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エピローグ① 食べ物はしゃべらない

「食べ物がしゃべるはずない」


 櫃台カウンターの内側で頬杖をついている蒼が、ぽつりと声を落とした。

 色硝子いろがらすの窓から、昼下がりの陽光が差し込む心葉堂。浄錬じょうれんで生成された特殊な瓶には、多様な茶葉が入っている。店内の灯篭の淡い光を混ぜては、不思議な色を流している。


「突然どうした。溜まり渡りの影響が、今頃になって頭に出てきたのか?」


 蒼の呟きに反応したのは商品棚を確認している紅だ。帳簿に筆を走らせたまま、溜息まじりにぼやいた。

 当の蒼は珍しく黙ったままだ。紅の周囲で踊っている()()()を、寝ぼけ眼で追っている。

 うさぎのぬぐるみを動かしている正体は古代アゥマだ。


 サンシシに突き飛ばされて生き残った古代アゥマ。反魂の術によって生成されたこの子は、本来なら溜まりの中で過ごすべき存在だ。かといって、人間臭い古代アゥマを溜まりに閉じ込めておくのは可哀そうだと、麒淵(きえん)が様々な術を駆使したのだ。

 憑代(よりしろ)は古代アゥマ自身が選んでいるところだ。蒼が大事にしてきたぬいぐるみがどうにもしっくりとくるらしい。


 それはそれとして、ひとつ不思議な事が起きている。憑代はただのぬいぐるみだったはずなのだが、古代アゥマが入り込むと生き物そのものな外見や手触りになるのだ。


「ちょっと、ちょっと紅。やっと店先に出られるようになったあおに向ける言葉かい?」


 こつんっと碁石ごいしが鳴らす音に混じって、水婆の声が響いた。

 にやりと口の端をあげたのは、水婆と碁盤を挟んでいる白龍だ。豊かな顎髭をひと撫でして、碁石を打つ。


「水婆や、良いんじゃよ。あれは紅なりの気遣いじゃて」

「いや。普通に、店長としての嫌味だったんだけど……。折角、水婆が買ってくれた白牡丹を淹れている中、常識なのに珍妙なことに気を取られている茶師への」


 紅は顔をあげて、さらに肩を落とした。精神と手先が分離している妹に対して


「聞いているのか、蒼」


と古代アゥマをけしかけようとする。が、古代アゥマは耳を何度か跳ねさせて紅の肩に乗っただけだった。やたら懐かれている紅は眉を下げるしかない。

 そんな紅を横に水婆が大きく息を吸い込む。鼻先をくすぐるのは清々しい香りだ。


「大丈夫さね。いつぞやみたいに渋みは出ちゃいなさそうだよ」

――おねえちゃの、おちゃは、きれーでほっこり。にがにが、ないない――

「そうだよ! この子だって、私のお茶は綺麗でほっこりする香りだって誉めてくれてるんだから」


 古代アゥマの声(とは言っても聞こえているのは蒼のみだが)に反応した蒼が、胸を張る。

 櫃台に並べられた硝子の茶器には、ちゃんと綺麗な橙色オレンジの茶がたゆたっている。鼻を鳴らすと、清々しい香りが広がっているのもわかった。唾を飲み込むと茶を嚥下した際の甘みさえ思い浮かぶ。


「熱いから冷ましていただけだもん。ちゃんと美味しく淹れました! 水婆、おまたせ」

「ちょうど良い頃合いさね。白、ちょっと休戦にしましょう。ねぇ紅、そこの干し無花果イチジクも一袋おくれよ。うんと甘そうなやつをお願いね」


 水婆が碁盤から離れて大きく伸びをする。蒼の丹茶が効いているはずなのに分厚い腰を叩いてしまうのは、もうすっかり癖になってしまっているからのようだ。


「はーい! 程良いうちにどうぞ!」


 蒼が盆を持ち上げ、少し奥まった場所にある円卓に茶器と茶壷を並べていく。そこに無花果も合流すると、水婆は待ちわびたと謂わんばかりに茶を流し込んだ。

 ほぅっと吐息が零れて、背が丸まる。喉はもちろんのこと、腹のあたりからぽぅっと熱が広がっていく。


「はぁぁ。やっぱり蒼嬢が浄錬した茶葉を、心葉堂で淹れてもらって飲むのが一番さね。あぁ、紅が淹れてくれるお茶も大好物だからねぇ。蒼嬢のが『ほんわり』なら、紅は『凛』って感じだわ」

「ここしばらくは、天候悪化時やらの反動で店が激込みだったからのう。こうして店内でゆっくり茶を啜るのも久しぶりじゃ」

「おじいの言う通り、店の繁盛自体はありがたいことだけどな。真赭まそほ浅葱あさぎたち、皆の手伝いがあってこそだったよ。蒼は色素がある程度もどるまでは、奥担当だったしな」


 紅の言う通り、事件解決直後の混雑具合は凄まじかった。心葉堂は華憐堂とは異なり、櫃台から店内を見渡せる程度の広さだ。入店制限をしても追い付かず、助っ人が必要な程だった。

 繁盛理由の一端に、心葉堂一同が皇帝から召還された出来事も関係しているだろう。功績を考えたら当然のことなのだが、正直なところ時期は考えて欲しかった。というのが、蒼と紅の意見だった。それでも、一番面倒くさがりそうな白龍が『それも含めて恩を売る機会チャンスじゃて』と笑い捨てたので、兄妹は大人しく従ったのだ。


「容姿の件もあるが、溜まり渡りの影響で蒼の魔道力が強くなり過ぎて、店先での茶葉の個別浄錬は控えておったからのう。今日は久しぶりのまったり店先営業じゃ。心葉堂の日常が戻ったのう」

「おじいの言う通りではあるんだけど、街の方で何かあったのかな」


 櫃台に戻ってきた紅が閻魔帳を開きながら、首を傾げた。心葉堂ほどの老舗となると店舗での売り上げよりも、大口取引が主な収入源となる。それでも万人へ扉を開けているのは茶葉への愛が一番だからだ。

 それはともかく。蒼は「やだな、紅」と腕を組んだ。


「今日は月に一回の昼食特別日スペシャルランチデーだよ。この時間は飲食店街がごったがえしているはず。ここ数日、茶葉の配送が多かったでしょ?」

「そうだったな。忙しさで忘れていた。当日の昼間はこっちが落ち着くのは良いけど、翌日は込むんだよな。同日に浄錬した茶葉が欲しいって」


 事件後に飲食店街で定めた特別価格の日だ。特典内容は店舗に任せられている。それが良い競争となり繁盛しているようだ。心葉堂の茶葉を含めて。


「売り上げもあがってるんだし、商売繁盛で絶好調じゃん! 稼ぎ時って感じ」

「単純に売り上げが上がってるなら良いけど、さらに個別浄錬の希望が増えている。いくら蒼が浄錬オタクにしたって一日の許容量はあるだろ。蒼が自分の限界をきちんと把握しているなら何も言わないよ。でも、違うだろ」


 紅の正論を前に、蒼が出来る抗議と言えば唇を尖らせるだけだ。

 あれだけの件を全身全霊をとして解決してみせたとは思えない幼い反応に、紅は心のどこかで安堵する。安堵して、ほんの少し嫌気もさした。いつまでも蒼は妹だ。そう思う反面、いつまでも幼い蒼でないのも理解しているつもりだ。そう、『つもり』でいると自覚せざるを得ない。


「私は大丈夫だよ! むしろ楽しすぎるんだよね! 空間のアゥマとも人に宿るアゥマとも共鳴するのが!」

「……蒼は大丈夫でも、蒼増強剤になってるソノ子のことは考えろよ? 諸々の影響が残っていてお前が絶好調なのはわかるけど、主なのはソノ子の存在値があるからだからな」


 紅は肩に乗ったままの古代アゥマの頭を撫でる。古代アゥマは自分が話題にあがっているのはわかっているのか、いないのか。くふんと嬉しそうに鼻を鳴らした。

 蒼の方はぎょっと目を見開いた。


「えぇ⁉ そうなの? っていうか、うん、そうかも。この子と一緒だとアゥマとの共鳴がすごくて没頭しちゃうとは思ってはいたんだよね」


 あははっと頬を掻く蒼。蒼は古代アゥマに謝ってじゃれ始めた。

 無邪気にはしゃぐ蒼たちの横で、紅は白龍たちと目配せをする。


「共鳴しすぎて高揚しているから、ソノ子の調子に目が向いていないとは予想していたよ。それくらい、蒼にとってはもはや自分の一部と同じになっているのだろう」

「良し悪しは別にして、今はそれでも良いとおじいは思うぞ? 古代アゥマ単体では存在値が驚異的じゃが、蒼で中和されとるようなもんじゃ」


 軽く笑った白龍を前に、紅は表現しがたい気持ちになってしまう。そして、胃がちくりと痛んだ。

 蒼に抱えられていた古代アゥマが、そんな紅の頭に飛びかかる。


「すっかり紅にも懐いたね」

「なっ懐かれるのは嬉しいけど、店先でぬいぐるみが頭に乗ってくるのは、成人男性として絵面的にちょっとまずい気が――」


 紅の抗議は、鈴の音に掻き消されてしまった。店の扉につけている特殊な鈴だ。

 木扉から姿を現したのは紺樹だった。いつの間にか天気が変わっていたようで、紺樹(こじゅ)の紺色に近い深縹色こきはなだの髪が湿っている。


「いらっしゃいませ!」

「げっ……いらっしゃいませ」


 余計な言葉をつけた紅の出迎えの言葉に、蒼はお腹を抱えて笑ってしまった。苦々しくも、きちんと挨拶をするなんて、と。

 以前の紅なら『いらっしゃいました。が、魔道府副長殿、お帰りは回れ右して見えた扉から駆け足でどうぞ』と追い出す台詞が続いていたからだ。

 紅に「笑いすぎだ」と叱られながら、紺樹にタオルを渡す蒼。


「紺君ってば、傘をさしてこなかったの?」

「魔道府を出る時は晴天だったんだ。どこかで耳にした、狐の嫁入りってやつかな」


 『嫁入り』という表現に心臓が跳ねたのは蒼だ。

 紺樹はそれ以上の話は振ってこないが、彼の両親から婚約を持ち掛けられたのは記憶に新しい。

 紺樹からは、両親が暴走したことは詫びられた。それに『ただ、この謝罪は蒼が他の見合いを受けるのを甘んじて見過ごすのと同意義ではないからな』と頬を撫でられもして……蒼は大混乱パニックとなり、ひたすら頷き返すのが精いっぱいだった。紺樹は非常に満足げに頷いていた。


「あら、大将じゃない。ちょうど蒼嬢が白牡丹茶を淹れてくれたところなのよ」


 仕切りからひょいっと顔を覗かせた水婆が紺樹を手招きする。


「水婆もいらっしゃっていたのですね。蒼のお茶が飲めるなんて、我ながら絶好の頃合いだと感心してしまいます」


 紺樹はいつもと変わらず胡散臭い似非爽やか笑顔を浮かべた。

 華憐堂事件以来、紺樹は蒼とは再びくだけた口調で話すようになった。ただ以前と違うのは、常にという訳ではないところだ。魔道府の制服を着用している時は、心葉堂の人間以外には変わらずに敬語を使う。


「それもですが、水婆の腰の調子はいかがですか? 事件の後、腰痛がひどくなったと伺っていました。師傅しはくに過労を強いられていたのが原因とか」

「白のじい様の無茶振りはいつものことさね。それに、調子良いわよ。なんせ、蒼嬢の丹茶が再開してるんだからねぇ」

「蒼の丹茶と茴香ウイキョウ医師の薬は、クコ皇国最強の組み合わせですからね」


 再び、薬茶である丹茶を浄連できるようになった蒼。薬にもなる丹茶は浄錬できる数が限られている。というのも、丹茶の依頼は薬の処方と同様、購入するにはある程度の診断が必要なのだ。

 ただ、心葉堂では蒼が対応できない間も白龍が浄連していたので、さほど順番待ちせずに済んでいる。

 水婆が「そうさね」と腰を叩く音が鳴る。


「それよりさ、大将もどうせ長官のおつかいでしょ? なら、あんたも休憩してこいってことさね。こっちにきて、濡れた身体を暖めなさいな。紅たちもついでに休憩にしましょうよ」


 水婆は誘うだけ誘って、すぐに体を引っ込めた。恐らく白龍との世間話が盛り上がっているのだろう。もしくは先ほどの無茶振り発言で、軽口を叩き合っているのかもしれない。

 蒼たちは顔を見合わせて、小さく笑った。


最終話を続けて投稿です。

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