第8話① 客の熱気と異常な品揃え
華憐堂の重厚な扉を押すと、その奥に広がっていたのは大きな空間だった。
所狭しと、並べられた品々。どこから見て回ろうかと心躍るほどの品揃えだ。二度目の浄練を要さない既製品とはいえ、もしかしたら、この街の茶葉店全部のものを集めたに、等しい数かもしれない。
「ねぇ、ちょっと。あの一角も見たくない?」
「なにあれ、めっちゃ可愛い箱じゃん! ちょうどあぁいうの欲しかったんだよねぇ」
実際、女性客たちは案内板の前で足をとめたり、店内で声を弾ませたりして、どこから見て回ろうかと相談しあっている。
蒼は、すぐ傍に陳列されている花茶の瓶を手に取った。
「すごい……これだけの茶葉を浄錬して、なおかつ管理できるなんて」
どの食物も浄化が必要なのは同じだが、茶葉は特に小さな葉一枚一枚を丁寧に浄化する必要がある。そして、それを一瓶ごとに保管し管理する手間もかかる商品だ。さらに一枚でも浄化が足りなければ、あっという間に他の葉にも悪影響が出てしまう。
かなり繊細な商品な上、丹茶のように薬とまではいかなくとも、かなり心身への効果が高いのが茶葉だ。故に、店自体が少ない。それは浄化の意味が薄れてきた現代でも変らない。
「私も驚きました。まさかこれ程とは。守霊の力量と茶師の精神力、計り知れませんね」
「ほんとだね。茶葉を入れておく木箱や瓶も、普通茶師がアゥマを使って練成するものだけど」
蒼は紺樹に同意を示しながら、手に持つ瓶を見つめる。瓶の中にはひとつだけ花が入れられており、まるで蜜に閉じ込められたような輝きを纏っている。瓶自体も色彩豊かなものばかりだ。
色んな角度から瓶を眺める蒼の言葉を、誇らしげに萌黄が次いだ。
「もちろん、拙宅の茶師が全て浄錬しておりますわ。わたくしの父は本当にすごいのです」
萌黄がうっとりとした声を出す。
どこか遠くを見ている様子に、蒼は既視感を抱いた。今の萌黄の姿はどこか、しかも近しい人が見せた空気とひどく似ていると思ったのだ。確かあれはーー。
「しかし、量産すると言っても、ひとつの溜まりに守霊は一人。いやはや。わが国にはない技術を使われているのでしょうか」
蒼が思い出す寸前、紺樹の含みのある声が思考の膜を破った。
いけないと、蒼は頭を振るう。紅からもよく注意されるが、蒼は根っからの職人気質で、一度考え始めると所構わず思考や作業の海にどっぷりと浸かる傾向があるのだ。
「それは、秘密ですわ」
萌黄は満足げに店内を見渡した。優雅な仕草で近くの品を手に取ると、熱っぽい微笑みを浮かべた。
萌黄の返答は、極当然の言葉なのだろう。
この街にも寄り合いがあるとはいえ、各家に伝統の秘技がある。また、職人の力量や発想によっても特徴は異なってくるし、それが売りとなる。
心葉堂にしても、他店よりも丹茶を多く扱っている。それに、通常は必要とされない商品にも、個人に合わせた商品に調整し直す浄練を行なっている。この浄練は心葉堂以外、行なっている店自体ほとんど無い。
ただ。ただ、この有り品揃えと客の熱狂具合は……。
蒼が固まってしまっていると、萌黄が覗き込んできた。
「蒼さん、どうぞこちらへいらして?」
「あっ、はい! 紺君、こっちだって」
萌黄の後ろをついて、店の端にかけられている薄紫色の絹布をくぐる。
すると、個室にはすでに円卓の上に茶器が用意されていた。丸い格子の窓がひとつだけある、数人はいるのがやっとという簡素な部屋作りだ。窓からは心地よい風と緑の香りが舞い込んでくる。
「どうぞ、おかけになってくださいまし」
部屋の中には、円卓の他に、壷型の博古櫃が置かれ、茶器や八角箱などが上品に飾られている。
勧められるがまま、蒼と紺樹は椅子に腰掛けた。
「蒼、どうしました?」
「んっ。なんかここ、落ち着かないの。個室なのに、ううん、個室である《《はず》》なのに、変な視線を感じるっていうか、空気を感じるっていうか。きっと立地と窓のせいだね」
蒼は違和感の理由を、視線斜め横の大きな丸窓のせいだと結論づける。
心葉堂にも二・三席ほどの茶房がある。が、そこはあくまでも大雨で店先の藤棚や桜下にいられない時や、外国からの来訪者から要望があった際に使う場所だ。というのも、すぐに茶を堪能したい勢は携帯用茶器を持って来店し、そのあたりで茶会をするからだ。心葉堂の店先にはそれができるだけの場所がある。
「華憐堂はサロンのように『特別をみせる』場所ですからね。安らぎを提供する心葉堂とは違います」
「『特別』? うんと、サロンてことはーーほわっ! つまりは、ここで飲んでいる自分は特別だって見せつけているってこと!? そんなの心葉堂の人間としてはまずいじゃん!」
蒼が奇声をあげて椅子を鳴らす。
「蒼、落ち着いて。ほら、こうして硝子に触れば曇ります」
紺樹が通りに面した硝子窓に指をちょんとくっつける。すると言葉通り、先ほどよりは外側が見えにくくなった。
「そっそういう問題かなぁ……」
紺樹が考えなしに蒼をこの場に座らせたとは考えにくいが、ここに蒼がいる現実とは別次元の問題だ。
蒼が入り口に向き直ると、店内とは反対側の通路から侍女が2人、茶器を乗せた盆を手に部屋へと入ってきた。その流れで蒼は腰を落とす羽目になってしまった。
簾が敷かれた盆の上には、茶則と水孟、煮水器、それに細身の硝子杯がある。
顔を伏せたままの侍女たちが手際よく整えていくが、彼女たちが硝子杯に湯を淹れたところで、萌黄は軽く袖をあげ行動を制した。
「あなたたち、もうよろしくてよ」
と出された声は、やけに平淡だった。
萌黄は、侍女たちが絹布の向こう側へ消えたのを確認できるまで、茶瓶には手をかけず、背を正したまま動かずにいた。街中で翁たちといた時とは正反対。毅然としている。
「本日は黄茶を用意させて頂きましたの」
侍女たちがくぐった薄紅色の絹が波をたて地に触れると、萌黄の雰囲気が再び柔らかいものへと戻った。ほんのわずかだが上がっていた肩が、すとんと落ちた気がした。
「明日から店頭に並べようと思っている品ですわ。蒼さんと紺樹さんには一足お先に」
「まさか、黄茶もあれだけの量を?」
「えぇ。他の茶葉とは違って、花茶と同じく、量は限られますけれど。それなりには」
硝子杯が温まったのか。その湯を水盃に捨てながら、軽く頷く萌黄。膝の上におかれた蒼の手が、きつく握られた。
(そういえば、花茶自体の綺麗さに目を奪われていたけど。確かに、棚の下からも在庫を取り出していた)
空になった硝子杯には、茶葉の量を量る長細い茶則から茶葉が移され、再び湯が注がれた。最初は少しずつ、茶葉が浸り軽くなじむと、今度は一気に湯が注がれる。
「少しねかせましょう」
萌黄の椅子がひかれた音で我に返る蒼。心持ち、視線が彷徨ってしまった。