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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第119話 守りたかった1―剥き出しになった心―

 今のサンシシは、湯庵ゆあんという灰汁あくが強い番頭に実権を握られている肩身の狭い店主、などという印象とは程遠い。生気が薄かった様子が幻だったように、サンシシは意気軒昂いきけんこうと立っている。

 サンシシは自信に満ちた瞳を萌黄に向け、甘ったるく微笑む。蕩ける笑みであるのに、全員の背筋に冷たいものが走った。


(嘘くさい笑いだから、嫌悪を抱くんじゃない)


 蒼は鳥肌が立つ腕をしきりに撫でる。

 本来、溜まりは朝方の森深い湖畔さながらの澄み切った空気に満ちている。けれど、興奮状態でこの場にいる蒼たちに体感する余裕はなかった。それがここにきて体温がぐっと下がった気がしたのは、決して着地点が見えてきて感覚が戻ったからではないだろう。

 蒼は足幅を広げる。いつでも飛び出すなり、陣を張るなり出来るように。


(仄暗い執着だけだから、身の毛がよだつんだ。本物だけだから、身がすくんでしまうんだ。記憶が消えていた時の萌黄さんなんて比じゃない)


 サンシシは警戒を露わにした人々を一瞥もせず、萌黄だけを映している。


「萌黄、安心しなさい。もう、君を止めてあげられる僕に戻ったよ。君には随分と寂しい思いをさせてしまった。君を押さえつけていた湯庵が死んでくれたおかげで、反魂の術を発動した時の新鮮で術を施行せしめたアゥマが僕に戻ったんだ」


 萌黄はどこか怯えた風に肩掛けを握り締めた。悲しみよりも、恐れが強い。それでも、やはり人目がない所では不器用でも父親の情があった湯庵が消えたことに、萌黄の心は揺れる。

 そうして、萌黄はさらに動揺してしまうのだ。まるで、自分が本物の人間の心を持っているようだと。


(馬鹿な。ここまできて、わたくしは自分が人間である萌黄に成り代われたと思いたいだけだ)


 唇を噛み締める萌黄に、サンシシは怪訝だと眉をしかめる。空気が震えて、ぴりっと肌を裂く。


「娘を――少なくとも実の娘の肉体を、己が永遠の命を得るための道具としてのみ認識していた奴に同情するのかい? 遠視で眺めていたが、己の欲望にまみれた下衆には相応しい死だったよ。看取る家族も、こと切れる己を引き留める者も、ましてや見っともない下衆なまま死んだ。当然の報いだよ」

「やめ――」

「それは違います」


 萌黄があげかけた叫びを遮ったのは、実に意外な人物だった。

 全員の視線を集めたのは陽翠だ。陽翠は怯むこともなく、冷静な様子で溜息を零す。彼女が向き直ったのはサンシシではなく萌黄だ。


「湯庵殿はこと切れる間際に『この国のことなど、どうでもいいが、せめて最後に親らしいことをせねば』とおっしゃっていました」


 陽翠の口から出た音に誰よりも驚いたのは萌黄だ。呆気にとられながらも、幻聴を聞いたようにぎこちなく首を傾げる萌黄。

 陽翠は「つまりは」などと、淡々と続ける。


「自身を今の萌黄さんの親としてとらえることも、可能な最期でした。いえ、親としてではなくとも、少なくても長い時間を過ごした同胞とは考えられるかと」

「せっせやな。あれだけ悪の親玉しとったおっちゃんが、死に際だけ繕うとかありえへんわ。それに魔道府なめんな! こちとら、溜まりに踏み入る前にお前が黒幕やって把握しとったんや!」


 援護射撃で、陰翡が大きく腕を伸ばしサンシシを指さした。サンシシの冷たい目に怯みながらも。

 蒼も「そうだー! そうだぞー!」とヤジを入れる。この期に及んで緊張感が緩いと、紅と紺樹に諫められるのは一揃い。

 蒼は二人に諫められながらも、どこか嬉しかった。あれ程、萌黄を非難の目で捉えていた翡翠双子が咄嗟に、萌黄を庇ったのが。それを察しない紅と紺樹だろうか。否。そのため、二人とも追撃は引っ込めることにしておいた。


「もう! もう、やめましょう! サンシシ。あの子がいる今、もう一緒に聖樹の元に還りましょう。多くの命を奪ったわたくしたちは聖樹の元に還れないかもしれない。それでも、罪なき命を奪う行為を止めることはできますわ。正気を取り戻した、わたくしたちの自らの意志で」


 サンシシに駆け寄る萌黄。黒龍の横を通り過ぎざま、彼の手が伸びるが白龍によって制された。

 萌黄は、皇女の遺体を挟んでサンシシの腕を掴む。その隔たりの分だけ距離を感じても、萌黄は信じている。サンシシに自分の声が届くことを。


「萌黄は勘違いしているようだね」


 淡い期待は、あっけなく砕かれた。


「あの子がいるからこそ、ようやく僕らは思い描いた家族になれるんだ。萌黄が宿した子がアゥマと化して、始祖の血を濃く受け継いだ先祖返りの蒼月がいれば、最初の僕ら――いや、それ以上の家族になれる」


 さすがの蒼もサンシシのプレッシャーを受けて、地面にへたりこんでしまう。

 ぴきっと岩にひびが入る音が響いた直後、紅と紺樹が蒼に手を伸ばす。


「蒼っ!!」


 誰かが叫んだ次の瞬間、かまいたちに襲われたかの如く蒼の白い肌が裂けた。頭皮、頬、腕、手、腿、とにかくあらゆる箇所から鮮血が散った。

 蒼自身は痛みよりも視覚と肌を滑る生暖かさに驚くしかない。


「この空間は、僕が育てたアゥマに満ちている。本来の力を取り戻したいま、目標を絞れば纏う空気自体を武器にするのは容易い」


 サンシシが言い終わる前に、長官それに白龍と黒龍が地面を踏み鳴らし結界を張る。地面を通じて、個人に密着した守護魔道だ。魔道力を流し、個体に沿わせ、守護魔道を発動させる見事な妙技。

 当の蒼は三人の連携術れんけいプレーに見惚れるばかりだ。

 とは言え、変に落ち着いているのは蒼だけだ。紅は蒼を支え、紺樹は回復魔道を全力フル発動している。


「現代の皇女の肉体に残されていたアゥマは吸いきった。即効性はないようだが、始まりの一族の血もかなり薄いのだろうな。どちらかと言わずとも、この子は竜胆と先祖の色濃い蒼月を結ぶ同性としての媒体だからいいんだけども」

「ゆうても、計算外っちゅー顔しとらんな。どないなカラクリを隠しとるんだか」


 陰翡が汗を流しながらも強気に問う。

 サンシシの口の端に、どす黒いものが乗る。弓月に変化した。皇女の遺体をどすりと落とし、躊躇なく氷魔道を胸に刺した。


「うっ嘘やろ。あないに腐って虫がたかっとった身体から、生きとる――蒼ちゃんと同じ血が流れとるっ!」


 陰翡の狼狽は当然のものだ。蛆がたかっていた皇女の死体からは、生きた人間と同じ鮮血が流れ出ているのだ。遺体に沿って広がっていく血だまり。

 サンシシはうっとりと目を細めた。


「媒体は所詮、媒体に過ぎない。ほんのわずかな繋がりがあれば――」


 サンシシの饒舌な言葉が、ぴたりと止まった。

 今度は蒼たちが眉を顰める番だ。

 見る見る間にサンシシが鬼の形相に変化していく。鬼を越えて、異形さながらの風貌だ。


「『所詮』は媒体などと、よう言えたもんじゃ」

「きっ麒淵?」


 紅の声を受けた麒淵は、ひとつ頷き返した。真面目な顔のまま麒淵は前に進み出る。先ほどまでずっと元竜胆ゴーレムに向けていた両手は、きつく握られている。

 蒼も紅も、そして白龍でさえ、こんな風に静かな怒りを抱いている麒淵なんて知らない。麒淵は守霊にしては感情豊かだ。けれど、手のひらほどの大きさの時とは異なりあけすけさの薄い成人型で、ここまで深く抑えながらも滲み出る苛立ちに目を開かざるを得ない。


「媒体とは、元来神聖な存在と繋がる重要な手段じゃ。いや、尊いモノとだけではない。大切な存在と己や他者を繋ぐ。言葉、歌、祝詞、呪文、触れ合うぬくもり、様々な感情、瞳、表情、仕草。それは表現しえるのが不可能なほど多岐に渡る」


 麒淵は懐から小さな金平糖、のような光を取り出した。古来のアゥマの子と似て非なる存在だと、蒼は思った。

 小さな金平糖に何故か苛立ったサンシシは右足を大きく振り上げる。あっと声をあげた蒼だが、膝の力が抜けて岩肌に掌を擦りつけてしまう。


「この役立たずめっ! 竜胆ごとき原始から続くクコ皇国の皇太子にそぐわぬ器に出し抜かれたというのかっ!」

「サンシシ、もうやめてくださいまし。お願いですから、やめましょう」

「萌黄、なぜだっ! 君は――君だけはいつでも僕を肯定してくれるだろう? 君だけは、いつだって僕を愛してくれた」


 表情はひどく悲しげなのに、足は華奢な皇女の体をにじり続ける。全体重で踏みつけられた胸は深く沈み、肋骨が折れたことを示す音が落ちた。

 萌黄は右手を大きく振りかぶった。振り下ろされた手は呆気なくサンシシに掴まれた。それでも、萌黄は大粒の涙を零しながら、サンシシを睨み上げる。


「ならばっ! 愛らしい少女の遺体を踏みつける貴方を笑って見過ごせるのが、萌黄なのですか⁉ わたくしも萌黄も愚かなほどに貴方を愛していました。蒼さんたちと出会った今でなければ、少女に同情はしなかったかもしれない。それでも! いつのわたくしたちも、貴方のそんな姿は絶対に視たくないのです! 貴方にそんなことを……させたくありません!」


 一瞬、サンシシが怯んだ。

 その隙を見逃さず、心葉兄妹と翡翠双子、それに紺樹が飛び出す。攻撃魔道陣と武術がサンシシを襲う。紙一重でかわすサンシシだが、元より皇女の遺体から彼を離すのを目的として攻撃だ。

 それでも、幾分か傷を受けたサンシシ。彼は地面に掌をつくと、あっという間に傷が回復していく。場のアゥマを取り込んだのだろう。


――ソノ子を、責めるナ。皇族のアゥマをマトウのは、朕のネガイからダ。守りたかっタ。ソノせいで、アノ子を追い詰めた。ドウカ、もう、カノジョを辱めナイでクレ――


 溜まりに身を沈めた、岩の塊がそれでも涙だけは流し続ける。もはや、雫ではなく石ころを転がす。だいぶ体を縮めた元竜胆は皇女の遺体を見つめる。

 空洞で瞳の色など伺えないのに、蒼はソコに愛おしさが込められている気がした。それと同時に、ほんのわずかな苛立ちも混じっていると思ってやるせなくなった。


――ソレでも、わかる。アノ子が生き返ったとシテ、朕自らがアノ子を傷つけると。ソレでも、己の欲望ノミに思考を染めテでも、愛しい人をコノ手に取り戻したカッタ、お主のオモイも、ワカル。今、モエギとやらが、お主を選ばない苛立ちモ――

「大きな責を担うと同時、恵まれた権利を与えられている関わらず、愛した女に自ら死を選択させた屑に同情される謂れはない! 萌黄が僕を選ばない苛立ちだと? 自らの努力で共に這い上がってきた絆と、弱い頭しか持たず傲慢なうえ他人頼りで挙句の果てに利用されて終わるお前と一緒にするな」


 サンシシの低い声が脳を揺らす。侮蔑しか含まれない音は、竜胆にのみ向けられたものだと知りながらも身を竦ませる。それは、白龍や黒龍も例外ではない。

 唯一、サンシシの深い感情に呑まれなかったのは元竜胆ゴーレムだ。


――それでも愛しているカラ、諦められぬ。愚かに足掻きながらモ、朕にはアノ子しかいないノダ。何でも与えられテ、欲しかったモノをアノ子はくれた。皇帝の位ナド、いらなかった。第二皇子に譲るつもりダッタ。なのに、優秀な弟と大事な娘を同時に失って、蜜に縋ってシマッタ――


 元竜胆――竜胆は完全に溜まりに身を沈めて、巨大な岩の背を丸めた。溜まりについた両手も両膝もあっという間に崩れている。

 人間だった時の傲慢さは欠片もない。


「溜まりのアゥマはとても純粋だ。継承者でさえ、アゥマとの共鳴と守霊には取り繕えない。人の手が加えられずに、反魂の術に利用される程、聖樹に近い溜まりなら一際だ」


 蒼は未だに傷が残る体を捻った。完全にサンシシに背を向けている。当然、好機とばかりにサンシシが右手を伸ばすが、萌黄が抱き着き魔道を相殺して阻止する。

 溜まりの淵で足を止めた蒼は、泣きたくなったのを必死で堪えて両手をぐっと握った。


「竜胆様の一番奥にあったのは、これだったんだね。あはっ。やっと、皇女様を生き返らせたかった竜胆様に会えた」


 蒼は涙目で、へらりと笑った。笑って、やっぱり大事な人を生き返らせたいという願いの業の深さを知った。表面上にどんな繕いや理由があっても、愛情があるのを知って侘しさが増す。

 そして、それ以上に思う側が救われたいからこそ、人は失った存在を引き戻したいと強く思うのだと突きつけられた。自分もそうだと、改めて自覚した。


「これまでの繕いはどうであっても、零した想いは一緒だってわかったよ。私は竜胆様と同じだ。行動に移したか、思いとどまったかの違いだ。でも、その違いは自身の力じゃない」


 蒼は腕で瞳に溜まった涙を振り払う。擦れて腫れた目元から、大粒の涙がはじけ飛ぶ。

 翡翠双子以外には、蒼の言葉の意味が瞬時に理解できた。

 竜胆は息を飲んで、それでも続ける。


――ミライに縋って、結果的にアノ子の尊厳を守れなカッタ――

「気が付くのが遅すぎたと一笑すれば、それまでだ。見ぬふりをしたまま逝けば、幸せだっただろう。今さら後悔したところでお前の罪が消えることはあり得ない」


 黒龍の正論に元竜胆は静かにおいおいと雫を落とす。彼はすでに顔を覆う手は持たない。感情は垂れ流しだ。ただ、竜胆尾の頭の片隅に残った理性は、とんでもなく清々しかった。生まれて初めてあったかいまま感情を吐露できるのだと思って、とても心穏やかだった。

 彼の顔周りで古代のアゥマが『どうしたの?』と飛び回り、萌黄にしたように頬へ突撃しだす。そんな古代のアゥマに、萌黄は「あの子ったら」と目を細めたのを見て、サンシシは歯を鳴らした。


「貴様の謀りごときで失敗などしてたまるかっ!」


 サンシシが萌黄の肩を強引に寄せて、無詠唱で炎の魔道陣を繰り出す。その直後、植物など一切存在しない岩肌から、蔦が立ち昇り茨の籠となって彼らを閉じ込めた。炎色の陣は、風に吹かれた砂塵のごとく消え失せた。

 片手で印を結んだ黒龍の術だ。視線は元竜胆を射抜いたまま、右手がサンシシたちに向けられている。


「それでも、ここにはお前の後悔を捨ておく者はおらん。ましてや、笑いもの晒すなど論外だ」

「黒龍先生……」

「萌黄の想いと同じだ。方法を肯定などしてやらんが、我が弟子である蒼月を始め、お前が大切な存在を守るために選んだ道の奥底にある想い、そしてこの経験は彼らの糧となる」


 元竜胆への優しさには程遠い、黒龍の言葉。むしろ、看取ってやるから感謝して洗いざらい話してから逝けと言わんばかりだ。

 それでも、元竜胆は人間であった時のように癇癪を起すことはなかった。小さく頷いて、ただゆっくりとすでに肩だけになったソコを皇女の遺体に伸ばした。動かすだけでも限界だったようで、竜胆の体は皇女に届く前に粉となってしまった。


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