、樹に許しを乞うた者もいただろう。
ともかく、守霊が誕生したのとほぼ時を同じくして、城下の人間が一斉に消えたのだという。次いで国の至る溜まりが枯渇してしまった。数日の後、人工溜まりと守霊、全ての人々がいなくなった。そういうことらしい。
しかし、この男が何者であるのか、何故城下の人間が消えたのと守霊が生まれたことを同時に知り得たのかという疑問が残る。また、記録として残っていない理由として、隣国に辿りついた時、すでに男は正気を失っていたという話もある。身体の半分が溶けていたとか魔獣の形をしていたなどと記す文献もあるが、これは後世の人々の創作ではないかと、考えられる。あまりにも描写が生々しく、到底、伝承されてきた話とは言えないからだ。
さて、男の話は信ぴょう性に欠けるものだったにも関わらず、噂は広まった。徐々に人工溜まりの研究を行う国は減り、やがては樹を恐れぬおぞましい行為として封印されてしまったのだ。
それは何故か。男の話とは別に、実際の被害があったからに違いない。男が辿り着き息絶えた隣国の溜まりも枯れ始め、最後には周辺諸国も同様の末路を迎えた。そういった国々で、人が消えるという奇妙な現象は起きなかったのだが。
溜まりが消失した土地に、人は住むことが出来ない。再び溜まりとして機能するには気の遠くなるほどの年月が必要だという。人々は国を捨て、難民として他国へ身を寄せていった。そのような人々の話が広まっていったのだろう。
他にも、国として調査を行っての結論ではあったのだろうけれど、どちらにしても、ただでさえ数の足りていない自然の溜まりをも滅ぼす方法は、被る不利益が大きすぎる。それが周辺諸国にまで及ぶとなれば、研究を行わないようにと、国同士での外交牽制も始まったのだろう。
今となっては、人工溜まりを作り出すことに成功した国の所在を特定することは出来ない。地理的な資料もなければ、人が住めないような土地は世界中に存在する上、足を踏み入れることが非常に困難だからだ。冒険者の夢の地と呼ばれるほど、幻のものになっている。
余談ではあるが、周辺諸国が滅んだ時期に異常気象が続いたという話も残っているので、地層を調査する技術が発展していけば、いつか知りえるかもしれないと、著者は考えている。
人工溜まりの記述自体は、とある古書にもあった。今では存在が行方知れずになってしまっている本だ。著者は研究者として幸運にも手に取る機会を得られたため、新たに調査した内容を加え記した。
これより記すのは、著者が恐怖を抱きながらも、記録として残さずにはいられなかったこと。決して方法の委細を語ってはおらず、このような私的感情にて書を残すことに躊躇いも消えない。ただ、起こった悲劇を事実として記しておきたかった。
人間は、乗り越えられない壁や障害を克服する知恵と知識を育んでいく。人工溜まりの災厄を受けた、とある国の人々は叡智を絞り、なんぴとも成し得なかった溜まりの消失を防ぐ術を開発した。その国は、樹の加護を受けた一族の生き残りが集まり、作られた小国であったと言われている。彼らは樹と龍脈、それに溜まりの関係を誰よりも理解していた。
だからこそ、であろう。彼らは、人工溜まりの波紋で枯渇していく溜まりを、いや『国』という存在を死守する糸口を掴んでしまった。身も凍るような、おぞましくも厭忌すべき方法を生み出した。
今から記すことは、ゆめゆめ現実に発動されることなきよう、願う。命を救うための溜まりが、多くの人々の犠牲という柱によって守られることなど、あってはならないのだから。この時ばかりは、現実的ではないとわかっていながら、捧げられるべきはクネパではなく、祈りであってほしいと、思わずにはいられなかった。
そこで文字は読めなくなっていた。枚数にすれば多くないが、最後までは読めないようだ。むしろ、めくった先の項は何枚か綺麗に切り取られた形跡があった。
蒼は最後の言葉を、反芻し続ける。
やけに、ぼやかされた表現。
何故か、黒い陰に見せられた、両親の姿が浮かんだ。やめて、今は関係ないことだ。頭を振っても、瞼の裏に焼き付いた映像は、消えてくれない。蒼は両の掌を、水晶の床につく。額から落ちた汗が水晶とぶつかり、音も無く弾けた。色んな想いが、頭の中で暴れている。
真赭の小刻みに震える指が、その先の古代文字を何度もなぞる。けれども、形は変わらない。もうそれ以上、暗号が解かれることはなかった。