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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第124話 守りたかった6―私に反魂の術を使わせない―

「ぼっぼくは――萌黄、ぼくは」


 サンシの痛哭つうこくが痺れをもたらす。

 彼が自問自答が繰り返される中、誰も動けない。

 

「ぼくは、ぼくは、ぼくだって」


 サンシシは頭を抱えて蹲った。時折、空に手を伸ばして指を折るのを繰り返している。

 サンシシが己の両頬に爪をたてるほど、崩れ落ちていく肌。醜く崩壊するのは爪を立てている肌だけではない。サンシシが声をあげるほど、彼の全身が一気に腐れ落ちていく。


「彼の皮膚と一緒に、まるで自分の心が削げ落ちていくみたいだ」


 蒼は静かに零した。


「いやでも伝わってきちゃうよ。サンシシさんの皮膚がとけるごとに、記憶が零れ落ちて見せるだもん」


 蒼の言葉通り、この場に居合わせている全員の前には、走馬灯のごとくサンシシの体験が映し出されている。流れては消え、また流れる。

 萌黄は指の隙間を流れ落ちていく塊を気にもせず、サンシシを撫で続けた。


「うっぇ。おっう。これっ――」


 漂いだした臭いに、蒼は思わず口を塞いだ。あからさまな嫌悪を醸し出すのは失礼だと、吐き気を何とかおさえて込み上げるものを飲み込む。喉がヒリッと焼けるのを感じたが、流れ込み続ける腐臭に比べたら不快感は段違いだ。

 生き物が腐って爛れる臭い。そんなもの、特殊な環境で育っているだけで、生活自体は普通の少女と何ら変わりない蒼に耐えきれるものではない。


「くっ。すんまへん、ちょぉっ」

「私もっ」


 翡翠双子が岩場に駆け込み背を震わせる。異形の物を何体も征伐し、人間同士の争いの場で仲間の死体を目の当たりにする機会も少なくない彼らでさえ、耐えがたい状況なのだ。弐の溜まりの守り手として、特別な修行をこなしてきた紅も顔を顰めてしまう。

 そんな中、紺樹が相変わらずの胡散臭い笑みを浮かべた。


「萌黄さん、お気になさらずに。これしきのこと、お二方の洗礼に比べたらお茶の子さいさいですよ」


 至極ひどい腐臭の中で平然と浮かべられる笑みではないのは承知している萌黄は、それでも


「でしょうね」


と小さく微笑んだ。

 正直なところ、この場面で()()と正気を保てているのは白龍・黒龍・長官の高齢三人衆だけだ。

 微笑みを浮かべている紺樹だってやっとのことだし、紅は吐き気を堪えて居るのがやっとで、蒼に至っては気力だけで平静を保っている。

 萌黄は意地悪心を出している場合ではないと思いながら、じっと蒼を見つめてしまう。


「わっ私もおちゃのこさいさいだよ! 茶師だけに!」


 焦った蒼が大きな声で弁明するが、大きく息を吸い込んでしまったせいで頬が膨らんでしまう。数秒もがいた後、大きく喉を波打たせて弱々しく笑った。


「まぁ。ここにきて、ほんとうに、まあ」


 萌黄は口元を抑えた。込み上げる笑いをこらえたのだ。

 萌黄は古代のアゥマを手招きして、数言しゃべりかけた。アゥマは嬉しそうに飛び舞った後、雫を飛ばした。数滴だった雫は分裂して、空気を清浄に変えていく。いくらかは臭いが収まっても、サンシシは余計にしんどそうに背を丸めた。もちろん、萌黄もだ。


「萌黄さんっ!」

「いいのです。これは、わたくしたちが受けて当然の報いなのですから。どうか、わたくしにかける言葉があるなら、母の言う通りにしたのに両親が苦しそうにしてしまったので動揺している我が子を誉めてあげてくださいましな」


 萌黄は、小さく息を吐く。土気色の肌には、仄かな笑みが乗る。

 萌黄の言葉通り、アゥマは右往左往している。萌黄やサンシシの周囲を慌ただしく飛び回るアゥマ。空中でこけたように跳ねたのを、蒼が抱き留めた。感謝を込めて撫でる。いつものように『ありがとう』と音にならないのは、どうしてだろうと蒼は唇を噛み締める。


「本当に蒼さんってば」


 萌黄が自分の腕の中で腐り落ちていく愛しい人を抱きしめて、笑った。少女のように。

 萌黄からしたら、自分が人ではないと判断した捨てるべき相手をまだ人として扱ってくれる人に感謝せざるを得ない。同時に、理解できないと思った。理解ができないからこそ、自分たちを見送ってくれる人たちになるのだとも。


「私はどうでも良い。早く終わらせるぞ。この土壇場にきて死ぬしかない男の心理など知りたくもない」

黒龍こくりゅうらしいわい。わしは興味深いぞ。反魂の術など施行した人間の心理と行く末が。疑似体験と言えなくもないからのう」


 白龍が黒龍に向けた言葉は本当だろう。だからこそ、今回の任務を受けて反魂の術の原点を訪れたのだ。そうして彼は知った。愛しい妻と腹の子を取り戻したいと願った男の末路を。

 随分と性格が悪い発言に、黒龍は溜め息だけを返した。


「あらゆる命を終わらせたいんだよね。でも、単純に終わらせられない知識と力があるから、終われないんだ」


 ぽつりと呟いたのは年長者の誰でもなく、蒼だった。


「私はきっとわかっちゃう。大事な人を取り戻せる術があって、自分には施行する技術があって、条件がそろっているならば。ううん、揃えてみせる意思がある」

「蒼さん……」

「萌黄さん。私は弱くて、甘ったれで、頭でっかちだから。きっと、サンシシさんと同じように自分がどうなっても、願いを叶えたいと思ってしまうよ」


 蒼はぺたりと地面に座り込んだ。拒否の気持ちがすべて消え去ってしまったかのような姿に、長官と黒龍はわずかな焦りをにじませる。この場の出来事はすべて魔道を使って録画している。事件が収束した後に、今回の重要人物である蒼月が敵側の意思を全面的に理解するなどという言動はまずい。

 皇族にしか閲覧権限がないとはいえども、最重要権力者に警戒される要素となるには十分だ。


「それでもね。月並みでもね、聞こえちゃうんだよ! 幻聴だって! これは絶対に、間違ってないって思うの!」


 蒼は顔をあげてぎゅっと胸元をつかんだ。大きな牡丹色の瞳にはめいいっぱいの涙が浮かんでいる。

 震える足を隠しもせず、蒼はしっかりと萌黄とサンシシを射抜く。


「私は反魂の術を使わないし、萌黄さんも使おうなんて考えていない!」


 萌黄は少し呆けて、


「えぇ。えぇ、えぇ!」


と笑い泣きを零した。萌黄は『終わらせようとしている』と蒼が発言しなかったことが、とてつもなく嬉しかった。

 なんてことないこだわりだ。執着点であることは同じでも、蒼という終焉の始まりの存在に『終わり』と表現されずに終われるのは、なんだか幸せなことだと萌黄は思った。


「お父さんとお母さんは、止めなさいって言うよ! 私に反魂の術を使わせない! うちの両親は自分の意思で国を守るって命を捧げたから、理不尽に亡くなった萌黄さんと赤ちゃんとは違うかもだけど、同じ境遇でも同じことを言うよ! そして、私も! それでもって、萌黄さんも!」

「そうだな。うちの父さんと母さんは絶対に怒るな。蒼の暴走を止めろって」


 紅が苦笑を浮かべると、紺樹も白龍も小さく頷いた。

 

「オレたちが取り戻したい命と、萌黄さんたちが蘇らせ続けた命。失った原因は違う。それでも、他の命を犠牲にして取り戻して良いものじゃない道理は同じだ」


 紅は蒼の背を撫でながら、きっぱりと言いのけた。

 蒼は頭では理解しているものの心が追い付かずに、おいおいと涙を流している。強気な彼女らしからぬ様子で背を丸めて地に這う姿は、誰よりも萌黄の心を打った。


「小娘に言われたくなど、ない! 僕は認めない! こんな終わり方は――」

「それでも終わらせなければなりませんの。わたくしは、終わらせるべきだと思います」


 荒ぶるサンシシを止めたのは萌黄だ。身を乗り出す萌黄もサンシシも、もはや獣のような姿になり果てている。


「未練があって――巻き込んだ人のためにも、終わらせられない。それは、終わってしまえば、それまでの犠牲が無に帰してしまうから。そう思われますの?」


 異形の姿に変化する萌黄が、ぽつりとこぼした。サンシシはすとんと腑に落ちた。

 それは最早こだわりや執着だった。始めてしまったことを続ける義務。犠牲にしたものを無駄にしないための意地。

 憑き物が落ちたサンシシの頭を抱え直した萌黄が、彼を守るように笑った。


「勝手すぎる責任感ですわよね。新たな犠牲を出すことへの言い訳にすぎませんわ。それでも、今ここで、少しでも反応をくれたサンシシが嬉しいです」

「割と新鮮で面白い動機なのですよー。まぁ、自己満足たっぷり過ぎて罵る気も起きないって感じなのですけどもねぇ」


 長官が腹を抱えて、けらけらと笑う。姿そのものは不謹慎極まりないが、珊瑚色の瞳は至極真剣な色を浮かべている。それどころか、珍しく憎しみの感情さえ見え隠れしている気がした。

 蒼は近くに寄ってきた長官の外套裾を掴んでいた。

 

「けれど、それが人の業なのでしょうね。つないできたものを断つことが恐ろしいと思うのは、当然のことなのですよ。本来の目的を忘れても愚かな判断ができるのが人なのです」

「ならばこそ。その道を断つのも人じゃろ」


 地べたに座り込んだ蒼の腕を上に引いたのは麒淵だった。

 蒼はきょとんと呆けて麒淵を見上げる。麒淵はむずがゆそうにしながらも蒼の視線を受け入れた。

 

「まぁ、なんつーか」


 何度か視線を彷徨わせて、麒淵は蒼を抱きしめる。「相棒を頼れ」という呟きをともに。


「蒼よ。辛いつとめを課すようじゃが、サンシシと萌黄を浄化できるのは、おぬしとわしだけじゃ」


 


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