第12話① 騒がしい魔道府と溜まりの報告日―正反対の翡翠双子―
にわかに騒がしい。
いつもと違う様子の魔道府の門前で、蒼は瞬きを繰り返している。
(どうしたのかな。溜まり監査の時期でもないし、異形が門付近に出たって話も聞いていないけど)
蒼は首都と外界を隔てる守護の門の方に向き直る。やはり、特に変ったアゥマも感じない。
クコ皇国は皇帝が住まう宮の正面に大きな門があるだけで、城壁というものはない。これは守護の門と各所に仕掛けられた陣や道具が見えない壁となっているからだ。
(まっ、いっか。生活の根幹にあるアゥマを管理する部門だもんね。色々あるよ)
うんとひとつ大きく頷き、蒼は受付へと足を動かす。雨が降る前の湿った空気が肺に入り込んできて、心持ち体温を下げた気がした。
(それにしても、何度来ても緊張する)
今日は各溜まりの管理者が、月に一度、魔道府に来府する報告日だ。
蒼も他の者たちと同様に、普段着よりも畏まった服装を纏い訪れている。詰襟つめえりの藤色の上下が繋がった服で、腰を絹の帯でしめている。花弁を重ねたような形でふんわりと広がった裾は少女らしく柔らかい印象をあたえるが、膝下辺りまでの長さということもあってか、普段よりは落ち着いた雰囲気だ。
「うぅ。緊張しているはずなのに、今日はすっごく寒いや」
短い袖の下に薄い長袖を身に着けているのにも関わらず、先ほどから鳥肌がたちっぱなしだ。
髪型だって、いつもは耳上で束ねている髪も下ろし、長い部分を流れるまま結い紐でとめている。首や耳への風除けになっているはずなのに、随分と体が冷える。 ひゅっと吹いた空気で、口元がきゅっとしまった。
「ほんとやぁね。このところ天候が悪くて、変だわ」
「あぁ。例年なら花盛りで花見酒も美味い季節なのになぁ」
「今日は店も休みだし、帰ったら黄酒を燗にして飲みましょ」
すれ違った老夫婦が、はぁっと手に息を吹きかけながら通り過ぎていく。長い袖に手を隠していた夫と思わしき男性が、思わずという調子で「やった!」と両腕をあげた。が、すぐさま大きな身震いをして背を丸めた。
蒼は小さく笑った後、ふむと空を見上げた。確かに、曇りや小雨の日が続いている。季節外れにも関わらず、そのうち雪でも降るのではないかと思ってしまう日もある位だ。
「蒼やないか」
いつの間にか立ち止まってしまっていたらしい。肩を柔らかく叩かれた。
蒼が振り返ると、褐色の肌に長い翡翠色のくせ毛をした男女が、苦笑を浮かべ立っていた。
「そないな所で突っ立って、どないした?」
「あっ、陰翡 《いんひ》さんと陽翠さん。こんにちは! 報告に来たんですけど、皆さんお忙しそうだなぁって」
蒼は天候の話題を避け、周囲を見渡す。悪天のことなど世間話としては至って普通の内容だが、なんとなく咄嗟に状況について口にしていたのだ。
妙な後ろめたさを感じている蒼をよそに、女性の方が本当に申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません。今、各部門が少し立て込んでいまして」
「あっ! 大変そうだなぁって思っただけだから、謝られることはなんにもないですよ!」
蒼は慌てて両手と顔を左右に振った。
目の前にいる二人は同じ顔をしているが、醸し出す雰囲気は全く正反対だ。男性の『陰翡』は地方訛の特徴的な話し方をし、名前とは違い太陽のような笑顔を咲かせている。女性は『陽翠』といい、標準語で物静かな口調でこちらも名とは異なってどこか影のある表情をしている。
(顔がそっくりの一卵性双生児なのに、相変わらず、雰囲気は全然違うなぁ)
どちらも凛々しい顔つきなのは変わらないのだが、纏っている雰囲気が太陽と月のようだ。
珍しい異性の一卵性双生児である陰翡と陽翠は、魔道学院時代からの紅の親友だ。紅が魔道府を辞めてからも、こうして魔道府に月に一度報告に訪れる蒼によくしてくれている。
「ほな、わいらと行こか」
「蒼と会えてよかったです」
二人に誘導され人ごみをすり抜け、なんとか受付へと辿り着く。
幅の広い大理石の階段を五段ほどあがると、開放的な空間に受付台が設けられていた。男性と女性の各一名が帳簿を開き、訪れた溜まりの管理者を記名している。
「では、次の方どうぞ」
「はい、よろしくお願いします」
蒼も屋号と名前を名乗る。そして、台の中央に置かれた紫水晶の玉へ掌を翳す。
管理者が掌をかざすと、玉の中央部にはめ込まれたアゥマの結晶が反応する仕組みだ。そこに記録されたアゥマと、本人のアゥマの照合が行われるのだ。
無事照合が終わると、紋章が刻まれた腕輪を付けられ受付手続の完了だ。
「ありがとうございました。お疲れ様です」
「とんでもありません。報告頑張ってくださいね」
「はい!」
蒼は報告の場面を思い描き、強ばった頬を隠すように大きく頭を下げた。
いつ来ても丁寧な対応と親切な案内をしてくれる魔道府の人間。受付は魔道府の新人が行うことが多い。まれに役職のある者が座ることもあるのだが、一様に面倒臭さなど見せない。長官の信念や上司や先輩たちの教育の賜物だろう。
「いつも受付ありがとうございます。励ましの言葉をいただけるのも、新米たちの間では背中を押してもらえて元気が出るって話してます」
顔をあげると、自然と笑顔が浮かんだ。これはお世辞でもなく、本当のこと。
ふと、目の前の女性の隣にいた男性と目が合う。蒼は先程と同じように、礼を口にした。すると、男性は何か言いたげに口を動かしだした。
「はい、いえ、あの……蒼さん、あの……」
小さく頷いて先を促しても、男性は口ごもるだけだ。何か言いにくいことでもあるのだろうか。
蒼は男性の顔に見覚えがある。魔道学院に通っていた頃の先輩だ。彼が卒業間近に、何度か丹茶について聞かれたことがあっただけの関係だが。
「僕……えっと、報告が終わった後……」
男性の顔はほんのりと赤い。
この寒さの中、ずっと受付に座っているのならば、風邪でも引いた可能性もある。それで前に聞いた丹茶のことを思い出して、話しかけてきたのだろうか。けれど、残念ながら今は、丹茶はもちろん茶葉自体提出用のわずかな量しか持ち合わせていない。
蒼が口を開きかけると、陰翡の手が頭に乗せられた。
「誰かさんがお待ちかねやし、行くか」
「誰かさんってーーそういえば、今日はいらっしゃらないですね。えっと、でも、それが普通だとは、思うんだけど」
蒼は面白い様子で、ひょいっと首をすぼめてしまう。
紺樹は蒼が来る日には必ずと言って良いほど受付で待ち受けているのだ。それも、偶然を装って。蒼は頼もしく思いつつ、贔屓されているようで若干居心地が悪くなってしまうのだ。
「副長にとったら、蒼を迎えに出るのが普通なんやって」
陰翡が副長と発した途端、男性の体がびくんと大袈裟に跳ねた。隣の女性が大げさな溜息をつく。
仕事をしていない訳でもないのに、どうしたのだろうか。
蒼が不思議に思い首を傾げてしまった。陽翠は蒼の言葉に構わず続ける。
「紺樹副長は長官と込み入った話をしていらっしゃるので、代わりに私たちが迎えに」
だからかと、蒼は納得いった。先ほど陽翠が『会えてよかった』と口にした理由が判明して、蒼の肩ががくんと落ちた。申し訳なさから。
「お忙しいのに、わざわざすみません。受付して自分でいけるのに……副長ったら」
「副長は、幾ら自分が立て込んでるいうても、心配なんやろう」
心無しか副長の部分が強調されている気がしたのは、蒼の気のせいだろうか。
男性の様子は気になったが、蒼にとっては自分に甘すぎる紺樹の方が問題だ。
「ぼちぼち行こか」
陰翡に促されたこともあって、蒼は足を動かす。
去り際に受付の二人へ軽く頭を下げると、男性の方はやはり物言いたげな視線を投げてきた。しかし、隣の女性に肘でつつかれると、がくんと項垂れて動かなくなってしまった。
もし丹茶のことならばいけない。帰りにまだいたら声をかけて帰ろう。蒼は小さく頷く。不可思議な蒼の行動を笑った陰翡が「気にしぃーな」と頭を撫でてきた。
「私だって、もう子供じゃないから受付を済ませて長官室に行くぐらい迷わないのに」
「だから、副長もご心配なのでしょう」
「え?」
「まぁ、そういうこっちゃ。だから、紅もこの話聞いてもなんも言わんのやろ。さっきみたいに、隙狙ってくる輩もおるし」
「え? え?」
なぜここで紅の名が出てくるのか。蒼は置いていかれてしまった話について行こうと疑問を口にするが……双子は意味深にそれぞれ笑うだけだ。
二人は、からからと笑い声をあげたり苦めの呆れ笑いを零したりしながら、足を進めてしまったので、蒼は慌ててその背中を追いかける。
「そういえば、なんや、紅のやつ大変なんやて?」
やや前を歩いていた陰翡が、思い出したように手を打った。
緑に包まれた廊下は歩いているだけでも心地よいが、今は空が雲に覆われてしまっていることもあって、いつもより沈んだ雰囲気に感じられる。そんなことを考えていた蒼は、急に振られた話題についていけず大きく瞬きを繰り返してしまう。
「えらい美人さんに惚れられてしもうたとかで」
陰翡が口の端をあげて、楽しげな表情で振り返ってきた。彼の表情はからかいが含まれていても、少しも嫌味を感じさせないから不思議だ。
蒼は長身の陰翡を見上げる。
「そうなんですよ。でも、その話はどこから聞いたんですか? 惚れられたなんて紅が言いそうにもないし。副長から?」
「まぁ、そんなとこやな。しっかし、紅も白状者やな。一昨日街中で会うた時はそないなこと微塵もしゃべらんと」
抑揚がついた口調と同じく、大げさに項垂れて見せた陰翡。大き目の仕草に、わずかに緊張を残していた蒼の頬は緩んだ。
しかし、陽翠からは呆れた声が投げられる。
「紅は陰翡と違って自惚れていないのですよ。己が『美人』に『惚れられている』などと、街中で口にするわけがないでしょう」
「さりげに、きついこと言わんといてやー陽翠。がっかりやわ。蒼もなんや他人行儀ちゃう? 昔みたいに『陰翡お兄ちゃん』て、呼んでくれへんの?」
「さっさすがに、ここでは呼べないけど。また落ち着いたらお店に遊びに来てくだ――」
蒼もいっぱしの職人として魔道府に来ている以上、礼節を守らなければと背を正している。
けれど、陰翡はそれが相当悲しかったようだ。涙目でじっと見られてしまったものだから、
「えーと、遊びに来てね。陰翡お兄ちゃんと陽翠お姉ちゃん」
蒼は、出かけた敬語を言い直した。
それに、陰翡は顔を太陽さながらに輝かせながら、陽翠は野花のようにささやかに微笑み「もちろん」と頷いた。
なんだかんだ言っても、蒼も親しい二人と壁を感じない方が嬉しい。人が見ていないところであれば、少しくらいは許されるだろうか。なるべく音量を落として笑いかけた。
「紅の話も聞いてあげてね。最近外に出ようとしないんだよね。視線っていうか、狙われてる気配を感じて嫌なんだって」
「胃腸の病に気いつけぇ言うといて」
重なった双子の声に、蒼は素早く深く頷き返した。容易に想像される紅の体調。蒼は少しだけ兄に同情したのだった。
「そないなこと話してるうちについたわ」
陰翡の言うとおり、いつの間にか最上階の奥にある魔道府長官の執務室へと辿り着いていた。




