第9話 華憐堂の店守と紺樹の事情
「心葉堂のお嬢さんはお帰りになったんですかね?」
部屋のすぐ外で控えていたのだろう。店先で話しかけてきた中年の男性が、蒼と入れ違いで部屋へと入ってきた。
息を吐くような口調は、どこか人を見下しているように感じられる。店先で見せた腰の低さは謙虚さからくるものでないことが、すぐ見破れてしまうあたり、ただの小物なのだろうか。
どちらにしろ、蒼があけた場所に当てはまるには、あまりに目障りだ。紺樹は飲みかけの茶に視線を落した。
「えぇ、彼女も職人です。長い時間店は空けられませんので」
黄茶を手に、紺樹は抑揚のない調子で義務的に答えた。
その平坦さを己の都合の良い方へと解釈したのか、中年男性は「失礼しやす」と、にやけた顔で席についた。
「自己紹介がまだでやしたね。わたくしめは華憐堂の店守をさせて頂いておりやす、湯庵と申します」
「ご丁寧にどうも」
わかり易い反応で語る中年男性だと、紺樹は苦笑を隠しきれなかった。
だが湯庵は全く気にしていないようだ。今度は手もみまで加えて、ずいっと紺樹に近づいてきた。
「いや、旦那、魔道府副長の任におつきでいらっしゃる方だったんですね。しかも、あの名家の貴族のご長男とか! 黙ってらっしゃるとは人が悪い! いやそれは置いても、年若いのにご立派で!」
副長ともなれば、制服も他の者と色が異なることに加え、装飾も一段と細かくなる。己の服装で、ある程度身分が割れるだろうことは明白だったが、家柄まで調べてきたとは。
しかし、紺樹が実家の話を出されるのを好んでいないのまでには至らなかったらしい。
(いや。この人物はこちらの感情などおかまいなしだろうな)
情報収集の速さと、いやらしいほど商売に結びつけようとする根性。心葉堂に足りないとしたら、こういった方面の貪欲さだろう。その代わり職人としてはどこまでも知識欲や前進に貪欲ではあるが。
それにしたって、なかなかに露骨だ。
「あら、そうでしたの?」
「はぁ、まぁ」
目を見開きつつ、しかし、興味なさそうに言葉を棒読みしている萌黄の方が、まだ好感が持てた。
紺樹の心中など微塵も予想出来ていないであろう湯庵が、さらに早口でまくし立てる。
「華憐堂の主人――萌黄お嬢様のお父上様も、祖国ではかなり高位の階級にありましてね。それは栄えていたのですが、いや、もうあれは手違いというか、災難だったというか」
「湯庵」
「へぇ、すんませんお嬢様。昔の話はいらんですね。あっしが言いたいのは、類は友を呼ぶということでして」
湯庵は、悪びれた様子も全くなく、へこりと首を縮めた。
(無粋な男だ。茶の場で、このような話を。本当に店守りを務めているのだろうか)
紺樹は広がっていく不快感を抑えようと、窓に視線を動かした。
中庭に面した部屋なのだろうか。左右に屋根が着いた渡り廊下が見える。向かい側には、ここと同じ格子の窓が、僅かにだが確認できた。それを隠すように風に揺れる竹。
(今、隙間を人影が通り過ぎた……か?)
確認しようと、紺樹が目を細める。
萌黄も居心地が悪かったのだろう。そわそわと落ち着きなく腕を擦っていた手をわざとらしく打ち合わせ、立ち上がった。
「紺樹さ――紺樹様とお呼びするべきですわね。もし宜しければ、中庭をご案内いたしますわ」
湯庵の甲高い声にうんざりとしてきていた紺樹は、萌黄の助け舟を素直に受け入れることにした。
「よろしければ」
紺樹は微笑み、腰をあげた。
湯庵が後ろをついてくるにしても、外の空気に触れている方が幾分かはましに感じられる。話を色々聞きだすにしても、この状況は好ましいものではなかったし。
今すぐにでもと、円卓の上に置かれた袋に手を伸ばす。心葉堂の茶瓶が入った、大切な袋だ。
(《《仕事》》をしているとはいえ、これを置き忘れたら、上司はきっとへそを曲げてしまうだろう)
紺樹個人としても、蒼が浄練した愛しい茶葉だ。
余程大事に抱えたように見えたのだろう。湯庵が目ざとく、視線を紺樹の手元へと滑らせた。
「それは、さっきのお嬢さんの店の?」
「えぇ。華憐堂さんの品揃えや品質もすばらしいですが、心葉堂も多種の花茶から健康茶まで幅広く扱っていますし、浄練の技もなかなかですよ。何より、その人に合わせて調合を浄練や丹茶を扱う店は、昨今、行っている店自体少ないですしね」
当然、店を出す時に調査済みの内容だろうとは思ったが、袋を見る湯庵の鋭利な視線が気になり、つい語ってしまった。
湯庵は紺樹の予想を裏切らない反応を見せる。
「へぇ、存じておりやす。宮だけでなく魔道府や武道府でも贔屓にされている方が多いとか。弊店のご贔屓さん方も《《以前》》は好まれていた方も多かったと聞いたことがあったような気もしやすが」
「湯庵、言い方がよろしくないわ」
「へぇ……あっしは事実を申し上げただけでやんすよ」
湯庵はよく光っている頭を撫でる。彼の視線には言葉以上の感情が見て取れた。自分の発言に間違いなどない。それどころか、萌黄を生意気だと睨んでいる節さえある。
紺樹は人知れず肩をすくめた。ある意味ではとても仕事のやり易い種類の人間だが、個人的にはあまり長い時間かかわっていたくない。
「まぁ、心葉堂は国最古と言っても良いほど、長きに渡って溜まりの鎮守を担ってきた一族が営む老舗ですしね。先々代の白龍様は、国の最高アゥマ使いである現役のフーシオですから」
待ってましたと言わんばかりに、湯庵の口元に厭らしい笑みが滲み出てくる。
「老舗云々のそれも、最近世代交代したとかで。まぁ、新進出無名店のこちらとしちゃ、申し訳ないですが、ありがたい話です」
「湯庵、口が過ぎますわ! 紅さんのご両親が亡くなったのをそんな言葉で表現するなんて……!」
似合わない音量で萌黄が咎めた。肩掛けを掴む手が震え、固まった指が赤みを増している。
(正直、助かった)
紺樹は、ほっと息を吐く。萌黄の一言がなければ、己の拳があがっていたかもしれない。
蒼と紅の両親は、紺樹にとっても大切な人たちだ。家族といっても過言ではないし、失意のどん底にいた少年時代に自分を柔らかく受け入れ認めてくれた恩人でもある。
(何より、蒼と紅が今の発言を聞いたらと想像すると、腸が煮えくり返りそうだ)
この男性であれば、当人たちの前でも無神経に発言しかねない。魔道書の角で頭を殴りつけるくらいは許されるだろうか。紺樹は上着の下に仕込んでいる、指先ほどに小さくしている魔道書に手を当てる。
(うん、許される。自分が許す)
けれど、頭によぎった不穏な考えを溶かすように浮かんできたのは蒼の顔だ。いつかと同じように「紺君が私のせいで仕事しにくくなるの嫌だよ!」と怒っている。
では、ここからが仕事の本筋だ。紺樹はにこりと万人受けする笑みを浮かべる。大げさな仕草で肩を竦めて、両手を掲げた。
「まぁ、華憐堂さんと言いますか、競争店として実に素直な意見だと、私も思います」
「へぇ、こりゃ失礼しやした。それにしても、旦那は理解のある方でやすね。ご立派!」
「それは、どうも」
微塵も失礼だと反省していないのがわかる態度で謝罪され、呆れる反面、自分もいけしゃしゃと答えているのだから、相子なのかもしれない。腹の探りあいというより本当に表面的なだけのやりとりが妙におかしくなり、紺樹は誤魔化すように咳払いをする。
「それに、蒼は幼い頃からアゥマの使い方に関しては天童と呼ばれていましたが、店を継いでからは丹茶の浄練ができない状態が続いています。周知の事実なので、すでに湯庵殿もご存じでしょうけれど」
「へぇへぇ! それを引退したはずの先々代が補助している状態だとか! 中には願ったり叶ったりの常連もいるんでしょうがね、まぁ、将来を考えるとねぇ。うちでも丹茶の需要がかなり多く、数ヶ月先まで順番待ちいただいている位には、心葉堂さんが機能していない様子で」
「実はーー失礼しました。これは私的なことですから、控えましょう」
こほんと紺樹が二度目の咳払いをする。
「なんでやんすか? 私的なことなどとおっしゃらず。ここで顔を合わせたのも何かの縁でしょう」
「いえ。仮にも魔道府次席副長である私が、あの《《後見人》》がついていらっしゃる茶葉店に、私的なお願いをするわけには。さっ、萌黄さん。中庭へのご案内をお願い致します」
紺樹が萌黄に向き直り、柔らかく微笑んだ。萌黄と言えば、罰が悪そうに胸の前で合わせた手を握ったり離したりするだけだ。
理由は見て明らかだ。紺樹に詰め寄っている湯庵の視線がすべてを物語っている。少し奇妙に傾げられた湯庵の首。
「ねぇ、萌黄お嬢様からもお礼をしないと。本日は大変お世話になったんでしょう?」
「えっえぇ。そう、ですわね」
「いえいえ。こうして茶房にお招きいただいただけでも十分です。明日は黄茶の新作を販売されるとのことで。うちの茶好きたちにも伝えておきます」
言葉通り伝えたとしても、紺樹の部下たちが純粋な購入目的で訪れることはないだろうけれど。
そして、紺樹はほろりという様子で呟く。
「ただ、そうですか。丹茶が数ヶ月待ちとは残念です」
「ご気分を害されないで欲しいのですが、母君の体調が優れないとの噂も伺いやんした。お力になれるのでしたら、へぇ、おっしゃってくださいな」
「お気遣いだけでも嬉しい言葉です」
紺樹は距離を詰めた湯庵を右手でやんわりと制す。
湯庵も駆け引きをするつもりなのだろう。一旦は「では道すがら」と身を引いた。後ろに両腕を回した湯庵。動作は店先にいた時と同じだが、心なしか背が伸びているように見えた。
(さてさて、これからが仕掛け処だ)
湯庵がどれほどのものを腹に隠しているのか想像しただけで、紺樹は楽しくなってしまう。
それと同じくらい、蒼を巻き込んでまでここに立ったからには、なんの成果も得られないままには店を出られないとも気を引き締める。
(いつか、魔道府の後輩だった頃の紅には『頭と性格が《《良すぎる》》のって凄くて、なおかつ考えものですね』なんて苦笑されたっけ)
萌黄は居心地が悪かったのか、すでに暖簾に手をかけていた。
「立ち話はこれくらいにして、こちらへどうぞ。中庭へ出るには一旦屋敷へ回らなければいけませんの。紺樹様、お足元の段差にお気をつけ下さいましね」
「萌黄さん、ありがとうございます」
「お嬢様、そんなことはあっしが」
字面だけ見ると、湯庵は萌黄を気遣っているようだが……湯庵が発したのは随分と硬い音だった。
水面を枝で叩いたような口調。
萌黄は、その見えない水しぶきを受けたように身体をきゅっと縮めた。薄い唇が、きつく結ばれる。
「それに、今日のお嬢様は随分と口数が多くていらっしゃる」
小さくなってしまった萌黄に、湯庵は追い打ちをかけるように囁いた。
背を向けたまま先頭を歩く湯庵の表情は見えない。けれど、見えなくとも紺樹には確信できた。男がどんな意味を込めて、その言葉を吐き捨てたかを。