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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第二章 クコ皇国の変化 ―
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第18話 溜まり2―蒼と麒淵(きえん)―


「なんじゃ、今にもぶっ倒れそうな顔色しおってからに」


 溜まりへ駆け込んできた蒼の顔を見て、麒淵きえんは心配とも呆れともとれる顔で迎えてくれた。どちらかというと後者を色濃く含んだ瞳をしている気がしたが、蒼は文句を口にするわけでもなく、黙って彼の横を通り過ぎた。

 店から全速力で中庭を走ってきたので、全身から汗が噴き出し、体温も心拍数も激しく上昇している筈なのに。それでもなお、青白い顔に見えてしまうということは、余程ひどい顔をしているのだろう。きんっと張り詰めた溜まりの空気が、肌を刺してくる。


「そんな、こと、ないよ」


 蒼は、あがった息を整えようと深呼吸をする。なんとか呟くが、その声はか細く震えており、説得力など皆無。それが、自分自身でも分かってしまう程だった。

 自分の中に渦巻いている暗い感情のせいだろうか。いつもなら溜まりへ入った瞬間、清涼せいりょうな空気で落ち着くことが出来るのに。今日は、先ほど飲み込んだ嗚咽おえつで、喉奥が詰まったままだ。


「ちょっと、休憩、させてね。お昼の、きゅーけい、じかん」


 静かに近づいてきた麒淵と目を合わせず。蒼は天秤が置かれた机に、崩れるようにうつ伏せた。冷たい円卓に触れた肌から、熱が移っていく。ようやく、蒼は、ほぅと息を吐いた。本来であれば、溜まりは長袖を身に付けていないと、寒さに鳥肌が立つような場所だ。けれど、今は露出した肌に湿気寒しけざむさが、心地よかった。

 大きく上下していた肩の動きが、次第に静まっていく。けれど、やはり、全身で感じる違和感を、拭うことは出来なかった。


(まるで、アゥマから拒否されているかのようで、たまらなく苦しくなる)


 蒼が、幼い頃に溜まりの守霊麒淵と契約を結ぶことが出来たのは、アゥマを感じ取りやすく影響を受けやすい体質だからこそと聞いたことがある。ならば、今蒼が感じている拒否感は、現実のもの――ここにあるアゥマを纏った茶葉や道具たちから発せられているもの、なのかもしれない。そんな風に考え始めると、悪い方向にばかり考えてしまう。

 蒼は螺旋らせん階段を歩き続けている錯覚に、陥っていった。麒淵が、音も無く近づいてくる。


「最近、根を詰めておったようだからのう。そんなんでは、アゥマを扱うことすら、身体の負担になってしまうぞ?」

「大丈夫、だもん」


 顔を伏せたまま、何とか出した声はくぐもっていたが、洞窟のような作りになっている溜まりでは、良く響いた。岩肌に反響して戻ってくる声は、耳鳴りを誘う。

情けない声が悔しくて、蒼はぎゅっと腕を掴んだ。肌が赤くなるほどに掴んで、さらに額を机に擦りつけた。頭の上で、麒淵が溜息をついたのがわかる。


「あほうが。おぬしが何歳の頃からの付き合いだと思っとるのだ」


 つむじを軽く叩かれて。いや、撫でられて。蒼はきつく唇を結ぶ。そうしないと、再び涙腺が緩んでしまいそうだったから。

 優しくされることが辛かった。あたたかい言葉が、余計に胸を締め付けてくる。それら全てが、蒼の未熟さを象徴しているかのようで。決してそうではないと、わかってはいるのだけれど。知っているからこそ、蒼は自己嫌悪の悪循環から抜け出せない。


「変なところ、撫でないでよぉ」

「どっどあほうが! 人が優しくしてやっておると言うのに! おぬしの方が可笑しなこと言うでないわい!」


 様子は伺えないが、麒淵は本気で慌てているらしく、身体に不似合いな大きい声が飛び出てきた。と同時に、後頭部を強く叩かれてしまう。込められた力に、麒淵の動揺が詰め込まれている。結構な痛みが、蒼を襲った。しかし、どういうわけか、それが合図になり、瞼が急に重くなる。

 蒼は顔をあげて、瞼を擦る。既に半分ほどは視界が狭くなっているのか、麒淵の


「……ちっと寝ておけ」


という優しい囁きが、遠くに聞こえた。

 蒼の返事が躊躇ちゅうちょの色を含む。しかし、それも麒淵には予想のうちだったのか、麒淵は小さく笑った。


「紅には、わしから居場所を伝えておこう。なに、すぐに戻ってくる。寝坊の心配はせんと、思う存分寝てよいぞ」

「う……ん、わか……た」


 なんとか。それだけ麒淵へ返すと、蒼の意識は急速に遠のいていった。

 まどろむ意識の中、蒼は夢を見ないようにと願った。肌に刺す僅かな違和感がそう思わせたのか、それとも、様々な辛い思い出が溢れ出てきて、悲しみに飲まれそうだと考えたのか。

 蒼自身、どちらかはわからなかったけれど。はっきりしているのは、ただ今だけは自分が大切にしている居場所で、静かに眠りたいということ。

 目を覚ましたら、また頑張るからと。蒼は、深く溜息をついた。

 ふわりと背中に感じた滑らかな絹の感触が、心地よく。それ以上、蒼が頭を悩ませることはなかった。



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