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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第二章 クコ皇国の変化 ―
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第21話 幼馴染1―並んだ肩―


「さて、紅たちに置いて行かれないように、私たちも進みましょうか」


 そう言って、紺樹が柔らかく微笑みかけてきた。笑みを受けて、蒼は前を向く。

確かに、白や紅それに萌黄の姿は、もう見当たらなかった。恐らく、角を曲がってしまったのだろう。ただ、紅の慌てた声と萌黄の楽しそうなはしゃぎ声だけが、遠くに聞こえる。


「蒼?」


  紺樹と一時笑いあっただけなのに、蒼の中で渦巻いていた暗い考えは、不思議と影を潜めてしまっていた。もちろん、茶師としての未熟さへの自責の念が、完全に払拭された訳ではない。けれど、絡み合っていた、幼馴染としての感情がふっと解けていったようだった。

 あそこまで沈んでしまった原因のひとつ。それは間違いなく、紺樹が、他の者の茶葉を大切な母親のために購入したことだった。しかも丹茶を、懇意にする言葉を発して。

 蒼は、笑いを落ち着かせる振りをして深呼吸をする。気持ちが和らいだ。


「そうだね。あまり離れると、紅に怒られそう。助けろよって」


 途端に兄をからかう元気が出てくる。萌黄に振り回される紅に、助け舟を出さずにいること。後で愚痴られてしまいそうだ。蒼は自分から冗談半分で発した言葉に鳥肌をたて、足を踏み出した。


「はい。その前に――」


 鞄を下げていた筈の肩が、ふっと軽くなった。首を傾げて、蒼は足をとめた。そのまま、視線を横へと動かす。視界に入ってきた紺樹の手にあったのは、先程まで蒼の肩にかけられていた鞄だった。

 紺樹の仕草があまりにも自然だったので、つい蒼の反応が遅れてしまう。目を瞬かせた蒼に、紺樹が「どうしました?」と柔らかく微笑みかけてくる。その声で、蒼は我に返った。


「紺君、いいよ! そっちの荷物も重たいでしょ?」

「そうはいきません。それとも、私は蒼に女性の荷物も持てない程、貧弱だと思われているのでしょうか」

「紺君が頼もしいのは知っているけど。徹夜明けで疲れてるでしょ?」


 紺樹は一見すると優男やさおとこに見えるが、決して貧弱という印象を受けるわけではない。何を今更言っているのだろうと、蒼は紺樹を覗き込んだ。さらりと。束ねている長い淡藤色の髪が、なめらかな肩を滑っていった。

 瞳に映った紺樹の顔は、珍しく惚けていた。なぜだろうと、不思議に思った蒼が彼の名を呼ぶ。


「うーん、困りましたね」


紺樹は、面食らった様子で頬を掻きながら呟いた。そうして、そのまま視線を逸らされてしまった。彼の頬がわずかに色づいている、気がした。

 徹夜で疲れているなどと言ってしまったことに、気分を害してしまったのだろうか。いや、まさか怒っているわけではないだろう。ということは、疲労が滲み出ていることを、年下の蒼が察してしまったことに対して羞恥したのだろうか。蒼は色々思考を巡らせる。


「お疲れ様! 紺君、お仕事頑張ってるんだもん。私も、はりきって浄錬しないとね!」


 それは、きっと自分の中でだけの勝手な解釈。けれど、飄々とした紺樹から一本とれた気がして、蒼は嬉しくなってしまう。

 浮かれた蒼は、くるりと回って紺樹の前に立つと、両腕をあげて力こぶをつくってみせた。その拍子に、ふわりと桃色をした服の裾が舞う。石畳と靴がぶつかった音が、静かな空気に響いた。

 そうだ。紺樹に対して、今まで『職人』として向き合えてすらいなかったのが、やっと『職人』として茶葉を提供することが出来るようになったのだ。そうして、仕事の辛さが理解できるようになった。そう考えると、きっと辛さも乗り越えられる。そう自分を信じようと、蒼は心の中で頷いた。

そんなことを考えていると、自然と頬が緩んでしまい。蒼は気合を入れる振りをして、軽く自分の顔を叩いた。


「紺君にちょっとでも近づけるよう、頑張らないと!」


 相変わらず、目の前の紺樹は呆然と立っていたが、やがて、たっぷりと間をとった後、掌で顔を覆うと深く溜息をついた。気のせいだろか。肩も落ち、猫背になっている。


「まったく」

「えー? どういう反応なのかなぁ」


 蒼としては、実に心外な態度だ。思わず紺樹に詰め寄り、袖を引っ張る。けれど、当然のことながら、蒼の力では紺樹の顔から手を剥がすことは不可能だ。

 全く動く様子がなくなってしまった紺樹。一度手を離した蒼は、思いっきり頬を膨らませ、どうすれば良いのかを考える。そして、再び紺樹に手を伸ばすが、今度は直接彼の手を掴みにかかった。

 すると、それまでの頑なさが嘘のように、彼の顔と手に隙間が出来た。が、その手は重力に従って、蒼の額のやや上に着地してきた。そのまま、蒼が目を開けていられない程、撫で続けてくる。


「いや。今吹いている微風そよかぜにでも飛ばされそうに、いとも簡単に意思が揺らいでしまったから。本当、俺は蒼に弱いと思ってだな。……まぁ、分かりきってはいたのだけれど、実際そうなってみると、魔道府の副長としては情けないというか、いやしかし、仕方がないというか」

「もー! 紺君ってば、意味不明だって!」


 口調が崩れているのも珍しかったのだが。それよりも蒼を混乱させたのは、彼の言葉の内容とその勢いだった。まるで早口言葉を聞いているかのような速さだ。よく舌を噛まずにいるなと、妙に感心してしまうほど。

 何故、今ここで紺樹の魔道府としての立場が出てくるのかも疑問である。しかし、それ以前に。今の話の流れで、何に対してどうして『意思が揺らぐ』のかも皆目検討がつかない。


「それに、撫ですぎだよ。前が見えないし」


 蒼は、紺樹の腕にしがみつく形で自分の腕を絡ませ、なんとか下へおろそうと試みる。上にあげることは力関係上不可能なので、なんとか引きずり下ろすしかない。最悪、顔をひっかかれるか胸に手が落ちてくるか。

どちらにしろ、謝罪してくるだろう紺樹への対応が面倒くさかったけれど、このままの状態よりは断然ましだ。


「あっ、すまない。前髪が乱れてしまったな」


 蒼の腕の体温で我に返ったのか。紺樹が、はっとした表情で手を離した。そのまま、気を付けの姿勢で、指を閉じたり開いたりしている。

 やっと開放された蒼は、ほっと胸をなで下ろした。色んな意味で心臓に悪い。


「髪は別にいいけどさぁ。紺君、やっぱり帰って寝たほうがいいんじゃないの? 反応も素直すぎるし、思考回路も迷走してる感じ」


 蒼は、あまりにも素の表情で謝罪を口にした紺樹が心配になってしまった。紺樹を見上げると、彼の背後には、柔らかい緑みの青をした百郡の空が広がっていた。

 白みを帯びた群青の景色が、霞みに白さを増す。漂う薄い雲は、ただ、静かに流れていた。整然と佇んでいる家屋の屋根に、波打つかのように影が落とされる。

 さわと。葉を揺らした風が、蒼と紺樹の髪を、わずかに躍らせた。気のせいだろうか。流れた髪の合間に見えた紺樹が、困ったように微笑んだ。確信が持てなかったのは、蒼が髪をかきあげ、紺樹をしっかりと見つめた時。すでに、彼はいつもの満面の笑顔を浮かべながら、


「素直なのは、いつもなのですがね。確かに寝不足が祟っているようではあります。つい、ぼうっとしてしまって」


と言って、後頭部を大げさに掻いていたから。

 蒼の中に小さな違和感が生まれた。本当に微小な程。だから、それが何に対してなのか、蒼自身も全く予想もつかないものだった。再び吹いた風に飛ばされてしまったのではと思えるくらい、軽い違和感。なので、蒼も一瞬小首を傾げただけで、すぐにその存在を忘れてしまった。


「あんまり無茶しないでね? 紺君が倒れたら、もう一人の副長さんが可哀想。ただでさえ魔道府の外のお仕事担当の方で、忙しく飛び回っているみたいなのに」


 魔道府には副長が二人いる。同じ副長でも立場的には次席である紺樹の方が上なのだが、もう一人の副長は経験も豊かで顔が広く、各方面に直接赴いて指揮を執っていることが多い。

 若々しく舌っ足らずの口調で、誰に臆することなく自分の考えを述べる長官。飄々《ひょうひょう》として、胡散臭うさんくさい笑顔を浮かべながら規則を守らない紺樹。そんな二人の相手を、最も近しい位置で補佐する人物。魔道府で一番の尊敬を集める人間ではと、実しやかに囁かれているらしい。そう、紅から聞いたことがある。

 最近、その人物と顔を合わせていない。


「……蒼の心配の仕方に少し悲しくなりました」


 紺樹に心底落ち込んだような表情を浮かべられてしまう。少しどころではなく、眉を垂らして思いっきり肩を落としている様子が、あまりにも可笑しくて。蒼から、あどけない笑い声が溢れた。それと同時に、紺樹に恨めしそうな瞳で見られてしまい、言葉を付け足す。


「うそうそ。私でよければ、いつでもお茶、淹れるから。お店終わったあとでも、直接私の部屋に来てくれたら歓迎するよ? こっそり、だけどね」

「それは、とても嬉しいのですけど。夜も遅くに、自室へ人を招き入れるのは、感心しませんね」

「だって、紺君の仕事終わる時間には、心葉堂、閉まっちゃうじゃない。けど、遅くに居間に紺君がいたら、きっと紅がうるさいだろうし。あっ、大丈夫だよ。女の子っていう意識がないって言われる私でも、紺君にしか言わないから。こんなこと」


 腕を組んで立つ紺樹の姿が、説教をしてくる紅の姿と重なってしまい、笑いがこみ上げてきてしまう。紺樹のいわんとしていることを理解しないほど、蒼も子どもではない。紺樹の心中を察した蒼は、忍び笑いを漏らしながら「大丈夫」と付け加えた。

 けれど、紺樹の口は、一文字に結ばれてしまう。今度こそ、蒼は大きな笑い声をあげた。

笑ったのは、紺樹がおかしかったからではない。私服のせいか、普段よりも表情が豊かな紺樹に嬉しくなってしまったのだ。嬉しくなっている自分に気がつくと、より笑みが深くなっていってしまう。いつの間にか、蒼の赤紫色の瞳は蕩けていた。


「大丈夫ではありませんよ。どちらの意味でも、今の私が……」


 そう言って、紺樹はふんぞり返った姿勢で空を仰ぎ見た。

 はてと。今度こそ、蒼は眉を顰めた。その単語に幾つも意味をもたせるなど、器用な真似をしたつもりがなかったから。蒼は、紺樹や白ほど言葉遊びが得意ではない。

 不思議に思った蒼は、何度か紺樹の名を呼ぶ。けれど、空を眺めたまま顎を撫でている彼が応じることはなく、唸り声をあげ続けるだけだった。



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