番外編③前編 ある晴れた日の街角で(過去編)
おはなしの欠片の方に投稿していた短編を完結後に沿って改稿して、こちらに投稿しました。
前後編に改稿して長くなっています。
紺樹が魔道府に入府して数年、蒼がまだ魔道学院に通っていた頃の過去話です。
紺樹が自分の正体を思い出す&蒼が修行に行く前なので、かなり態度が違います。
「うーん! 良い天気だっ!」
多くの人が行き交うクコ皇国の街中で、人目をひく男性が大きく伸びた。
「ほら、見てみろよ! 魔道学院の外套を身に着けた子どもたちだぞ。ちょうど下校時刻なんだなぁ。懐かしい」
太陽の光を受け煌いている黄檗色の髪を軽く束ねた青年が、空をうつした深縹色の髪をした青年の背中を激しく叩く。
渋い顔をした深縹色の青年――紺樹は、蘇芳とは目線を合わせず、盛大な溜息をついた。
「あんまり子どもを凝視していると武道府に捕まるぞ。変態として」
「俺は年上専門だっての!」
「皇族が公道で胸張って宣言することかよ……」
「まぁまぁ! 細かいことは気にするなって」
紺樹の冷たい視線もなんのその。蘇芳は呑気顔で、
「眉間の皺がすごいことになっているぞ? 疲れたなら休憩しようっ!」
と辺りの東屋を見渡した。
水晶を張り巡らされた川横の東屋では、今日も今日とて人々がお茶や演奏などを楽しんでいる。
茶杯に花びらが浮かんだと和やかに微笑む女性、音痴だと叱られている老人。碁盤とにらめっこしている少年を、目を細めて眺めている父親らしき男性。今日も色とりどりのあたたかい空気が満ちている。
「お前なぁ」
もちろん、紺樹とて蘇芳が本気ではないと察している。蘇芳の煌めいている瞳が、魔道府若手としてのソレではなく、国民を慈しむ第五皇子としての色を浮かべていたから。
それでも、紺樹は蘇芳の後頭部に手刀を振りおろす。普段は子どものような元学友兼同僚が急に大人びてみせる瞬間に、ほんの少し苛立ったのかもしれない。
「いってー!! オレの繊細な脳天になにしてくれちゃったの、おにいさん! なにかしら生まれちゃったらどーすんの! あらやだ、責任でも取ってくれるのかしら!」
しゃがみこんだ蘇芳が、それでも愉快な調子で抗議の声をあげた。
頬を膨らませてぷんすこと唇を尖らせる成人男性。そんな蘇芳を前に、紺樹は虫けらを見下ろすような色をのせ顔を歪めた。表情筋を総動員して。
「今の言動で精神的な痛手を負った俺にこそ、責任もって慰謝料を払って欲しい」
「責任転嫁なんてひどいわっ! しかもお金を要求するなんて!」
「どうでもいいが地面にしゃがみこむな。外套が汚れている」
「やばっ! 夕方から白磁様と会議なんだ! 絶対に叱られるぞ!」
白磁とは、神経質なことで有名な魔道府の上官だ。
蘇芳が慌てて立ち上がり、裾を払う。普段は魔道の力によって地面から浮いている白い外套から砂埃が舞う。外套自体に魔道力が織り込まれているのもあるが、継続して裾を浮かせるためには、身に着けている者の魔道力と集中力が必要となる。魔道府に勤める者はこれが最初の試練となるし、最低限の評価指標ともなる。
つまりは――その集中が途切れてしまうほど、蘇芳を襲った痛みが強かったということなのだろう。
「わかりきったことだな。せいぜい腹を括ることだな」
当の紺樹はそ知らぬ顔で歩き始めてしまい、
「ちょっと待てって!」
蘇芳の叫びが虚しく響いた。
***
魔道府所属の紺樹と蘇芳。二人はクコ皇国の城下街の見回りをしているところだ。
本来であれば有事以外は入府したての新人がこなす仕事だが、当番である後輩が体調を崩してしまったので、街へ出る用事があった二人が代役となったのだ。
「しかし、長官もわざわざ俺たちを選ばなくても良いのに」
「そう言うなよ、紺樹。良い天気だし気分転換に最適じゃないか! それにオレは座りっぱなしより、こうやって街や人を見ている方が好きだ!」
東屋から「蘇芳様、紺樹様。どうぞー!」と投げられた菓子を掴んだ蘇芳。彼がにっかりと笑って大きく手を振った先には、翁衆とその孫たちがいる。
民衆の手前、紺樹も蘇芳が頬に押し当ててくる小さな包みを受け取るしかない。
包みを括っている紐を解くと、ハッカの薫りがふわりと踊った。紺樹が口に放り投げると、やけに口内がすっきりとした。
「お前が魔道府に帰った後、たまっている書類を前にしてもそんな台詞吐けるんだったら、最適な気分転換にもなるだろうけどな」
相変わらず冷静な瞳をしている紺樹に対して、蘇芳は「ちぇっ」と子どものように軽く舌を打った。それでも色を変えない紺樹に観念して、ようやく蘇芳も居住まいを正した。それでも瞳に宿したあたたかい感情は変わらない。
それを横目にとらえた紺樹は、小さく息を吐いた。
「まぁ。平和なのは良いことだと、思う」
「あぁ! 本当にな」
蘇芳は大きく笑って街を見渡した。
「クコ皇国は栄華を極めている首都でさえ、このふんわりとした空気が漂っているのが良いのだ。それが一部だとしても、目指す指標があるのは励みになる」
一見無邪気に思える蘇芳の言葉の裏を読んで、紺樹は目を伏せた。
だが、蘇芳自身は言葉以上の含みはないようで、誇らしげに胸を張っている。まるで紺樹は色々考え過ぎだといわんばかりに。
「これも皇太子である竜胆兄様のご尽力の賜物だな。兄様が国境を守って、周遊してくださるからこそ、皇族は傲慢にならずにすんでいるのだ。周囲がどんなに不相応な評価をしても、俺たち兄弟姉妹は竜胆兄様を尊敬しているからな」
珍しく、蘇芳が周囲に聞かせるように声をつくった。
反応は様々だ。気まずそうにまつ毛を伏せる者、同意するように杯や菓子を掲げる者、よくわからないがノリで歌を口ずさむもの。
そんな中、紺樹は淡々とした表情のまま口を開く。
「……お前、他の兄弟は同等に見ているのに、竜胆様は一目置いているよな」
「あぁ。竜胆兄様は特別に好きなんだ!」
「周遊好きで武闘派の竜胆様。魔道と人道の碧素様っていうくらい、第二皇子の方が飛びぬけてすごいのに。なぜ、そこまで竜胆様を贔屓する?」
紺樹の言葉に嫌味は含まれていない。彼なりの純粋な評価なのだ。
「いや、公道で変な疑問をぶつけた」
はっとしたのは紺樹だった。隣にいるのが蘇芳だから気を抜きすぎたと、内心で舌を打つ。
それにも関わらず、わずか上にある顔へ視線をあげれば、蘇芳は誇らしげに胸を張って前を見ていた。彼自身が眩いと感じるほどの輝きをもって。
「おぅっ! 能力的には碧素兄様が飛びぬけているのは事実だ。それは竜胆兄様が太鼓判を押している」
第二皇子の碧素はアゥマ使いとしても優秀だ。若干、身体も気も弱いところがあるものの人格的にも申し分がない。政にもあかるい。
それでも現状では皇太子の竜胆が後継者としては色濃い。
第五皇子の蘇芳からしたら後継争いなど遠く、というか敢えて離れたところから見ているのだろう。彼の言葉には純粋な弟としての意見が滲んでいるのがよくわかる。
「竜胆兄様はオレの憧れだからな! あの人はともかくすごいんだ。大好きな存在を必死に守ろうとする。自分が出来る範囲を理解して、地位とか関係なく何がそれにとって一番になるかを考えて動けるんだ。有事には武人として最前線にたったり、周遊だったりしている。人が好きだから、理解しようと周遊するんだ」
蘇芳の興奮気味な声がやけに耳に響く。紺樹はそう思った。
「確かに。先の隣国との国境戦で、竜胆様は負傷する部下も一人残らず布陣に連れ帰ったらしいな。自分の命さえ危うくて責務も全うできないかもしれないのに、よくやるよ」
紺樹としては尊敬半分、呆れ半分だ。
正直なところ、紺樹はバカバカしいと思う。身をていして他人を守ったことが功績になったとはいえども、結局は結果論ありきの功績だと。
「そんなことしなくても、王の実子であることに変わりはないのに。……俺とは違って」
紺樹の呟きは蘇芳には聞こえないほどの音だった。
「だから、オレはあの人みたいになりたい! 己の地位に固執するのではなく、己が生まれを受け入れて、かつ、その自分に何が出来るのかを自覚したい。竜胆兄様の背中をカッコいいと思ったから!」
太陽に拳を伸ばす蘇芳。
紺樹は堪らず帽子を被った。近すぎる太陽を避けるために。
紺樹は蘇芳を恐ろしい存在だと認識している。蒼や紅とすごく似た存在なのに、彼らのように心地よい仄暗い闇を孕んだ優しさとは違う。
蘇芳はひたすらに真っすぐな太陽だから、ただ疎ましくなる。そして恐ろしい。
「竜胆様を恰好良いと思うなら街の見守り位、大人しくしろ」
だからこそ、心葉堂兄妹とは異なる惹かれ方をしている自覚もあるので……。紺樹はこの友人にはつい冷たい言い方をしてしまうのだ。
それでも、それを冷たいと思わないのが蘇芳という人物だ。
「竜胆兄様も市井を見て回っていらっしゃったらしいからな。賛否はあったらしいが、それでもオレは兄様を尊敬するよ。その兄上と同じことを仕事として出来るのだ。頑張らねばな!」
心なしか、紺樹は足を速める。
蘇芳が尊敬する竜胆の、市井での評判を知らぬわけでもなかろうに。それでも兄の行動自体を評価する蘇芳が怖いと思った。紺樹は怖いと思った。まっすぐ自分が信じるものを、目標とする彼の純粋さが。
(だから魔道府の人間として蘇芳と行動を共にするのは嫌なんだ。言動ひとつで、単なる『俺』の感覚が顔を出してしまうから)
元から長い足をめいいっぱい広げて進む紺樹。
蘇芳が乱暴に紺樹の肩を掴むと、
「なんだよ、紺樹。そんなに早歩きしていたら見回りにならないだろ。普段から針の先を通すほどの目を持っているのに。同期の凛に教えてもらったぞ。紺樹みたいなやつを『姑っ気』があるっていうんだってな」
彼はようやく歩みを止めた。至極、不機嫌な顔で。
へらへらと「仔細は教えてもらえなかったがな」と笑う蘇芳に、紺樹は思わず青筋を立てた。ぴきぴきなんて音が立ちそうな苛立ちもなんのその。蘇芳は笑顔で首を傾げる。
数秒の思案後。紺樹は盛大な溜息と一緒に肩を落とした。
「……うるさい。無駄に高い頭上で踊っている電波針をより一層揺らしておけ」
紺樹は前を向いたまま、吐き捨てるように言葉を投げつけた。
蘇芳は、怯えた様子で揺れている髪をヒト房握りしめる。
「でっ電波針って――これは立派なあほ毛だ!」
「お前、自分の言葉がいかに馬鹿丸出しかわかっているのか?」
「馬鹿と天才は紙一重だぞ」
自信満々に、ぴしっと前に突き出された蘇芳の腕をはねよける紺樹。その拍子に蘇芳が身体の体勢を崩すが、やはり、紺樹はお構いなしにと橋を渡ろうと足を動かす。
「じゃあ、蘇芳は紙を超えられない馬鹿な奴ってことだろ」
「あっ、待てって!」
蘇芳は怒っているわけではなかったが、崩れた体勢からもあって、思いのほか大きな声が飛び出た。
「こじゅっ――」
「あっ! すおー様だ!」
柔らかく重なったのは、愛らしい声。まだ幼さが残る少女のものだった。