第11話① 宮仕えの燕鴇と、魔道府副長付の陽翠
(全く、年寄りばかり集まる定例議は、どうしてこうも退廃的なのだろうか)
燕鴇という名の青年は、うんざりとした表情で周囲を見渡した。
無駄に広い議の間の中央に置かれた机。そこに置かれている資料は、誰にも手にもとられず、開始時刻から同じ場にあり続けている。いや、一瞬だけ、そう数秒だけ老人たちの目には触れたが。
(まったく。無茶ぶりに応えて夜明けまでかけて作ったってのに)
燕鴇は数刻も前から使用していない筆を、気だるそうに握りなおした。自分の隣に座している同期は生真面目な表情を崩さず、年寄りの脱線を続けている話まで零さず議事録をとっている。
(せめて、隣にいるのがこいつじゃなくて、魔道府の花っていう、えーと、名前は忘れたけど新入りの可愛い子だったらよかったのに。じじいの後頭部を眺め、陰気臭い同期の隣でやってらんねぇーよ)
燕鴇と同期の女性は、議長の後方に置かれている長机に二人で座している。隣の同期は重苦しそうな魔道府の外套を脱いではいるものの、きちっと止まった彼女の性格を表している。
纏め上げている茶色の髪。そこから時折垂れてくる前髪を、燕鴇は面倒くさそうに除けた。
(臨時で借り出された割に、手を抜くことを知らないのは変わらないなぁ)
魔道学院からの同期である彼女は、卒業後交流こそなかったが出世ぶりが何かと噂になっている。もちろん、職場の異なる燕鴇の耳にも届いていた。
二人とも、まだ二十前半の新人である。同期の中でも、燕鴇は無難な道を進んでいくだろうと考えられていたと思うし、実際そうである側の人間だ。
(目につく心葉堂の紅暁はさっさと魔道府を辞めてざまぁねぇなと思っていたところで、紅暁とつるんでいた双子が出世なんて胸糞悪い)
彼女――陽翠は愛想のなさから出世も遅いもしくは出来る人間ではないともっぱらの噂だった。
それを補助していた心葉堂の紅暁と陽翠の双子の片割れである陰翡。この二人がいたからこそ、陽翠は同期からも無視されずにいた。と、燕鴇は考えていた。組織に入ればただちに爪はじきにされる部類の人間だと。
(まっさか、こいつが魔道府次席副長付になるなんてなぁ)
噂の内容を正確に言えば、彼女自身のことより上司の出世に伴って彼女の地位も上がったということと、話題の尽きないその上司のことがほとんどだ。
年寄り連中が気に留めてもいないとはいえ、隣で真剣に仕事をされてはどうにも居心地が悪い。燕鴇は軽い調子で片手を振る。
「おい、今日の議題だってそんな重要なことでもないんだから、そんなに細かく議事をとることないって。紙の無駄遣いになるから止めろよ」
「……重要か否かは、一書記である私たちが決めることではないのでは?」
「いいんだよ、ここにいらっしゃる重役様たちがそう言ってんだから」
「ここにいらっしゃる方が、とも言ってません。って、あぁ! 聞き逃してしまいます! あなたも真面目に仕事をして下さい」
陽翠は全く聞く耳を持たなかった。それどころか、顔を燕鴇の方へ向けることすらしないではないか。
(ここにいるくそじじどもでなければ、じゃあ、一体誰が決めるってんだよ)
こんな定例議という名の、じじいの情報交換の場の重要性なんて。まぁ、確かに。ここにいる、未だに出世ばかりを考えている年寄りたちには重要な社交場かもしれないが。
燕鴇の眉があからさまに歪んだ。
「ふあぁ」
こみ上げかけた苛立ちもすぐに眠気に打ち消された。
燕鴇はかみ殺せなかった欠伸をしつつ、横目に同期を盗み見た。
陽翠はいわゆる女性的な美しさというより、異国情緒的な魅力があった。健康的な褐色の肌に、波がかった翡翠色の長い髪。全身から不思議な雰囲気を漂わせている。
(健康的つっても、それは見かけだけで中身は随分と暗いけどな)
燕鴇は小さく舌を打ってしまった。決して、僻みから出たぼやきではないと自分に言い訳するように。
燕鴇だって美男ではなかったけれど、無難な容姿とこれまた無難な能力で、高くもなく低すぎもしない仕事に就いている。
「っていうかさ。そんな優等に議事録作成したって、どうせ没収されるんだぜ?」
「なぜです? 体調を崩した方の代わりにと、わざわざ魔道府の人間である私を席につかせたのは議長なのに。それでは、あなた一人で十分だったではないですか」
切れ長の目がめいっぱい開かれたあたり、陽翠は心底驚いているらしかった。
一瞬、音域があがった声に年寄り連中の何人かが顔をこちらに向けたが、数秒もしないうちに興味をなくし、再び袖に手を突っ込み相談を始める。
燕鴇はわずかに体を傾けた。馬鹿にするように、抑えた呆れ声を作ってみる。
「そりゃ、お前」
「お前などと呼ばないで頂きたいです。私は一体あなたの何だと言うのですか」
「……陽翠、殿。お偉い方々は若い女性がその場にいるだけで満足なんだよ。いても問題ないが、いなければ物足りないのさ」
なぜ自分は当たり前のことをわざわざ説明しているのだろうか。当たり前とは言っても、非常にくだらないとは、自分でさえ理解はしている。改めて説明すると愚劣さを確認して恥ずかしくなり、それを隠すため不機嫌な表情を作ってしまった。
しかし、隣の陽翠は燕鴇の態度など全く気に留めず、今度は瞼を閉じた。
「――信じられない」
詰まった息と一緒に喉から押し出された声は掠れ、嫌悪の色が強かった。
宮殿で政を行う女性はまだ多くはない。逆に魔道府のように特殊な技術を扱う府では、性別の差を感じることがほとんどないのだろう。実力主義の世界だと。
「陽翠殿の上司殿は、大変女性にお優しいと聞いたことがありますね。いや、そもそも魔道府の長官殿が女性ですっけ。女性ってだけでも目にかけてもらいやすく、性を武器にする必要もないのでしょね」
燕鴇の口がにやりと厭らしくあがる。挑発半分、本音半分。
皇族の中には、魔道府や武道府の人材育成に力を入れている人物たちがいるらしきことも小耳に挟んだことがある。
だから、たまにこうして交流があると差を感じられずにはいられないのだ。互いに。
「さぞ、働きやすいことでしょう」
腹が立ったのかもしれない。
燕鴇の顎が無意識のうちにあがっていく。思った以上に粘りのある声が出てしまう。それでも止まらなかった。目の前の同期をマウンティングすることで、普段のうっぷんを解消したいという衝動が止められない。
「紺樹殿は若くして魔道府の次席になられるなんて、よっぽど世渡りが得意でいらっしゃるんでしょうね。しかし、そういえば。今取り掛かられている任務、いつもならさっそうと動かれる上司殿が、なかなか腰をあげられないとか。いや、人間わからないですものですな」
燕鴇とて、それなりの志を持って宮入を果たした。出世は勿論のこと、それ以上に政に携わる意欲に満ちていた。
しかし、魔道学院を卒業はしたものの、任に就いたのは年寄り連中の世話係り。情報を得ようと擦り寄ってくる馬鹿な貴族どもに優越感を感じることもあるが、ほとんどの者は、燕鴇を都合のよい情報源やしゃべる動物位にしか思っていないのが、ひしひしと伝わってくる。
(実に腹が立つ)
だが、情報を流さなければ、屈辱を我慢して受けなければ、自分がここにいる価値さえなくなってしまう。今となってしまっては、それが恐ろしくなってしまい、劣等感など感じなくなってしまっていた。いや、感じていないと言い聞かせるようになってしまったのだ。