第122話 守りたかった4―サンシシの企み―
「竜胆様は繊細過ぎたのだよ。そして、環境に見合わない純真さで人を想うがゆえに壊れてしまった」
竜胆を成していたモノが崩れ去った後、ほろりと零したのは白龍だった。
漂う砂塵を両手で受け止める白龍。両手が包む光を見つめているはずの瞳は、遠い記憶を手繰っているように焦点があっていない。彼にしては珍しい様子だ。
「皇女様のご遺体は残っているね。綺麗になったままだ」
蒼は膝を折り皇女の頬を撫でた。凍る冷たさはそのままながら、肌には肉感が戻っている。はりどころか、唇さえぷっくりとして色づいている。呼吸をしていると見間違えんばかりの皇女。
横に並んだ紅は、漂うアゥマを眺めることしかできなかった。代わりに口を開いたのは麒淵だった。
「竜胆が、己に残ったアゥマを全部注ぎ込んだからだろう。反魂の術とは呼べぬが、本来の死に姿で見送ることは出来るように」
「麒淵、さっき映像は……」
「竜胆の語りを疑似体験したことか? むろん、白龍の『時欠け』の能力が使役されたからじゃ。しばしの間、白龍は使い物にならぬ」
麒淵が黒龍に視線を移す。黒龍は小さく頷いて、ぼぅっとしている白龍の傍に寄った。
完全再現とは言わなくとも、本来は血を引く者だけが呼応できるはずの術を体験させた。とんでもない疲労が白龍を襲っているのだ。
「くだらぬ、くだらぬっ! 己の力で愛する者ひとり守れない男の虚言で、僕の術は妨害されたというのか?」
サンシシの叫びが空間を揺らす。異形の者のごとき咆哮は風圧を生み出す。防護魔道を圧す勢いでサンシシは茨の柵に飛びついた。彼の唾が飛ぶ度、茨は溶ける。
サンシシはすでに人の姿を保っていない。剥かれた目は真っ赤に染まり、剥き出しになった牙は獣そのもの。伸びた爪も土気色の肌に浮き上がる血管も。
「竜胆様は妨害したのではありません」
魔道書を片手に浮かせた紺樹が言い切った。魔道書はぱらぱらとめくれる。何往復かして、ぴたりと止まった。その項から幾重にも魔道陣が展開されていく。
蒼は、まるで花火みたいだと思った。腰を捻って見つめていた紺樹に、体ごと向き直る。紺樹の目はまっすぐにサンシシを捉えている。蒼の喉が、きゅっと締まる。
「狂いながらも、寸前のところで守った。皇女様が命をとして守った生命の縁を。第二皇太子が繋いだ未来を。ご自身がおっしゃる通り最後は洗脳されていたとしても、誰よりも安らかに眠らせたかった皇女様のご遺体を餌に華憐堂に乗り込まれた」
紺樹の言葉を聞いた瞬間、紅には痛いほどに胸が締め付けられた。紅が対面した両親の身体はアゥマが抜けきっている以外は、外傷もなくとても綺麗だった。それに、どこかほっとした。同時に、解剖も解析もせずに合同葬儀をすると国から通達があった際も、自分の我が儘で言及することも諦めた。
けれどと、紅は己の頬を打つ。後悔している場合ではない。
「長年かけて、ようやくクコ皇国を贄場とできたのにぃっ!! 周辺諸国で小さな儀式を繰り返して、ようやくクコ皇国――始まりの一族が興した国の最高の溜まりと命を前にしたのに!! 完全な萌黄の復活と腹の子をぉぉ!!」
サンシシは半狂乱で魔道を振りまく。サンシシの身体に捕まっている萌黄からは鮮血が飛ぶ。茨の結界が越しとはいえ、こう破壊の限りを尽くされては崩れ落ちてしまうだろう。
――うぉぉぉぉっん――
「うん、了解だよ!」
白龍の両手にある光があげた叫びを受けて、蒼はぐっと親指を立てた。
周囲が動くより先に、蒼は再び皇女の遺体の前で膝を折った。
「蒼?」
「紅もぼさっとしてないで手伝――いや、陽翠お姉ちゃんの方がいいか。陽翠お姉ちゃんか長官、手伝ってもらえる?」
蒼は言い終わるが早いか、皇女に降り積もった元竜胆から落ちた岩埃を払いだした。
長官は「やれやれ」とすぐに小さな手をせわしなく動かす。面倒くさそうではあるが、手つきはとても柔らかい。やや遅れて、状況を理解した陽翠も律義に「失礼いたします」と断って皇女に触れた。
「竜胆の奴め、異形の姿に、なって、初めて、まっとうな、人間に、なった、つもりか⁉」
黒龍の蔦籠を燃やし切ったサンシシが、目を真っ赤に染め上げて一言一句はっきりと吐き出した。強く引き寄せられた萌黄は、骨が軋んだのか小さく唸った。
蒼たちの前に立ったのは紺樹だった。分厚い魔道書を片手に、にこりと微笑んでいる。
「始まりの一族の中でも直系が建国したクコ皇国。なおかつ宝石を扱う黒曜堂に守られた隠匿された首都中央通りの溜まりを使えば、反魂の術の材料になると安直に考えたなんてことないですよね? 加えると、そこに皇族と皇族より正統な後継ぎである心葉の血があれば、完璧な反魂な術が完成するとか」
紺樹の説明臭い言葉に驚愕したのは、紅と翡翠双子だけだった。そのことに、紅は重ねて絶句してしまう。伝承している白龍に黒龍、そして麒淵。そして禁書マニアの長官は特に反応はしないのは当然だと思える。
が、溜まりを渡ってくる間に聞いたばかりの蒼は気まずさから、ついっと目を反らしてしまう。
紅は目を据わらせながらも、至極冷静に息を吐くだけに留めておけた。事がおさまってから聞きたい内容が増えただけだと、努めて自分に言い聞かせる。
「何百年と時間をかけてきた割に、功を急いたのう。それだけ、お主らに時間がなかったということじゃろうが」
麒淵の言葉に、サンシシは雄叫びをあげる。
「――だまれっ! だまれ、だまれ!! 弐の溜まりの守霊風情が! 僕がどれだけの壱の溜まりの守霊たちを取り込んできたか!」
それで麒淵が怯むまずもなく。彼は右手を翳すだけでサンシシの魔道を防いだ。
「皇女は確かに正統な皇太子である竜胆と同じアゥマを滲ませておった。皇族が情報として完全に隠匿した皇女の血筋を、血が纏うアゥマ級で秘匿するために皇帝が二人の関係を黙認しているとは思わなんだか」
麒淵の言葉に、サンシシは頬を引き攣らせる。
「だから、僕は用意していた! 予防線として! 先祖がえりとも言われる心葉の血が濃い蒼月と、同じく建国以来最も壱の溜まりに影響を及ぼすアゥマを持って生まれた竜胆! 二人がこの溜まりでまぐわえば、それだけで陰陽の絶大な力が発動する! あとは、化け物になった竜胆に蒼月と皇女の身体を喰わせれば、萌黄が腹の子を犠牲にした最大にして最強の術を再現、いやそれ以上の完璧な反魂の術を施行できたのにっ!」
サンシシの咆哮だけが、空間に響いた。
蒼には、サンシシが何を叫んでいるのか理解できなかった。であるのに、頭に血が上っていく自覚はあった。怒りでどうにかなってしまいそうだった。自分のことにではない。
「そのために、蒼月を追い込んで拉致寸前までいったというのに、無能な奴らのせいでっ! まさか溜まりを渡ってくるとは予想だにしなかったが、好機がまわってきたと思っていたのにっ――」
紅が皇女の遺体の前に立ち、蒼を背に庇う。
深く顎を引いている蒼の表情は、周囲の者には伺えない。けれど、破れて剥き出しになっている両肩が大きく震えているのは、はっきりと見て取れた。
「食わせる?」
「そのために、多少の術式の歪みが生じることに目を瞑りゴーレム化させたというのにっ」
サンシシの吐き捨てを耳にした直後、蒼は自分の頭の奥で意図が切れる音を聞いた。肩の震えがぴたりと止まり、息が深く吐き出される。
「――さない。貴方は絶対に許さないっ! 竜胆様と同じように大事な人を失った貴方が、よくもそんな非道をっ!」
蒼から凄まじい魔道力が沸き上がる。ただ、蒼から発せられる波動が傷つけようとするのはサンシシのみ。壊れかけの束縛魔道を通り越して、サンシシだけを刻む。
蒼の瞳が薄氷色になっていることに、一同は驚愕した。紅暁だけが受け継いだと思われていた能力だ。それどころか、全体の色素が薄くなっている。
「竜胆様にっ! あんな風になっても大切な女性を守りたかった竜胆様にっ! その想いを知りながら、ううん、知っているからこそ大切な女性を喰わせようとしていたと、そう吐いたの⁉」
蒼にとって、己への暴言と拉致未遂はどうでも良かった。路地裏で押さえつけられたのがとても怖かったのは事実だ。剥き出しの欲望をぶつけられて、堪らなく気持ち悪かった。
それよりも。今、沸き上がってくるのは相手に対する――殺意。
「はっ! お前とて先ほどまで良く思っていなかった人間だろう。都合の良い情に訴える過去ばかり見せられて安直に怒るか。その自己満足な同情を萌黄に向ければ良いだけの話しだ。それに、都合が悪くなると標的を定め悪意を向けてきた愚かな人間たちを守るより、そいつらを消し、かつ愛する人間を蘇らせる方が余程価値があることだ」
「私は確かに考えたらずだっ! 感情に流されやすいのも知ってるよ。であっても、自分の願いのために、不特定多数の人たちから何かを奪って良い理由にはならないのもわかってる!」
サンシシのみに影響を及ぼしていた蒼の魔道力が、激しさを増す。すべての空間が裂かれる。
「蒼や! 最早、落ち着けとは言わぬが呑まれるでない。アゥマたちも蒼に引き寄せられている場合かっ」
麒淵が右手を蒼に向ける。相棒の繋がりをもって蒼の魔道力と、暴走を助長するアゥマを抑えようとするものの反発力が強すぎて逆に弾かれてしまう。
痺れる手を押える麒淵の代わりに、紺樹と紅が共鳴の詠唱を流す。いつもは共鳴力の高い蒼が相手に寄せることが多い。己の思うがままにアゥマを暴走させることなど今までになかった。そのため、どうにもうまくいかない。
「ふむふむなのです。ここにきて、先祖返りがより表に出てしまっているのですねぇ。色素の薄さといい、共鳴をはかっていないのにも関わらずアゥマが勝手に蒼の魔道力に吸い込まれているのといい、紅だけが引き継いだはずのアゥマ可視の瞳を発動させているのといい」
緊張感の欠片もない長官が、腕を組んで何度も頷く。子どもさながらの身体を包んでいる魔道府外套が吹き飛んでいきそうなのもお構いなしだ。
実際、体ごと吹き飛びそうになり、膝を折った陽翠が抱き寄せることで空中浮遊は免れた。加えて、いつもは諫める側の人間なはずの陽翠は首を傾げた。
「ここが反魂の儀式の場だから、という意味でしょうか」
「ちっちっち。溜まり渡りが原因なのですよ。いうまでもなく、溜まりを繋ぐ龍脈は強すぎます。クコ皇国の首都では超一級品の水晶板で区切ることで、程良くアゥマの恩恵を授かる川として機能しているのですよ」
「ちょっ長官―! それに陽翠もー! 今はそない幼児でもしっとる解説が必要かいなー!」
大きな体で長官と陽翠を庇うため、二人の前に仁王立ちになった陰翡が涙目で叫んだ。
「もちろんなのですよ。蒼は意図せずアゥマと共鳴するほどの天然アゥマたらしなのです。蒼のことですから、超興奮状態で龍脈を渡ってきたのが容易に想像できるのですぅ。麒淵が諫めたとしても」
「だーかーらー! さっさと言葉の裏をばばんと出して欲しいんやー! って、うわぁつ!」
陰翡が風に足を掬われた直後、
「つまりは、とんでもなくやばい展開ってことじゃよ」
意識がはっきりとした白龍が黒龍と共同で守護結界を発動したことにより尻もち以上の被害は避けられた。
「近親相姦こそ、最も濃いアゥマを生むのだっ! 濃い血が交じり合う度、より強く特異な能力者が生まれるんだ! 僕の一族に伝わる『実験的事実』に間違いなどありえない! 喰うとは――」
サンシシの反論は最後まで続かなかった。あどけないはずの少女が、この場の誰よりも殺気を纏い気圧す。蒼が誰よりも大きな存在に思えた。
そんな中、真っ先に我に返ったのは萌黄だった。