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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第123話 守りたかった5―貴方が狂ってしまった最後のきっかけ―

「蒼さん、どうか気を静めてくださいまし」


 萌黄は吐き出した血を拭い、顔を上げた。これまでにない程の意志を伴って。


「だって、萌黄さん! 貴女が一番怒って良いのにどうして!」


 蒼には萌黄の制止が理解できなかった。この期に及んでサンシシを庇おうとするのかと考えると、余計に頭に血が上ってしまう。絶対的な存在に縋りつく萌黄かのじょを愚かだと蔑んでいる訳ではない。むしろ、もはや萌黄がサンシシに執着しているなどとは微塵も思っていない。

 ただ、この期に及んで自分の感情を爆発させない萌黄にイラついてしまったのかもしれない。


「あんな人を許せるのっ⁉」


 蒼は制御しきれないアゥマを余計に飛び散らしてしまう。萌黄が何もかもをただ『終わらせようと』していると感じられたからだ。

 蒼だって苦しい。制御不可能な力が全身を軋ませる。呼吸もままならなくて、ひゅっひゅと喉が鳴るので鼻で息をする。

 苦痛を感じながらも蒼が何より許せないのは、萌黄が大事にする生命こどもまでも糧にしようと目論むサンシシだ。


「蒼さん、貴女が人を想う気持ちはとても嬉しいのです。それでも、わたくしは『きちんと』終わりたいのです。サンシシと共に。一人で、ではなく一緒に」


 萌黄は蒼の心内などお見通しだと言わんばかりに微笑んだ。

 納得いかないと身を乗り出した蒼の腕を掴んだのは、紅と紺樹だった。そのことに蒼は激昂してしまう。

 魔道の風がより強くなる。


「どうして、紅と紺君は止めるの⁉ 萌黄さんだって! だって、そんなの――」

「蒼、深呼吸」


 紺樹が蒼の額を人差し指で突いた。子どもの頃から良くされている仕草。


「あっ」


 額に施された守護魔道が発動している訳でもないのに、不思議と蒼は深く呼吸ができた。深く吸って、肺を絞り切る勢いで息を吐く。

 抱きしめられるなどという浪漫的なきっかけとはかけ離れた、たった一瞬の触れあい。

 それでも、蒼がちゃんと呼吸できるようになるには十分な行為だった。


「なぁ、蒼。今、お前は誰のために怒っているんだ? その怒りは誰に向けているんだ?」


 紅の問いで蒼は完全に我に返った。放っていた殺気を解き、呆けた。


「わっわわわ私っ! ごめんなさい! めちゃめちゃ、自分の感情ばっかりだったよ!」


 蒼は数秒震えた後、湯気を上げそうな勢いで全身を染め上げて蹲った。

 やれやれと肩を竦めたのは紺樹と紅。感心したのは年寄り組。あんぐりと呆気に取られているのは翡翠双子だ。

 萌黄はほろりと困ったように笑みを零した。そして、サンシシの袖を引く。


「ねぇ、サンシシ。聞いてくださいまし。誰の怒りでも哀れみでもなく、わたくしの声を」


 サンシシは萌黄の声も周囲の騒動も耳にしていない。ただ、浮遊する古代のアゥマ――こどもを捉えようと足元から生やした草を躍らせている。アゥマはまるで鬼ごっこをするようにきゃっきゃと逃げている。

 その様子を見た萌黄が立ち上がり、サンシシの腕にそっと触れた。


「萌黄が蝕して上書きされていく度、貴方はそうして壊れていく心を隠すために、反魂の術を正当化してきたの? 最初にあったがむしゃらな愛を捨ててまで」


 萌黄はサンシシの腕を撫でて、声を絞り出す。喉が空気に焼けているものだからしゃがれているにも関わらず、張りだけはあった。

 目があった萌黄とサンシシ。サンシシの瞳はひたすらに揺らいでいた。誰を捉えているかも、何を信念としているかも不明。ただただ、迷子の幼子の眼差しがあった。


「わたくしは。いえ、これまで寄り添ってきたわたくしたちだけが、敢えて貴方の行動を正当化するために言いましょう」

「はっ? なにを――」

「許してあげてください。貴方自身を」


 萌黄が口にした瞬間、サンシシが身を固めた。そこに何の感情もない。

 拒絶でもなく、戸惑いでもない。ただ虚無が落ちた。

 蒼にはわかってしまう気がした。考えて、理解できてしまった。背負う罪を違えども、『許されて』しまったら、大事なものが自分の中から消えてしまう感覚を。


「萌黄は何度も死んでいるのです。ここにいるわたくしも、偽物なのです」


 淡々と告げる萌黄に、蒼は喉を詰まらせることしかできなかった。大きな牡丹色の瞳からはいくらでも雫が零れ出るのに、肝心な喉はひゅっと短い息を絞り出すのみだ。

 蒼が喉を掴んで喉仏をいくらイジメっても浅い呼吸のままだ。


「サンシシ。わたくしも、貴方も。すでにこの世にあらざるべき存在なのです。その事実と等しく、命が消えたのは貴方のせいではありません」


 萌黄は、ただ彼に今を見て欲しかった。愛するサンシシに、サンシシ自身捉えて欲しかった。萌黄を通してではなく、己を持って世界を認識して欲しかった。

 だから、萌黄は必死に彼の頬を叩いた。ソノ手が死に人同様に冷たいのを自覚しているからこそ、気が付けと。皮膚が剥がれ落ちかけた手など、本来なら愛する男性に見せたくない。それでも、今の萌黄は剥がれ落ちる皮膚も顧みずにサンシシの頬を包んだ。


「目を覚ませなどとは申しません。決して、わたくしが口に出来る言葉ではありませんけれど、そうではなくて。権利とか義務ではなく、わたくしは見送りたいのです。今度は、わたくしたちが」


 萌黄自身も言葉を選んでいる。彷徨う視線が散らかる彼女の心を現していた。息を吸っては咳き込む。音にしたかった声の代わりに咳が出たと言わんばかりに顔を曇らせては口を閉ざす。それが幾度、繰り返されただろう。

 サンシシの目はずっと蒼を睨んだままだ。俯いた萌黄の頬を撫でたのは、とても優しい風だった。血なまぐさい空間を塗り替えるには弱く、しかしながら萌黄の吸い込んだ息はほんのり甘かった。


(勿忘草の、香り?)


 遠い記憶に残る勿忘草。最初の萌黄が好きだと笑ってサンシシが良く贈っていた花だ。今の萌黄は良く思い出せないけれど、それでも大事な記憶だとわかる。

 殺伐とした空間のどこから薫ってくるのかと、萌黄は薫りの元を手繰る。そんな場合ではないとわかっているにも関わらず。


(あぁ。やっぱりアナタしかいないわよね)


 萌黄は、案外あっさりと辿り着いた薫りの元に確信を得てほろりと笑みを零した。

 薫りの源――アゥマは、暴風の名残の中をあくせくと萌黄へと近づいてくる。紺樹と紅に魔道力を抑えられ、蒼が起こす風が少し和らいだとはいえかなりきついだろう。


「おおおおと、おおおおかぁ。ああぅ、ううぁ」

「すごい! もしかして、アナタはこの場の、っていうか萌黄さんの声を受け止めて喋ったの⁉」


 古代アゥマが明確な音を鳴らせば、蒼は純粋に手を鳴らした。いや。駆け寄った蒼以外、誰が、アゥマが言語を零したなどと理解しただろうか。

 それでも、萌黄は膝をついた。蒼と正反対の様子で顔を覆って、おいおいと泣く。萌黄の心境を理解したのは、白龍と黒龍それに長官だけだった。紺樹は理解しながらも知らない振りをする。


「どうして、この時になって」


 萌黄の目には、よたよたと歩きながら必死に手を伸ばしている赤子が映っていたに違いない。膝を擦りながらも光を抱きしめた。

 萌黄は嘆くような言葉を絞り出したものの、土気色の肌に乗るのは淡い笑みだ。


「わたくし、やはり貴方がとても大切ですわ。己が偽物であっても、奥底にある本当の萌黄の想いも、ここにある偽物でも萌黄になりたい萌黄わたくしの想いも」


 絞り出された声に、かつては天真爛漫に愛を語っていた萌黄の面影はない。淡々と音される正反対の音は、どうしてかこれまで以上に蒼たちの心を揺らした。

 黒龍と長官は、念のため洗脳状態に戻っている可能性を考慮して魔道陣を発動させた。


「だって、二度目の反魂の術を発動するつもりなどなかったのですわよね。いえ、記憶を失って子どもから始め直した萌黄と再会した当初こそ、本来の萌黄を取り戻そうとしていた。けれど、新たな関係を築き上げ行く中で貴方は確かに幸福を積み重ねていたもの」


 萌黄の確信に近い言葉に、サンシシは激しく動揺してみせた。


「サンシシ、貴方が狂ってしまった最後のきっかけは、萌黄が突然の死を迎えて腹の子もろとも消えてしまったからでしょう? あまりにも理不尽な死を前に、なまじ取り戻す術の準備だけはしていたから……それで貴方は本当に狂ってしまった」

「――っ! 僕は狂って等いないっ!!」


 ようやく我に返ったサンシシは萌黄を振り払った。平手打ちを受けたに近い萌黄の身体は飛んだ。

 地面に横たわり体を震わせる萌黄。それでも、萌黄は口元の血を拭い半身を起こす。


「否定するために正気に戻ったのが、何よりの証拠ですわ」

「違う、ちがう、ちがう、ちがう、ちがうっ!! 狂っているのはこの世界だ! 僕を――君を否定するこの愚かな世界と傲慢な人間どもが間違っているのだっ!」


 その瞳に一切の迷いは映っていない……などということは、もうなかった。

 萌黄はサンシシの両頬を包みなおし、しっかりと瞳をあわせる。


「わたくしの瞳に映る貴方自身を見ても、断言できますか?」


 サンシシが萌黄の緑に近い勿忘草色の目の奥を捉えたサンシシ。その直後、瞳の中の彼が姿を崩し、萌黄はそっと瞼を閉じた。

 掌を滑り落ちていくモノの感触を、萌黄は気持ち悪いなどと思うはずもなかった。


「だから、最期のきっかけとなってしまったモノがそろった今。偽物や歪であっても、あいまみえたここで、手を繋いでくださる?」


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