第7話 圧巻の華憐堂と紺樹の思惑
「着きましたわ。ここがわたくしの父の店『華憐堂』です」
萌黄が凛とした声で蒼と紺樹に向き直った。
蒼は、呆けて顎が下がったままの状態をみっともないと思う余裕もなく、口と目を開いていた。瞬きを忘れた瞳が、じわじわと乾いていく。見上げた先にどしんと構える建物を見上げる蒼。
「なんていうか」
蒼とて華憐堂を初めて見たわけではなかった。けれど開いた口がふさがらないとは、まさにこのことだと息を呑んだ。蒼は丸い瞳をさらに満月顔負けに目を見開く。
蒼を驚かせているのは一番の要因は、華憐堂の外観だ。
視界を埋め尽くしているのは、晴天の空に浮かぶ雲の影を映している朱色の瓦でも、人通りの多い大通りと華憐堂を隔てている重厚な青銅の扉でもない。
ましてや、軒下に付けられている、赤色の吉祥つり飾りでもない。確かに、これはこれで圧巻ではあるし、石造りと土とが組み合わさった大きな通りの脇にある店の中でも、群を抜いているが。
「えっと。確か、先週は店看板、金色じゃなかったですよ、ね?」
「えぇ、気づかれました? 二・三日前に金箔を貼りましたの。あの部分は金箔茶を模しました。来週にはまた変わりますけれど」
顧客の興味をひくという意味においては、正解と言えるのかもしれない。
ただ、日をおうごとに豪華絢爛になっていく店の象徴をどう受け止めてよいのか。蒼は戸惑いを隠せない。
視線を動かした遥か先あるのは皇宮だ。大きな建物は、長方形の町を見守る位置に座している。
(大通りにある店のほとんどが、他の場所で浄錬された食材や品物を運んできて加工や販売している。首都の大通りには守霊が宿るほどの浄化物質の『溜まり』はないはず)
大きな溜まりを持つ店や工房が中央通りから外れた場所にあることと、空の美しさと街の彩りの外観を壊していること。色んな意味で華憐堂は様々な違和感をあたえてくる。
萌黄の控え目だが芯のありそうな性格から考えても、蒼には彼女が違和感を気にしない人ではないように思える。
「萌黄さ――」
「お嬢様、お帰りなさいませー」
蒼が萌黄に声をかけるのと同時、店先に立つ萌黄を目ざとく見つけ出した中年の男が、地面に足を擦らせながら歩み寄ってきた。
「橋を渡って街外れに行かれるってことでやんしたが、随分と早いお戻りで。迷子になって帰ってきたんですかい?」
男性は猫背気味で顔のえらがはっている地味な顔立ちをしている。身に着けているのは、簡素だが光を滑らす様から上質の生地だとわかる衣だ。
「……いえ。色々あって、出直すことにしましたの。幼子ではないのだから、迷子になんてならないわ」
「へぇ。そうでやんすか」
つるんと、丸い頭を撫でながら萌黄の隣へと並ぶ男性。手が頭の上を滑る度、太陽の光を存分に浴びた金箔が放つ光が、蒼と紺樹の目を襲う。
蒼が思わず「ほわっ!?」っと両の手で顔を覆ってしまうと、それを横目に入れた男性の眉が怪訝にゆがめられ顔中に波が寄った。
蒼だって失礼だと思いもしたが、眩しいものは、仕方がない。
「っと、そちら様は新しいお客様で?」
けれど、蒼への興味はすぐに失せたようで、紺樹へと満面の笑みが向けられた。あからさま過ぎる態度が、いっそ清々しい。
「どうぞどうぞ。今、開店記念で上等な茶葉も心意気の良いお値段でございやす!」
「呼び込みにも随分と精を告いでいるご様子ですね。華憐堂さんは」
紺樹の言うとおりだ。
ぐるりと首をまわしてみれば、店の前に収まらず、さらに街中へと続く橋の上でも瓦版を配布している男衆が目に入ってくる。それも、かなり整った顔立ちをしている者が多い。人形のような顔立ちにも見えるほど。男衆に混じり、年若い女性も艶やかな装いで、試飲用の小ぶりな茶杯を手に笑顔を振りまいている。
「もしかして、皆さん一緒にいらっしゃった方?」
蒼は振り返り、萌黄に問いかける。大きな目で瞬きを繰り返す蒼が面白かったのだろう。萌黄は薄絹の披肩で口元を覆い、くすくすと笑った。嫌な部類の声ではない。
ただ、急に『お姉さん』という雰囲気になった萌黄が少々くすぐったく感じられて、蒼はそわっとしてしまった。
「えぇ。この者たちでだけではなく、多くの者がわたくしどもと共に移住させて頂いておりますの。受け入れて下さったクコ皇国に感謝するばかりですわ。それに、ほら、良く見ると顔立ちがクコ皇国の方と違いますでしょ?」
「うん。心葉堂にも色んな国の人が来店してくれるけど、団体で見るとよくわかる」
確かに。萌黄一人見る限りでは、さして自分たちと大きな違いを感じることはないが、今のように大勢が一所に集まると、鼻筋や目の堀に、特徴があるように思えた。すっと通った鼻に肌は色素が薄く、髪や目は明るい色合いをしている者が多い。
失礼だとは思いながら、蒼が彼らに視線を固めていると、萌黄は楽しそうに含み笑いを零した。先ほどとは違う笑い方に、嫌な予感が蒼の頭をよぎる。
「萌黄さん?」
「紺樹さんと、ねんごろなご関係ではいらっしゃらないのです? もし、誰かお好みの者がいらっしゃいましたら、紹介してさしあげましてよ?」
「え!? そっそういうんじゃなくて! っていうか、紺君は幼馴染だし! 家族同然だし!」
物珍しくてというのも失礼だろうし、ましてや皆整った顔立ちをしているなんて考えていたとも言えず、慌てるばかりの蒼。
なんと表現していいのかと試行錯誤しているのを、再び違う意味で捉えたのか。目を細め笑う萌黄は、蒼の耳元で楽しげに声を出した。蒼はこの手の話が纏う空気は、どうにも苦手だ。
「よろしいじゃないの。わたくし、蒼さんと恋のお話ができたら楽しいですわ」
朗らかに微笑む萌黄は、傍から見れば目を奪われる姿なのだろう。実際、道行く人も通り過ぎざまに、萌黄と蒼の様子を微笑まし気に見ていく。
(なんで、そっちに話がいっちゃう!?)
当事者の蒼はひたすら汗を流すばかりだ。しかし同時に、嬉しそうに袖を揺らす萌黄は、年下の蒼ですら可愛いと思ってしまうところがあって、どこか憎めない。
助け舟を出してくれるとばかり思っていた紺樹は、二人のやりとりを楽しんでいるだけで、どちらかというと蒼は彼にイラっとしてしまうのだ。
「いやはや、恋する乙女は強いですね。いつも紅を翻弄している蒼が押され気味とは」
「紺君、一人蚊帳の外で楽しんでないでよ」
紺樹を恨めしそうに見た一瞬後。背筋に冷たいものが走っていった。
その原因は自分に向けられた感情が、鋭い(というのも大げさかもしれないが)ものを含んでいたからに違いないのだが……。それを放ったのが隣の線細い女性だとは認識しがたい。どちらかというと、紺樹のファンの可能性の方が高いだろう。
「あら、それは益々早くお相手を作られたほうがよろしいのでは?」
「紺君……」
肌にたった鳥肌を撫でながら他に蒼ができた事と言えば、余計な情報を口にした紺樹を睨むことだけだった。
しかし、視線を鋭くしても、紺樹は暢気に萌黄に同意など示してみせるだけだ。
「おっと、失礼。これは本当に、早く蒼も恋でもするしかないですね。だれがお似合いでしょうか」
萌黄は紺樹の言葉にさっそく乗り気になったようだ。蒼たちから離れ、大通りにいる青年たちを見まわし始めた。猫背の男性の腕をひき、彼をも巻き込んで。
男性の方は小さく舌打ちしたものの、紺樹と目があうとにっこり――いや、にやりと目尻を下げて萌黄に付き従った。
「ですわね。紅さんのような方はなかなかいらっしゃらないとは思いますけれど」
心の中でだが「ばかっ、紺樹!」と、珍しく彼を呼び捨てにする。蒼の頬は、めいっぱい膨らむ一方だ。
蒼だって年頃の女の子なわけだし、色恋に興味がないわけではない。けれど、店を継いで間もない蒼の中で、それの優先順位は決して高くない。
紺樹だって重々承知しているはずなのにと、腹が立ってくる。もちろん、紺樹のことだから、萌黄の調子に合わせているだけだとはわかっているが、それでも、どうしてだか気分が悪い。
「ちゃんと今の発言の責任はとりますから。色々様子を見たくて」
蒼にだけ聞こえるよう囁かれた声。嬉しそうでもあり、困っているようでもある。
蒼が物凄い表情でへそを曲げていると、紺樹の手が軽く頭を撫でてきた。まるで熱した空気を抜くように。
「へ?」
「すみません、蒼。」
苦笑いの意味を理解できなくて、蒼は怒るのも忘れ紺樹を見上げる。瞳に映ったのは、困った笑顔と垂れた眉毛だった。
きょとんと目を瞬かせる蒼。もう一度、頭を撫でられたかと思うと、紺樹は、いつも通り、満面の笑みを浮かべなおした。
そして紺樹は、先ほどよりも萌黄の一歩下がった所で控えていた中年男性に声をかける。
「いつもこのような宣伝を?」
「へぇ。うちのような新店舗が、伝統ある街で店を構えるとなりゃ、やっぱ赤字覚悟の安さで、まず馴染んでもらうってもんで。いや、しかし何か問題でもなるならおっしゃってくだせい! この国に早く馴染みたいと思いはすれど、街の皆さんに迷惑はかけたくありませんから。今更ながら、旦那のその服、魔道府、国にお勤めの方でしょう。まっ! 寄って行って下さい」
静かに控えていたのが嘘のように、よく動く店員の口と飛び散るような言葉。その手はせわしなく動いていて、まるで観劇しているかのような錯覚を覚えたほど、大げさだ。
芝居がかった男が、紺樹に捻り寄る様は、誰の目からも下心見えみえだったのだが。紺樹本人は別段何の感情も抱かなかったようだ。そして、なぜか萌黄を横目で捉えただけだった。
(紺君、変だ。今でこそ軽く見える紺君だけど、こーいう擦り寄りは今でも何より嫌いなはずなのに)
その意図を蒼がはかり知ることは出来なかった。
思わず口を押さえた蒼の肩に、紺樹が柔らかく触れてきた。
「いえ、そのことに関しては特に問題ありませんが。それはさておき、少しお邪魔させていただきましょうか、蒼」
「でも、私はお店もあるし。お使い行って、帰らないと」
「まぁまぁ。店には、師傅も紅もいることですし、好敵手の浄錬された茶を試してみるのもいいでしょう?」
紺樹の言う通り、今日はもう心葉堂に浄練茶を所望する人々は来店しないだろう。出る時に予約帳を確認してきたし、万が一、新規の客が来ても紅が通信球を使うはずだ。
通信球は、小さい水晶球でアゥマを制御できる人間に限られるが、遠く離れた場所にいる人物に伝言を送ることが出来る。
「お邪魔してもいい、ですか?」
蒼はおずおずと萌黄に尋ねた。
茶師として向上心も高く好奇心も旺盛な蒼が、興味がないはずはない。
ただ、向上心はともかく、後者を紺樹に見透かされているようで気恥ずかしくもあるが、紺樹相手に今更意地を張る必要もないだろう。萌黄は静かに微笑み返してきた。
「えぇ、もちろんですわ」
「では」
萌黄の言葉に答えたのは、紺樹だった。