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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第112話 願いの果て5―自分の人生に胸をはって、業を背負って散れ―

「蒼さんは容易に想像できるのでしょうね。家族から与えられる熱や感情を。いいえ、それどころではなく、ありとあらゆる愛をその身に受けてきたのでしょう」


 蒼は口をきつく結ぶことしかできない。事実だからだ。蒼は色んな愛を知っている。

 嫉妬も憎悪も、ソレこそ殺意さえ受けても来たが、それにしたって愛されてきた記憶の方がはるかに強い。だからこそ、中心である両親を失って負った傷は大きかった。

 萌黄は見透かしように微笑んだ。


「紅さんも紺樹さんも、そんな無償の愛を溢れるほど与えられた蒼さんに愛されている。それだけじゃない。皆さま、どんなに辛い目にあっても、しっかりと地に足をつけて生きていける支えがあるのですね」


 蒼と紅は、特殊な環境にいるがゆえに感じた痛みがあるのも本当だが、悲しみに沈むことなく、今ここに立っていられるのは愛情をたっぷりと受けてきたからに違いない。


 蒼がどんなに暴走した時も両親が表に出て釈明してくれた。

 紅がどんなに自分の殻に閉じこもっても、紅だからと信じてくれた。

 紺樹は自分の存在意義に打ちのめされた時に、蒼と白龍たち心葉堂の人間が良い子じゃない自分を、両手を広げて受け入れてくれた。蒼などは優しく体当たりしてきた。


「なんの利害関係もしがらみもなく、信頼し合い、愛し合っている」


 萌黄が落とした苦々しい響きに「まてっ!」という反論の声をあげたのは黒龍だ。


「ちょっと待て。そこに俺を入れるな。俺は部外者だ」


 黒龍は正直複雑だった。妹の桃香が白龍と結ばれて現世に出たことが。

 たった一人の妹が桃源郷から出た事実に対してではない。桃香は桃源郷で生きれば数百年の寿命を持つ身だった。それなのに、外界の平均寿命よりもさらに短く聖樹の元に旅立つと知りながら、白龍と手を取って人の世に降りた。いくら始まりの一族の中では前衛的な思想を持つ黒龍でも、葛藤せざるを得なかった。桃香を愛する白龍が、愛する人の未来を奪ってまでも己の傍に置くことが理解できなかった。


「はぁ。もう、じじいが面倒だと思う位じゃ。お前は心底七面倒くさいのぅ。いい加減にせい」


 肩を竦めた白龍によって空気が一気に緩む。

 黒龍だけが眉間にとんでもない山を作った後、「ばっ! まさか!」と白龍に手を伸ばした。黒龍の両手が白龍の襟を持ち上げるが、彼はものともせず笑った。


「いい加減、甥っ子と姪っ子のおかげで丸くなったことを認めよ。部外者なものか。バリバリ、ややこしい身内じゃろうに」

「白っ! それは! お前が死ぬまでは秘密だと約束を交わしただろうにっ!」

「えぇー、わしってば年のせいか記憶が曖昧じゃなぁー。っていうか、頷いた覚えないしのぅ。黒ってば、語るに落ちちゃってるしー」


 白龍は胸元を掴み上げられたまま、てへぺろと舌を出した。老人なのにさまになっているのが、殊更に黒龍の神経を逆撫でる。


「お前っ! ふざけるのは己の存在だけにしろっ! 人を巻き込むな!」

「ほらほら、黒龍。愛しの姪っ子と甥っ子の反応を見てみるのじゃ」


 白龍の笑いに黒龍の体が固まる。そして、たっぷり時間をかけて、黒龍が我に返りゆっくりと振り返る。彼の視線の先には絶句している蒼と紅がいた。大量に汗を流す黒龍。

 呆然としている蒼を横に、先に我に返った紅が後頭部を摩りながらぺこりと頭を下げた。


「あっ、えっと。おじさんでしたか。今まで他人行儀ですみませんでした」

「いやいやいやっ! 紅、待ってみようかっ! お前のおじさんが桃源郷の次期長なんやで! わいはこの情報量をどう処理したらえぇのか!」


 陰翡が大声を共に紅の肩に裏手を決めた。洞窟の中で反響する声。

 固まった空気を壊したのは紅だった。「はぁ?」と眉をしかめて陰翡の手をのけた。


「いや。黒龍さんがおじさんだったのかとオレが驚くのと、陰翡の情報処理は関係ないだろ。加えると、オレだって十分驚いている」

「せやな。紅はむかしっからそーいう冷静なとこあるわ。ほんま、そーいうとこやねん!」

「さすがは紅と陰翡なのですよ。この状況で平常運転できるなんて将来が楽しみなのです」


 破天荒な魔道府長官さえ、瞼を落として呆れられる紅と陰翡。もちろん、彼女は裏事情を知っている側の人間なのだが、溜まり近くでサンシシを抑えている麒淵の恨めし気な視線に肩を竦めるしかない。


(麒淵を信頼しているがゆえになのでしょうけど、さすがにここまで緊張感が緩んでしまうのは同情してしまうのですね)


 一方、一番はしゃぎそうな蒼は黒龍をじっと見つめて動かない。それもそうだろう。蒼は昔から黒龍に懐いていた。桃源郷に修行に出ていた一年半あまりは親代わりにもなっていたのだ。わかりにくいが、確かに愛情を感じてきた。その人物がまさかおじだったとは、感激と衝撃がお祭り騒ぎで感情を捌ききれないのだ。


「あはっ、あははっ! どうして、あなた方は重い空気にさせてくれないのでしょうね。きっと、わたくしたちが完全に壊れる前にクコ皇国に辿り着いたのは運命だったのでしょう。あなたたちに壊して欲しかったのかもしれませんわ」


 弾けた笑い声に、今度こそ全員が一瞬固まった。何人かはすぐさま静かに構えを立て直したが、若い者たちは口を開けて呆けている。

 腹を抱えたのは萌黄だ。物静かだった彼女が屈託なく笑っている。純粋に楽しんでいると思える笑い声だった。無垢な少女のように笑いを転がしている。


「だからこそ、我々は君に手を伸ばせるのだよ。今、ここに我々という存在が集まったのは必然であり偶然でもあると、わしは思うのだよ」


 白龍の言葉に舌を打ったのは黒龍だ。白龍はまっていたと言わんばかりに、悪戯な笑みを浮かべる。

 黒龍としては白龍の誘導に乗せられるのが腹立たしくて、少しばかり心地よいのだ。自分に仕向けてくる存在がいることに安堵して、殊更悔しさが増す。人という定義に当てはめるには相応しくない存在である白龍は、こうして人の血から遠い黒龍に自覚を促す……甘える。


「嘘をつけ。白は運命などという曖昧な言葉に身を委ねる器ではなかろうっ。必然だとか偶然だとか、そんなことは聖樹でさえ判断がつかぬ。それにっ」


 黒龍はこれまであまり視線をあわせなかった萌黄に向き直り、指を突き付けた。直接肌に触れたわけではなかったが、萌黄の体は反った。体を強張らせた萌黄を前に、黒龍はふんと鼻を鳴らして腕を組む。


「萌黄、といったか。お前もおごるな」

「えっ?」

「運命、という流れは確かにある。けれど、お前がいま口にしている『運命』は、他者に責任を押し付ける責任転換でしかない」


 黒龍の言葉に萌黄は顔を俯き――かけた。


「だから、自分の人生に胸をはって、業を背負って散れ!」


 声が重なった。文字通り、幾重にも。

 甘ったるく高い声、中音で耳あたりの良い声、若いくせに重みがある声、少し掠れた凛とした声。萌黄の裏を知る者たちだ。長官、紺樹、黒龍、白龍。


「貴女たちが犯した罪はもはや誰にも許しを乞えるものではありません」


 紺樹は蒼の肩を軽く叩きながら、静かな笑みを浮かべる。


「クコ皇国に損害をもたらしたのも、内外含めてちゃんと相応の罪名を負って貰わないといけませんですねー」


 魔道府長官が紅と翡翠兄弟にもたれ掛かり天を仰ぐ。


「お前はその覚悟があるから、過去を語るのだろう。良いだろう。これも縁だ。後ナン百年か続く人生の中で、お前たちのような想いがあったと覚えておいてやる。むしろ……同じ始まりの一族のひとりとして、覚えておく以外に何もしてやれないこと、無念だ」


 黒龍は唇を噛み、萌黄の前に立った。そして、丁重に片膝を折った。

 萌黄の思考回路は混乱を極めている。だって、と萌黄は己の腕を掴む。


(敵なのに、わたくしは排除されるべき敵なのにっ。なぜ、身内でさえくれなかった真摯さを彼らが与えてくれるのだろう。どうして、どうして? わからない。裏があるの⁉ わたくしはただ自分の記憶を吐露したかっただけなのに!)


 萌黄が警戒を示しても、黒龍が膝を伸ばすことはない。いっそ、地面についている手を踏みなじれば本性を現すだろかと右足をあげる。周囲の人間は動かない。

 萌黄の心がどす黒く染まっていく。耳鳴りがして動悸が激しくなって、その不安から逃れるように足を振り下ろし――かけて、両膝をついていた。


――お、かあ、あ。おか、あ、さ。おかあ、さん――


 舌ったらずな音というには曖昧な声が、しっかり萌黄の耳に届いた。何万回、何億回、そう呼ばれる想像を繰り返したことだろう。かつて腹にいた子に。


――おかあ、さ――


 妄想ではなく繰り返し呼び掛けてくる声に、萌黄は顔を覆ってうずくまるしかなかった。止めどなく流れる涙を否定したくても、嗚咽が邪魔をする。

 萌黄にはわかった。理屈じゃない。この声は、あの時お腹にいて、消えてしまった子だと心が認めるしかない。


(裏なんてあるはずない。だって、わたくしは知っているもの。紅さんと蒼さんを。だから、彼らが信じる人たちも――)


 白龍が胸元から出した小瓶からアゥマに似た光が漂い出た。不思議なことに、それはアゥマを可視できない面々にも認識できる物質だった。それはまさに、魂と思える存在。

 小瓶からふよふよと出た光は寝ぼけているようだったが、地面に蹲る萌黄を認識したとたん飛びついていった。まるで、泣く母親を子が慰めるように。


「運命など知らぬが、重なり合った出会いが君の前に集まったのは事実じゃ」


 白龍が泣き笑いを浮かべた。偽りのない、慈しみの想いを込めて。


「袖振り合うも他生の縁、ですわね。だから、みなさんに聞いて欲しいのです」


 萌黄は清々しい様子で立ち上がった。

 視線は溜まりに沈んでいくサンシシに注がれている。それでも、瞳はしっかりと光を捉えていた。

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