第15話 調査1―幼馴染―
「あれ? 真赭だ」
アゥマの乱れを調査しようと店を出た蒼と白。
二人が店のある地区から街へと続く橋を渡り終えたところで、幼馴染の真赭に出くわした。名前と同じ、赤色より落ち着いた色合いで耳下の長さの癖毛が風になびいている。襟がなく胸元で絞られた異国風の服に身を包んでいる彼女は、違和感なくそれを着こなしている。
「白様、お久しぶりです。蒼も、こんな時間に珍しい」
「ちょっと、ね」
むしろ、はっきりとした顔立ちに、よく似合っている出で立ち。蒼と同じような雪洞状の丸い袖から伸びる腕は、すらりと長い。身長は蒼とさして変わらないのだが、華奢な分、真赭の方が高い印象を受ける。
恭しくお辞儀をした真赭の肩を軽く叩き、白は淡い微笑みを浮かべた。
「オゥ、真赭。ばぁさんのこと大変だったのう。どうじゃ? 落ち着いてはきたかのう」
「はい。蒼にも手伝ってもらって助かりました。祖母は白様と同じで遊び心が強くて。遺品の古書などを整理するにも時間がかかってしまって」
真赭は猫目を細めて、小さく笑った。
蒼と同じ年の真赭は、白とも赤ん坊の頃からの付き合いなのだが、律儀な彼女は顔を合わせる度、クコ皇国の『フーシオ』として白に最敬礼をするのだ。こうして白が親しみのある言葉をかけると初めて、真赭は表情を崩してみせる。
そうは言っても、落ち着いた声は彼女の地なので、大きく変わることもないのだが。活発そうな格好に反して、蒼よりも大人びいた雰囲気を纏っている。
並んで歩き始めた蒼と真赭の後ろを、白がついていく形で進み始める。ふと、蒼は、真赭の腕に抱えられた紙袋に目が止まった。
「真赭はどこかへ出かけた帰り?」
「えぇ。所用で」
珍しく歯切れの悪い真赭が気になり、どこの店のものかと凝視してしまう。すっと反対の手に持ち替えられた袋には、見覚えのある店印が押されていた。
わずかに、蒼の表情が曇った。そんな蒼の眉間を、真赭が人差し指で押してきた。蒼は「わわっ!」と後ろへ、たたらを踏んだ。不意をつかれた為、そのまま後ろへと倒れそうになってしまうが、寸での所を白に支えてもらい、転倒はまぬがれた。
「真赭!」
「蒼の眉間の皺が面白くて」
「おぉ、本当じゃ」
「おじいまで!」
愉快そうに笑う真赭。その拍子に小さく咳き込むが、すぐに「蒼が笑わせるから」と静かに微笑んでみせてくる。むせるほど笑ってなかったじゃないかという突っ込みなど、今はしない。真赭は活発そうな見た目に反して、身体があまり強くないのだ。幼い頃よりは体力もつき、常人と同様の運動くらいは出来るようになったのだが、天候が悪くなると、それに引かれる様に体調を崩してしまう。
蒼の眉が、情けなく垂れた。
「私が、丹茶作れないでいるからだね。ごめん」
自分で言うのもなんだが、蒼が浄練する丹茶は真赭の身体と相性がいいようで、それを飲んでいる時は体調がすこぶるいいのだ。医術師のお墨付きでもある。
しかし、今の蒼は丹茶をつくることができない。もちろん、薬師の薬が効かないわけではないが、薬効が強い丹自体よりも、本人にあわせて幾度かの浄錬を行う丹茶は、体への負担も少ないのだ。
そんな蒼の考えなどお見通しなのだろう。真赭が蒼の肩に手を添えた。
「何言ってるのよ、蒼。白様の丹茶も、とっても効いてるの。これはそれに併せて飲むといいって聞いて」
心葉堂の先々代である白は、経営から一切手を引いている。
しかし、現在街で丹茶を浄練できる者が少なくなっているということもあり、国の依頼で丹茶だけは手がけている。
「おじいの丹茶はクコ皇国一だって、誇りには思ってるよ」
と呟きながら、それでも心の内では納得いかない蒼は、伏目の視線を逸らした。茶師としての責任というよりはむしろ、親友を思う気持ちからの拗ね、焼きもちという部類の感情が垣間見える。そういう軽い問題ではないと蒼も理解しているので、口にはしないが。どうしても態度には出てしまう。
今度は、真赭にぽんと強めに背を叩かれた。
「蒼、出来ない時は仕方がないわ。だから、できるようになったらまた作って」
背中にしみてくる温度が、とてもあったかかった。あたたかさのあまり、蒼は「まそほー」と目をめいいっぱい潤ませ彼女を見つめた。
今にも抱きつきたい衝動に駆られたが、その気配を察したのか、真赭は呆れた顔で足を速めてしまった。照れくさそうに、少しばかり歩幅を大きくして。
「ほら、蒼も急ぐ。用事があるんでしょ」
「そうなんだよね。実は今さ、ちょっと調べてることがあって」
真赭に言われて、蒼は思い出したように掌を打った。周囲を見渡した白が、立ち止まる。
「蒼、このあたりでいいじゃろ。ほれ、羅針盤じゃ」
白に言われたのと、真赭の呆れたような視線が少々痛かったのとで、蒼は慌てて手元の羅針盤へと視線を落した。先ほどまではまばらにいた人々も、あまり見かけなくなっている。少し前までは人で溢れかえっていたのが嘘のように静かだ。やはり、天候とアゥマの流れが不安定だからだろうか。活気のない街並みは、とても淋しい。
その原因を調べるために、ここにいるのだ。蒼は気合を入れ直して、羅針盤を握り締めた。厚みはあるものの、蒼の掌に収まるほどの大きさの羅針盤。その形は一見、懐中時計そのものだ。繊細な細工の鎖がついている。
閉じていた蓋を開けると、小さいながらも、その身に複雑な文字をいくつも刻んだ盤が顔を出した。陰陽の調律を表す二針が対極を示している時は、アゥマも均等に保たれている。今は陰の気を示す針が、不安定に揺れていた。ここ最近は、ずっとこの調子だ。
白は若かりし頃、冒険家として世界を飛び回っていたらしい。この羅針盤は、その当時、古代遺跡で発見したものだという。アゥマを読み解く珍しい道具だ。扱いが難しい代物だが、幼い頃から挑戦し続けていた蒼は、ある程度だが扱える。けれど、本来の持ち主は紅だ。アゥマの流れを読み解くのは紅の方が得意であるし、羅針盤に関してもそれは違わないので、魔道府へあがる際、白から送られたのだった。
事情を知っている真赭は、不思議そうに羅針盤を覗き込んでくる。
「それ紅のよね? 言うこと聞くの?」
「うん、なんていうか。紅から直接借りて、おじいが調整しなおしているから大丈夫だとは思う」
「持ち主が拒否しているからのう、ここへ赴くことを」
「あぁ、そういうことですか」
悪戯な瞳で笑う白と、話を聞いていることもあり、すんなりと納得してみせた真赭。
蒼は緊張した面持ちで留め金を外した。すると、盤の下がさらに開き、アゥマを凝縮し閉じ込めた水晶が、わずかな太陽の光を受けて煌いた。けれど、煌いたのは一瞬のことで、すぐに灰色へと変化してしまう。そして、矢のような形をした灰色の塊は、国の中心部をさし続けた。
真赭が眉をひそめた。
「だいぶ乱れているわね」
「うん。さっき橋で会った、羅針盤屋の鶸さんも、菓子屋の鳶さんも、アゥマの乱れを気にしてた。けど……」
蒼は額に指をあてる。
街の中でも、アゥマの流れを読み解いたり浄練に秀でた職人たちが気にかけている、アゥマ流動の乱れ。実感できる変化が天候くらいなので、大概の街の住人は、アゥマと直接結びつけることはないだろう。アゥマ使いの中にも、特に感じていない者が多いのも事実だ。しかし、数は少なくとも、確かに気がついている人間はいる。いるが……。
白は顎に手を当て、宮殿の方向へと視線を向ける。
「国が公に動かなければ、こちらもおおっぴらに原因を突き止めることも出来ないじゃろう。どんなに怪しいと思う対象があってものう」
白の言う通り。フーシオである白には、ある程度独断でアゥマ等の調査を行う権限が与えられている。しかし、その「ある程度」という言葉が厄介なもので。彼が慎重にならざるを得ない、しがらみも少なからず存在するのだろう。
各店や場所に存在する溜まりが川の流れと同じように脈で繋がっているとはいえ、それぞれの守霊と守護人が結界を張っており、干渉をするのは容易くない。それに、領域を侵さないのが溜まりの管理者たちの暗黙の了解だ。
そもそも、結界を通り抜けて干渉するほど高度な技術を持つ者自体少なく、最悪命だけではなく己の溜りを消滅させる危険がある。表では国が全体の溜まりを管轄しいていることにはなっているが、クコ皇国のように民主制が強い国では、皇王でさえ、各溜まりへの干渉条件は同じだ。だからこそ、国のアゥマと使い手を統制する魔道府が、大きな役割を担っているのだが。
蒼は視線を地面へと落とす。
「そうだね。魔道府が――紺君たちがほんとに疑念を抱いていたら調査しないはずがないもんね」
「蒼……」
「やっぱり帰ろうか、おじい。きっと私には、もっとやらなきゃいけないことがある筈だもん」
「まぁのう。蒼がそう言うのであれば。ただし、蒼の中にある疑問からただ逃げたいだけなら、おじいは反対じゃぞ?」
白は蒼の背中を軽く叩いた。
心配そうに見つめてくる真赭の視線を避けるように、空を見上げた蒼。見上げた先には灰色の鉛のように重そうな雲。一雨降らせそうな雲だ。寒々しい風に散らされている葉が足早に通り過ぎていく。その葉を追って顔を下げると、いつも人で溢れかえっている東屋にも、今日はほとんど人影がない。
蒼は突然、今己がしなければならないのはアゥマの乱れを探るなどという大それたことではなく、茶師として店のことを考えることだと思われた。だから、逃げではない。それに。今していることは紺樹を裏切る行為ではないのかとも考えたられた。いや、この程度のことで紺樹がそのように取るはずないと確信はしている。……いると思っている、筈だ。
ぐるぐると。思考の渦にはまりかけている蒼の心のうちを知ってか否か。白が真面目な顔をつくる。
「蒼、己の心のうちにあることを無理に押し込めると、それはいつか大きな亀裂を生むことになるものぞ」
「無理なんて、してないよ」
そう、自分は無理などしていない。蒼は真剣な面持ちで白を見つめる。丸く月のような蒼の大きな瞳が、きつく細められる。きっぱりとした口調で放たれた言葉はとても固く、どこか意地になっているような響きを持っていた。
「だって、紺君は紺君の仕事があって、動けない何かしらの事情があるんだって考えるのは『当然』のことだよね? それに一民間人が気軽に起こしていい行動じゃないよ。アゥマの取締は魔道府が行う。これは国の規則で、それを守るのは『当然』のことで『仕方がない』ことでっ――」
「蒼、お主まさか」
あまりに強い言葉の勢いに、白はわずかにだが目を見開いた。白の口からこぼれ落ちた言葉の硬さが、単純に蒼の強い語調に対して軽い驚きを示しただけでないことを、蒼に知らせてくる。
なにが「まさか」なのだろう。蒼には白が動揺する理由が全くもってわからなかったし、今は深く考える余裕もなかった。
訝しげに首を傾げた蒼を見て、白がはっとした表情を浮かべ手で口元を覆った。その指の隙間から、「いや、考えすぎか」と漏れてきた気がするが、声が篭ってしまっており、不確かだった。
と、ふいに蒼の腕に冷たい温度が触れた。真赭だ。
「蒼、白様! こっち」
「ちょちょっと! 真赭?!」
「今日の真赭は大胆じゃな」
隣で白が軽い調子でなにやら言っているが、そこは流すことにする。突然、真赭に腕をひかれたのだ。
大通りから一歩入り、狭い路地に身を隠す形になる。ふいをつかれた蒼は躓きそうになりながらも、あげた抗議の声とは反対に、その力に素直に従った。
道の奥側へ引っ張られる形になった蒼と白。そんな二人を置いて、既に、真赭は壁から顔だけを少し覗かせ、道向かいにある華憐堂の様子を伺っていた。
蒼は真赭の行動を不思議に思いながらも、腰を屈め身を隠すように気を付け道側へと顔を出した。「蒼、髪が出てる」と静かに注意されたかと思うと、額を押し込められてしまったが。慌てて長く垂れている髪を首巻のように絡ませた。
その姿が真赭の溜息を誘ったようだが、彼女の視線は再び前へと戻されたので、よしとした。
「真赭、どうしたの?」
「しっ!」
じっと大通りの様子を伺うばかりで、何も告げない真赭。仕方がなく、蒼は黙って周囲に視線をめぐらせた。若干いつもより華憐堂の客引き店員が少ないくらいで、他に変わった様子はない。通りを行き交う人々も、天候のせいか普段よりは多くはないが、特に不審な動きをしている者もいない。敢えて言うなら、頭上で広がっている雲が雨を降らせそうで、一番怪しい。
が、店の入り口、相変わらず豪華絢爛な飾りの華憐堂の扉に目をとめると、扉から僅かに男物の裾が見えていた。そして、裾が動いたかと思うと、店から姿を現したのは――。