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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第125話 終わらせるということ1―今、生きていてくれてありがとう―

 敵は完全に戦意喪失。


 萌黄もサンシシも地面に座り込んだまま時計の針が進んでいく。

 人相を変えるほど激昂げきこうしていたサンシシも、地面に手をついて背を丸めている。萌黄の言葉がよほど深い部分に刺さったのだろう。諦めた、というよりは茫然自失がしっくりとくる。


(なんにせよ、動かぬ間に進めさせてもらうだけだ。蒼は彼らが納得することが大事だと考えているかもしれないが、迅速な終焉を選ばせてもらおう。個人的には蒼を優先したい――いや、あれこれ考えるのはやめよう)


 紺樹こじゅは小さく頭を振って、視線を環の方に向け直した。

 麒淵きえん白龍はくろん黒龍こくりゅう、紺樹。守霊と超人たちの足元では特級浄化の陣の構築が進められている。滅多にお目にかかれないレベルなどではない。反魂の術などという禁術を浄化するのだから当然でもあるが。


「蒼も順調そうですね」


 紺樹の目には蒼が映っている。


「まったく。あの子には驚かされてばかりだ。まさかアゥマと会話を交わすなど、始祖の祝福を受けたあの方たちだけかと思っていた」


 黒龍がため息交じりに零した。そこには畏怖の念さえ混ざっているようだ。

 蒼はこの空間のアゥマたちと共鳴中だ。ここは国に封印されてきた溜まり。管理されてきた店の溜まりとは異なり、アゥマたちが人に歩み寄るのも忘れているからか、かなり反発も強い。竜胆泥人形(ゴーレム)を御せたのは、麒淵が弐の溜まりの守霊だからこそアゥマたちも協力したに過ぎない。


「蒼に溜まり渡りの副作用が表に出ておるのを考えると、事が済んだら何ヶ月かは桃源郷で過ごした方が良いかもしれぬな。おじいは寂しいのう。先々代茶師として再び働くのいいじゃけども、可愛い孫娘と盛り上がれんのは切ないのう」


 白龍はわざとらしく肩を落とした。おまけにと、よよよっと袖で目元を拭う。寂しいのは本音だろうけれど、彼を知る全員が思わざるを得なかった。似た者同士の蒼が不在な分、紅の叱責が自分に集中するであろう現実を憂いていると。

 翡翠双子に至っては、この場でも冗談とも本気とも取れる態度の白龍、それをさらりと流す自分たちとたった数歳違いの上司こじゅに慄くばかりだ。

 ただ、麒淵だけは生真面目に頷いた。


「白龍の言う通りじゃ。正直、白龍が華憐堂に乗り込んだ時点で、どうあっても蒼と紅が注目を浴びてしまう。人の世情はようわからんが、白龍が関わった時点で心葉堂自体も巻き込まれているのは、フーシオの制度から言って当然のこと。蒼と紅の縁談合戦とやらも激しくなりそうじゃな。紅は上手く交わせそうじゃが、蒼は色恋沙汰には鈍いからのう」


 麒淵に悪気はない。ただ今後の懸念事項を上げたに過ぎない。

 それでも、複雑な心境になった者は多かった。


「一般人からしたら、あの蒼ちゃんの様子を目の当たりにしたら、お近づきになりたいって思わへんけどなぁ。変な意味のうて、手が届かんていうか」

「えぇ。彼女を幼い頃から知っている私たちでも畏怖を感じずにはいられません」


 翡翠双子は立っているのがやっとだ。痛む内臓と込み上げる吐き気に耐えている。だからこそ、わかる。

 溜まりのきわでアゥマに意識を混ぜている蒼の姿には、見慣れている人間たちでさえ目を奪われてしまう。それと同時に、肝が冷えるほどの威圧感プレッシャーさえ感じて身が震えるのだ。最初は閉じていた瞼が徐々に上がるにつれて強まると同時に、神秘的な姿に見惚れてもしまう。


「なんつーか、ふわふわと踊る髪も集まる淡い光も、人間離れしてるっちゅうのに、蜜に吸い寄せられる蜂みたい――って、副長! だから、変な意味ちゃいますって! 異国の妖精ってやつを見つけた少年心みたいなっ!」


 陰翡いんひの大きな体が、ひゅっとすくむ。冷気を放っている先は確認せずともわかったので、陰翡は思わず呼んでいた。

 陰翡がそっと瞼をあげると、予想に違わず紺樹が立っていた。魔道力を纏っているのは腕を組んで口元だけで笑っている。世間一般では、どす黒い笑みというやつだ。

 なぜ、ここにいる身内の保護者達を差し置いて紺樹がなどと問うほど、陰翡も陽翠も野暮ではない。紅だけは至極不機嫌な目つきで『あんたに妬く資格なんてあるのかよ』と、わかりやすく怒っているが。


「そろそろ終わりそうですね」


 我に返った紅が蒼を指さした。

 淡い光が集まる中心で人離れした様子の蒼の頭上で、古代のアゥマが物見珍しいといわんばかりにはしゃぎだしたので、自然と皆の口元が緩んでもしまった。


「よっし! 共鳴完了―! ここのアゥマたちも、萌黄さんたちを送りだすのに全面的に協力をしてくれるってさ!」

「蒼はまた何でもないようにさらりと口にする……」


 やや離れたところから蒼の興奮を眺める紅は、思わず苦々しい声を零していた。

 彼のごちりが届かない蒼は、それまでの神聖さを全破壊する勢いで何度も片腕を突き上げている。異国の表現をするなら、聖女だった女性が傭兵に変化したほどの変化だろう。

 表情は様々ながら、残念な人を見る目になった一同。彼らに気が付かない蒼は、


「よーし! よーし! ぜっこーちょー! 共鳴力がすごいし、アゥマが面白くて可愛い!」


と古代アゥマと拳を打ち合わせながら(アゥマは蒼の手に体当たりしているが)、紅の傍に駆け寄る。

 この場のアゥマには自分たちから人に歩み寄る共鳴力はないはずだ。蒼の感想に麒淵は人知れず、どっと疲労を背負った。感性がやばすぎる相棒に。


「結界越しとは言え、龍脈を渡って純度の高いアゥマに囲まれた成果がここで出るとはね。共鳴力が段違いだよ!」

「へぇー、どーいう意味なのですか? 普段から共鳴お化けの蒼なのに」


 唯一目を輝かせたのは魔道府長官だ。臨戦態勢で立っている紅の横で腰かけていた岩からぴょこっと飛び降り、蒼の脚にしがみ付く長官。子ども身長の長官だから、蒼も大した衝撃は受けない。

 けれど、渋さを滲ませた眼差しで長官の額に軽く掌を押し付けた。


「長官、圧が凄いです。瞳孔が開いた猫目も怖いし、とんでもない圧です。私はともかく、古代アゥマが怯えてますよ」


 周囲が呑み込んだ言葉を、蒼はさらりと――は言い難く、かなり汗ばみ苦笑いを浮かべながらも述べた。


「よよよっ。あっちで反魂術の浄化・解除なんて化け物級の術を敷いている奴らならともかく、かよわくただの召喚士なわたしに怯えないので欲しいですよぉ」


 長官が陣張り組から外れているのは、彼女の専門分野が召喚だからだ。

 ただし、長官は術の根幹に携わっているので一番の恐怖対象と言えるだろう。魔道陣が敷けるのも、この時のために道具を用意できたのも、すべては彼女の知識があるからこそ。


「ホーラめ、なにが『ただの召喚士』じゃ。逆に怯えぬ道理がないわい。これが禁書マニアの範囲の知識か」

「白龍ってば、ぶっぶーなのですよぉ。結果としてわたしが世に出すことになった術式なのですけども、功績という側面なら共同研究者のツンデレ魔法使いが九割はかっさらっていくのですよー」


 仏頂面で地面に座り込んでしまった長官を前に蒼は、


(異国では魔道士を魔法使いって呼びって聞いたことある。異国の人なのかな。前にもちょっと聞いた気がする。アゥマの知識も凄そうだけど、ここまで長官の素顔を引っ張りだすっていう意味でも会ってみたいなぁ)


などと、的外れなことを考えていたのであった。


「まったく。この面子だとすぐ話題が逸れるのですよ。わたしが知りたいのは、蒼がどうして龍脈を渡ってきたからこの場所のアゥマと共鳴しやすいと感じたかなのですよっ! これ以上、邪魔をするなら召喚獣を帰しちゃうのですよー」


 長官が振り返った先には、茨の籠と涼し気な目元の小人がいる。

 禁書オタクとして陣の提供をした後は、召喚獣を使って萌黄たちの見張りに回ったというわけだ。黒龍の魔道に変わって茨の檻を保っているのは、異国の木の精霊ドリュアデスだ。


「感覚的な説明になりますけど」


 長官の脅しが効いたわけでもないが、蒼がゆっくりと口を開いた。地下空間の温度がぐんと下がって、震える腕を摩りながら。

 蒼は鳴り始めた歯を一回噛み締めて、口を開く。


「私の体内のアゥマもちょっと変化しているんですよね。人間のソレから原初寄りになっているんだと思います」


 蒼が『原初より』だと判断できるのは、真赭まそほの古書店の地下で実際にソレと対峙しているからだ。それは意図的に長官たちが導いた出来事であり、今となっては紅も承知していることなので、誰も口を挟むことはせずに蒼の言葉を待つ。

 蒼も何らかの情報筋で彼らがその出来事を把握しているのだと瞬時に悟り、先を続けることにした。


「だから、いつも馴染んでる心葉堂の溜まりのアゥマ以外の、ここの子たちも受け入れてくれやすかったみたいなんです。あと、古代アゥマ――萌黄さんの子が助けてくれました。この子、ここのアゥマと仲良くなる能力がすごいんです!」

「へぇ。ぜひ、二人とも明日くらいにちょっと調べさせて欲しいのですよぉー。なんか蒼の身体全体の色素も薄くなってる気がしますのです。痛くはしないのでーうひひっ」


 さらっと話す蒼と下衆な笑いを零した長官。蒼は変な笑いだなとだけ思って、「了解ですっ!」と良い返事をした。

 古代アゥマがプルプルと震えているので、蒼は気にかけて両手で包み込む。しばらく頷いていた蒼だが、古代アゥマの震度が増した数秒後に長官に対して「えぇ? ほんとに?」とドン引きした。


「本当にさ。お前って昔から会話してる風に反応するよな。いや……今は実際に出来ているんだから洒落にならないか……」


 紅の頬が意識せずとも引きつる。


「明確に会話できるのは、この子とだけだよ? あとは雰囲気だもん。人と同じだよ。空気とか、仕草とか、表情から判断しているっていうか」

「あはっ。そーいうとこなのですよ、蒼は。アゥマに対して、どこまでも真っすぐなのですから。普通は人と同じって考えすらしないのですよ」


 長官が珍しく少女のように笑った。


****


「萌黄さん。そろそろ術式が整うみたいだけど、動ける?」


 蒼が萌黄に手を差し伸べたのは、萌黄の意識が沈みかけた時だった。

 萌黄のまどろんでいた思考と視界が明瞭クリアになっていく。開けた意識に映ったのは人の肌とは違う皮膚だった。それでも、今の萌黄がそれを気に留めることはない。


(まるで転寝をしているようでしたわ。それはつまり――自我を失いかけていた)


 萌黄は未だに重鐘のごとく閉じようとする瞼に何とか力を込める。

 まどろむ視界の中でも、蒼の肩で跳ねている古代アゥマ《わがこ》だけはしっかりと認識できている。だから、萌黄の手は反射的に伸びていた。古代アゥマは待っていましたと言わんばかりに、萌黄の手に飛びついた。ほとんど温度は感じられないのに、萌黄の視界が滲む。


「やっぱり、お姉ちゃんよりもお母さんの手の方が良いよねー! うんうん。私もお母さんとお父さんに触れられるの大好きだったからわかるよー!」

「蒼は、自分のことお姉ちゃんて言いたいだけだろ」

「くっ紅ってば、失礼だなぁ! まぁ、正論だけど。この子自体も可愛いんだけど、ここまで慕ってくれる子を愛でたくなるのは当たり前じゃんっ!」


 くぅっと背を丸めた蒼。どこに行っても年下や甘やかされる立場だった蒼にとって、古代アゥマは色んな意味で可愛いのだろう。古代アゥマは悶える蒼の顔を覗き込む形で、くるっとまわった。まるで首を傾げるように。

 はうっと胸を撃ち抜かれたのは何人か。


「それに、サンシシさんのこともわかってるよ。萌黄さん、あの子はちゃんとわかってるんだよ」


 蒼が紅の腕に頭を寄せる。それ以上は呑み込んで、その分ぐりぐりと擦りつける。

 蒼とて古代アゥマがサンシシを『父親だと認識している』と音にしてしまえば、彼を刺激しかねないと理解しているから。蒼の性格上、萌黄のためにも伝えたいだろうに。

 すこし潤んだ蒼の牡丹色の瞳に、紅は「そうだな」とだけ静かに返す。兄の言葉でべそりとなった妹の頭を、紅は軽く撫でた。


「えぇ、蒼さん。だからこそ、今、終わらせましょう。今だから、終わらせられるのですわ」


 萌黄のうつろな声が響いた。とても静かな呟きだったのに、全員が動きを止める。


「えぇ。ちょうどこちらの準備も整ったところです」


 手を打った紺樹。それを合図に、ぐったりと座り込んでいた翡翠双子もやっとという調子で膝を伸ばした。

 麒淵が長く息を吐くと、幾重にも描かれた光の魔道陣がゆっくりと動き始めた。萌黄たちとは反対の方、溜まりに向かって。


「溜まりの方を先に封印して、小細工ができぬよう完全に彼らの栄養源を絶つ。その後に浄化を施行する。何か言い残しておきたい内容があれば、その間に最後の会話も済ませておくことだな」


 黒龍が淡々と告げた。隣に立つ白龍の顔には『わしはお前の不器用な優しさは汲めるけども、もそっと言い方があるじゃろ』と書いてある。黒龍は訝しげに白龍を睨んでも、白龍は笑みを浮かべるだけに留めた。

 陰翡は身を震わせて「じゅっ寿命宣告かいなっ!」と大きな体を震わせる。


「黒龍先生――ううん、ごめんなさい。私の感性を押し付けるのは違うもんね」


 呼びかけを飲み込んだ蒼を見て、黒龍は目を見開いた。桃源郷での修行中、蒼と毎晩に感覚の擦り合わせをしていたのを思い出したのだ。

 それをしていたからこそ、黒龍はこの場では己の感性のずれていると気づいた。


「いや、すまない。浄化という単語は、率直というか、なんというか、適切ではなかったな。どんな形であれ、人が他人を想う形に対して今が汚れているような表現をしてしまった。いや、確かに己の価値観では溜まりを悪用した罪人なのだが、胸懐の根本まで否定する権利などあるまでは驕っておらず……それとも、済ませておくという表現が事務的だったか?」


 しどろもどろに謝罪する黒龍。加えると、()()()()という文字を背負って、蹲りかねない様子で落ち込んでいる。

 目を合わせたのは蒼と白龍だ。呆然とした数秒後に、はふっと笑いを零した。弟子と親友。それぞれの立場から漏れた感情だった。


「黒龍様、どうかお気になさらずに。わたくしどもは消えるのが当たり前の存在ですもの」


 萌黄が儚く笑う。その腕の中にいるサンシシは微動だにしない。

 古代のアゥマは、ぐったりとしているサンシシの頭の上でも跳ねている。サンシシは反応しないが、古代アゥマはまるで寝ている父親に悪戯をしかけるように、襟元に潜ったり体を這ったりしていると蒼は思った。


「こら。お父様は疲れているのよ。悪戯をするなら母の方にしなさいな」


 古代アゥマを宥めるように萌黄が指先を動かす。ただ掌を寄せただけなのに、萌黄には赤子が全身を預けているように見えた。

 いや――彼女の瞳には、確かに映っているのだ。小さくて柔らかい手と重たげな頭を寄せる子どもの姿が。


「あぁっ。あぁ――」


 萌黄には、生んであげられなかった子どもの顔がはっきりと見えた。


 ふにふに柔らかい肌に垂れる涎。涎で荒れる肌を心配して薬を塗る。それに唸る赤子。抵抗するのは小さい爪に、不器用に動く指で力は弱い。

 疲労困憊の毎日なはずなのに、すべての疲れが吹き飛ぶ可愛い寝顔。日々、むちっとしていく腕と足。駄々をこねて右往左往する小さな手足。響き渡る高い声。幸せをたっぷり込めた笑い声。理屈なんて必要なく、全てが愛おしい。


 萌黄は鼻先を古代アゥマに擦りつけた。

 萌黄にだって、一瞬垣間見えただけの幻だとわかっている。冷静に理解しながらも、夢であっても嬉しかった。本来の萌黄も歴代の萌黄がどれだけ願っても見ることが出来なかった夢を、終わりを判断した自分だけが見たとは思わない。


「わたくしの。いいえ、いいえ。()()()()()()の可愛いあなた」


 多くの命を繋いで――犠牲にして辿り着いた先の出会いだとしても、罪深い感情だとしても、萌黄の瞳はどうしても熱を生み出してしまう。愛しいと思ってしまうのだ。

 そして、零そうとしている言葉こそ罪深いものだとしても、どうしても伝えたかった。


「今、生きていてくれてありがとう」

――あっ、あぁ、うー? なっまぁまっう――


 萌黄は自分の耳を疑った。見開いた目で周囲見渡すが、蒼が「そうだねー」と頷いている以外の反応は見受けられない。むしろ、突然きょろきょろしだした萌黄を不審に思っているようだ。

 萌黄は胸騒ぎを覚えた。


 アゥマはただの浄化物資ではない。原始を辿れば、世界樹が己の想いを叶えるために誕生した存在。だからこそ、反魂の術なんて規格外も良いところな術式が存在し得るのだ。根本の物質が、叶えられる能力を持っているのだから。

 一般的には、世界が汚染されたがゆえに世界樹がアゥマを生み出したと解釈されているから、その性質に重きを置かれているだけだ。


(これが彼女の干渉力)


 ただの術式を行使する魔道とは異なり、アゥマ使いが発動する術は意志や想いに左右されやすい。

 走馬灯のごとく流れた疑似体験にも似た幻は、蒼の想いがこの場に満ちているからだとも萌黄は悟った。加えて古代アゥマと縁深い萌黄とは雖も、喃語を聞き取れるようにしたのは蒼だと確信できた。


(彼女の様子から無意識なのでしょうけれど……ここまで他人に干渉を及ぼす共鳴力なんて、重なる記憶の中でも……)


 生を終える覚悟があるからこそなのだろう。萌黄は古代アゥマを抱きかかえて幸福を感じながら、蒼の行く末に一抹の不安を抱いた。


「ねぇ、紅。私たちも、寝台で悪戯はお父さんにして、甘えてもぐりこむのはお母さんだたっておじいに聞いてたね」

「そうだな。オレも覚えているよ。朝、父さんと母さんを起こしに行ったら、蒼が父さんの髪をひぱったり蹴ったりで遊んだ後、突然父さん興味が失せて母さんの腕に潜り込んで甘えるもんだから。父さん、地味に落ち込んでいたよ」


 ふむと顎と撫でた紅。しかし、口元はにやりと歪んでいる。とても珍しい。

 蒼は貴重な紅が見られたと腹を抱えて笑う。くすぐったくて、からかうにはもったいなくて両手で口を覆う。


(あぁ、あぁ。これが夢に見て、叶わなかった光景。多くの人を犠牲にしたというのに、わたくしは今、やっと出会えた幸福に浸っている。それでも、多くの命を犠牲にしてきても、わたくしは断言できる。今が、一番幸せだって)


 それが現実ではないと自覚できるから、萌黄はすべてを終わらせられると思った。


「わたくし、この子を抱きしめられてもっと一緒に生きたいと思ってしまいましたの。後ろめたさはありません。わたくしを母にしてくれてありがとうって」


 萌黄のあたたかい声色に強張った者はいない。濡れた勿忘草色の瞳は新緑よりも澄んでいる。柔らかい眼差しに、蒼は「あはっ」と笑い返す。堪えきれなかった潤いをぽろりと落として。

 サンシシはぴくりとだけ肩を震わせても、やはり顔をあげなかった。


「そう願う自分と出会えました。だから、この子に胸を張れない人生を選択するのを止められますの。矛盾しているかもしれませんけれども、ちゃんと決められました。初めて、わたくしたちの意志で行く先を選べました」


 妻でもなく、盲目に恋をする少女でもなく、母親でもなく。萌黄はただの彼女として、大輪を咲かせるようにあどけなく笑った。


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