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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第一章 クコ皇国の茶葉店 ―
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第11話② 長いものに巻かれる者と志操堅固の人

 再び前を見据えた陽翠の表情は見えない。顔横に流れる長い前髪が邪魔をしている。まるで燕鴇が吐き捨てた嫌味も聞こえなかったのように、眉ひとつ動かさない。


(くそっ――!)


 急激に燕鴇の顔の温度があがっていく。


「では、皆様方。今日の定例会はこれにて。本日もほんに実りある議でありました」


 はっと。しゃがれた声で我に返り、燕鴇は反射的に頭を垂れていた。あわせた袖の奥、居た堪れない気持ちが滲み出て硬くなった頬がひきつる。

 老人衆が全員立ち去る気配を察して、ようやく燕鴇の顔が上がる。部屋にいるのは、己と先ほどと変わらない陽翠。自分は今どんな顔をしているのだろう。こちらを見ない彼女が恐ろしかった。

 

「燕鴇殿」


 燕鴇が微動だにせずにいると、陽翠は数度瞬きをして、椅子を鳴らした。


「議事録はこれで問題ないとは思います。不備がありました、お手数ですが御知らせ下さい。すぐに修正いたします」

「あっあぁ……」


 綺麗に整えられた紙が、燕鴇の前に置かれた。いつの間に書き上げたのだろうか。

 いや、どうせ下らない議会と考えて、実際年寄り連中が話していたわずかな論議を纏めただけなのだろう。歪む口元をさらにひきつらせた燕鴇が目を落とした議事録には……。


「なんだ、これはっ――」

「おかしな点でもありましたか?」

「いや、しかし、いつの間にこれだけのものを!」


 燕鴇の手に握られた議事録には丁寧な文字が綴られている。その内容は、実際の堕落した議会のにおいなど微塵にも香らせない、整然とした議論で満たされていた。

 かといって、全て嘘というわけでもない。くだらないと思っていた会話も、こう組み立てられていると、筋が通った上に最終的には次回への問題提議さえされているようだ。


「おっお前、これ……!」


 反射的に顔があがる。陽翠をみると、燕鴇の驚嘆の色を不可解だと言わんばかりに眉を寄せた。


「また……何度同じことを言わせたいのですか? あなたにお前呼ばわりされるいわれはありません」

「そんなこと、どうでもいいんだよ! 詐欺じゃないか、こんな内容!」

「どこかでしょうか。私は偽りを録った覚えはありませんが。話の流れはともかく、内容は」


 陽翠は苛立ちを隠しもせずに、きっぱりとした口調で答える。そんな彼女の態度とは正反対に、魚のように口を開閉しているだけの燕鴇。

 数秒後、陽翠の苛立ちが諦めに変わるのが、手に取るように伝わってきた。大きなため息と陽翠が身に着けた外套の衣擦れの音が、同時に、静かになっていた部屋に響いた。


「では、私はこれで失礼します。早く魔道府に戻らないと、午後の仕事がまわりません」


 最後の部分はもはや独り言のようだった。言葉を交わす人間を求めていない色で呟かれた、事務的な確認。

 鳥があしらわれた重厚な扉を押し、部屋を後にする陽翠の背中を茫然と見送る燕鴇。力の入らない手から、すとんと議事録が滑り落ちた。すっと指が切れた痛みで我に返ると。


「おい!」 


 燕鴇は、意識が弾けたように突然立ち上がり、駆け出していた。


「まっ待てよ!」


 外はいい天気で、開放的な渡り廊下に木漏れ日が差し込んでいた。普段なら退屈な議会の後は、議事録を纏めながら転寝でもしようかと思えるのに。

 今の燕鴇は、足早に去っていく陽翠を、追いかけて呼吸が乱れて。そんな平和な思考は全く浮かんでこない。むしろ、眩しく視界を遮ろうとする光が、恨めしくさえあった。


「どういうつもりもなにも」


 燕鴇の叫びにも近い声を背に受けた陽翠が、非常に気だるい仕草で振り返った。


「あぁ、そういうことですか」


 陽翠はすぐに納得いったように軽く頷いた。そうして、少し体を傾けて、顔だけを燕鴇へと向けた。


「逆に問いますが。あなたはあの議の場にいて、いつも何のために議事録をとっているのですか?」

「何のためって、そんなの年寄り連中の井戸端会議みたいな話を、面子を保つ程度には纏め上げるためだろ! 己のおかげで、怠慢だといわれずに済んでるんだ!」


 人目もはばからず燕鴇は額に血管を浮かび上がらせて、はき捨てるように声を絞り出していた。


(あんな環境におかれた自分の身にもなってみろ! それを数刻、しかも臨時に借り出されたような人間に言われたくない!)

 

 その瞬間、陽翠の瞳の色が変わった。ほんのわずか、かろうじて存在していた同期だからという遠慮の色が完全に消え去った。

 冷静な視線には侮蔑の感情さえ見て取れた。


「あなた、本当に阿呆でしたか」

「なっ――!!」


 温かい日差しの中で、それは一層際立った。冷たさを隠しもしない蔑視の声。


「確かにあの方たちが『議論』をほとんどされていらっしゃらないのは事実として。けれど、さすがは上層部の集まり。あんなに情報に富んだ議はそうないです。別にご老人方の役に立ちたいとは思いませんが、それを纏め上げれば、少なくとも議事録を管理されているアノ優秀な方なら有益に使ってくださるでしょう。少なくとも、あの方々も記録者にそういった情報の整然化を期待されているのでは?」


 口数の少ないはずの陽翠がやたら多弁だ。どこかひとごとのように、燕鴇は考えていた。

 だらんと床に向かって伸びている腕はまるで干からびた蛇のようだ。燕鴇は本当の阿呆のごとく天井を見上げることしかできなかった。

 小生意気な女に言い返してやりたいが、ぷつんと、血管が切れてしまったように思考回路が動かずにいた。

 燕鴇の様子などお構いなしに、陽翠は続ける。


「そうそう。私の尊敬する上司ですが。軽いように見えているのであれば、それはあなたの軽量な脳のせいですよ。あの方ほど、実力で分け隔てなく評価して下さる方はいらっしゃらないですし、また、実績と今までの報告書をちらとでも読んだことがあれば、その鮮やかな仕事の流れを理解出来るはずです。あなたが、まだ志を持っていたのであれば」


 最後の部分は、陽翠に鼻でせせら笑われているような気がした。

 燕鴇は理解した。結局のところ、陽翠が言いたかったのは、これだったのだろう。陽翠の上司を蔑むような発言をしたことに対する報復。燕鴇の分野で、仕事の差を見せ付けることで、仕返しをしてきたのだ。


おれだって! 彼女のように恵まれた環境にいたなら!)


 だらしなく垂れていた腕に力が入っていく。気が付けば、爪が掌に食い込むほど、拳を握っていた。

 しばらく。陽翠は切れ長の瞳を余計に細めて、立ち尽くす燕鴇を見やっていた。しかし、燕鴇が身を震わせるだけで、声を出さないのを確認すると、目礼だけする。そして、純白の外套を翻し去っていった。


「……くそっ、根暗なくせに馬鹿にしやがって!」


 果たして。陽翠が聞いていたなら、仕事には根の明暗など関係ありませんと一笑されてしまいそうな悪態が搾り出された。

 歯軋りが静寂を保っている廊下に、小さく響き続ける。

 煮えくり返る腹を押さえて、燕鴇は議室へと踵を返した。


(くそっ! くそっ!! 己だって、親の見栄など気にせず、魔道府に入府していたなら、間違いなくあの根暗女より上にいっていたのに!! 今からでも異動願いを出せば、出世するに違いない!)


 あんな根暗女でも上にいけた魔道府だ。自分ならば間違いなくうまくやれる。燕鴇は鼻息荒く廊下を闊歩かっぽする。

 曲がり角の柱に手をかけたところで、ふいに中庭の木々の間に人影があるのが燕鴇の目に留まった。


(あれだけ井戸端会議をしておいて、まだ話したり無いのか)


 年寄りの何人かが屯しているのかと、そっと身を縮めて手すりから顔を覗かせると。燕鴇の目がぱっと輝いた。


「あれは……魔道府の紺樹こじゅ副長! っていうか、一緒にいるのは左派の貿易府の長官じゃないか」


 めったにない組み合わせだ。

 しかも、あの長官は右へ左へと手のひらを返すのがお得意だと有名な話だ。そして、聞くところによると紺樹は今、外国からの貿易品の監査とアゥマの調査を兼任しているらしい。

 燕鴇の頭が急速に回転していく。


(皇子とも繋がりのある紺樹副長は右派のはずだ。これはっ――)


 和やかに話をしている二人よりさらに頬を緩ませ。燕鴇は地面を滑るように、土を踏んだ。

 もう少し近くによれば話の内容が聞こえるはずだ。幸いなことに、彼らが立っている中庭には椿が植えられていて、身を隠すことが出来る。


「ふんっ! あれだけ尊敬する上司の化けの皮を剥がして、恥をかかせてやる!」


 燕鴇は意気揚々と身を屈めた。

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