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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第128話 終幕2―いつも通り―

「あっ、いででっ」


 掠れた短い悲鳴が寝室に落ちた。

 声の主である蒼は、すぐにここ自室だとわかった。背中に馴染んだ寝台ベッドの感触。視界はぼやけているが、天井だって同じだ。そして何よりも、鼻先をくすぐる茶葉の薫りが安堵をもたらしてくれる。部屋に沁みついた、重なり合った匂い。どんな香木よりも馴染んでくる。


「嗅覚は、しっかりしてるけど、体が、おっおもい……」


 蒼が視界にかかる前髪を払おうとしても、うまく腕が持ち上がらなかった。霞む目を擦るのもしんどい。やっとの思いで目を擦る。

 ゆっくりと寝返りを打っても痛いものは痛い。切り傷というよりも、全身筋肉痛になっている感覚だ。


「いっ痛がる先よりに、言うこと、ありました」


 向きを変えた先。寝台際に並んでいた面々の形相で、愚痴は引っ込んでしまった。

 蒼は考えあぐねた結果、この世で一番当たり障りのない挨拶を吐くことにした。この状況で無難な選択か今一度考えなおせと脳内では警告音が鳴るが、口を開いてしまう。


「おっおはようございます」


 軋む体を起こした蒼を待っていたのは、親友たちと相棒だった。もちろん、愛想笑いが通じる相手かどうかなど、蒼はわかりきっている。

 なので、蒼は大人しく殊勝な顔をあげた。それでも彼らは容赦しない。


「お・そ・よ・う」


 三重に響いた返事に、蒼はさらに頬を引き攣らせてしまう。

 涙目で怒っているのは真赭まそほだ。その横で、からかいを混ぜて笑っているのは浅葱あさぎ。そして、小人姿で眉を垂らし苦笑しているのが麒淵きえんだ。


「もうっ――! 本当に、もう!」


 蒼が言い訳をする前に、真赭が蒼に飛びついた。蒼は衝撃で背もたれに後頭部を軽くぶつけてしまう。正直、衰弱している状態ではかなりきつい。それでも、


「良かった。目が覚めて、本当に良かったわ。五日も昏睡状態だったのだから! この数日間、おばあ様の地下書庫で呪本を漁っては、誰を呪えば良いかといくら思案したか!」


と号泣する真赭に文句などつけられるはずもない。不穏な発言もあったが、蒼は流すことにしておいた。今は突っ込むよりも、親友を落ち着かせるのが最優先だと。

 蒼が返す言葉を探している間に浅葱も覆いかぶさってきて、ついにはずるりと背が寝台についてしまった。蒼からは無意識で短い悲鳴があがる。


「ごっごめん!」


 真赭と浅葱が即座に体を起こす。慌てて両側から蒼を引き起こすものの、蒼があまりにも面白い仕草で痛がるので、二人は顔を見合わせてほろっと花を咲かせてしまう。寝台に顔を両手を伸ばし突っ伏すことで誤魔化したが。


 いつも通り。真赭と浅葱も、やっと日常が戻ってきたのだと思ったのだ。


 親友が目を覚ますまで、とても怖かった。溜まり渡りなんて非常識極まりない行動の果てにある、得体の知れない危険リスクなんて知るものか。彼女たちが恐れたのは、すぐ隣にいた親友が自分たちが関わる隙なく無茶をして死んでもおかしくない状況に陥ったこと。


「いっ五日間も寝てたのか。ってことは、後処理は全部他の人に任せちゃったんだよね」


 無茶と無謀をそうであると考えない蒼は、彼女たちの気持ちを察することが出来ずに肩を落とした。

 真赭と浅葱は溜め息交じりに、両側から蒼の腕を小突く。蒼は嫌がりもせずに


「なっなんかごめん?」


と焦るものだから、彼女たちは


「お説教は持久戦かぁ」


と笑いあうしかなかった。


「蒼は自己嫌悪に浸る前に、真赭と浅葱の立場にもなってみろ」

「麒淵様、それは良いのです。私たちは、まずは蒼がいつも通りであるだけで十分です」

「そうそう。これから何か変な感じになるなら、遠慮なくばしばし突っ込むしさ」


 こっそりと麒淵に耳打ちした真赭。浅葱もきしっと笑っている。

 内緒話をする三人に瞬く蒼。

 麒淵は小さく頭を振った。たった十数年生きてきた少女たちの絆を、羨ましいと思ったのだ。それは妬みよりも称賛に近い感情。


「事の後処理は魔道府や宮の本来の仕事じゃて。蒼はようやった。おぬしがやるべき一番の仕事は、しっかり養生することのみぞ」


 すいっと蒼に近づいた麒淵。小さな手を彼女の額で弾ませる。

 蒼は安心感よりもくすぐったさがまさる。成人男性の麒淵には少しばかり気恥ずかしさがあったから。


(やっぱり麒淵はこの大きさが落ち着くな。でも、成人の姿をした麒淵もかっこよかったから、真赭と浅葱に見て貰えなかったのは残念かな。無茶はさせたくないけど、またなってくれるかな)


 へへっと笑う蒼に、麒淵は満足げに頷いた。少しばかり照れくさそうなのは、相棒の心の中を察したからだろう。

 降り出した雨に気が付いた浅葱が窓を閉めながら、「それに」と続ける。激しさを増す雨は、気温を下げる。身を震わせた蒼に、麒淵が肩掛ショーツをかけてくれた。


「起きていても、蒼は表立って外に出られないしねぇ」

「浅葱の言う通りだよね。首謀者が華憐堂だって判明したところで、なかなか街のみんなも気持ちを切り替えられないだろうし……」


 短期間とはいえ、心葉堂は誹謗中傷を受けていた。人々の恐怖の対象だった。

 特に萌黄に心葉堂の水をかけてやけどさせた蒼は当事者だ。萌黄が心葉堂の水で負傷した。結果として、華憐堂がすべての黒幕であり浄化されかけたからだったと判明しても、一度植え付けられた恐怖が拭いきれるかと言えば『否』だろう。

 実際、蒼に直接的な危害を加えようとしたのはならず者だけだったが、一部の住民も貼り紙や噂に関わっていたのは事実なのだ。


「そのあたりは蘇芳すおう皇子と魔道府がバッチリ弁明してくれたから大丈夫だよぉ。蒼が回復したら皇帝からお呼び出しもあるだろうし、救国のアゥマ使いとして国民にお披露目されちゃったりしてねぇー。いや、治癒術の使役よりもバリバリ肉体労働だったみたいだから戦乙女かな?」

「……絶対に嫌だ。陛下が褒美をつかわすっておっしゃったら、お披露目なんて真似だけは辞退させてくださいってお願いするよ。万が一強行されたら、数年間は桃源郷に避難しておこうかな」

「あははっ! 蒼のお師匠さんは喜びそうだね! 『白よ、おぬしが前に出ればすむことだ。蒼と紅は預かる』なんて言って」


 けらけらと楽しそうに会話を続ける浅葱に反して、真赭は地響きが起きそうなほど腹の底から笑った。真赭の華奢な体がこれでもかと震えている。

 蒼と麒淵は珍しい真赭の様子に顔を見合わせてしまう。浅葱は


「あっ、これボクは何百回と聞いてるやつだ」


と笑顔で耳を塞いだ。


「いくら事態が事態で、宮や府から説明があったとしても、心葉堂に無責任な疑いをかけていた人たちは、自分たちの罪悪感からしばらくは近づいて来られないでしょうね。そのまま一生関わってくるなという感じだわ」


 いつもは言葉少なに要点を離す真赭にしては珍しい言い回しだ。

 蒼が戸惑う一方で、浅葱は冷静に真赭から離れた。


「はい! ボクから真赭に質問です。要はどんな未来を予想できているのかな?」

「まったくっ! 引け目があっても、クコ皇国の首都でも唯一白龍様以外に丹茶を浄連できるのは蒼だもの! 心葉堂に来るしかないのだから、再び浄錬できるようになった蒼に、平身低頭で跪けばいいのよ! 私は把握しているわよ。丹茶を都合つけて貰っていた人たちの中に、嫌がらせをしていた人がいるっていうのは!」


 言い切った真赭は咳き込む。蛍雪堂の水晶の間で聞いた悲痛な叫びより、さらに大きくて喚き声に近い。

 寝起きで意識がはっきりしない蒼は、初めて聞いた親友の激しい批判を前に


「あっありがとね。私や心葉堂を大切に思ってくれて、すごく嬉しいや。だから、ほら真赭、深呼吸」


と宥めるので精いっぱいだ。

 蒼に背中を撫でられた真赭が落ち着いて数秒後、蒼がはっと目を見開いた。


「っていうか、私ってばまた丹茶が浄錬できるようになったの⁉ しかも眠りながら⁉」

「あっ。やっぱり無意識だったんだ? ボクはそう思ってたけどねぇ。はいさ。真赭、解説をお願い。そして、蒼はさらなる真赭の不満を受け入れてね」


 とても良い笑顔で浅葱が手を鳴らした。

 真赭はぐっと蒼の袖を掴んでシーツを睨んで、顔を上げた。


「黒曜堂の地下で気絶した蒼は、すぐに心葉堂に運ばれたの」


 国の医療施設でなかったのは、蒼の状態からだ。そもそも失神の原因がアゥマが原因なので、生家の溜まりに運んで治療するのが最適である。また、彼女の容姿を公に晒す訳にもいかなかったというのが大きい。


「いざ心葉堂の門をくぐるってなった時に、突然起き上がったと思ったら『古代アゥマをまずうちに慣らさないと駄目だ。麒淵も疲れて寝ているし――そうだ。丹茶に浸そう。一時的な対応だけど、丹茶が良い』ってお店の方に歩いて行って、浄錬したのよ。アゥマが丹茶で泳ぐのを確認した次の瞬間、笑顔でばたんって倒れたよの。信じられない。どこまでアゥマ馬鹿なのよ、アゥマばっかりなのよ。自分のことを慮れ!」


 駄々っ子さながらにポカポカと殴ってくる真赭に、蒼は参ってしまう。真赭が伝えたいのは、要は自分を大事にしろという一点なのは重々承知しているから、反論などできようか。

 それでも、泣き続ける真赭に動揺する蒼が浅葱に助けを求めると、彼女は鏡を手にした。


「浄錬に関しちゃ、自分で試してみると良いよ。手伝うからさ。ボクが最初に言った外に出られないってのは、見た目がこんな風になっちゃってたら外にも出にくいよねぇって話」


 浅葱が向けてきた手鏡に映っているのは――。


「うっすい。幽霊みたいだね」

「感想のオチどころっ!」


 浅葱の突っ込みに真赭は頭を抱える。いや、今日ばかりは蒼の反応に呆れたのだろう。

 鏡には確かに蒼が映っている。造形はいつもと同じだ。溜まり渡りの影響で異形に変化している様子は一切見受けられず……ただ、元から白かった肌は血管が透き通るほど薄く、淡藤色の髪も牡丹色の瞳も白が溶け込んだ淡色彩パステルになっている。


「色味が変わるだけで別人みたいだなぁって。うわっ。これが溜まり渡りの後遺症? 日差しに弱そう。日焼け止め効果のあるお茶を研究してみようかな」

「あっはっは! それ、売れそうじゃん! ってか、どうしよう。ボクには、紅とか紺兄が屋敷の廊下に遮光布を張り巡らせちゃう未来が見えちゃうよー」


 麒淵は全身で項垂れながらも、じわじわと笑いが込み上げてきてしまう。小さな肩を震わせながら、ひとまず離れた円卓に避難しようと身を翻すが――。


「ほっっとーに呑気!! 麒淵様まで笑っている場合でしょうっ⁉」


 真赭の怒号が屋敷中に響き渡った。きっと離れた店先にまで届いているだろう。

 弐の溜まりの守霊である麒淵でさえ、真赭の剣幕には腰が引けてしまう。

 麒淵は声量だけで窓際に吹き飛んでしまった体を起こして、


「うっうむ。わしは店先にいる白龍たちに、蒼の起床を知らせてくるとしよう」

「私はとりあえず、お風呂に入りたいー。拭いてもらっているんだろうけど、やっぱりお風呂でさっぱりしたい」


 再び真赭の『呑気』怒声が鳴るかと思いきや、今度はしょうがないと言わんばかりの溜息が落ちるだけだった。浅葱も袖をまくって、にかりと笑った。

 彼女たちは泊まり込んで様子を看てくれていたので、すみやかに荷物に手をかけて準備を始める。


「蒼はまだ体がうまく動かせないわよね。私たちで補助するわ」

「蒼も乙女になったもんだねぇー。前は何徹でボロボロでも平気で人前に出ていたのに」

「乙女は関係あるかなぁ? どっちかっていうと、人としての尊厳かな。良いよね、麒淵?」


 きゃっきゃとはしゃぐ少女たち。ちょっとしたお互いの言動に反応しては、面白い言い合いを始める。小競り合いも、結局は笑いになる。

 いつも通りの彼女たちに、麒淵は微笑まずにはいられない。麒淵は思う。変わってしまう環境の中でも、きっと彼女たちの関係の根本はずっと同質であると。蒼は本当に幸運だと、麒淵は思う。人に恵まれていると。


「麒淵? っていうか、麒淵こそ大丈夫? 無理していない? 先に溜まりに行って、敷地内のアゥマの調整した方が良いなら、バリバリできるよ? あっ! もしかして、古代アゥマが元気ないとか⁉ そういえば、どこにいるのかな!」


 それ以上に蒼が人を――人以外であっても、命を大事にするからこそ。こんな想いを蒼に伝えれば十中八九『紺君の時もだけど、私は私がやりたいようにしているだけで、押しつけがましかったかなって後で反省するんだけどもー』と項垂れるのだろう。麒淵は誇らしかった。どの立場からの感情かと問われたら、明確な答えは持ちえない。それでも、ただ、嬉しかった。

 不思議そうに首を傾げて、麒淵の反応を待つ蒼。


「我はすこぶる元気じゃ。久しぶりに良い運動をしたという感想を抱く程度じゃて。それに、あの子は蒼以上に活発じゃよ。屋敷を駆けまわっておって、我も手をやいておる」


 やれやれと肩を竦めた麒淵に、蒼は「何よりだよ」と満面の笑みを返した。


少し長くなったので後日談とわけました。

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