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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第121話 守りたかった3―想いと事実の裏側―

 竜胆わたしは物心がついた頃、自分の面倒を良く見てくれた宦官に礼を述べたことがある。彼は驚きながらも、「とんでもないことでございます」と笑ってくれた。だから、その笑顔が見たくて何度も口にして褒美を与えた。

 しばらくして、その宦官は病死したといって私の前から姿を消した。私が大事だと思う存在はみんな消えていく。由比も、悠も。

 悠は暗殺されかけた私とあの子を庇い、猛毒に苦しみながら果てた。他の者も同じだ。満足げな顔で冷たくなる。いっそのこと恨みつらみをぶちまければ良いものを。


「殿下。――いえ、竜胆りんどうよ。貴方はとても優しい。その優しさは、人であったなら正解だっただろう」


 皇帝ちちの兄である叔父上が教えてくれた。皇族であっても下に対しての礼節を欠いてはいけない。けれど、決して唯一の愛情を相手に向けてもいけないのだと。

 戸惑う私の肩を叩いて、叔父上は戦場に連れて行ってくれた。戦場は守るべきものが明確で集中できた。国を守るという大きな事実よりも、まずは共に戦う同志を死なせないという第一目標があるだけで、私は何事も恐れることなく剣を振れた。


 それでも、疑問は残った。私を出来損ないの皇太子として笑う者は多い。自分でも頭は悪くはないと思う。けれど、第二皇子は文武両道に育ったし、下の皇子たちの中には庶政に触れて民からの人望が厚い者もいる。そんな中で私は得体のしれない存在で、しかも戦狂いの皇太子と呼ばれていた。

 であっても、私個人を見て大事にしてくる者もいた。だから、その想いを返したいと思うだけなのに許されないのは何故だろうか。


 けれど、私は何も言えず唇を噛むだけだった。武勲をあげても、どうするのが正解なのかの答えは出せずにいたのだ。

 私が無責任に情を欲してしまうから人が死ぬのか。私が好ましいものを持つから、その者を愛する人から奪ってしまうのか。いくら人や異形を切っても、浴びる血は答えをくれない。


「ならば、私が誰からも嫌悪される皇太子ならば、私を守ろうと喜んで死んだりする者はいなくなるのだろうか。えにしを絶つだけの存在ではなくなれるのだろうか」


 身の危険も顧みず、慰問として戦場を訪れたあの子に愚痴ってしまった。酒が入っていたとか、久しぶりに心内を曝け出せるあの子のぬくもりに縋ってしまったとか、言い訳はいくらでも後付け可能だ。

 あの子は私を抱き寄せた。身内とは雖も皇女と対面するため全身は清めていた。それでも、沁みついた匂いが完全に落ちるわけもないので、名を呼んで体を押したのを覚えている。


「兄とは言え、あらぬ噂を生むような真似は控えよう。其方も年頃の娘だ。いかに狂人と呼ばれる私でも、人の兄として可愛い妹の幸せを望むものだ」


 かちあった瞳。大きな目の奥に映った己を自覚して、顔を覆うしかなかった。

 あぁ、なんてことだ。お互いの瞳が潤って、孕んだ熱の行き場を探しているのを察してしまった。いつの間にか、テント周辺から人気が消えていた。守護結界はより深く張られていた。今回ばかりは気が利くなと、手放しに腹心を誉めることはできない。


「ずっと殿下だけをお慕いしております」


 全身が軋むほどの胸の高鳴り。耳鳴りがするほどの高揚感が襲ってきた。

 正解の答えは持っているのに、喉がひどく乾いて言葉が出ない。次の彼女の言葉を待っているようで、卑怯な自分に嫌気がさす。


「愚かな女に一夜の夢をおあたえくださいませ」


 寄せられる体温に柔らかい肢体。鼻先から脳まで甘い香りが静かに流れ込んできて、麻酔となる。


「……皇帝になるのは弟である第二皇子だ。派閥などもはや関係なく、私は即位どころか皇子としての立場を辞する。この濃い血をあたえることはできぬ」


 我ながら最悪な返しをした自覚はあった。あの子が他の女のように子種や既成事実をねだっているはずないとわかっていたのに。

 彼女の手がよどみなく背中を滑って、唇を噛む。


「存じ上げております。戦況が落ち着けば、殿下がこの国境の地で然るべき女性を迎えられることも」


 明るいあの子の声に、思わず顔を上げていた。屈託ない笑顔が向けられていた。両頬が包まれて、体が跳ねた。ざらついた肌を確かめるように、たおやかに何度も滑る冷たい指先。どうしてだろう。髭を剃ったばかりの感触を楽しむあどけない仕草にも関わらず、艶めいた女性に心ごと包まれている気がしてしまった。

 大の男、しかも武人が迷子の童さながらの様子で戸惑う姿は滑稽だったに違いない。なのに、あの子は少し目を伏せて微笑んだ。


「そもそも、わたくしに皇族の血は流れておりませんもの。保護していただいたにも関わらず、政略結婚の種にもなれずに竜胆様を愛したなど確実に冥府落ちですわね」


 彼女が皇族の血を引いていないのは、すぐに把握していた。不思議なもので纏うアゥマが教えてくれたのだ。私は壱の溜まりの守霊に嫌われて、アゥマにも好かれなかったのに。

 それでも、私にとってあの子が可愛い存在のは違わないので触れずにきた。どんなに愛おしく思っても、表面上は妹なのだと己に言い聞かせて。


「……良いのか? 私が触れても」

「はい。えぇ、あの、はい。竜胆様さえよろしければ」


 ほんの少し縋るように身を寄せれば、彼女は途端に戸惑った。つい先ほどまではあれほど強引だったのに。

 目をあわせて、どちらともなく不器用に笑った。


「良いのだな……」


 答えの代わりに、子どもじみた距離感で触れ合った唇。たったそれだけで瞳の奥が焼けそうに熱くなった。

 彼女の頬に添えた手にぬくもりが重ねられればもう、私は零れ落ちるモノを止められなかった。それはもちろん、咥内にも滲んできた。しょっぱさに笑った私を、あの子は「可愛い」と称した。

 納得いかないとあの子を抱きしめて、深い愛を貰った。


 数年後、私の皇太子外しの勢力が本格的に動くようになった。

 それでも戦場から首都に戻ってしばらくは穏やかな生活が続いた。私とあの子は逢瀬を重ねた。ただ一緒に茶を飲む時間がとてつもなく幸福をもたらしてくれた。

 ある日、皇帝ちちに皇妃選定についてと呼び出された。そして、私の予想は悪い方にばかり当たることを再認識されることになった。

 私は国内の周遊を言い渡された。理由は明確だ。皇帝はあの子と私の関係を把握していた。クコ皇国では近しい血の交わりが禁止されている。かといって、実際は子を成しても問題はない。私は廃嫡されても構わないし、その後は一切皇族とは関りと持たない意志を告げた。そもそも彼女にクコ皇国皇族の血は流れていないのだ。


 望んだのはたったひとつ。あの子と生きていきたい。それだけ。


 その日は下がるように告げられたが、数日後に再度呼び出しを受けた。内容はいたって簡単シンプルだった。私たち二人を鬼籍として遠くの地で生きる準備をするとのこと。その準備期間はやはり周遊を言い渡された。下がる直前、皇帝はひどく疲れた様子で溜息をついた。初めて耳にした父の溜息だった。


「先立った皇后あやつには顔向けは出来なさそうだが、息子にはようやっと望むものを与えてやれるということか」


 不本意ながら、という呟きは聞こえなかった振りをしてしまった。複雑な気持ちが絡み合いすぎて、頭を下げることしか出来なかった。

 私が周遊に出ている間、唯一の気がかりはあの子のことだった。第二皇子と一部の皇女たちに根回しをして、あの子が冷遇されないように配慮した。第二皇子は『兄様が皇帝になっても、僕は補佐としてみんなが幸せになれる環境を作ってみせるからさ』と笑った。縋る瞳であるのを理解していたのに、私は『其方が皇帝になるのが一番国のためだ』と返した。


 本当に己は自己中心的な愚か者だと痛感せざるを得ない発言だった。

 第二皇子とあの子は国の犠牲となり死んだ後に、痛烈に思い知らされた。


 クコ皇国の存亡の危機となるほどのアゥマの変動を受けたのだ。首都に関わらず、多くの溜まりの主が命を差し出して国を守った。人々の生活を守った。

 公的な発表は控えられたが、近隣の小国の溜まりが暴走したのが原因だった。溜まりは地繋がり。小国首都の溜まりが周辺のアゥマを根こそぎ吸収しだした。空気中、大地、人体から。


「国を守るためにクコ皇国の溜まりの継承者と、我が子たちの犠牲はやむを得なったのだ。我が子らも納得の上だ」


 皇帝の声がここまで凍ったものだと感じたのは、それが初めてだった。

 たいていの人間は異常気象や体調不良を感じるだけだが、優れたアゥマ使いであれば何かしらの異常事態だと感知することが可能だった。そんな事実、わかり切っている。

 私が訴えたかったのは、何故この国の未来を託した第二皇子が、そして私が誰よりも幸せになって欲しいと願った皇族のしがらみとは無関係の彼女が犠牲にならなければいけなかったのかだ。


「どうして、私を贄にしてくれなかったのかっ! 首都でのみ儀式が行われたわけではなかったはずです! 周遊をしていた私に命じてくださればっ! 伝達が間に合わずとも、滞在地の溜まりの主から口頭で伝えることもできましょう!」

「殿下のおっしゃるように、壱の溜まりからクコ国内中の溜まりの守霊に緊急事態指令を発することができます。ですが、伝達範囲には建国当初からの盟約がございます」

「――っ! そのような事実、知っている! 発令時に壱の溜まりに立ち会っている者と溜まりを守護する家系のみなどと!」


 あの子の魂が抜けた身体の前で膝をついて見っともなく髪を振り乱している私に、宰相は続けた。

 第二皇子は有能であっても心が繊細だった。私が周遊に入る前に廃嫡を望むのを告げた後、幼少から患っていた気鬱が悪化していたらしい。そんな折、皇族からも何名かの贄が必要となり、真っ先に名乗りを上げたのが第二皇子とあの子だったそうだ。


 何を考えて生きればいいのか、最早わからなくなってしまった。

 

 それからの1年間はほとんどまともに生きた記憶にない。酒や女に溺れた。それらならば、いくらでも手に入れられる。

 さらに数か月経った時、サンシシと湯庵が近づいてきた。どこから情報を入手したのか、皇女を生き返らせたくはないかと。


 最初は暇つぶしにでもなればと受け入れてしまったのが、私の人生で最後で最大の過ちだった。あの子の遺体にさえ鞭を打つ雨になってしまった。

 

話を聞くうちに、彼ら華憐堂一族が諸悪の根源だとわかった。最初は弟と愛しい人の仇を打つと復讐を誓った。国など、もうどうでも良かった。ギリギリのところで証拠を突き付けて、彼らに死んだ方がましだと思える裁きを繰り返し与えてやると誓った。

 けれど、ミイラ取りがミイラになるのにさして時間はかからなかった。私は本当に弱かったのだ。自分が思うよりずっと弱かった。気が付けば、サンシシと湯庵の甘言にほだされていた。洗脳されていく恐怖はやがて、己の本質が解放されているだけという錯覚に変わっていった。


 そうして、私はただの欲深い生き物に成り下がった。それどころか、不相応に『朕』など称して、あの子の遺体を辱める愚か者に成り下がった。



****


――わたしは、ただ知りたかったノダ。わたしを慕っていると笑ったのに、なぜ、わたしを置いていったのかヲ。アレほど、置いてはいかないでクレと願ったノニ――


 赤子のように泣き崩れる私に、蒼月の手が触れた。ぎこちなさがあり、職人らしさのあるかたい指先。どうしてかわからないけれど、砂の涙が落ちた。

 あのシロツメクサが触れた瞬間を思い出して、後悔した。もっと早く、私が愛に縋るのを止めていれば、弟もあの子も命を捨てずに済んだのではと。


「私、竜胆様から向けられる視線がずっと嫌でした。ねめつけるみたいなのが、ずっとずっと気持ち悪いって。紅やおじいから、私に会いたがっている話を聞いた時も」


 蒼月が言う態度を取った時には、いつもあの子に叱られるかむくれられていたなぁ。焼きもちなどという、あの子側の感情ではなく。


「でも、理由がやっとわかりました。私、こんな状況になって紅を探しに街に出た際に襲われました。その時は本当に怖かった。気持ち悪いって警戒するより先に、押さえつけられてました」

「なっ――!」

「って、ええっと紅ってば、っていうかみんな、落ち着いて! 全然未遂だったし! 雄黄さんとかに助けてもらったし!」


 魔道府副長以外が殺気を帯びたのを受けて、蒼月が盛大に焦りだした。いや。副長が一番恐ろしい顔つきをしているのだが。押し込める殺気が一番恐ろしい。

 あの子が嫌がらせを受けているのを目の当たりにした弟妹たちも、同じ反応を見せていたと笑ってしまった。固い岩肌は動かず、ただ砂塵が舞うだけだが『笑っている』と思えた。あぁ、あの日に戻れたならどれだけ良いか。叶わぬと思うから、願うのだろう。弟の一人である蘇芳すおうが顔を真っ赤にして怒っていたっけ。


「後で聞く。事情を知っていそうな、副長も覚悟しとけよ」

「紅、あっありがとう? ともかく、それで私はわかったの。竜胆様が本気で私をどうにかしようと思って向けた視線じゃないって。竜胆様は、私に執着しているふりをしてまでも、皇女様を守りたかったんだね」


 そう。私はあの子だけを守りたかった。自分を慕ってくれる人たちの期待を裏切っても、あの子の名誉を守りたかった。自分が無理に関係を迫ったことにすれば、あの子が皇族でないことを暴く者も減ると思った。

 近親相姦を迫った最悪な皇子。国を転覆させた凶悪な皇子。

 事情を説明できる正妃である母もあの子を迎え入れた叔父上もすでに亡くなっている。あの子が反魂の術で生き返った際に、彼女のの正当性を証言できるのは心葉堂と魔道府だけだ。これだけ巻き込めば、十分だと思った。


「知る人だけが知る血筋に縋ることで、皇女様が竜胆様を慕っているのではなくて、竜胆様が一方的に愛しているって示したかったんだね。自分が血にこだわる異常者だって思わせて、皇女様を守りたかったんだね」


 蒼月はやはりあの子に似ている。無邪気な笑みの奥に、痛みを持っている。


――さても、サテモ。ワタシは心葉堂のアゥマ使い、ソレも他国のオウゾクのチがあれば、本当にアノ子を生き返らせられると考えていたヤモ知れぬのに同情とはヨユウだな――

「竜胆様って、本当にちょっと馬鹿かな?」


 空洞の瞳を開くことなど出来ぬが、崩れず砂塵が細かくなった気がした。

 脳天に紅の手刃を受けた蒼月は、むくれて後頭部を摩る。面白いくらいに膨れ上がっているのに、「言葉足らず」という紅の言葉を受けて、破裂寸前の風船さながらの頬からはすんなりと空気が抜けていく。


「これまでの竜胆様の気持ちと話を聞いて、ソンナへそ曲がりな発言を真に受ける人は、ここにいないからって意味でした!」


 蒼月の叫びも囁きに聞こえる。ぼやけた視界に映る蒼月の大げさな仕草から、叫んでいるとは察することは出来た。白濁色に染まっていく視界。

 いけ好かぬ副長が魔道書を開いて、祝詞もどきを紡ぎだした。深い音が道を作っているのが視える。鍵盤さながらに連なる道を前に耳鳴りが止んだ気がした。


「死ぬ間際まで愛する存在を守って消えようとしている人を嘲ら笑う風習は、我が魔道府にはございません」

「なのですねー! まぁ、かけられる言葉があれば『貴方が想う魂すべてが安らかならんことを』でしょうかねぇ」


 岩肌から、爪先ほどの雫が落ちた気がした。

 それは、私がずっとずっと願ってきたことだった。私がこの世を去る時に、私ではなく私を想って亡くなった者たちの魂が救われて欲しいと。私以外にはいないと思っていたのに。


「年の甲なのですよ」


 魔道府長官は唇に人差し指を立てて、無邪気に笑った。やはり、真っ赤な瞳の奥はいつものように痛みに満ちていた。それでも、ただの痛みではなく、あの子と同じ優しさに満ちていた。救いの手かと思うほど。


「そこに自分が含まれないと考える貴方のままで逝くならば、だれも安らかにはなれないでしょうけれど」


 前言撤回しよう。子どものなりをした曲者は、私の最期まで厄介者だったようだ。

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