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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第二章 クコ皇国の変化 ―
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第30話 水晶の間1―隠された場所―

 浅葱は、闇の前で仁王立ちになっていた。この上なく深刻そうな顔で、行く先を睨んでいる。先程の危機よりも切羽詰って見えるのは気のせいだろうか。

 そんな浅葱を、蒼と真赭が後ろから覗き込む。錆び付いた歯車に似た音が聞こえてきそうな動きで、浅葱が振り返った。


「こここ、ここに入るのぉー?」

「浅葱は入口で待っている? 私は一向に構わないけれど」


 真赭は、当然この奥がどうなっているのかを知っているのだろう。一見すると全く不安な様子はない。さらに意地悪な笑顔で、浅葱の肩を叩いた。心無しか楽しそうにも見えるが、口元が強ばっているあたり、浅葱をからかって緊張を誤魔化しているだけなのかも知れないが。

 蒼はそんな真赭の肩を軽く叩く。ふにっと、柔らかい膨らんだ袖が潰れた。


「浅葱のオバケ嫌いは今に始まったことじゃないしね。ほんとに待っててもいいんだよ?」


 蒼はそのまま一歩踏み出す。苦笑を浮かべ、浅葱の横を通り過ぎようとしたのだが、その寸前に腕を強く掴まれてしまった。しかし、それはある程度予想の範囲だったこともあり、蒼は「仕方がないな」とだけ、はにかんだ。

 浅葱が細かく震えながらも前を向き、蒼の腕にしがみついている。涙目で。


「こういう場合、置いて行かれる方が怖いんだよぉー」

「中にある『モノ』を取ってきたら、すぐに戻ってくるわよ」

「何言ってるんだい、真赭! それを手にとった瞬間、この壁が閉じ始めたり、槍が落ちてきたりするに決まってるじゃないかなぁー! そうしたら、ボク、どうすればいいのさ!」


 浅葱は蒼に寄り添ったまま、激しく頭を振った。頭頂部で纏められている髪の束が、頬にあたってすこぶる痛い。密着した状態で暴れられた蒼は、顔をこわばらせてしまう。浅葱は硬い髪質だから、なおさらだ。


「そうなったら浅葱が助けてくれればいいじゃん。あっ、むしろ私たちより浅葱の方が危なかったりしてね。背後から忍び寄る、怪しい人影! とか」

「蒼ってばさぁーさっきからかった仕返しだろぉー?」

「因果応報よね。心当たりがある浅葱が悪いのよ」

 

 鼻で笑ってみせた真赭は、すでに足を進めている。

 壁に挟まれた場所で、声が反響した。蒼が柔らかな灯りに気がつき視線を落とす。真赭の手には、いつの間にか角灯が握られていた。闇の中に立つ真赭の姿を、ぼんやりと夕焼け色に浮かび上がらせている。

 しかも、蒼たちの気がつかぬ間に、懐中時計も回収していたようで、角灯を持つ手と反対側で握り締めていた。『鍵』として、まだ使用する機会があるということだろうか。ゆめゆめ、黒い陰が再来するなどということは避けたいのだが。

 蒼の心中をよそに、すたすたと歩いていく真赭の背中が闇に溶けていく。蒼は、慌てて靴を鳴らした。目では確認しにくいのだが、鳴った音から察するに、どうやら床は書庫と同じ大理石状のようだった。


「真赭、待って! ほら、浅葱も付いてくるなら、足動かして。あと声の大きさは、ちゃんと落としてね」


 壁の内側は、女の子三人が並んで歩くほどの余裕はあった。壁に手を這わせる限り、書庫を形作っている素材と同じ材質で、声はよく響いてしまう。蒼は浅葱から耳を遠ざけた。

 蒼は、未だに渋っている浅葱を引きずる形で、前へ進んだ。ひんやりとした空気が、肌を撫でてくる。けれど、決して不快感は覚えない。むしろ、心地よいくらいだ。

 

「室内っていうより、廊下だね」

「うぅ。どっちにしたって不気味なことには変わりないよぉ」


 奥へと伸びるまっすぐな道は、至って簡素な作りになっている。角灯の明かりだけを頼りに進んでいくのに、全く不便がないほど、障害物はなかった。

 ただ、進むに連れて、妙な緊張感が漂ってきた。この先に待ち受けているモノが放っている圧倒感だろうか。それとも、黒い陰に襲われた直後に、逃げ場のないような所に入り込んでいるからなのだろうか。蒼の鼓動が、えも言われぬ緊迫感で早まっていく。


「ところで、真赭。中にあるモノって、一体なに?」

「一言でいってしまえば『古書』よ」

「表の本棚の封印では足りないくらい、強力なアゥマが込められた『古書』っていうこと?」


 真赭は、言葉もなく一度だけ頷いた。その拍子に、猫のように柔らかい髪が、ふわりと踊った。そうして、再び固く口を閉ざし前を見据えてしまった。

 どういうことだろう。蒼の首が横に倒れる。


「それは古書に封印されてるアゥマ自体が貴重、っていうか、危険なものなのかな?」

「それは……」

「それとも、本に記されてる内容が――ぶっ!」


 声量を抑えていた蒼の口から、大きく可笑しな声が飛び出た。前を行く真赭が立ち止まっていたのだ。浅葱を引きずりながら考え事をし、なおかつ口を動かしていたせいで、気がつかなかった。蒼はぶつけて赤くなっている鼻を、軽くさすった。

 落ちた視線の先、足元の床に切れ目を見つけた。大理石状の床は途切れ、水晶へと変わっている。心葉堂の床と同じ作りなので、すぐに認識することが出来たのだ。それでなくとも、クコ皇国では水晶は日常に溶け込んだモノなのだ。

 元来、水晶は邪や魔を祓う力があると言われてきた。それは前文明の時から変わらないことらしいと、文献で読んだことがあった。古来では『玻璃はり』と呼ばれていたらしい。アゥマが持つ浄化作用をより強化するための補助魔道具として、クコ皇国では重宝されている。

 顔をあげ壁に目を走らせると、やはり、天井から床へと一直に線が入っていた。

 真赭が水晶の床に足をかけると、一斉に足元が煌めき出す。一瞬、眩しさで瞼を閉じてしまう。ゆっくりと瞼を開くと、すぐに、菱形にはめ込まれている水晶の下から、光が溢れてきているのだと、わかった。閃光のようにきつい光ではなく、あくまでも柔らかいものだったから。

 蒼は、未だに腕にしがみついている浅葱を横へ押しやり、しゃがみこんだ。律儀に


「浅葱、ごめん」


とは付け足してはおいた。それが本人に聞こえているかは別として。

 そうして、水晶に手を伸ばす。が、先程の懐中時計の件を思い出し、ためらってしまう。


「綺麗……床の下にアゥマが溜まってる。これが直接光ってるんだね。量と湧いてきている様子から、溜まりのひとつなのかな」

「えぇ、蒼。しかも、そこだけじゃないわよ? 見て」


 どこか高揚した調子で、真赭が肩を叩いてきた。

 言われるがまま、蒼は顔をあげた。

 真赭の向こう側、やや奧の方に広がっていたのは、輝きわたる水晶の壁。舞う、淡い光。蒼の口が、ぽかんと大きく開いてしまう。はっと、我に帰った蒼は、冷たい空気を思い切り吸い込んだ。


「この一角全部、水晶で出来てるの?! しかも、しかもだよ。アゥマが壁にも流れてる!」

「下で湧いたアゥマを含んだ水が、一旦天井まで汲み上げられるの。そうして、上から三方へと流れ落ちていくのよ」

「このふわふわ浮いてる蛍みたいな光もアゥマなのかなぁ?」


 あまりに幻想的な光景を目の前に、すっかり恐怖心をなくしたのか。調子を取り戻した浅葱が、浮遊している綿毛のような光彩を掴んだ。

 思わず、蒼は「あっ!」と声をあげてしまうが、特に何も起こらず、光は静かに弾けて消えていっただけだった。ほっと、胸を撫で下ろす蒼。

 一方、浅葱は


「どうしたのさぁ」


などと、呑気に声を掛けてくるものだから。蒼は人差し指で、浅葱の額を突き飛ばしてしまった。


「浅葱、警戒心なさすぎ! さっき、あんなことあったばかりなのに」

「だってさぁー真赭が触るなって言わないからぁ」

「どうして、私が言わなければ、警戒心持たなくていいのよ」


 真赭が呆れた顔を、浅葱へと向ける。蒼は、その顔に「私はあなたの保護者なのかしら」と書いてある気がした。

 けれど、それを向けられた浅葱は一向に気にしている様子はなく、むしろ胸を張ってみせた。


「本当に危ないと思ってたり、ちょっとでも警戒してたりしたら、ボクには絶対動くなとか触るなって言うだろぉー!」


 満面の笑みを浮かべ、自信満々に言い放った浅葱。

蒼と真赭は顔を見合わせた。そして、蒼は半笑いを浮かべ、真赭は掌で顔を覆いながら、盛大な溜息を落とした。

 そんな二人を見てもなお、浅葱はのんびりとした表情をしている。蒼と真赭は閉口し、背を向けた。


「浅葱はおいておいて――」


 蒼は改めて水晶へ目を向ける。

 輝きのせいか、清涼なアゥマが満ちているせいか。不思議と、透明な時間が流れていく。しかも、ただ安らかになるのではなく自然と背筋が伸びるものだから、ことさら魅きつけられるのだ。浄練を行う際の雰囲気に、とても似ているから。


「部屋の中央に、台座があるね。やっぱり水晶で形作られているみたい」


 台座の真ん中には、『古書』らしきモノが飾られているように見えた。

 蒼がその荘厳さに息を飲むと、真赭がゆっくりと床を鳴らした。アゥマが流れ落ちる音に、心地よく混ざる靴音。

 真赭は古書らしきモノの前で立ち止まると、先程拾い上げていた懐中時計をふところから取り出した。ためらう様子もなく、封印のために貼り付けていた華香札を剥がしとった。

 蒼は真赭の元へと駆け寄る。古書は、それよりもひと回り大きい水晶の枠に、きっちりと収められている。


「あっ! まっ真赭」

「大丈夫よ、蒼。『ここ』では、まかり間違っても、さっきのようなことは起きないわ」

「やけに断定するねぇ」


 少し離れたところで部屋の全体を眺めていた浅葱が近づいてきて、少しばかり驚いた様子で真赭を覗き込んだ。

 そんな二人に、真赭は落ち着いた口調で、もう一度「大丈夫」と微笑みかけてきた。


「ここは表の比じゃない程、強力な結界が張られているわ。高難度な術、古のアゥマの中でも、より清澄なアゥマで封印を施された古書を守るためのものが」

「つまり、万が一邪が出ても、邪自体が耐えられないってこと?」

「まぁ、そういったところかしら」


 真赭は数秒考えている様子を見せた後、軽く肩をすくめた。

 隣で腕を組んで頭を思い切り傾けて固まってしまった浅葱を考慮してのことだろう。浅葱を納得させるには、もっと細かい仕組みから説明する必要がある。けれど、今はそちらより優先するべきことがあるからだろう。ざっくりとだが、一番わかりやすい言葉を選んだのだと、蒼は考えた。

 それは的を射ていたようで、真赭はすぐに古書へと手を伸ばした。表情を引き締め、深呼吸を始めた。その手には懐中時計が握られている。もちろん、蓋は閉じたまま。

 蒼と浅葱は数歩、後方へと下がった。


「水晶にはめ込まれた玉に、懐中時計をかざしたってことはさぁ。あの古書の封印を解いてるってことかなぁー」

「そうだろうね。整頓を始める前に、表の本棚も解錠したでしょ? 玉が、その時と同じような反応してるもんね」

「時間がかかってる分、封印の度合いは比にならないってことかぁ」


 浅葱が腕を組み、幾分か大げさに頷いてみせた。

 懐中時計と共鳴している玉。その間には、蒼が見たことのない模様が輪を作って目まぐるしく回転している。それは上手い具合に十字に交差したり、ぶつかりあって壊れてしまったりしている。


「蒼が使う魔道陣によく似ているねぇー」

「うん」


 はっきりとは理解できなかったが、どうやら模様は変化しているようだった。左から右へと七色の光が流れている。時折、火花が散った。

 表面的には、激しい魔道の発動で部屋の温度があがったようにも感じられるが、実際は澄んだ冷たい空気が呼吸をする度、蒼の体内へ入り込んできていた。ひんやりとした、洞穴の中のような空気だ。


「わっ! びっくりしたよぉーでも、この雷みたいな火花、肌にあたっても全然痛くないねぇ」

「ちょっとぴりっと痺れるくらい。でも、それもアゥマと共鳴する時に似ているから、全然不快じゃないよ。むしろ、気持ち良いくらい」


 凛冽としたアゥマと同じく、肌に触れる魔道はとても優しい。

 蒼は腕をさすりながら、指先に感じる魔道に頬を緩ませた。どちらかというと、封印という堅苦しいものではなく、治癒を受けている時の魔道に通じるだろう。

 そんなことを話しているうちに光の帯びは薄くなり、真赭の髪を巻き上げていた風もやんだ。

 そして、真赭が懐中時計をかざしていた腕を下ろすのとほぼ同時、水晶の擦れ合う音がこだました。蒼が音の元へ顔を向けると、真赭は既に体を動かしていた。古書が収められていた水晶の箱が大きく半分に割れている。


「この古書を、読んで欲しいの」


 噛み締めるように言葉を紡いだ、真赭の手には、つい先程まで守られていた古書があった。

 蒼の喉が唾を飲み込む。上手く通らなかったのか、二・三度むせてしまった。まるで古書が醸し出している凛とした雰囲気に当てられてしまったかのように。

 腰を折り曲げて口に拳を当てた蒼の背を、浅葱がさすってくれた。それに礼を言うと、蒼はまっすぐに真赭を見つめた。

 蒼の瞳に映った真赭の目は、わずかに伏せられていた。


「ごめんなさい。こんなこと、蒼や浅葱に頼むなんて、巻き込もうとするなんて、自分でもどうかしているとは思うわ。迷惑かけることになることも、十分理解しているの。けれど、私……」

「大丈夫だよ、真赭。真赭が苦しそうにしてるのに、力になれない方が嫌だもん」


 蒼は、本を抱えている真赭の腕を両側からしっかりと握り締める。

 浅葱の手も、真赭の細い肩にかけられた。


「そうだよぉーボクたちが出来ることなんて、たかが知れてるけどさぁ、胸につっかえてることの共有ぐらいは出来るよぉ?」

「そうそう。むしろさ、真赭が何を思い悩んでいるのかとか、この水晶部屋のこととか、抱えてるその本のこととか、早く知りたくて仕方がないよ!」


 蒼は自分が巻き込まれたなどとは思わないし、浅葱だってそうに決まっている。確信が持てる。嬉しいことも悲しいことも分かち合い、時には大喧嘩だってしてきた仲だ。大好きな幼馴染が、何か悩みを抱えている。それだけで、今の状況全てを受け入れる理由は、充分すぎる。

 一瞬、蒼の脳裏に黒い陰に取り込まれた時の映像が浮かんできた。見知らぬ溜まりと両親たち。しかし、今はそれについて思考しても仕方がないと、大きく頭を振った。何故、今ここで思い出してしまったのだろうか。気に掛かりはしたが、答えの出ないことだ。

 蒼の奇妙な行動に真赭の目が瞬いたが――。


「ありがとう、二人とも」


 小さく呟いて、嬉しそうに微笑んだ。

 直後、口元を引き締めた真赭は、気合いをいれたように強い調子で蒼に本を差し出した。


「蒼、それに浅葱。この古書に書いてあることは、私たちが知らないアゥマと人との関係。知らない方が良かったと思えるかもしれないけれど、読んでくれる?」


 蒼と浅葱は、ゆっくりと顎を引いた。むろん、同意の意思を含んで。

 


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