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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第117話 最後の願い4―生き抜きたいと想うこと―

「黒龍。だれしもが無条件で愛する人の死を受け入れるのではないよ。受け入れざるを得ないから、現実を向き合っているだけなのだ。()()()()()()()()()()、悲しみを捨てるか消化するしかないのだ」


 悲しみを捨てるか消化するしかない。そう、言い切った白龍。


「はぁぁ」


 大きな溜息を伴って彼の太ももを抓ったのは、長官だった。溜息が一番似合わない人間だと、この場に居合わせる全員の総意だったのは別の話だろう。

 ともかく。一変、至極真面目な空気を纏っていた白龍は「ホーラっ!」と、珍しく本気で痛がった。ホーラこと長官はきしっと口の端をあげる。


「ここにきてのかっこつけなんて、白龍にしては随分と可愛げのあることをしてくれるのですよー」

「まったくだ。俺は問うなと止めただけだ。お前の繕った台詞など、なんも響かぬ」

「そうだよね」


 立ち上がった蒼に視線が集まる。


「悲しみを捨てるのも、おじい一人で消化するしかないのも嫌だ」

「蒼よ。わしが一人で抱え込む繊細なおじいと思うか?」


 いつものように、からかい交じりに白龍が不敵に微笑んだ。

 それでも蒼は牡丹色の瞳の形を変えることはない。しっかりと目を開いて白龍を見据える。横に並んだ紅も同じ温度を纏っている。

 白龍は微笑みの裏で脈を抑え込もうと努める。


「贅沢って言われるかもだけど、私はわけて欲しい。だって、私はおじいが大好きだから。そこは絶対譲らないよ! 人生経験とか役職とか、尊敬する茶師なんて関係ないもん! 大好きな人だから」

「オレもだよ、おじい。おじいは自由奔放で地位に縛られる人じゃない。だからこそ、オレたちを守るためにクコ皇国のアゥマ使い最高位のフーシオなんて面倒くさい役割を担っている理由に引け目なんて感じやしない」

「自分たちの存在がおじいの足枷になっているなんて、昔っから承知している! おばあももちゃんと教えてくれていたから!」

「……おじいはうまくやれていると思っていたのじゃが、根が自由人じゃからな。察しの良い孫たちを誤魔化せなんだな」


 孫二人の眼差しを受け続け、白龍は諦めたように苦笑を零した。すぐさまおどけたように肩を落とす白龍。こんな場面でさえもおちゃらけてしまうのは、もう彼に沁みついた性だ。

 であっても、自分たちもいっぱいいっぱいだったはずの孫に心配されて、内心では『まずったな』と反省せざるを得ない。

 けれど、


「オレや蒼が『残された』家族なんだから支え合おうと言うとでも思ったか?」


という、紅の珍しいしたり顔に白龍は思わず素の表情で呆けてしまった。微妙にずれた言葉だったからではない。

 懐かしい――愛しい人の姿が重なり、わずかに白龍の涙腺がわずかに動く。


「だって、おじいがずっとずっと、私たちが生まれた時から大事な家族なのは変わらないもの! 確かにおじいにより頼っちゃってるかもだけど、言いたかったのは――」

「『心葉堂』的には、引退なんて言ってもらっちゃ困るという意味で、より重要な働きをしてもらわなきゃとは思うけどな」


 紅と蒼は顔を見合わせて、照れくさそうに笑いあう。そして、視線を萌黄に向ける。

 戸惑ったのは萌黄だ。なぜ自分に二人の暖かい笑みが向けられ、それが感謝にも似た色を含んでいるのか、と。

 蒼はへらりと頬を緩めた。


「同じ荷を背負うには小さい背だけど、今なら萌黄さんのおかげで、言えるよ。大事なものを亡くさないようにと足掻いた人が教えてくれた」


 目を見開いた萌黄の喉がひゅっと鳴った。けれど、苦しいものではないと萌黄自身は理解している。


 しばらく沈黙が流れる。


 蒼は「あっあれ?」と少しばかり動揺してしまう。萌黄はともかく白龍まで口を閉ざしただろうかと疑問を抱くものの、白龍が祖父ではなく『仕事人(フーシオ)』の色を纏っているのに気が付く。そのまま、考え込んでいるような萌黄を見守ることにした。


「蒼さん、わたくしわかりました」


 ややあって、萌黄が顔をあげた。瞳はこれまでで一番、強い光を灯らせている。


「萌黄さん。わかったって、なにが?」

「わたくしは今の今まで、サンシシが狂ってしまったのは何度も萌黄を再生させたからだと、考えていました。成り代わりの原型オリジナルのわたくしが何層ものアゥマに記憶を覆われていくのと同じく、サンシシを忘れていく萌黄を前に彼が壊れていったのだと」


 膝を伸ばしてしっかりと立ち上がった萌黄は、麒淵の傍に歩んでいく。蒼たちも無言で彼女についていく。さほど距離はないが、蒼には一歩一歩が重く遠く感じられた。

 萌黄は麒淵の隣に並ぶ。麒淵は嘆きを鎮め始めた元竜胆に両手を伸ばしたまま、微笑んだ萌黄に頷き返した。守霊とアゥマ通し、伝心テレパシーで会話を交わしたのだろう。


「あの子は十分に働いてくれたからのう。最後くらい、一緒に過ごすがよかろう。ただ、もう先ほどまでの個は保っておらぬのは、承知しておけ」

「……麒淵、あの子は」


 おずっと口を挟んだのは蒼だった。

 麒淵と萌黄は同時に振り返る。二人の視線を受けた蒼は「横からごめんなさい!」と大いに慌ててしまう。

 麒淵も萌黄も顔を見合わせて、先ほどの紅と蒼のように微笑みあった。ほんの少しばかりの悲しみを交えて。


「あの子はいわゆる解毒剤じゃな。まぁ、その説明は後でしよう」

「そうですわね。もう、わたくしにもサンシシにも残された時間は少ないのですから。それに、父――湯庵もこと切れているのでしょう? この場のアゥマを制御してきたのはサンシシですけれど、空間維持には少なからず湯庵の力が影響しておりました」


 萌黄の言葉を受けて、長官がまるまった外套を差し出しだ。

 それを受け取った萌黄はゆっくりと外套を開いていく。そして現れた鈍い色の塊を前に、ふぅっと一息吐いた。吐いただけであとは淡々と塊を胸にあて、それが吸収されていくのを待った。


「要領良く生きてきたくせに……最後は道具として存在を残すなんて、本当に不器用な――ひと」


 ひどく冷たい音だった。それでも萌黄が己の胸を掴む仕草で、蒼は彼女の『ひと』という言葉の裏に込めたかった意味がわかった気がした。

 哀れみでも蔑みでもない感情。それでも、情と呼ぶには満たない苦しさ。


「状況は思ったより良くなりましたわ」


 萌黄は、遠くの岩に廃人のごとく呆けて寄りかかっているサンシシに視線を投げる。サンシシは光を失った目をあらぬ方向に向けて、小さく口を動かしているだけだ。

 強い意志のみを映した萌黄の瞳に感情はみえない。


「サンシシよりもアナタですわ。こっちに来てくれる? いえ、おいで」


 何度か萌黄が「おいで」と繰り返すと、元竜胆からぽろっと小さなちいさな光が零れ落ちてきた。

 光が抜けると元竜胆は大きく咆哮をあげた。瘡蓋を剥がされた、傷を抉られる痛みに悶えるように。


「――っ!」


 空間が痺れ、一同耳をおさえる。ぱらぱらと岩肌が崩れるものの、ソレ以上の反応も崩壊もなかった。元竜胆ゴーレムはもぬけの殻になって、溜まりに腰をつけた。


「うむ。解毒が間に合ったようじゃな。後はあやつ次第じゃ。好きなように過ごせ」


 麒淵の呟きを受けて、小さな光がよろよろを動き出した。

 蒼は、まるで安心したみたいだと思った。もう先ほどまでの明確な声は聞こえない。それでも、蒼には相変わらず光は感情豊かに見えた。


「まるで、ハイハイで来てくれる赤子のようですわね」


 萌黄は光を両手で包み込み、その手に額を寄せた。光が暴れている気配はない。むしろ、真っ暗で母親に包まれている状態――胎内にいるのに似た感覚にうつらうつらとなっているようだった。

 本物の赤子とは比較にならない位、小さな光。それでも確かに萌黄には夢にまで想った我が子が、よちよちと自分に向かってちょっとずつ進んできているように見えた。泣き崩れるかと思った萌黄は、意外にはしっかりと背を伸ばした。


「話を戻しますわね。わたくしは、サンシシに対して違った見解を持っていたのかもしれませんわ」

「見解って?」

「恨むより理解してしまう自分が忌々しいとは理解しているのです。それでも、わたくしは聞いて欲しい」

「もちろんだよ!」


 萌黄の真摯な眼差しに誰よりも早く応えたのは蒼だった。頬を紅潮させて両手を広げる蒼は、喜びの色が濃い。

 もちろん、単純に頼られて嬉しいという感情ではない。萌黄が聞いて欲しいと言ったのが嬉しいからだ。


「萌黄さん、大丈夫! 今更この場で萌黄さんの考えを言い訳だなんて笑う人なんていないもの。少なくとも、私は萌黄さんの話をちゃんと聞きたい」


 蒼は萌黄の両手に手を添える。光を包む手を、さらに暖めるように。曇りのない真っすぐな牡丹色の目が萌黄を映す。

 萌黄はすでにわかっている。蒼の優しさを。


「もちろん、オレもちゃんと聞きます。蒼みたいに馬鹿正直に受け止められるかは別ですけど

「もう! 紅の方が馬鹿正直って発言だと思うけどな!」

「蒼みたいなのが二人もいたら熱量が煩いだろ」

「煩いは、まぁ、納得いかないけど良いよ。今の私にとって、最優先は萌黄さんだから」

「心葉堂の人間としては国を最優先にしろって苦言を呈したいが、幸いこの場には国を優先する人間ばかりだから、まぁ、良いのかな」


 蒼の両肩に手を置いた紅も、蒼と同じ牡丹色の視線を真摯に向ける。


「紅ってば、まぁまぁ言いすぎ。水婆が聞いたら、井戸端会議の奥様みたいねって言われそうだよね」

「蒼、ちょっと黙ってろ」

「ひどいなぁー。ねぇ、萌黄さん。井戸端はともかく、萌黄さんの話を教えてくれる?」


 記憶を取り戻す前の萌黄は、蒼のこの目にどうしてか嫌悪を抱いていた。

 理由は単純な思考からだ。蒼という存在は紅に守られているから能天気に笑っていられる、周囲に愛されているから大好きな茶葉を一番に考えていられる。本当の孤独も知らず、理不尽な憎悪を受けたこともないお気楽な少女だと思っていたから。


(いくらサンシシの面影を追って紅さんに盲目だったとはいえ、恥ずかしい。なのに、恥ずかしいと思える自分が嬉しくもあるのです。蒼さんが一番大切にしているのが『人』だからこそ、彼女は愛される。信頼しているから、信頼される。そして、なにより、天真爛漫なんてわたくしの幻想でしたわ)


 自分たちを交互に視た後、黙りこくってしまった萌黄に戸惑う心葉兄妹。

 蒼が萌黄の頬に手を伸ばそうとするのとほぼ同時、萌黄の指がゆっくりと蒼の目に近づいていく。


「蒼ちゃん――!」


 警戒した翡翠双子を制したのは紺樹だった。彼にしては珍しく小さく微笑んで、「大丈夫ですよ」と、二人の前に伸ばした腕を下ろした。


「蒼さんは、この世界が大好きなのですね。いえ、大好きな人がいる世界が。そして、そこで一生懸命に生きる強さがある」


 蒼の目元を撫でた萌黄は、自分でも予想外の言葉を発していた。

 萌黄が本当に口にしようとしていたのは、人を愛するということを知っているとか失う辛さも知っているのだという、ありきたりの言葉だったのだ。


「私が萌黄さんの言う通りだとしたら、萌黄さんも私と一緒だよね?」

「わたくしが、蒼さんと、一緒? いいえ。わたくしと蒼さんが同じであるはずなど……」

「だって、大好きな人がいる世界が大切で生きぬきたいって願ったから、何度絶望しても取り戻すために頑張ったんでしょ? 今だってボロボロなのに、サンシシさんを止めるために本当なら話したくない内容を端折らないで私たちに教えてくれてる。私は、貴女が一生懸命に生きてるって思うよ」


 蒼の言葉に、萌黄は心の中で舌を打った。蒼にではない。自分に対してだ。


 頑張った。一生懸命に生きている。


 原型の萌黄の記憶でも、アゥマの原型である己でも、そんな言葉をかけられた経験あっただろうか。萌黄は蒼の言葉を反芻する。何度繰り返しても思い当たらない。自分さえも。

 だから、萌黄は苦しかった。当たり前のように口にする目の前の少女が、やはり憎くて堪らなく愛おしかった。


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