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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第113話 願いの果て6―幸せの絶頂―

 萌黄が仄かな光を両手で包み込むと、とても小さな光は細い指に擦り寄るかのように揺らめいた。赤子が親に頬をくっつける姿を彷彿とさせる。

 萌黄はくすぐったく感じるぬくもりを受けて、まつげを震わせる。強く抱きしめたいけれど、叶わない存在だと理解しているから触れるのを怖がっている。そんな手つきで撫でる。


「萌黄さん、ねぇ萌黄さん」


 蒼はもどかしくて、つい呼び掛けてしまった。潤む視界が自分のために思えて、蒼は強く拭った。ごしごしと何度も雫を拭うのに、勝手に溢れてくる。

 萌黄は仕方ないと目を細める。

 その眼差しを、蒼は良く知っている。萌黄の仕草も眼差しも、全部。


「萌黄さんは」


 掠れた蒼の声が響く。誰も止めないから、萌黄は狡いと思った。ここにいる大人が。


「その子のお母さん、なんだね」


 こんな純朴な子どもに言わせる大人たちを、萌黄は睨む。それさえも計算のうちなのだと理解していても、萌黄の心はかつてないほど正直な表情を作った。

 その結果、萌黄は泣き笑いを浮かべていた。文句もあったのに、蒼の問いに素直に応えたいとも思ったから。蒼は萌黄の予想通り大粒の雫を流しながら、きゅっと口を結んだ。結んで両手から血を流して肩を大きく上下させていた。


「おじいと黒龍先生はあの子を迎えに行っていたの?」


 蒼の問いに白龍は口の端を上げた。ただ片眉の尻が垂れているので、応えに迷っているようだ。蒼は言葉の裏を催促することはない。

 白龍はさらに困ってしまった。


(まったく。しばらく離れておる間に顔つきが変わったもんじゃ)


 少々複雑になっている祖父はくろん叔父こくりゅうは顔を見合わせた。


「正直に話せば、偽溜まりの裏取りの副産物じゃがな。仔細はすべて終わった後に話すが、アゥマとしても消失寸前だったところ『時欠け』の能力を発動させた際に影響を受けて持ち直したようじゃ」

「どんなに置いていこうとしても必死についてくるものだから、俺の能力を使って解析したところ……といった具合だ」


 蒼の疑問に答えた白龍と黒龍は肩を竦めた。

 けれど蒼の疑問はさらに深まってしまった。事の詳細ではなく、『時欠け』という呼称だ。白龍はさらりと口にしたが、蒼の記憶の中に思い当たる情報はない。

 蒼の代わりに紅が「おじい」と呼び掛けた。


「しれっと『時欠け』なんて能力を口にしたけどさ、オレも蒼も初耳だ」

「まぁ、そうじゃろうな。本来は心葉堂の当主のみが扱える、術師にとって欠けた時を遡れる能力じゃからな。己が立ち会っていない時間を覗き見る力だ。そう、()()は世代を超えて同時継承はありえぬ力」

「……また意味深な言い方するなぁ。そして、こんな場所でしれっと大公開しないで欲しい能力だろ」


 紅は呆れ笑いを零すが、それが傷にさわったようで「いてっ」とわき腹を抑えた。

 一瞬呆けた蒼がすぐさま回復魔道を発動して、紅と自身の傷を癒す。先ほど紺樹が空から降りてきた際に回復魔道を使役していたが、それでは治りきらなかったのだろう。

 癒しながら、蒼には『時欠け』の力が現実的に実感できた機会があったのを思い出していた。


真赭まそほの古書店の蛍雪堂けいせつどう地下で原始のアゥマに触れた時、私は視た。お母さんとお父さん、それに他の溜まりの守護者たちが集まって死に直面する場面を……。もしかしてあれが『時欠け』の力?)


 そこまで考えて、蒼は心の中で頭を振った。

 白龍は当主のみが使役可能な術だと断言した。現に白龍はソレを使って亡国で調査を行い、あの光を持ってかえってきた。蒼に継承されているはずがないのだ、と。


(私の考え過ぎだ。あれはきっと、原始のアゥマが私の中にある心葉の血に反応したから、視えただけ)


 蒼は自分に感じたわずかな違和感を払拭するように、掌に意識を集中する。溜まりの脈を渡ってきて能力が底上げされている影響もあってか、割と深かった紅の傷はあっという間に治癒した。

 蒼の傷に関しては「人のことばかりですね」とごちった紺樹が回復してくれた。ただ、その際に紺樹は蒼をふわりと抱き込むように術をかけたので、紅に横腹を殴られたのだが。


「ここに口外できる者はおらんからのう」


 白龍の言葉の裏。考えるまでもない。立場と寿命。その両方から『出来ない』と明言した。

 その後者の意味を察した者たちは白龍を諫めた。


「ふふっ。良いのです。みなさまには申し訳ないですが、わたくしはもう満足なのです。満たされてしまったのです。自分を取り戻して、この子に会えた」


 溜息交じりに笑った萌黄。仄かな光は彼女の肩に移動する。その光を見守る萌黄の目はやはりあたたかい。落ちた時のために少しばかり下で添えられた右手は衰弱しきって骨ばかりになっているにも関わらず、母親特有の柔らかさ――ぬくもりが溢れている。

 翡翠双子の責めをおさえる瞳に、萌黄はほろりと笑みを零す。


「無責任だと責められることを承知で申し上げました。もうここまで勝手に生きたのであれば、死ぬのも勝手にできると腹を括ってしまったのです」

「随分と、本当にかなり勝手な言い分ですね」

「はい。けれど、責任はとりますわ」


 陽翠の睨みを受け止め、萌黄が前を見据える。


「あの人が術を完成させるまで、どうかあと少し昔話に付き合ってくださいましな」

「いや、完成したらあかんやろっ! まさかの萌黄さんからの突っ込み誘い受けかいなー!」


 誰もいない場所に裏手突っ込みを入れた陰翡。蒼や紅、それに陽翠も同じ気持ちだった。けれど、言葉に出さなかったのは長官たちが即座に動かなかったからだ。

 ゴーレムの鳴き声に混じった突っ込みに誰も反応しないものだから、さすがの陰翡も固まって動けなくなってしまった。


「いっいや、今のは、ちゃんと萌黄さんに総突っ込みがなかったは理解しとるんけど、反射というか」


 神妙な空気が一気に崩れていく。追加で陰翡の「えっ、はい、なんぞ、すんまへん」という謝罪をきっかけに、周囲から笑いが漏れていく。当の本人はでかい図体を硬直させているが。

 声をあげて笑ったのは蒼と長官。口を押えて肩を震わせているのは紅と陽翠。眉間に険山を作って頭を抱えたのは黒龍。その発想があったかと指を鳴らしたのが白龍だ。


「それで、いいのですよ。陰翡。それがわたしのやり方なのですよ」

「命を見送るにはやはり賑やかなのがよい。それに、わしらは待つ必要があるのだよ。術の完成を」


 長官と白龍の言葉に頷いたのは萌黄だった。

 白龍の言葉に若者たちは首を傾げたものの、誰しも理由があると判断し肩の力を抜いた。


***


萌黄は再び語り始めた。


 サンシシがもたらした、偽の溜まりのおかげで繁栄した萌黄たち旅の一行。萌黄の一族は小規模族から国の支配者へと化けた。国の中央に住まい、深い眠りにつく場所を得て、飢える瞬間を忘れ、毎日安堵だけが満ちる世界を生きた。

 萌黄や湯庵にとっての大きな変化として、サンシシが王となり萌黄の夫となったことにより、一族内であからさまに虐げられることがなくなったことだった。

 むろん、突然発展した国として諸外国からは下に見られることはあっても、偽溜まりがもたらすアゥマの生産力と財力で黙らせた。


「わたくしは知らなかったのです。知ろうともしなかったのです。生まれて初めて純粋に愛されたと思えた喜びに浮かれ、得た安寧に甘えていたのです」


 中央の幸福が国民という名の奴隷たちの生命力を犠牲にしているなんて、体が弱く外に出る機会もなかった。いや、守られていた――知ろうともしなかった萌黄は安寧の地を得たのだと幸せに浸っていたのだ。

 そして、萌黄はサンシシの子を身ごもった。


「最初はあの人がわたくしを愛した結晶が身に宿ったという事実だけが嬉しかったのです。これで、あの人がわたくしから離れていく理由が減った、と思ってしまったのです」


 萌黄は、今は何も宿らない腹をゆっくり撫でる。平なのに、それでも慈身を込めて触れる。

 蒼と紅の視線に気が付いた萌黄は、紅にくしゃりと笑った。


「それでも、確かにわたくしの中で育っていく子が愛しくて、やがてはこの子のためになら何でもできると思うようになっておりました。母とはそんなものです。十月も己の体の中で異物である命を育むのですもの。葛藤があってもなくても、愛憎どちらかの想いは抱くものです。わたくしは、葛藤の結果、この子を愛した」


 思えば、このときは萌黄の幸せの絶頂だったのかもしれない。


「わたくしは、これからは幸せになると思い込んでおりました。だから、周囲の変化に気が付けなかったのです」


 中央は豊かだが、以前はなかった壁が作られるようになった。それまでは比較的自由に歩けていた萌黄も妊娠を理由に行動範囲を制限されるようになっていった。元々行動範囲は広くなかったが、宮中の外へ出るにも申請が必要になったのだ。何度か興味本位で壁をこえる申請を出したが、一度も許可されることはなかった。


 そして、萌黄は臨月になるころに地下深い溜まりに呼び出された。大きなお腹を抱えて、萌黄は溜まりに降りた。

 目の前には美し光景が広がっていた。アゥマ使いの能力を継承しなかったがゆえにほとんど感じなかったアゥマたちを感じて、萌黄は歓喜に満ちた。これも腹の子のおかげだと舞い上がった。


 そして。今、萌黄になりつつある彼女も、初めて萌黄と目線があって喜びに踊ったという。




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