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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第115話 最後の願い2―弱い心―

 反魂(はんこん)の術。それは本来、死する直前の姿で蘇る術である。

 萌黄は穏やかな口調で語った。

 どんなに肉体的損傷があっても、死後ついた傷であればアゥマが修復してくれるという。

 蒼たちには眉唾な話にも聞こえるものの、元アゥマだった存在が断言するのだから信じるしかない。


 サンシシの誤算は、術式の失敗により萌黄は幼児化していたこと。萌黄は記憶ごと幼くなり、ただただ溜まりに尻を浸けて泣くことしかできなかった。

 そこを、超常現象を確かめに来た湯庵(ゆあん)の妻に拾われたのだ。湯庵夫婦は子を成せなかった。湯庵の妻は純粋に子を欲していた。

 一方で、湯庵は考えた。生後数か月の子が溜まりに浸かっていても平気で泣いている。きっと優れたアゥマ使いになり、赤子は自分が一族の長を継ぐのに役立つと。確かに、今のアゥマ自体が入り込む前の萌黄は、始まりの一族らしくアゥマを繰った。湯庵の望むほど飛びぬけた才は芽吹かなかったけれど。

 しかしながら、情はうつるもの。湯庵も、彼なりに萌黄を慈しんだ。それは決して、一般的に愛を注いでいるとは言えなくとも。彼自身が両親や親代わりからの無償の愛を知らなかったのだからしょうがないとも言えよう。


***


「それでも、萌黄は幸せでした。親がいて、母親の死後も自分をめいっぱい愛してくれる夫がいると思っていたのですもの。そして――」


 今の萌黄は腹を何度も摩る。何も宿っていないソコを、何度も何度も。

 言葉なんていらなかった。居合わせる人間の立場は様々でも、命を慈しむことを知る者たちだ。彼女のひどく柔らかな手つきで、すべてが伝わった。


「わたくしはどうすればよかったのかと、今でも思います。サンシシにとって、腹の子さえも『萌黄』を取り戻すための贄だと知った、あの時。虫の息で術を受けた萌黄は絶望に打ち震えました。萌黄になるべくして近くにいたアゥマであったわたくしも同じように感じていたのです、だって、サンシシは萌黄がことキレる寸前を望んで、術を発動したのですから」


 萌黄はサンシシには純粋に愛されていると思っていた。事実を知るきっかけとなった行動は、そんな関係に疑問を持ったわけではなかった。だからこそ、萌黄は思うのだ。萌黄の行動が違えば、腹の子と笑って穏やかな死を迎える未来もあったのだと。


「最初は単なる好奇心だったのです。腹の子が大きくなるにつれ、夫は喜びを深めていきました。わたくしはサンシシがひたすら腹の子を愛してくれるゆえの感情だと信じて疑いもしませんでした」

「実際、そうやったんとちゃうか?」


 あっけらかんと発した陰翡(いんひ)の横腹に、やはり陽翠(ようすい)の肘が埋まる。鋭角な角度で。

 萌黄はほろりと笑った。今までで一番儚い笑み。


「もちろん、それはあったと思いますわ。だからこそ、二人とも壊れたんです」


 萌黄が肺を絞り切るように溜息をついた。


「萌黄は、以前からサンシシの行動を怪しんでいた父親――湯庵に唆されて、サンシシの酒に自白剤を混ぜたのです。子が臨月になるまで、サンシシは自制心が強く酒を好まなかった。そこにつけいったのですわ」


 アゥマが成り代わっている今の萌黄は、眉尻を下げて「あの子を責めないであげてください」と零した。陰翡と陽翠が引いたのが伝わったのだろう。

 それはそうだ。いくら疑念があろうとも、信頼関係にある相手を酔わせるのはともかく、薬を使って自白させるなど常人では思いつかない手段だ。

 部下の様子を察した長官は


「ありえる世界ですし、疑われる方にも非があるのですよー」


と軽く笑い飛ばした。軽い片目瞑り(ウインク)付きで。


「それでなくとも、サンシシは葛藤で壊れ始めていました。過去を追い求め求めながらも、今を幸福と感じてしまう己に嫌悪する。彼はそういう人ですもの」

「外の変化には禁術を使役までして貪欲になるのに、自分が望んで選択した現実を受け止められない。なんて心が脆い人だ。すべては自分が原因にも関わらず」


 紺樹(こじゅ)が小さく吐き捨てた。振り返った面々が見た紺樹は、珍しく目つきも荒んで素を現しているどころか別人のようだった。

 大体の者は紺樹が溺愛する蒼がここまでさせられた諸悪の根源だから、と考えただろう。

 萌黄も今に至っても愛している相手を罵られても、不思議と嫌悪を抱かなかった。


(言い返す気にならないのは、事実だからではありませんわね。紺樹様が、まるでご本人がそうだと知らしめるために音にしたように思えてしまう。いえ、わかってしまいますの)


 萌黄は紺樹に向かって小さく頭を振った。ふわりと萌黄色の髪が優しく舞う。これまでとは異なる母性がにじみ出ている萌黄の雰囲気に、一同が釘付けになる。

 萌黄の目の温度を受けて、人知れず紺樹は気まずそうに頭を掻くしかなかった。萌黄がどちらも否定したように思えたからに違いない。


「あの人が今の萌黄ではない他の人格を望んでいた事実に、彼女もわたくしも打ちのめされました。腹の子さえ『再現と贄』でしかないと、萌黄は溜まりのアゥマと同化する前に思ってしまいましたの」


 なら、いい。それでもいい。再現でいい。自分はそれを演じ続ける。けれど、子どもだけはその縁から外してあげたい、とも願ったのだ。

 同時に、方便だという自覚がある。本来の萌黄にも、体を乗っ取ったアゥマにも。


「わたくしたちは『女』として生きる道を選んだのです。腹の子は、せめて至上の存在であるアゥマになれと言い訳をして、切り離したのですわ」


 萌黄が膝から崩れ落ちた。ただ、表情はしっかりとしている。心ではなく物理的に体の方がついてこなくなっているのだろう。肉体の崩壊が始まっているのだ。

 手を差し伸べかけた紅を制した萌黄は、蒼白を通り越して死人――土気色だ。であっても、瞳はこれまでに見て事がないくらい、光を宿している。


「わたくしたちの人生から、あの子を切り離したのです。欠片と雖も、あんな寂しい場所に置き去りにした。わたくし自身が、巻き込まれた方がよっぽど良いと思えるにも関わらず」


 萌黄は泣かない。しっかりとした瞳でサンシシの背を見つめる。


「それを今更、サンシシの暴走を止める道具として利用するなんて……それが母親、いえ偽母として後悔するばかりです」

「道具、ですか? まさか竜胆(りんどう)様を示しているわけでは……」

「陽翠様。ただ、反射的に口にしていただけですの。わたくしの始まりの地である偽溜まりにいたというアゥマが、あまりに懐かしく感じて」


 生真面目な陽翠は、息荒く答える萌黄を前にかぁっと頬に熱を持った。陽翠は人の感情に疎い面がある。ソレが強みな一方、劣等感にもなるのだ。

 唇を噛んだ陽翠。喉が詰まって葛藤があいまって、言葉が引っ込んでいく。丸まる背中を叩いたのは紅と陰翡だった。

 陽翠は俯きかけた顔をあげて、しっかりと口を開く。


「私は直観的に物事を口にするのは好きません。けれど、貴女の様子と感情を持ったような光の動きから推測するに、何らかの関係性を推測してしまうのです」


 ほぉっと顎を撫でたのは長官だけではなかった。その現実に、陽翠はさらに居たたまれなくなってしまう。

 一方、萌黄は眉を下げて笑う。


「本当にあの子の欠片だとしても、母と自称することも許してくれないはずでもの」

「そんなことないと思うよ?」


 蒼のきょとんとした呟きに、一同の視線が彼女に集まった。

 少しばかりたじろいだ蒼だが、確信を得たような眼差しは変わらない。


「黒龍先生やおじいには聞こえているかもだけど」

「ん?」


 蒼の言葉に疑問の声を重ねたのは、他のだれでもなく当事者の白龍(はくろん)黒龍(こくりゅう)だった。

 思わぬ反応に、蒼は「えっ⁉」と大きな声をあげた。

 地下空間中に響いた叫びを背中で受けた麒淵(きえん)が呆れることはない。両掌を元竜胆に向けたまま、苦悶の表情を浮かべる。


(これが溜まりを渡った影響のひとつ、ときたか。一時的なものか、はたまた永続的な能力となるか……)


 当然、麒淵の心内など知らない蒼は挙動不審に自分の耳を抓ったり、目を閉じて耳を澄ましたりする。

 察しの付いた黒龍に白龍、それに紺樹は顔を曇らせた。


「あっあれ? 私の幻聴? いやいや、そうだよね。聞こえてるよ。うん、大丈夫」

「おい、蒼。なに一人で納得してるんだよ。今はお前の喜劇に付き合ってる時間はないんだぞ?」

「紅ってば失礼だな。ちゃんと会話してるの!」


 蒼の抗議に、紅を始め状況を理解できていない者はさらに眉をひそめるばかりだ。


「いや、蒼ちゃん。完全に独りごとやで?」


 背を丸めた陰翡が顔と手を左右に振ると、蒼はむっと眉尻をあげてむくれた。

 そして、何を思ったのか萌黄に向き直り手招きをする。突然の行動に萌黄が目を瞬かせている間に動いたのは、萌黄に擦り寄っていた光だった。ふよふよ――いや、よちよちという様子で蒼に向かって飛んでいく。


「ほら。この子としゃべってるんだよ」


 光を両手で受け止めた蒼は、しれっと口にした。

 一同の体がぴしりと固まる。静寂が空間を支配しても、蒼は気にすることもなく光に向かってうんうんと頷いている。


「はぁぁ⁉」


 先ほどの年配組の疑問よりさらに音が重なりあった雄叫びに、さすがの蒼もびくりと肩をあげた。加えると仄かな光もぴょーんと勢いよく飛び上がった。蒼はソレを見て、まるでびっくりした猫みたいだと呑気に考える。

 冷静な蒼を余所に紅と陰翡双子は慌てて蒼を取り囲む。


「いくらなんでも比喩ですよね? 貴女のアゥマ共鳴力が高いとはいえ、本当にアゥマと会話できる人間など聞いたことがありません!」

「せやっ! 蒼ちゃん、疲れてるんやな。わかるで。こんな時は糖分取るんやでと言いたいけどな、飴もないわ!」

「蒼。いくらお前がアゥマ馬鹿で共鳴力が高くても、さすがに会話はないだろ。いつものように、共鳴して――」


 紅は言葉を切った。数秒考えこんだ後、すさまじい勢いで紺樹の襟元を掴み上げた。


「あんたっ!! まさかここまで計算してたのか⁉ だから蒼に溜まりを渡らせたのか⁉」


 驚いたのは紺樹ではなく、蒼や翡翠兄弟だ。白龍や黒龍でさえ、日ごろ穏やかな紅が初めて見せる殺意にも近い剣幕に開いた口が塞がらない。

 身長差があるとはいえ、紅とて正式な訓練を受けた人間だ。その両手は確実に紺樹の喉を締める。それでも紺樹は抵抗しない。受け入れる事実はさらに紅を苛立たせる。


「何とか言えよ、紺兄!!」


 紺樹は頬を強張らせた。わずかに寄った眉間の皺以外の反応は見せない。

 だから紅はかっとなって紺樹を投げ飛ばした。


「じゃあ、魔道府次席副長って呼べば答えるのか⁉」



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