第130話 終幕4―事の顛末―
ほとんどの者が雑魚寝で静まったわずかな時間の出来事。
星が瞬く間だけ、皇帝が心葉堂の大宴会に混ざっていた。
住居の中でも特に奥の間で、麒淵を含めた心葉堂の者、魔道府長官と副長二名(白磁と紺樹)、東屋の翁衆、皇族からは蘇芳が膝を突き合わせた。
そこで、蒼は事の顛末を知った。
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華憐堂の地下で蒼が気絶する直前、蘇芳と魔道府の人間たちが地下に足を踏み入れた。『たち』とは言っても、溜まりの――しかも隠匿されてきた溜まりのアゥマに耐えられる者など限られるので、副長の白磁や側近の旭宇など一部の精鋭のみだ。
先陣を切って乗り込んだ蘇芳はある程度の確認を終えると、真っ先に魔道府長官の元に駆け寄った。今にも感情が零れ出んばかりの瞳で。
「これが、あの子か。そうか……そうか」
騒然とする現場でも、蘇芳が漏らした声は良く響いた。
魔道府の者は察して見ぬ振りをした。紺樹副長と側近の翡翠双子の指示だからではない。それに、紅も弐の溜まりの跡継ぎという以前に魔道府の元後輩だ。
事件の現場に最初から立ち会っていた紅たち。事情は説明できなくとも、彼の眼差しが全てを語っていた。彼らの蘇芳を想う心情を慮って、
「まったく。元先輩を誘導しやがって。今度、おごれよ。その前に――蘇芳様を頼むぞ」
紅が世話になった先輩がぎこちなく笑いながら、地面に膝をついた蘇芳を見やって呟いた。
紅はただ静かに顎を引くことしかできなかった。紅には蘇芳をどうにかしてやれる術など持ち得ていない。皇女の信念も理解できるし、失った側の想いも理解してしまうから。
「蘇芳、貴方が皇女に同情するのは違うのですよ。妹を失った嘆きはあっても、彼女の選択を責める資格は誰も持ちえませんのです」
魔道府長官が、蘇芳の肩を叩いた。
蘇芳皇子は綺麗な色布に包まれた皇女の骨を抱いて、静かに背を丸める。長官が張った消音の魔道陣の中で、長官は淡々と己が耳にした竜胆の感情を伝えた。彼は異母兄だけではなく、結果的に血の繋がりのなかった妹の心の底にあった数々の想いを知った。
周囲を良く見ている蘇芳とて、竜胆と皇女の間に互いを想うが故の悲劇があったなど、想像も及ばぬ領域だった。どちらも大事にしているはずだったのに。
「男女の関係など、そういうものじゃて。特にあの二人の関係ならば殊更」
あっけらかんとした声で零したのは、傍に控えていた白龍だった。言葉はあっさりとしているけれど、彼の瞳はひどく切ない色を浮かべていた。
長官は外套の内衣嚢から取り出した小瓶を見つめて、唇を尖らせた。小瓶は非常に澄んだ水晶で形作られた代物だ。
「当事者以外が頭を悩ませてどうにかできるかと言えば、否定せざるを得ないのですよ」
「そうじゃな。他の誰の感情でもなく、わし自身に身に覚えがあるのじゃよ」
白龍はほつほつと蘇芳の肩を撫でながら語った。それに、己の娘がそうであったとも。
蘇芳は唇を噛んだ。それのみが感情を表せるたったひとつの表現だと言わんばかりに。
意外にも言葉を続けたのは長官の方だった。
「それでも、こっち側からしたら愚痴くらいは吐いて欲しいと思うのですよ。さらに加えると、協力するなり、見守るだけなり、何かしらで関わらせろって感じですねー」
「なんじゃ。ホーラがまともな説教を垂れるとは、どうした」
傍若無人で破天荒な言動が多い魔道府長官に驚いたのは、白龍だけではなかった。蘇芳も顔をあげて瞬きを繰り返した。
長官は気まずさを纏わずに、やれやれと水筒を煽った。いつも通り、おどけて「ぷひゃー!」と満足げな声をあげると、ひらひら手を振った。
「別に、白に説教してあげる義理なんてありませんですよー。わたしも古い友人たちとの体験談から述べたまでなのです。要は、貴方たちがどうするかの決定権を寄こせって脅迫するぞって考えは微塵も持っていない。ただ、巻き込まれるか、素知らぬ顔で関わらないようにするか。そんなのこっちが自分の責任で決めるっつーの! って、殴りつけてやりたいだけなのです」
むんっと鼻息荒く言い放った長官。
しばらくの間、蘇芳は皇女の骨を凝視していた。白い骨を撫でて、彼は何かを飲み込んだ。
ややあって、蘇芳は無言で立ち上がった。瞼は赤く腫れて呼吸は浅いが、しっかりと地面を踏みしめていた。
立ち上がった蘇芳に、長官は掌で転がしていた小瓶を手渡した。そこには溜まり水の中に茶色の屑が数滴浮かんでいた。土人形化した竜胆が消え去る前に、長官が確保できたわずかな遺灰だ。
長官と白龍は知っていた。第五皇子の蘇芳が皇女を可愛がっていたのは、何も本人の意志だけではない。皇太子の竜胆が二人を――いや、腹違いの兄弟全員を分け隔てなく愛していたからだ。蘇芳の兄弟たちへの接し方には、確かに長兄の影響があったのだ。皇女が亡くなるまでの竜胆は皇帝を継ぐ才を持ちえた人材だった。ただ、危うさがあったから確固たる地位を築けていなかっただけ。
「――っ。あに、うえっ」
蘇芳が思い出に圧し潰されそうになるのを承知で、長官は竜胆の遺灰を手渡したのだ。それが残された蘇芳が皇族として背負うべき業であると、敢えて突き付けるために。
平素は太陽顔負けに陽気な皇子が流す感情を、居合わせた人間は痛いほど感じた。音も事実も必要とせず、誰もが彼を――彼が喪失を嘆く存在に敬意を払おうと敬礼した。
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地上に上がった面々は、待ち受けていた群衆に迎えられた。状況を把握していた白龍たちとは異なり、拉致監禁されていた紅は若干面食らってしまった。それでも、白龍の腕に抱えられて蒼を見て冷静になれた。蒼は変貌した容姿を隠すために、すっぽりと布にくるまれている。
紅にとって、いつだって守るべき存在は同じだ。
店を出る前に多少なりとも打ち合わせをしなかったのは、紅の新鮮な反応が求められていたからだと瞬時に察した。
「みな、寒い中に待たせたのう」
白龍が蒼を横抱きしたまま、紅に身を寄せた。紅にはわかった。これは演出であっても、偽りの行動であってなるものかと。無性におかしくて、腹を抱えて白龍の身体を押し返した。
希少すぎる紅の満面の笑みを受けて、白龍は目尻にめいっぱいの皺を寄せた。
「宣言しよう!」
魔道府長官が小さな体をぐんと伸ばして、良く通る声で夜を揺らす。
「皇帝の勅命の元、たった今、魔道府と心葉堂は華憐堂が広げた悪夢を打ち破った! 悪天候も次第に回復するだろう! だが、忘れるな! ここに辿り着くまでに、多くの協力と影の支えがあったことを! そして、この道に辿り着くために尊い犠牲があったのを! 我らは、敗北と勝利を抱いて生きていくのだ!」
数秒、しんと静寂が広がっていった。
ごくりと、誰かの喉が鳴り、さらに間があって地響きが起きた。群衆の雄叫びが空気を揺らした。肌を痺れさせるのは、振動する歓喜。
「おぉぉぉ―‼ すげぇぇ!!」
「終わったんだぁぁ!!」
「自由に出歩けるようになるのね! ちょっと前まで当たり前だったのに……嘘みたい!」
「魔道府はともかく、心葉堂って一時期やばいって噂あったじゃん。それってデマだったって意味でしょ? 広めた奴、やばくね?」
手を打ち鳴らして踊る人々。舞い上がり叫び、涙する者さえいた。爆竹や花火を鳴らす者もいる始末だ。
魔道で花を降らして、星空の元で幻影を映し出す者もいた。標的を変える者もいたが、紅はぐっと言葉を飲み込んだ。
「蒼! 紅さんも無事ね!」
「だからボクは言っただろ。あの二人なら大丈夫だって」
ごったがえす群衆をかき分けて華憐堂の店先に近づいてきたのは、真赭と浅葱だった。人波に流されそうな少女たちを守るのは、彼女たちの家族だ。
紅は彼女たちの掌攻撃を受けつつ、「大丈夫」と返すのがやっとだった。
「まったく。ここまでの演出が一式なら、オレも気を失っていたかったよ」
紅のぼやきは群衆の喜びの歌に消されていった。
傷だらけの蒼と紅。大げさな演出で華憐堂に潜入した魔道府。加担した白龍と黒龍。考えれば、帰還までが一揃いだろう。
おかげで心葉堂の容疑は完全に晴れたが、別の意味で面倒事が起きるのは想像に難くない。紅はどちらかというと、現状への安堵よりも未来に足してうんざりとしてしまった。
ひとしきりの話が終わると、皇帝と白龍それに魔道府長官以外は部屋を出た。
しばらくは三人で酒を飲み交わしていたが、蒼が追加の毛布を持っていった時には、すでに皇帝は帰途についていた。
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その後のクコ皇国というと、急激に異常気象が回復することはなかった。世界の根幹を利用した術なのだから当然の一言に尽きる。
首都に限るならば、皇族と各溜まりの管理者が不眠不休で応急処置を施した。緘口令がひかれたので、アゥマ使いからさらに限定された溜まり管理の関係者に絞られたので、かなり過酷な作業となった。
ただ、元々華憐堂の地にあった黒曜堂の管理者が協力を申し出てくれたので、首都周辺のアゥマ制御はかなり早く収まった。功績として、再び黒曜堂が開店するのが許された。もちろん、溜まりに関して様々な制約つきだが。
そのうち、地方もある程度は落ち着くだろう。ただ、大地が繋がっている現象である本件、こればかりは地道に対処していくしかないのだ。魔道府では地方を中心に、埋もれた人材(アゥマ使い)を発掘するべく企画が早々に始動している。
事件の全貌として、国としてどう扱うか。それが国民全体の関心どころだった。
ここはどうしようもなく、華憐堂一派の陰謀という事実は公表された。常飲する茶葉を用いて、人々のアゥマを集めて洗脳の術を使役しようとしていたと。それに、そこに皇太子である竜胆が関わっていたことも、表に出さずには済まなかった。なんせ、華憐堂は貴族からならず者までの幅広い層で協力者を雇っていたので、すべてを権力だけでねじ伏せることは困難だったのだ。
それでも、竜胆の名誉は失われなかった。
竜胆は命をとして華憐堂に潜入捜査しており、その過程でかけられた強力な洗脳魔道に苦しみながらも、最後は事件解決に助力したとされたのだ。ゆえに、竜胆が華憐堂の後見人となっていたという噂を信じて華憐堂を贔屓にしていた貴族も、厳罰には問わないとの採決が一旦は下った。
一旦というのは、魔道府と貿易府が共同して激しく抗議をした結果、国益を損なうような悪質なかかわりを持っていた一部の貴族は厳罰に処させられることとなった。
そこには紺樹の養父である青龍門の一族を始めとした、有力貴族の助力が大きく影響していたのもある。
とにもかくにも。
多くの国を滅ぼしクコ皇国を揺るがした――クコ皇国の新米茶師といにしえの禁術の事件は、ようやく幕を閉じたのである。
余談ではあるが……蒼にとってのもう一波乱を加えておこう。
終幕からひと月あまり経過した頃、紺樹の養父母が心葉堂を訪れたのである。
もちろん面識はある、というか六歳の頃から可愛がってもらっている夫妻なので喜んで出迎えた蒼だが、夫妻が白龍に持ち掛けた話には腰を抜かしてしまった。実際に椅子から盛大に転げ落ちて、養父母を驚かせた。
なんせ、紺樹と蒼の婚約を打診してきたのだ。
そして、その件に関して動揺しているのは蒼一人だったのが、さらに蒼を混乱させた。
白龍も紅も、おまけに麒淵さえ冷静に「婚約云々はともかく、何故この時期なのか」と頭を捻っているだけだったから。
夫妻が言うには、十歳になる次男(夫妻の実子)が療養地から首都に戻ってくるらしく、紺樹が正式に跡取りの座を辞退する意思を表明したらしい。
むろん、紺樹を実の子と思っている夫妻は反対した。しかし紺樹も頑なで、弟が生まれた直後から決めていたことであると譲らない。ならば、紺樹の望みをなんでも叶えるのを条件にひとまず数年は様子をみようと食い下がったところ、「最終的には家を出て、どこぞの家にでも婿入りするかもしれないので、事前に許可をください」と微笑まれたのだとか。
そこで、夫妻は昔から溺愛している蒼のことに違いないと予想し、思い立って根回しに訪れたという。
なんとも親ばかな話ではあるけれども、日ごろは紺樹の行動に干渉しない分、殊更親心が働いてしまったのだろう。
「常日頃、冷静中立な青龍門の当主たちが向こう見ずに婚約を持ち掛けるなど、余程紺樹が跡を継がぬと突っぱねたのが衝撃だったのかもしれぬのう。まぁ、紺樹にこっぴどく叱られてさらにしょげる姿が容易に想像できるわい」
夫妻を言いくるめて帰宅させた白龍が、保護者の顔で呟いた。
そんなこんなで、彼らの日常は続いていくのであった。
あとエピローグ1話で完結です。
おまけ
蒼が白龍からこっそり聞いた話では、紺樹への落とし前として紅と非公式の決闘を行ったらしいです。
魔道、剣、格闘のなんでもござれの試合は大盛り上がりしたのだとか。
決着については、「それはまた別の機会のツマミにしよう」とのことでした。